作品メモ
ソチオリンピックがいよいよ開幕。
その記念というわけではありませんが、せっかくなので昨年に引き続きソ連映画をもう少し続けてみます。
まずはひとつ前のエントリー『愛染かつら』と同じ1938年の映画です。
『戦艦ポチョムキン』で名高いエイゼンシュタイン監督の初トーキー歴史大作。
……なのですが、日本人的には人物名も映画のタイトルもいまひとつなじみが薄いかも。
むしろプロコフィエフの曲名として知られているかもしれませんね。
もとはこの映画のサントラ?で、エイゼンシュタイン監督の次作『イワン雷帝』もプロコフィエフが手がけています。
この人物、13世紀に周辺各国から祖国を守った英雄とのこと。→ アレクサンドル・ネフスキーW
ネヴァ河畔の戦いでスウェーデン軍を破ったことから、「ネフスキー」と呼ばれることになったとか。知らなかった……
映画で主に描かれるのは、チュド湖の氷上で繰り広げられたドイツ騎士団との戦い。
敵をナチスドイツに見たてたプロパガンダ映画であったかと思われますが、今となっては単純に壮大な戦闘シーンをぽかんと口開けて見ても良いでしょうし、エイゼンシュタイン流のアングルやカット割りなどを映画マニアの目線で楽しんでも良いでしょうし、いろいろな鑑賞方法がある映画かと思います。
38年の作品ですが、日本での初公開はallcinemaによると1962年12月29日とのこと。
戦前ソ連映画がいつまで輸入公開できたかは知りませんが、どのみちこの内容では当時の公開は難しかったことでしょう。
38年と言えば、とある日本の女優と監督が連れ立って樺太の雪原を越えていった年でもあります。
2人を待ち受けていたのは、スターリンの大粛清が吹き荒れるソ連の厳しい現実でした。
そんな時世の映画です。
ロケ地
IMDbでは、
Moscow, Russia
としかありません。
大半はセットでの撮影と思われます。
冒頭の水辺
«ПЛЕЩЕЕВО ОЗЕРО»(プレシェエヴォ湖)とテロップが出ますが、Wikipediaを見ると、実際にプレシェエヴォ湖(Плещеево озеро, Lake Pleshcheyevo)Wで撮られたようです。
モスクワから北東へ120kmほどのところ。
湖の東岸の町は、ペレスラヴリ・ザレスキー(Переславлей-Залесский)W。
町の中でネフスキーの胸像を見つけました。
後ろの教会は、Спасо-Преображенский собор (Spaso-Preobrazhensky Cathedral)W。
Wikipediaの記述によると、ネフスキーが洗礼を受けたところのようです。
蹂躙された町
設定ではプスコフ(Псков, Pskov)W。
セットでしょうか。
町
ノヴゴロド(Новгород, Novgorod)Wという設定でしょうか。
幾度か写るこの場所も、周りの建物はセットと思われます。
眼下を流れるのはモスクワ川のように見えますが、確かめようがありません。
実際のノヴゴロドはこちら。
氷上の戦い
凄まじいチュド湖の戦いも、セット撮影と組み合わせて撮られているようですね。
雪も自然のものではないようで、このあたり『ドクトル・ジバゴ』を連想させます。
実際のチュド湖(ペイプシ湖)Wはこちら。現在ではエストニアとロシアの国境。
兵士たちは幾千にも見えますが、『ロード・オブ・ザ・リング』や『トロイ』と違ってホンモノの人間たちが演じています。
こういう戦い、後ろの方の歩兵たちは何をやっているのかいつも気になります。
できれば後ろの方に居たいものです。
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