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『旅の重さ』 (1972)

あの頃映画 「旅の重さ」 [DVD]

私は今日まで生きて~みま~した~♩

作品メモ

ひとつ前のエントリー『約束』に続いて斎藤耕一監督作品。フィルモグラフィー的にも次の作品となり同じ年の10月に公開されています。

突然家を出て四国遍路を始めた少女のお話で、ヒロインに高橋洋子。これが映画デビュー作でとても初々しく可愛らしいです。撮影当時19歳。美しい風景とともに捉えられた彼女の魅力が、そのまま映画の魅力になっています。

彼女のママに岸田今日子。何だか頼りなくて娘よりママの方が心配になりますが、これも岸田さんの持ち味でしょうか。
行き倒れになりかけた彼女を助けた中年男木村大三に高橋悦史。

ロードムービーなので、途中出会いと別れが繰り返されます。
特に大きな出会いだった大衆演劇一座の面々は……
座長松田国太郎に三国連太郎。
政子に横山リエ。私、つい数年前に見返したときまでずっとこの役杉本美樹さんだと思い込んでいました。ごめんなさい。
竜次に砂塚秀夫。

他に……
後の方に出てきた小説好きの少女役として秋吉久美子。ヒロイン役をオーディションで競って次点となり、こちらの役で映画デビュー。出番は短いですが物語にぐっと奥行きをもたらすキャラで印象に残ります。
トラック野郎に山本紀彦。オール四国ロケとのことですが、運転席のたった1ショットのためにわざわざ四国に来たのでしょうか??
最初の方に出てきたすごい状態になっている男性遍路に三谷昇。これはクレジットを見なければ誰だかわかりませんでした。

原作は素九鬼子。
続く『パーマネントブルー』は秋吉久美子さん、『大地の子守唄』は原田美枝子さんでそれぞれ映画化と、新進女優の登竜門状態。

監督斎藤耕一、脚本石森史郎、撮影坂本典隆、とこのあたりは『約束』と同じ。
音楽よしだたくろう♩

『約束』と違ってDVDは発売済み。
たしかいっとき入手できない時期がありましたが、今ではレンタルもされていますし、HD放送もあったような。
さらにオンデマンドでも視聴できますので、『約束』よりはずっと接しやすい作品となっています。
▶20/1/30追記 『約束』も13年10月に発売されました)

▼16/8/11 動画差替え

 

▼18/12/16 追記
こちら↑は冒頭の映像ですが、こちら↓は本来の予告篇

地元紙の記事

▼15/4/6項目追加

このページをご覧になった高知県在住の映画ファンの方からご連絡をいただき、当時の新聞記事のスクラップ画像を拝見することができました。
そのまま画像を掲載したいところですが、著作権上問題あると思いますので、一部極小掲載する他は文章にて簡単に内容をご紹介致します。
記事は全て地元紙の高知新聞です。
送ってくださった方、本当にありがとうございました。

◎宿毛などでロケ 映画化される『旅の重さ』 女主人公は公募で (1972-07-04)
記者会見の模様を中心に、映画化情報を伝えています。ヒロインの公募情報として「出演期間は8月10日から9月20日(予定)撮影場所は四国の新居浜、宇和島、宿毛、足摺、土佐清水などロケ中心。経験問わずで15-19歳」とあります。
◎十月の日本映画 ー高知映画街ー (1972-10-03)
ラインナップ紹介。松竹系で10月28日から『故郷』(山田洋次監督)との併映。
映画紹介の中で、「八月中旬から約一ヶ月間、土佐清水市や愛媛県八幡浜市などでロケが行われた」との記述があります。
◎『旅の重さ』試写会 (1972-10-16)
10月24日の夜、高知市の高知松竹で開かれる試写会へ200名ご招待、といった内容。
映画紹介の中で、「さる八月中旬から、土佐清水市や中村市、愛媛県南部などでロケが行われました」との記述があります。
◎四国シネマ紀行(26) 旅の重さ ー昭和47年土佐清水市ほかー 日本人の心象風景を(1991-07-09)
記者の署名入り、6段のコラム。 四国の地にちなんだ映画を毎回とりあげている連載のようです。他の連載も読みたくなりますね 🙂
一座がいた下川口天満宮を記者が実際に訪れ、写真入りで紹介。そのキャプションに「手前の土手でも撮影が行われている」とあります。
また斎藤耕一監督の「私の作品の中で、最も印象に残るものです」といったコメントも掲載されています。
◎しこく名作紀行(41) 映画旅の重さ(愛媛県愛南町) 石垣と同居する漁村(2005-04-16)
署名無し6段。 「石垣と同居する漁村」とのことで、漁村のロケ地となった愛媛県愛南町の外泊地区が紹介されています。
「住民の大半が何らの形で参加したはず」とのこと。 また、公開された1972年当時、周辺は足摺宇和島海国立公園区域となり観光客が多く訪れていたことも伝えています。
▶20/1/28追記 最後に「愛媛新聞」とありますので、オリジナルは同新聞と思われます)

Blu-ray発売

▼15/4/12追記
『あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション 旅の重さ』 [Blu-ray] Blu-ray盤が出るようです。
発売予定日は2015年8月5日。
「あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション」という新しいシリーズ。

http://www.shochiku.co.jp/anokorothebest/

上映レポート

▼21/6/14 項目追加

奇しくも今月(2021年6月)同じ週に地元高知と東京で『旅の重さ』が上映されました。
衛星劇場でも今月数回放映されるようで、これはホントに単なる偶然なのでしょうか。
それはともかく、劇場へ足を運ばれた方からレポートが届きましたので、掲載させていただきます。ありがとうございました。

大心劇場(高知県安芸郡安田町)

2021年6月5日(土)~6月12日(土)

最終日に鑑賞されたイノシシさんのレポートです。

イノシシさん 高知県安田町の安田川を谷合に4kmさかのぼった場所にある大心劇場という貴重な昭和の映画館で 2021年6月5日から12日までの一週間、「旅の重さ」のリバイバル上映会が行われており最終日に出かけてきました。
川の奥の方に見えるオレンジ色の建物が大心劇場です。

http://wwwc.pikara.ne.jp/mamedenkyu/

イノシシさん 最終日ということもあってか、町外からも大勢の人が訪れており、この作品の人気の高さを伺うことができました。
イノシシさん 大心劇場の経営者は小松さんで昔からの知り合いです。
地元で長年シンガーソングライターもやっておられます。
大心劇場は昔ながらの映写機を使ったフィルム上映を行っています。
今回の「旅の重さ」ももちろんフィルムで、ノイズが入った「旅の重さ」を大スクリーンで楽しむことができました。
イノシシさん こちらが貴重な旅の重さのフィルム。
7巻からなっており、もちろん手動で繋ぎをやっています。

その他、以前新聞記事を提供いただいた方から、この上映についての地元高知新聞の記事をまた送っていただきました。こちらはクリックしても拡大しない埋め込み画像とさせていただきます。

◎72年県内ロケ映画「旅の重さ」 少女の足取り みずみずしく(2021-06-07)
署名入り5段。

館主の小松秀吉さんがシンガー・ソングライター「豆電球」として活動する大心劇場。「旅の重さ」は、レトロで小さな、山あいの映画館によく似合う。

と結ばれています。
ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区)

2021年6月6日(日)~6月12日(土)
こちらは12日(土)21:00の回で、上映前に高橋洋子さんの舞台挨拶が行われました。
参加されたBill McCrearyさんのレポートです(一部画像はクリックしても拡大しません)。

