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『私は20歳』 Мне двадцать лет (1965)

映画パンフレットレット「私は20歳」監督 マルレン・フツィエフ 出演 エフゲニー・エフトゥシェンコ、ブラート・オクジャワ

作品メモ

ひとつ前のエントリー『私はモスクワを歩く』と同時期のソ連映画。同じように「らしからぬ」鮮度が魅力です。

もともと1962年に«Застава Ильича»(イリイチの哨所)というタイトルで製作されたものの検閲を通らず、フルシチョフ失脚後の65年に大幅に編集の上タイトルを変えてようやく公開されたとのこと。
さらに「90年に監督自ら復元版を完成、日本がこの復元完全版の世界初公開となった。」とキネマ旬報データベースにありますが、岩波ホールでの上映時期と少しずれているような気もします。
ここらへんの資料的なことはよくわかりませんので、ぜひご自身でお調べになっていただければと思います(オイ)。
オリジナルのタイトル«Застава Ильича»については、このエントリーの最後をご覧ください。

モスクワに住む仲の良い3人の若者の日々を、若々しいカメラと音楽で描きます。
『モスクワは涙を信じない』の女性3人組はフルシチョフ政権前半の時期で、それを20年後から懐古的に描いていましたが、こちらの男性3人組は政権後半……というよりほぼ末期。その時代の若者たちがリアルタイムで切り取られていることになります。
革命も大祖国戦争も実感できない世代でしょうか。大いなる目的を持てない若者の姿をアメリカの音楽を交えて綴っているわけで、フルシチョフがダメ出ししたのもある意味理解できるような気もします。

兵役から戻ってきたセルゲイ(Сергей Журавлёв)にヴァレンティン・ポポフ(Валентин Попов)。
同じ団地に住む友人ニコライ(Николай Фокин)にニコライ・グベンコ(Николай Губенко)。
3人の中でただひとり結婚しているスラーヴァ(Слава Костиков)にスタニスラフ・リュブシン(Станислав Любшин)。『不思議惑星キン・ザ・ザ』の主役の中年男ですが、ここではまだとても若いです。
セルゲイがトラムで見初めたアーニャ(Аня)にマリアンナ・ヴェルティンスカ(Марианна Вертинская)。

監督マルレン・フツィエフ(Марлен Хуциев)、脚本マルレン・フツィエフと『私はモスクワを歩く』のゲンナジー・シバリコフ(Геннадий Шпаликов)。撮影は『チャイコフスキー』のマルガリータ・ピリーヒナ(Маргарита Пилихина)。音楽ニコライ・シデリニコフ(Николай Сидельников)。

1965年の第26回ヴェネチア映画祭で、審査員特別賞とNew Cinema Award部門の最優秀男優賞を受賞(IMDb > Venice Film Festival Awards for 1965)。

ロケ地

IMDbには記載がありません。
モスクワ市内であることはわかりますが、後は例によって画面とにらめっこでチェックしていきました。
上映時間が長い上に街並みのカットがとても多いので、全部はとても無理。気になるところだけピックアップしています。
答え合わせは(ほとんど)していませんので、間違っていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。

OP

 
 

3人の兵士が無人の町をゆっくり歩いて行く素晴らしいイントロ。
軍服はこの映画の当時ではなくもっと以前のものでしょうか(後ほど意味がわかります)。

ひとりの顔のアップになったところでタイトルが表示され、「インターナショナル」が鳴り響きます。この時にカットが分れていて、前後で撮影場所は別。
前半は調査中。
(ここかと思って違ったところのメモ。その1

後半はここ。


大きな地図で見る

川はモスクワ川の支流ヤウザ川(Яуза, Yauza)Wで、3人が向って行くのは、『鶴は翔んでゆく』でも登場した橋。
『鶴は翔んでゆく』ではここの対岸をヒロインが迷子を抱いて歩いていました。

上のSVを左にぐるりとまわすと、そのまま本編のカメラワークとなります。
左側の角にあった建物はもう残っていません。

後半のショットは実際には列車が通過する直前でカットが切り替わっていますが、流れが良いので気がつかず、うまい映像表現になっています。

翌朝

再会を祝してサッカーを楽しむ若者たち。
背景に2基の冷却塔と3本の煙突が見えますが、火力発電所でしょうか。
以前『ひまわり』の冷却塔を調べたときに、ついでに近郊のものに片端からピンを置いておいたので(笑)、それをチェックしてみました。

ヒントとなるのは地形、周囲の建物、集合住宅の作り。
各場面をよく見ると、窓越しに声を掛け合うショットと下に降りて抱き合うショットで建物の作りが違いますので、別の場所と推定できます。
下に降りて抱き合った2人を煽り気味で捉えそのまま右にパンして野原に出て行くワンショットは、冷却塔も写っているのでこの場所での撮影であることがわかります。
場所はこちらではないでしょうか(プライベートな物件でしょうけど、集合住宅と言うことでお許しを)。

冷却塔の数は違いますが、向かいのエリアが何もなければ同じようなアングルで見えるはず。
集合住宅の壁面も映画とまったく同じです。

横切った道はゾルゲ通り(Улица Зорге)Wと名付けられているようです。あのゾルゲですね。かの国では英雄。
通りの南端に大きな銅像もありました。

像は野原に飛び出していくショットで左端に見えるはずですが、映画ではただの更地です。
WikipediaWによると、

ソ連政府はかたくなにゾルゲが自国のスパイであることを否定し、その後もソ連の諜報史からゾルゲの存在は消し去られていた。しかしその後、1964年11月5日に、ゾルゲに対して「ソ連邦英雄勲章」が授与された。このタイミングは、スターリンの死後にその大粛清などを批判した指導者ニキータ・フルシチョフ首相が失脚した直後に当たる。