Bill McCrearyさん 当日高橋さんがいらっしゃって、色紙を書いたりファンとのツーショット写真などにも応じていました。たまたまいた方が「彼女は気さくらしいので、いろいろやってくれる」という趣旨のことを語っておられましたが、私も恩恵にあずかりました。ファンともいろいろな話に応じてくれる方で、私も「渥美さんとの「田舎刑事」や天知さんの美女シリーズ観ましたよ」とか、短時間ですが、話をさせていただきました。
©2021 Bill McCreary
Bill McCrearyさん それで舞台挨拶は数分でしたが、挨拶の趣旨を書きますと、「自分も年をとったが、この映画での彼女は永遠のそのままだ」、「斎藤監督と日本中舞台挨拶に回ったのが、まだ20年前くらいのような気がする」「旅行雑誌の取材で、この映画のロケ地と同じところを回ったら、担当編集者が「いい映画でした」と言ったので、外泊へ行ったら、地元の老婆が声をかけてくれて、ちょっと前に「旅の重さ」の上映会があった、スタッフとキャストが泊まった旅館は廃業したと話してくれた」というような内容でした。当日は、映画の助監督氏(チーフでなくサードとかの方だと思います)も来ていて、高橋さんも最後まで映画をご覧になっていました。

当然と言えば当然ですが、この映画の主演を秋吉久美子に取られていたら、たぶん現在の高橋洋子はいないはずであり、上の話にもあるように公開後半世紀弱たってまだこのような機会が与えられるというのは、「旅の重さ」の力のすごさを物語っているということでしょう。

©2021 Bill McCreary
Bill McCrearyさん また高橋さんの写真以外に、プレスシートのコピーの写真も送付いたします。ロケの予定表も記載されており、私が気づいたところでは、8月15日~17日の日程で、八幡浜、大洲、長浜、明浜でロケをするとあり、そうすると、映画館のシーンで8月19日にオールナイトをするというのがぴたりと当てはまりますね。また「さらば美しき人」は、日本では1972年の6月の公開ということであり、すると当時上映・興業事情などを考えると、映画撮影時期と矛盾はしませんが、やはり松竹配給という偽装の可能性も高そうですね。

ほかにも外泊のシーンは、この予定表が事実であれば真ん中くらいでの撮影だったわけで、順撮りでなかったのだなと思いました。この映画は、少女の成長ばかりでなく高橋洋子の成長物語でもあるはずで、そのあたり高橋さんも大変だったのだろうなと思います。

Bill McCrearyさん ところでこの映画を観て感じるのは、1972年の日本てまだまだ貧しかったなということです。最初のほうの漁村での家なんか、廃屋の一歩手前みたいな気がします。「少年」も、まだまだ貧しい時代の日本を映し出しているわけで、80年代のテレビドラマを観てすらそんなことを感じたりもします。

ロケ地

お遍路さんということで舞台は四国。
エンドクレジットの「協力」には愛媛県観光協会と高知県観光連盟の名前があります。
例によって特に資料は用意せず画面とにらめっこで挑戦してみましたが、今回はハードル高すぎたかも……。

管理人メモ クリックで開閉します。
▼20/1/30記
……と書き出したのが、2013年の7月26日のこと。
きっかけは、『約束』(1972)のコメント欄(2013年7月22日 19:53)で赤松幸吉さんからリクエストをいただいたことからでした。
その時自分が解明できたのはわずか数カ所ですが、以来実に多くの方からコメントやメールなどで情報、画像をお寄せいただき、おかげさまで上から下までたどるのに日が暮れてしまうほどのボリュームたっぷりの内容となりました。
現在見通しを良くするために整理しているところですが、完全に削除するにはしのびない部分やプロセスを記録に残しておきたい箇所は、このようにメモとして埋め込んでおくことにしました。
通常は読み飛ばしていただいて構いませんが、気になる箇所がありましたら、試しにクリック(スマホならタップ)してみてください。

タイトルバック

クレジットが出続けているわけではありませんが、整理上拓郎の歌が流れる部分をタイトルバックとしています。

小屋

タイトル「旅の重さ」が出るところ。

コメント欄でイエローさんからヒントをいただいたときには(2014年11月2日 12:03)うまく見つけられませんでしたが、同じように水田が広がっている地域をチェックしていったところ、ここではないかという場所が見つかりました。

西予市を南北に走る宇和島街道(国道56号線)の西側このあたり(当時東宇和郡宇和町)から南の方を見ると、ちょうど小屋の扉を開けたときの景色と同じようになります。

カメラ位置はおそらくこの↑ストリートビューより少し南寄りですが、左右(東西)の位置はほぼこのくらいでしょうか。

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

コメントもいただきました。

katsuzouさん 本当に綺麗な緑でした。
緑色で始まり、白黒で終わる。
見事な演出でした。

▼21/6/27 追記
高岡タケシさんから、メールで情報を寄せていただきました(コメント欄2021年6月25日 00:57 参照)。
上記小屋の中からのショットに続く、小屋と少女を水田越しに捉えたショット(「旅の重さ」のタイトルが出るショット)は、こちら↓ではないかとのことです。

場所としては、果物をもらったり女性のお遍路さんと語らったあたりから東へ5kmほどのところです。
他の皆様からも賛同いただきましたので、正解としてこちらに記載させていただきます。
高岡タケシさん、お見事でした 😀

<しおかぜ>の踏切

踏切を行く列車は特急「しおかぜ」W。72年に登場した四国初の特急だそうです。当時の運行は高松駅~宇和島駅。つまり踏切は予讃線のどこかということになります。
今は車両が変わっているようなので、鉄ちゃん的にも貴重な映像かもしれませんね。

▼19/2/25追記
katsuzouさんからコメント欄(2019年2月20日16:30 )および管理人宛メールで、正解を教えていただきました。

メールから引用させていただきますと……

katsuzouさん 愛媛県大洲市長浜町晴海のふれあいパークの前の踏切で大谷(おおや)踏切です。
映画に写り込んでいる階段は改築されなくなってますが、線路の曲がりと三脚が立てられる位置が旧道から構えられました。
200ミリ以上のレンズが必要だったんですが、ギリギリ200ミリが限界だったため、少しズレがありますが、映画の構図とほぼ間違いないと思われます。
電車の長さが1両のため、スケールは出ませんでしたが、ファインダーで動画を確認したところ、見事に再現できました。

とのことで、その画像も提供していただきました。

本編と照合してみましたが、これはもうこちらで間違いなしですね。お見事です 😀
ちなみに写り込んでいる方は奥様だそうで、検証に協力してくださったとのことです(掲載許諾いただいています)。
本当にありがとうございました。

マップでは、おそらくこのあたり↓かと思われます。

こちらで↓電子国土Webの元になった空撮画像を見ることができます。ダウンロードもできますので、チェックにご利用ください。

管理人メモ クリックで開閉します。
13/7/27記載分を15/3/14に項目単独化。
15/3/20にinagaraがマップから求めた推測位置を追記しましたが、しっかり間違えていましたため(汗)今回の更新(20/1/30)でごっそり削除しています。
<うわじま>に抜かれるショット

背後からやってくるのは急行「うわじま」。路線としては同じでしょうけど、川(海沿い?)を蛇行しながら走っているようです。日差しから見て線路は水辺の南側、さらにその南側にヒロインが歩く道路があり、画面奥では車が線路を横断しているのが見えます。