とのことで、映画撮影当時は存在そのものが抹消されていたことになります。
野原の向こうに建っている冷却塔は«ТЭЦ-16»W

正解かどうか気になったので、ここだけ答え合わせをしてみました。
集合住宅そのものは登録されていませんが、このアングルは登録されていました。

地下鉄駅入口

0:15。
丸い柱が4本立っているのが特徴的。こちらの駅ですね。

Чистые пруды(チスチェイエ・プルドイ)駅W

両側にお店ができたため映画とはだいぶ眺めが違っていますが、背景の建物はほとんど今でも残っているようです。

発電所

0:15。
濃い色の冷却塔が4基と煙突が数本見えます。
こちらは前述『ひまわり』の冷却塔を調べたときについでに置いたピンがそのまま役立ちました。

ТЭЦ-11W

確か当時はロシア語版Wikipediaにもこうした個別の項目はなかったかと思います。
今はこういう作業がだいぶ楽になりましたね。

交差点

0:17。
明るいですがもう7時。街角の売店に並ぶ人たち。 交差点に映画館が見えますが、このあたりはこの後幾度か登場します。
セルゲイたちのアパートのすぐ近くという設定ですね。
場所は調査中。

上映中の映画はСерёжа (1960)WIMDb
映画館は冒頭戻ってきたセルゲイが横断した時にも写りますが、別の映画がかかっていました。

斜め渡り

0:22。
3人が斜め渡りするところ。向かいは公園。
その後トラムに乗り込みます。
調査中。

尾行

見初めた女性の後を追うセルゲイ。
ほとんどストーキングですが、その2人をさらに追いかけている自分も同類かも 😉 ?

大通り

0:31。
人混みをかきわけて進んでいるのは、『モスクワわが愛』でも登場した劇場通り(Театральный проезд)のこのあたり。

背後にちらちら見える背の高い銅像は、KGBの目の前、ルビャンカ広場にあったフェリックス・ジェルジンスキー(Феликс Дзержинский)像。

1991年にデモ隊によって倒され、現在はこちらに移されています。

外付けエレベータのあるアパート

0:33。
調査中。
これは場所がわかったとしても、プライベートな物件ということで書けないかも……。

公園

0:34。
長~い右への移動撮影。

 
 
 

『私はモスクワを歩く』で登場したЧистые пруды (きれいな池)Wがある公園ですね。

公園の銅像

0:41。
雪の日。同じ公園。

このすぐ先が地下鉄入口。

雪を食べたのはこちら。

夜の公園

1:01。
前述Чистые пруды (きれいな池)W
カメラに背を向けているショットで、対岸にこちらの建物が見えます。

現代人(Современник、サブレメンニク)劇場W

したがってこのショットのカメラ位置はここで、東向き。

ВТОРАЯ ЧАСТЬ(第2部)

1:09

早朝の町

1:18。
特に上り坂になった大通りがとても印象的ですが、場所は調査中。

広場

人々が集っていたのは赤の広場のこちら。

橋の下

1:22
そのまま赤の広場の近くの橋……ではなくて、ひとつお隣のこちら。

美術館

1:24

トレチャコフ美術館ではなくプーシキン美術館Wの方でした。

インドアストリートビューが利用できるので、部屋まで特定できました。
横たわった男女の像(墓石)があったのは、本館2階の展示室28のようです。

オフィシャルサイトは日本語も用意されていて助かりますね 🙂
像はこちら↓ですが、もちろん映画みたいに足の裏をコチョコチョしてはいけません。

3人が降りてきたのは、こちら↓の階段。

地下鉄出口

1:52。
アーチが重なったような特徴的な出入口。

クラースニエ・ヴァロータ(Красные ворота = 赤門)駅W

その後連れだって歩くところは、反対側のこのあたり。
背景に、上記地下鉄出入口が見えます。

夕暮れの町

2:18

ホームパーティー

2:20。
この場面、タルコフスキー監督が登場しています。

トンネル出口

2:40。
ゆっくりと歩み去る3人の兵士。冒頭同様とても印象に残る名場面です。
場所はこちら。


大きな地図で見る

この上は『モスクワは涙を信じない』『私はモスクワを歩く』で登場したマヤコフスキーの像がある広場。
トンネルの反対側は『ボーン・スプレマシー』のカーチェイスシーンのクライマックスで、トンネル入口として登場したところ。
行く手に見えるスターリン様式の大きな建物は、『モスクワは涙を信じない』で登場したリッチなマンション。

交差点俯瞰

2:40

レーニン廟

ラストでレーニン廟とその衛兵が写ります。

この映画、もともとのタイトルは«Застава Ильича»(KINENOTEでの原題表記が«ЗАСТАВА ИАЬИЧА»となっていますが、ИЛЬИЧАの間違い)。
手元のロシア語辞書によると、ЗАСТАВА(ザスターヴァ)は①都市の関門 ②哨所とあります。
直訳すると「イリイチの哨所」でしょうか?
イリイチはレーニンの本名(Владимир Ильич Ульянов)の父称。

ロケ地マップ

『私はモスクワを歩く』(63)『私は20歳』(65)『夕立ち(七月の雨)』(66)をまとめて。


より大きな地図で 60年代「新しい」ソ連映画 を表示

※16/5/27追記
その他の映画もまとめて。

 
 

資料

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更新履歴

  • 2016/05/27 「ロケ地マップ」追記

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