▼13/7/30追記
急行「うわじま」に抜かれるショットはおそらくこちらではないでしょうか。

現在のマップですと海岸線と予讃線の間に「夕やけこやけライン」という道路が走っていますが、1975年(昭和50年)の空撮では、この部分はまだできておらず、線路のすぐそばに海があるように見えます。
この部分で正解だとすると、カメラ位置はここ。

SVでできるだけ近づけて表現するとこんな感じ(道路がないものと思って見てみてください)。

背後の踏切はここ。

カメラ目線の補助線を引いてみました。

線路の曲がり方や各距離など、映画とほぼ一致しています。

▼15/3/14追記
コメント欄でイノシシさんから情報寄せていただきました。
場所はここで正解とのことで、よりわかりやすいストリートビューも教えていただきました。

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。
高倍率のカメラで、見事にフレームを再現していらっしゃいます♪

こちらにイノシシさんからの画像を折りたたんでいます。クリックで開閉します。

▼20/11/25追記
イノシシさんからメールで情報と画像を提供していただきました。

イノシシさん 喜多灘の海岸線沿いの列車のカットですが、S字に曲がったレールを正面からとらえるのが1カット、砂浜様の場所を歩く前を列車が横切るのが1カット。大谷踏切を渡るカットが1カットと3シーンも撮影しており、昭和47年には列車のダイヤ、そして車両の数も多かったんだなあと時の流れを感じます。
通過する列車越しのショット

▼20/11/25項目追加
<うわじま>に抜かれるショットの直後、手前を列車が通過して、その向こうに小さく少女が歩いているショット。

イノシシさんからメールで情報と画像を提供していただきました。
2つ前の「<しおかぜ>の踏切」(大谷踏切)とほぼ同じ位置で、踏切の画像も含まれていますが、まとまっていた方が位置関係を把握しやすいためこちらへ3枚続けさせていただきました。

イノシシさん 冒頭で少女が砂浜をあるいていてその前を列車が通り過ぎる場面。よく見るとそこは砂浜ではなく、車両のタイヤの跡がたくさんついていることが見えます。ゆえにここは現在の地名でいえば大洲市長浜町晴海の埋め立て地。昭和45年に埋め立て造成が始まっています。
実際に現地の旧道(夕焼け小焼けラインの山側)を自転車で旅していると、列車を俯瞰で見下ろせ、さらに海岸が近接したポイントはいくつもありません。もっとも可能性が高いのが 長浜町晴海の埋め立て地で現在そこには大洲市長浜晴海ふれあいパークと言って、テニス場や野球のグラウンドが造成されています。
実はこのポイントはKatsuzouさんが以前割り出された大谷踏切の撮影場所と同じ場所です。踏切から海側へカメラを向けるとテニス場や野球場が見えるポイントとなります。砂浜ではなく広大な埋め立て地であること、昭和47年の撮影当時には更地の造成地で、まだ建築物はなかったであろうと推測できることなどからこのポイントでほぼ間違いないだろうと思います。
なお大谷踏切は上灘、下灘、喜多灘と続く旧道が伊予長浜の町へ下りていくスロープの先にあります。Katsuzouさんが挙げたのとは別アングルの大谷踏切の写真も添付いたします。
堤防の道

▼15/3/15項目追加
堤防らしきところを真横から捉えたショット。

▼15/3/19追記
コメント欄でイノシシさんから情報提供していただきました。
「土佐清水市と四万十市(当時中村市)を結ぶ道路の途上にある四万十川右岸」とのことで、さらにピンポイント的に山の形からこのあたりではないかとのことです。

まさにこの姿。お見事でした 🙂
しかも手前の橋が実は0:17頃の橋であり、逆向きに(堤防にカメラを置いて)撮られたショットだったことが判明しました。 ダブルお見事 😀 😀
地元をよく知る方々にもご協力いただいたとのことで、皆さま本当にありがとうございました!

各種マップではこちら↓

映画撮影時は、GSI MAPS(75年)と空中写真閲覧サービス(64年)の間の状態だったかと思われます。
上流の国道56号線の橋(渡川大橋)はまだない頃で、四万十川に架かる橋はさらに上流の県道346号線の橋(四万十川橋)のみ。少女の後ろを車が何台も通過していきますが、交通事情はかなり厳しかったと思われます。

映画のショットをよく見ると、右側3分の1ぐらいの位置に、土手に上がる階段が見えます。
もしかするとこちらかもしれませんね。

今ですと、手前の橋を渡って上の道に上がるスロープが正面に写ってしまうはずですが、64年の空撮ではもう少し上流まで併走しているようでスロープを確認できません。なので堤防の階段は可能性としてありかもしれません(未確認)。

なおこの地域の堤防についても、イノシシさんがコメント欄で詳しく書かれていますので(2015年3月17日 22:41)、ぜひ併せてご覧ください。

※19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

少女と同じ位置に写っている方は、きっと奥様です 🙂 (「橋」参照) 
ご協力ありがとうございました。

トマト

▼20/1/30項目追加

0:04
盗んだトマトを食べながら進むところ。
コメント欄(2020年1月26日 14:49)でイノシシさんから情報を寄せていただきました。
次の「沈下橋」近く、1km少々上流のこちら↓

また高岡タケシさんも「沈下橋」を探索された際に、「ここだ!と思い……堤防の法尻から見上げた山の雰囲気はバッチリ」と感じられたとのことで(コメント欄 2020年1月27日 22:02)、ここで正解と思われます。
お二人ともお見事でした 😀

▼20/11/25追記

イノシシさんからメールで情報と画像を提供していただきました。

イノシシさん 自転車旅は喜多灘から大洲へと肱川を遡上しました。だんだん雲行きが怪しくなってきたのはとても残念でした。季節は限りなく晩秋から初冬、夏の風景とは大きく異なりますが、少女が盗んだトマトを食べながら歩く土手です。場所は愛媛県大洲市若宮の大洲市防災センター下辺りの河川敷から見上げた肱川の堤防。ロケ時と手前の山の山頂の形が若干変わっていますが、理由は分かりませんでした。ロケ地はここであることは疑いようもないでしょう。高岡タケシさんが割り出した沈下橋の1kmほど上流がわです。もう一度天気の良い夏の日に撮影したいですね。

▼21/8/31追記

イノシシさんが再び探訪されたとのことで、最新の画像と現地レポートを提供していただきました。
撮影は2021年8月7日とのことです。
季節も含めて、再現度合いがバッチリですね 🙂

イノシシさん 去年訪れた大洲の「盗んだトマトを食べながら歩く堤防」。
先日、今度はマイカーでぶらっと日帰りで訪ねてきました。
で、写真に撮ってみたのですが中々映画のようにはならないです(笑)
手前の山の形が微妙にとんがりでなくなったのがひとつの理由ですが、実際の映画では、手前の山のみ雲の影がかかった瞬間を狙って撮影されたのではないかと思われます。
さすがにその状況を待つような時間的余裕はなかったのでとりあえず妥協して現状をパチリ。
また、堤防の斜面は草が胸の背丈ほどまで茫々になっており、堤防のどん突きまで行くことはできませんでした。
沈下橋

0:04
腰まで水につかって進んだ直後。引きとアップの2カット。
予告編の0:02:48も同じ場所。

▼18/12/16追記
コメント欄で高岡タケシさんから「(四万十川ではなく)大州市を流れる肱川に昭和40年代まで数カ所あった流れ橋ではないでしょうか」と情報を寄せていただきました(2017年9月22日 12:12)。
さらにイノシシさんからも「肱川の潜水橋は確かに映画に登場する橋と似ていて、撮影のルート的にも大いにあり得る話だと思います」との情報をいただきました(2018年12月9日 16:22~)。

▼19/11/11追記
コメント欄で高岡タケシさんから「大洲市の畑の前橋約150メートル下流に架かっていた橋のようです」と情報を寄せていただきました(2019年11月11日 02:45)。
マップではこちら↓ですが、地形的に矛盾はありませんし、地元の漁師さんにも確認されたとのことで、ここで正解と思われます。
お見事でした 😀

実際には1961-69は1966/11/05、1974-78は1975/02/26。

現在のマップでは、このあたり↓に相当します。

過去のマップと重ねると、川(肱川)に向かう小径の先に、かつて板橋が伸びていたようです(つまり、このSVは映画のアングルと同じ)。
映画では向こう岸に右下から左上に上っている坂道があり、橋はそこへぶつかっていましたが、その後の変遷で川の蛇行している内側(左岸)の部分が大きく削れていき、今ではそのあたりは河原のただ中となっています。そのため、SVで再現しても映画とは少し様子が異なっています。
参考までに、最後に掲載したロケ地マップに板橋のかつての位置を描いてみました。

▼20/11/25項目追加
イノシシさんからメールで情報と画像を提供していただきました。
おそらく現地で確認してくださった道路の痕跡が、そのまま掲載させていただきます。

イノシシさん 続いて高岡さんが割り出した沈下橋。大洲市の五郎という場所に現在は畑ノ前橋という鉄橋が掛かっていて地元の人からは「五郎の赤橋」と呼ばれているそうです。この橋が架けられたのは昭和48年ですから「旅の重さ」のロケ時にはすでに工事が始まっていたと思います。
■参考サイト「ほっとde西伊予」
http://www.nishiiyo.jp/play/with/goro_brg/

ここから先はやや高岡さんの調査と異なる部分があるのですが、自分が現地に行った際に地元の83歳のお年寄りが橋の下にある広場で犬の散歩をしておられました。その男性に沈下橋「旧畑ノ前橋」の位置を訪ねると「ここがその道路の痕跡」と教えてくれたのが写真の場所で、現在の畑ノ前橋のすぐ下流(数十メートルといったところ)にあったそうです。道はしっかりと残っています。自転車は私のロードバイクです。そのお年寄りによると路面は多数の角材が敷かれたものだったそうで、現地で「旅の重さ」の動画を見せると「そうそうこの橋。間違いない」とおっしゃられ、 バイクで渡ると「ゴトゴトゴトゴト言う橋じゃった」とのことでした。 ちなみに映画のアングルは「東から西」つまり広場側から対岸を写したものであるとのこと。

現在この道の延長線上を覗いてみると派手にやぶとなっており、対岸の様子がはっきりと見えない。しかし映画撮影時より河原が少しやせているように見えます。ただ「旅の重さ」のスチールをよく見てみると、対岸側は河原に下りるスロープの途中から沈下橋へアクセスしていたようで現在もこの道の延長線上に対岸側にスロープがあることからここで間違いない模様です。

新橋の上から沈下橋があった場所をのぞき込むと、沈下橋は魚を捕る仕掛けの白い網の少し奥(下流)にあたる場所にあったと思われ、写真に対して真一文字に架けられていたようです。
ポスト

▼15/3/14項目追加

0:05
なつかしい赤いポスト。
調査中。

▼22/4/4 追記
コメント欄で高岡タケシさんから情報を寄せていただきました(2022年3月28日 20:35)。
イノシシさんが補足されたSVがわかりやすいので(2022年4月2日 12:41)、まとめて掲載しますと……

コメント欄から引用させていただきますと……

高岡タケシさん 決め手ですが、左側の切妻屋根の重なり方ですね。並列ですが二の字ではなくハの字形の並びである事。 道路から一段下がった敷地。 向かいの黒い建物の石垣の高さもバッチリです。 ますや家具店さんの商圏からしても矛盾は無いかと。 そしてトドメは、近くにポストがある事です。

こちらで正解と思われます。お見事でした。 😀

この場所について、イノシシさんが詳しく解説してくださったので、こちらも引用させていただきます。

イノシシさん 現在の貝ノ川郵便局は国道321号(通称サニーロード)沿いの「土佐清水市貝ノ川中ヲサ866−1」にありますが、映画の撮影当時は現在の国道321号はなく、貝ノ川浦地区を通る海岸線沿いに旧国道はありました。貝ノ川郵便局は新道開通の後に移転されましたが、移転前は「土佐清水市貝ノ川1308」付近にあったとのことです。つまり当時は丸い赤ポストのある貝ノ川郵便局が高岡さんの発見された場所にあったということです。郵便局は移転したものの、ポストだけは旧郵便局の近くに新たに設置されたようです。現在四万十市在住の貝ノ川出身の知人に確認しました。

お知り合いの方にわざわざ確認してくださったとのことで、本当にありがとうございました。

漁師の家に泊めてもらうシーン

▼19/10/23項目追加

0:07
katsuzouさんから、情報と今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

以下のコメントをいただきました。

katsuzouさん ここの場所は、伯方塩業明浜工場跡地で道路は漁師の家まで雨の中を走るシーン、またこの場所に漁師の家があったと思われる場所です。
海の風景はHULUのタイトルバックの写真です。当時より埋め立てており若干の違和感がありますが雰囲気は出ました。

▼20/2/1追記

katsuzouさんの画像の撮影位置はそれぞれこのあたり。

katsuzouさんお書きの通り、ここはその後埋め立てられていて、道路構成も大きく変わっています。
漁師の家もですが、雨の中駆ける海沿いのS字道路も、そのままの姿では残っていないようですね。
(下のマップ「地理院地図・電子国土Web」で、「全国最新写真(シームレス)」をクリックすると、現在の様子と切り替えられます)
その中でここを特定されたkatsuzouさんは、本当にお見事でした 😀

男性のお遍路さん

▼15/3/14項目追加

0:11
三谷昇さん演じる男性に声をかける村。
調査中。

▼20/2/16追記
コメント欄(2020年2月16日 00:34)で高岡タケシさんから情報を寄せていただきました。
こちらで正解と思われます。お見事でした 😀

「隧道」の近く、「学校」や「旅館」からも数kmという位置ですね。

▼20/9/6追記
イノシシさんから画像を提供していただきました。
先日(2020年8月)探訪された時のものとのことです。
ありがとうございました♪

イノシシさん 遍路と出会う三差路
山本商店の前の道路は8月30日現在工事中でした。
できるだけ映画と同じ雰囲気で撮影してみました。
イノシシさん 映画にも登場する特徴的な小屋。
現在もほぼ当時のまま現存しています。
イノシシさん 軒先にあった特徴的な電灯。
残念ながらGoogle SVで見られるものとは別のものになっていました。
つい最近、LED電灯に付け替えられたようです。
イノシシさん 山本商店、別アングル。
昭和のレトロな看板が残っていました。
かつては右側の道がそのまま対岸への橋に続いていました。
イノシシさん 現在も残る「後藤散」のホーロー看板
イノシシさん 逆アングル。
遍路の背越しに見える風景。
新しい建物ができて風景が変わっています。
道路も少し拡張されています。
イノシシさん 遍路の背越しに見える三角屋根の小屋は上の写真の向こう側にいまも現存。
酒屋さんの倉庫の様です。
右側の道は映画の撮影当時はまだあぜ道でしたが今では車道へと拡張されています。
左側の道がいわゆる「遍路道」です。

▼20/9/7追記
イノシシさんから追加でコメントをいただきました。
遍路道のトリビア、とても参考になります。
ありがとうございました。

イノシシさん お送りさせていただいた宇和島市津島町上畑地は、ロケ地ともなっている旧嵐坂隧道と岩松小学校、伊予屋旅館がある津島町岩松地区の間に位置します。
旧遍路道で、四国の道にもなっています。

岩松地区は獅子文六原作の「てんやわんや」の舞台で1950年に淡島千景主演で映画化もされています。

南予のこうした町は、山と山との間の小さな漁業集落か小さな盆地で、昔お遍路さんはいくつもの峠を越えねばならず、難渋した場所です。
自転車で越えてみると、坂、また坂でずいぶん鍛えられました。
潮のにおいをかぎながらの夏の自転車旅は本当に最高でした。

女性のお遍路さん

▼19/2/25項目追加

0:13
新村礼子さん演じるお遍路さんと同行する場面。
田んぼの中に立つ木の下で語らいますが、katsuzouさんからその木はこちらではないかと情報を寄せていただきました。

おそらくマップではこちら↓と思われます。

次の項目の「札所」はここから北東へわずか600m程のところですので、こちらで撮影された可能性はかなり高そうです。
もうこれで正解とさせていただきたいところですが、katsuzouさんは他の撮影場所も含めてまだまだ検証を続けられるとのことです。
さらなるご報告を心待ちにさせていただこうと思います。

▼19/2/26追記
もう一枚、2016年9月に撮影された画像も提供していただきました。

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、果物を貰う場面について情報と画像を提供していただきました。

すばらしいコメントもいただきました。

katsuzouさん ここのシーンも3年かかりました。

以前にも書かして貰いましたが、果物をもらい、二人であぜ道を歩くシーン、当初、私は午前中の逆行の光の中での撮影と決めつけて探していましたが、画面を何度か見ている内に、農機具小屋に一人の男性が映り込んでいるのを見つけました。半袖、半ズボン姿です。

農作業においては午前中の作業の場合、半袖半ズボンで作業する人はあまり見かけないと、三間町の人に教えて貰い、考えを180度変え、あの逆光は西日と考えて模索して判明した次第です。果物を貰うまでのシーンの背景は酒屋さんで、そこの女将さんに聞いたところ道幅が今の半分しかなくバスが酒蔵をギリギリ通ったそうです。映画のシーンを観て貰うと間違いなく昔のここの風景だそうです。また、おばあさんの家は変わりましたが、その家の前で道路の縁石を調べていると、偶然、おばあさんのお家の若いお嫁さんが出てきたので、お話を伺いました。

これも映画のシーンを観てもらうと、お嫁さん曰く、「仏壇に置いているおばあちゃんの写真の顔です。」と、また、旦那さんはこの辺では一流の歌人だった事も教えてもらいました。

家を撮影した写真を、ネットで投稿する許可をいただき、暑い中三脚を立てていると、熱中症にならないようにと、お嫁さんがジュースを持ってきて下さいました。やはり、ここは四国、お遍路の国なんですね。

一気飲みでした。

▼20/1/30追記

少し分かりづらいですが、katsuzouさんが解説してくださったように、二人は西へ向かっています。
二人が進むあぜ道は、現在県道283号線が東西に伸びています。

札所

0:15頃。
八十八箇所をめぐるわりには、札所はほとんど写りません。
この場所は粘ればわかるかもしれませんが、お遍路の方たちが心を込めて回っている神聖な場所でしょうから、ヒロイン同様静かに立ち去ることにします。

▼15/3/15追記
コメント欄でイノシシさんから情報寄せていただきました。

お堂の場面は第41番札所龍光寺(宇和島市三間町大字戸雁173)ではないかとのことです。
画像や動画を照合してみましたが、こちらで間違いないようです。お見事でした。

少女が腰掛けていたのは、北東側にあるお堂。
その前の石段部分もこちらであるように見えますが、調査中。

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

棚田

▼20/1/20項目追加

0:17
札所の直後の俯瞰ショット。

調査中。

水浴び

▼20/1/20項目追加

0:17
調査中。

0:17
水浴びの直後のショット。

▼15/3/19追記
コメント欄でイノシシさんから情報提供していただきました。
なんと0:03頃の「堤防の道」のすぐそばでした。
橋脚や橋桁の形がどんぴしゃりで、ここで間違いないかと思います。お見事でした 🙂

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

フレームの再現具合も完璧ですね。
楽しいコメントもいただきました。

katsuzouさん かなり少女のイメージではないのですが、また、妻に協力して貰いました。
カメラ助手で来て貰ってますぅ。(笑)

夕焼けのシルエット

▼15/3/15項目追加

0:17:30頃
立ち止まって夕焼けを見るところ。

コメント欄でイノシシさんから情報寄せていただきました。
シルエットになっていた島は、旧西海町外泊(後半の舞台)の半島の西側にある鹿島ではないかとのことです。

シルエットもそうですが、よく見ると島の右側(北側)に小さい岩が2つ並んでいて、その特徴も一致しますので、ここで間違いなさそうです。お見事でした 🙂

撮影場所ですが、ストリートビューでできるだけ似ている場所を探してみました。
2つの岩が見えていて、水平線がかぶっていない(=海面に近いカメラ位置)、かつカメラを設置する場所があるところということで、こちらの港ではないでしょうか?

こちらは映画にかなり近いアングルの画像。
少女が桟橋の先にいて、カメラ位置を調整すれば同じような絵になりそうです。

ここは鹿島を巡る観光船の船着き場のようですね。
こちら↓の地図では、「船越桟橋」とあります。

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

以下のコメントもいただきました(「砂利道」に続きます)。

katsuzouさん 夕景の撮影は旅館「とらや」さんの前がロケ地として使われたそうです。
旅館「とらや」さんのご主人は現在ご病気でお話を直接お伺いすることは、できませんでしたが、奥さんのお話を聞くことができました。

奥様はロケ当時にはまだ嫁いでは来ていませんでしたが、私の夕食の折、今回の旅行の目的をお話しすると、過去にも一人、旅館を訪ねて来た人がいたそうです。
また、監督はじめスタッフ一同宿泊し、撮影に挑んだことなど、ご主人から聞いたお話をして頂きました。

隧道

0:18
眠った後眩しそうに出てくるところ。

▼15/3/15追記

画像検索や昔の空撮画像などをあれこれ利用して、こちらではないかという場所が見つかりました。
調べるにあたり、四国内の隧道をとりあげた様々なサイトやブログ、特に多くの隧道を網羅したこちらのサイトが役に立ちました。ありがとうございます。

場所ですが、おそらく宿毛(すくも)街道(国道56号線)の旧嵐坂隧道ではないかと思われます。
撮影に使われたのは(日差しから考えて)その南西側の出口で、マップではこちら。

現在はこういった↓感じで、左(北側)が歩行者用の新しいトンネル、真ん中が現在の嵐坂隧道、そして右側には(まったく見えませんが)旧隧道の入口があるはず。

画像ではこういった↓感じ。

ブログやサイトでは例えばこういった記事が参考になりました(ありがとうございます)。

ご覧のように旧隧道は大半が土石で塞がれてしまっています。
映画と照合できるのは上半分ぐらいでしょうか。
それでも入口まわりの施工の具合や横縞のような跡などほぼ映画と一致していて、撮影はこちらであったと判定できそうです。
北側にある現在の隧道は1970年に開通しているようですので、映画の撮影時には旧隧道は使われていない状態となり、それで撮影に使えたのかもしれません。

参考までに、昔の空撮画像はこちら。おおまかに旧国道のルートがわかります。

最後に掲載したロケ地マップにも昔の隧道のルートをメモしておきました。
反対側の出口は今では完全にふさがれていて見ることもできないようです。

なお各種画像でも見られますように、入口廻りは大変危険と思われますので、絶対に柵を越えて中へ入ってはいけません。くれぐれもお願い致します。

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

コメントもいただきました。

katsuzouさん 旧嵐坂隧道は出入り口が土で埋められ、バリケードと草で中には入れませんでした。
映画では、写真中央が隧道の出入り口です。

三叉路

0:18頃。
印象的に撮られている俯瞰ショットですが、場所をつきとめるのは難しそう。
調査中。

▼21/11/23 追記
井上タツオさんからコメント欄(2021年11月21日 15:08)とメールで泉谷棚田の情報を寄せていただきました。
結論的には三叉路は泉谷棚田ではなかったことが判明したとのことですが、「ここではない」も大事な情報と思われますので、あくまで参考資料として現地で撮影された画像とメールの抜粋を掲載させていただきます。

井上タツオさん 泉谷棚田はかなり標高の高いところにあり、道標のあるこの上り口からは5ナンバーの車がやっと抜けられる細い山道を20分程登ります。終点が水車小屋とパンフレットの置いてある小さな小屋、それに車が3台程駐車できるスペースのある棚田展望台になっています。
ここからの全景。標高の高さが判りますね。「少女が二人のお遍路とすれ違う棚田」もここではないか?と見渡したのですが、少女の歩いていた道筋に相当するような曲がった道は見出せません。
「三叉路」にかなり近いカーブの車道はありますが、そこに出る谷から上がってくる道は勾配が急すぎて、このカーブに直接接続するには無理があるようです。実際、写真の右の方に接続点があり、ここで三叉路を形成していました。
以下画像が続きますが、ページの見通しを良くするために折りたたんでいます。クリック(タップ)で開閉します。

こちら↑は一緒に送っていただいた『泉谷の棚田物語』という冊子(内子町作成)の表紙画像です。
こちら↓のPDFファイルで全体が読めるようですので、ご参考までにどうぞ。

https://www.town.uchiko.ehime.jp/uploaded/life/102303_107078_misc.pdf



▼21/12/5 追記
高岡タケシさんからメールで情報を寄せていただきました。
三叉路はこちら↓ではないかとのことですが、これで正解ですね。お見事でした 😀

地名としては、八幡浜市釜倉というところのようです。
カメラ位置はあくまで推定ですが、そこから西南西向きにとらえています。
このアングルで映画のフレーム内の家屋はほぼ再現できるはず。左手前の寄棟の屋根は現在は向きが違っていますが、1975年の空撮では映画と同じ向きですので問題なしです。
水田も電信柱が見当たらないだけで、形状はほぼ映画と一致しています。
少し意外でしたが、カメラの先には予讃線が通っているようですね。


▼22/8/21 追記
現地を探訪されたKatsuzouさんから、画像を送っていただきました。
コメント欄(2022年8月21日 10:00)に書き込んでいただいたレポートも続けて転載させていただきます。

katsuzouさん 高岡タケシ様の尽力で三叉路が判明したことを心から喜んでおります。
旅の重さのシーンで好きなカットの1つでもあり、早々、愛媛県まで日帰りで行きました。

イノシシ様からある程度の付近の情報も頂いていたものの、そこはやはり50年という歳月が流れているのを痛感した次第です。樹木は高々と伸びており撮影当時の道路からのポジションでは到底カメラを向けることはできませんでした。
(小屋だけは時間が止まっていました)

民家の後の山の斜面も考えたのですが私有地の可能性もあり断念。

その後、県道まで上り、歩き回ってやっと抜けの良い場所を見つけた次第です。
映画の画角とは少し違いがありますが、俯瞰撮影が出来ました。

また、ここの場所は遍路道でもあるのでしょうか、「笠置峠越」のかんばんがありました。
ご承知の方がおられましたら、ご教授をよろしくお願いします。
(遍路道のシーンが多いように思われるので)

アーチ橋

カメラが川遊びをする少年たちを写した後、ぐいっと動いてアーチ状の橋とヒロインを捉えるショット。
おそらく愛媛県八幡浜市のこちら、明治橋という橋です。川は千丈川。

ウェブマップではこちら。

昔の空撮はこちら。

カメラは東向き(上流向き)。
1本となりの橋(映画で奥の方に写っている)から東の方を見るとこういった感じ。

川の曲がり方や山肌の様子など映画のそれと近いので、ここで正解と思われます。
橋に関して専門的なことはこちらをどうぞ↓

▼14/7/27追記
このあたりストリートビューが使える場所がぐっと増えていました。

▼19/3/1追記
katsuzouさんから画像を提供していただきました。
2016年9月に探訪された時のものとのことです。

橋の上から遠くを見つめるシーン

川遊びをする子供のシーン
(潮の加減で水位がありますが)

商店街

0:18頃。
カメラがヒロインを見上げながら一緒に移動するショット。
店名がはっきり写るのは、「アタゴカメラ」、あるいは「銀六 菊地本店」といったところ。
横断幕は「銀○ゴールド夜市」。

さらに映画館のくだりをはさんで、少女が店頭で物色していた靴屋さん「カクダ」と、右隣のメガネ店「ほどの」…… ……とここまできてようやく場所がわかりました。
この商店街も上記アーチ橋と同じくやはり八幡浜ですね。

北側に「アタゴカメラ」があり、そのはす向かい、シケインとなっている角に今でも「カクダ」と「ほどの」が並んでいます。
撮影時は、少女はこの角に向かって西向きで移動(カメラは東向き)。
映画館のくだりを挟んで、ほぼ同じ場所を使い、カメラ南向きで、少女が靴屋さんで物色している場面(側を同世代の女子高生が通り過ぎる)を撮ったことになります。

その後横切る商店街の入口(商店街最後のショット)は、この角から1ブロック西へ進んだこちら↓

カメラ北向き。
左右(東西)に伸びるのが銀座商店街。
奥(北)に向っていくのが南北に延びる新町商店街。
その交差点ですね。

商店街を含む空中写真閲覧サービスではこちら↓

管理人メモ ※20/2/1 全体の記述を簡素化しました
▼20/2/1記
この場所は、2013年当初は八幡浜市内にある銀座通り商店街のサイトでお店のマップを見つけ、それを元にチェックしましたが、現在ではリンク切れになり、またSVで簡単に確認できるようになったため、記述を簡素にしました。
リンク切れとなった商店街のマップは、参考までにこちら↓

http://town.ehime-iinet.or.jp/teyateya/map/index.asp?P_MAP=1

▼15/5/7追記
このページを見てくださった「久美子君を乗せるのだから」さんから八幡山商店街の画像を提供していただきました。
下の方で掲載させていただいた外泊(石垣の里)同様に最近撮影したばかりの画像とのことです。

「ほどの」と「カクタ」。

「アタゴカメラ店」

映画には登場していませんが、北側に延びている新町商店街の一角。
ここから路地一本奥のあたりに映画館があったと思われます。

映画には登場していませんが、参考画像として「二宮忠八翁生誕の地」の碑。
個人的にとても嬉しい画像でした。二宮忠八や浮田幸吉など、名前見ただけでワクワクしてくるタチなものでして。
ありがとうございました。

▼19/3/1追記
katsuzouさんから画像を提供していただきました。
いずれも2016年9月に探訪された時のものとのことです。

靴屋の横で女子高生を見送るシーン

八幡浜商店街で信号待ちのシーン

映画館

0:19
商店街はアーケードがかかっていますが、映画館の前は日光ががんがん当たっていますので別の場所ですね。
ここはKINENOTE(キネマ旬報DB)にあるように宇和島なのかもしれません。

当時のウェブマップではこのあたり

「オールナイトは19日(土)」とありますが、72年公開の『さらば美しき人』のポスターがあるので撮影は72年。
72年で19日が土曜日になるのは、2月と8月ですが、季節はどー見ても8月。
ということで、この場面の撮影は72年8月で、(毎週末オールナイトをやっているとすれば)おそらく8/13~8/19の間となります。

▼14/10/22記
赤松さんからコメント欄で「八幡浜東映」ではないか、と情報寄せていただきました。
映画館そのものはもうありませんが、昔の空撮画像で場所は確認できました。

現在は一般の住宅地と駐車場になっているためストリートビューでの明示は避けることにします。

管理人メモ クリックで開閉します。

初めてこのページをご覧になった方が混乱するかもしれませんので、今回の更新(20/1/30)で以下を「管理人メモ」に入れて折りたたみました。

©1973 赤松幸吉

▼13/7/28追記
赤松さんから40年前宇和島にロケ地訪問した際の画像を提供していただきました。
残念ながら、窓口の位置や扉の数などから見て、『旅の重さ』に登場した映画館とは違うようです。
でも、当時の雰囲気を伝えてくれる貴重な一枚となっていますね。
8月11日から『ゲッタウェイ』をロードショー、とありますが、ということは撮影は1973年でしょうか。

せっかく送ってくださったので、この写真の映画館について調べてみました。
まず宇和島の昔の映画館については、とても良くまとまった資料がありました。

明治、大正、昭和 宇和島100年の歴史
http://yomoda1998.sakura.ne.jp/

こちら↑の「戦後の娯楽」という項目が映画館に関するもので、写真入りでとても詳しく解説してあります。
この中で赤松さんの写真と建物外観や道路構成がそっくりなのが、最初の「日活菊美ど里劇場」。

「宇和島市本町大手(昭和45年4月)日活直営館であったが昭和46年、洋画ロードショウ劇場になったが同60年12月火災により焼失。鶴島館が前身。現在は眼鏡店となっている。」
とありますが、おそらく現在のこの場所と思われます。

昔の空撮ではこちら。

この↑空撮の中央、北西から来る太い道路が交差点で大きな建物にぶつかるような感じになっています。
縦長でいかにも映画館という作りですので、これが「日活菊美ど里劇場」で、おそらく赤松さんの写真の映画館であると思われます。

食堂

▼15/9/23項目追加

Huluで見て細かいところまでチェックすることができ、とんがり具合が特徴的でしたので、ようやく場所がわかりました。
もう営業していらっしゃらない様子ですが、看板が残っていると言うことで示してしまいますと、上記アーチ橋から北西に進み、県道27号線にぶつかるあたりです。

▼19/3/1追記
katsuzouさんから、2016年9月に探訪された時の画像を提供していただきました。

▼20/1/30追記
高岡タケシさんからコメント欄(2020年1月27日 22:02)で、「 昨年(2019年)11月に八幡浜市の菅田屋食堂の看板が外されてました」との情報を寄せていただきました。

学校

0:21頃。
がらんとした夏休みの学校。

上掲国土情報ウェブマッピングシステムの昭和50年度のカラー空撮画像が活躍してくれました。
結論から言いますと、宇和島市津島町にある岩松小学校の昔の校舎です。

ウェブマップではこちら。
SVでは、背景の山の形を確認するために、川(岩松川)の東側にピンを置いています。

1975年(昭和50年)の空撮で、映画と同じ作りの校舎を確認できます。

画像としてはたとえばこちらのブログのものが映画とどんぴしゃ一致。

  • http://nasso.exblog.jp/i4/

愛媛県生涯学習センター > データベース「えひめの記憶」>[『ふるさと愛媛学』調査報告書]によると、昭和58年(1983年)に現在のものに建て替えられているそうです。

今はもう映画撮影当時の面影は校内には残っていないと思います。
万が一ロケ地訪問される時は、子供たちを不安がらせるような不審な行動はとらないようにしましょうね。

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

以下のコメントもいただきました。

katsuzouさん 私が訪れた時期も夏休み中でした。校門の外から撮影することができました。

トラック

0:22

▼15/3/15追記
コメント欄でイノシシさんから情報寄せていただきました。
トラックには「岩松運送」と書かれていますが、上記小学校の近くに現存しているようです。
個人宅というわけではありませんし、万が一間違っていたとしても大きなご迷惑をおかけするとは思えませんので書いてしまいますと……

車体に記されていた屋号まで確認できればさらに完璧ですが、普通に考えてこちらで正解のようです。
トラックまで調べようとは思いもよりませんでした。凄いです 😀

旅館

0:23頃。
「いよや」とあります。
トラックに乗せてもらって高知まで来たという設定のはず。
調査中。

管理人メモ クリックで開閉します。
初稿(2013年7月)ではここで力尽き、以下を書き添えていったん新規アップしました。その後の更新は記事末の「更新履歴」をご覧ください。

以下旅一座や後半の漁村関係は全く歯が立ちませんでした。
項目だけ作っておきますので、後はわかる方、お願いします~(オイッ)

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像とコメントを提供していただきました。
完璧なレポートですね。ありがとうございます♪

以下はいただいたコメントです。

katsuzouさん このロケ場所も、おおむね2年かかりました。
愛媛県から漠然と古い町並みを模索していましたが、宇和先哲記念館の方々の意見で、宇和町あたりから瀬戸内海に至る町で窓の手すりの高さはおおむね低く、タオルなどは干して掛けにくい建築構造だそうです。それでは、宇和より南側の町並に的を絞ることができ、判明しました。ここの旅館名は、津島町岩松の三好旅館です。そうです、岩松小学校の近くです。

ここでも一泊お世話になりました。
女将さんと、お話を聞くことができました。

撮影当時、女将さんは、と言うと、まだ、嫁いできたばかりの出来事だったそうです。大勢のスタッフも部屋に入れきれずに、玄関先で寝泊まりしていたことや、宿帳に書き入れるシーンで、蚊取り線香の缶は、この女将さんが、買ってきて保管してある物を撮影に使用したそうです。その後、姑さんと宇和島まで行き、映画を観戦したそうですが、蚊取り線香のシーンの時は二人で飛び跳ねた、と、当時を思い起こしながら話してくれました。

現在は少し部屋を改築してあるのですが、宿帳のシーンの部屋も添付しておきます。

女将さんには、部屋の中からの一枚と宿帳の部屋の一枚の写真をネットに投稿する旨を告げ、快くご了承して頂きました。一度機会があれば、また、映画を観てみようかとおっしゃっておりましたので、DVDがあることをおすすめし、女将さんにビールの追加注文をした次第です。

とのことで、マップではこちら↓になるようです。

また、

katsuzouさん 「映画の「旅館いよや」の看板ですが、そこの建物と向かいの建物は、取り壊されていましたので、早朝の斜光は、再現できませんでした。

とのコメントもいただきました。

海岸沿いの道

▼15/3/14項目追加

0:24
崖が迫った海岸線の通り。

コメント欄(2015年3月12日 21:17)でイノシシさんから情報寄せていただきました。
土佐清水市大津~貝の川間の旧国道321号とのことです(当時は「旧」がつかない国道)。

▶20/2/9 コメント欄2020年2月8日 23:10でイノシシさんから寄せていただいた情報に基づきマップを更新)

確かに映画で右の方に見えるそびえ立つような大岩も確認できます。
これはお見事、地元の方でないとまずわからないポイントでした 🙂
映画の時点でもネットが張られていてちょっと不安になるような崖の状態ですが、今の国道はトンネルで安全に走行できるようですね。

▼19/11/6追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。
「素晴らしい景観でした。」とのことです。

ひとりで入る海

▼15/3/14項目追加

0:25
「あこがれていた土佐の海」でひとりはしゃぐところ。

コメント欄でイエローさんとイノシシさんから情報寄せていただきました。
土佐清水市大岐の大岐海岸とのことです。

さすが地元をよくご存知の皆さんにとっては、一目瞭然なのですね 🙂

イノシシさんから「ヌードシーンは浜辺の中でも人があまり通らない南の方で撮影されたのではないか」とコメントいただいています。
また『パーマネント野ばら』もこちらで撮影されているとのことです。

▼15/5/23追記
イノシシさんから現地の画像を提供していただきました。

撮影は2015年5月21日とのことです。
カメラ位置もどんぴしゃり。
少しトリミングすれば映画と同じフレームになりますね。

▼17/1/3追記
このページを見てくださった「なにわカツオ」さんから、海岸の画像を提供していただきました。
昨年2016年8月18日に撮影されたものとのことです。
2017年1月2日のコメント欄もぜひご覧ください。
どうもありがとうございました。

大岐海岸の海岸中央から南側

海岸中央から北側

海岸中央

境内

旅一座が陣取った境内。
0:31頃鳥居が写ります。
kINENOTE(キネマ旬報DB)で「足摺岬の近く」とあります。 調査中。

▼13/7/27追記
赤松さんから寄せられた情報によると、鳥居が見える階段と境内は「土佐清水市下川口の天満宮」ではないかとのことです。
アベックを目撃するのが「天満宮前の春日川の河原」。

▼13/7/28追記
こちらのサイトのおかげで場所が特定できました。

神社探訪・狛犬見聞録
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/index.html

高知県を選び、左側のリストの「土佐清水市」から「天満宮(下川口)」を選ぶと、映画に登場した天満宮を見ることができます。

ウェブマップではこちら。

衛星画像や空撮でも境内のスペースは確認できますね。その南側(森の南端)が階段と鳥居でしょう。

▼14/9/4追記
ストリートビューが使えるようになっていました。

▼17/1/3追記
こちらも「なにわカツオ」さんから、昨年2016年8月18日に撮影された画像を提供していただきました。
2017年1月2日のコメント欄もぜひご覧ください。

天満宮鳥居下から

境内

水道の蛇口

政子が水道の水で口をゆすいで下りていった(と思われる)道

なにわカツオさん 下川口の天満宮は、階段に手すりが設けられ、舞台のあった建物も建て替えられ、その隣にあった小屋はなくなって、小さな社になっていました。ただ、水道の蛇口がありましたが、これは座長や政子が水を口に含んだ当時のままのものでしょうか。また、観客で埋まり、少女が光子にシラミ取りで髪の毛をグチャグチャにされた舞台前の広場は44年前の撮影時と同様の雰囲気がありました。

 

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

ふたりで入る海

▼13/7/27項目追加

0:41頃。
少女と政子が泳いだり寝そべったりする浜辺。
赤松さんから情報寄せていただきました。

「足摺海岸ではないか」とのことですが、特定は難しいでしょうか。
「竜串」の名前が併記されていましたので、そちらに近い方かもしれません。

▼15/3/14追記
コメント欄でイノシシさんから情報提供していただきました。

土佐清水市以布利のこちらの浜であるとのこと。

周囲の岩の形状といい遠景といい、ここで間違いないですね。これまたお見事でした 🙂

ふたりが降りていく切り通しの部分は、昔の空撮ではそれらしきところが見えます。確証はありませんが。

▼15/5/23追記
こちらもイノシシさんから画像を提供していただきました(撮影2015年5月21日)。
ありがとうございます。

浜へ降りていくショット。
ここは「切り通し」ではなかったとのことです。

イノシシさん 現地で確認すると、左側は大岩であるものの右側は樹木だということが分かりました。現在の浜へのアプローチはここではなくなっていて、足元を初めアプローチ全体が藪になっています。

政子が駈けていくショット。

イノシシさん 映画撮影の時には存在していない大きな岩が2個、波打ち際にあります。撮影から45年近くが立ち、その間に来た台風などで運ばれて来た岩だと考えられます。

それを見て駆け出す少女を正面から捉えたショット。
上述「切り通し」を逆から見たところですね。

イノシシさん カメラは少女の走りをフォローしズームアウト、その後、右の岩山を背景にトップレスになります。政子と少女が浜に出て、泳ぎ始めるまでの動線はこの浜の地形をそのまま利用して撮影されていました。

海からあがってくるふたりを捉えたロングショット。

イノシシさん 手前の雑木が成長して同じアングルから見ると見通しが悪くなっています。

砂利道

▼20/1/30
「夕焼けのシルエット」から分けてこちらへ移動

0:53頃
子猫のシーンの後、杖をついて歩く砂利道。

katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

場所は「夕焼けのシルエット」の旅館「とらや」さんでの聞き取りから判明したとのことで、以下のコメントをいただきました(「夕焼けのシルエット」からの重複・続きとなります)。

katsuzouさん また、監督はじめスタッフ一同宿泊し、撮影に挑んだことなど、ご主人から聞いたお話をして頂きました。その話の中で1つ判明したシーンが、 旅芸人一行と別れ、子猫がおぼつかなく歩くシーンの後、杖御ついて砂利道を歩くシーンは、この「とらや」さんの東側の県道294号線を少し入った道路で撮影されたそうです。 夕景写真と共に砂利道も添付しておきます。(砂利道はたくさん出てきますね)

マップではこちら↓

橋の下

▼15/3/14項目追加

0:54
行き倒れになりかけた橋の下

漁村

後半の舞台となる、木村のいる漁村。
石垣が印象に残りますが、手掛かり少なく調査中。

ママ、世の中にはいろんな人がいるものね。
こんなところに、ひっそりと貧乏に音も立てずに暮らしてるなんて。

いやそりゃ失礼でしょ(汗)。

▼13/7/27追記
コメント欄で赤松幸吉さんから情報提供していただきました。
愛媛県愛南町(旧西海町)外泊地区とのことです。以下各項目に追記しました。

参考までに、昔の空撮はこちら↓。

W字型になっている湾の西側が外泊、東側が中泊のようです。

鳥居が見える階段

0:57頃。
とうとう倒れてしまったところ。
1:21頃にも写る海辺の鳥居かと思います。

▼13/7/27追記
岩松さんの情報で場所が特定できました。
鳥居の色は変わっていますが、愛南町外泊地区のこちらと思われます。


大きな地図で見る

上のSVで後ろを振り返ると石垣の家々が見えますが、まさにヒロインが倒れた直後のショットと同じ景色です。

画像提供していただきました

▼15/5/7項目追加

このページを見てくださった「久美子君を乗せるのだから」さんから外泊地区の画像を提供していただきました。
つい最近撮影したばかりの画像とのことです。
同地区は「石垣の里」として石垣を観光ポイントとしているとのことで、こうした公式サイトも紹介していただきました(『旅の重さ』については触れられていません)。

http://www.town.ainan.ehime.jp/kanko/sightseeing/zekkei/ishigakinosato.html

どうもありがとうございました。
それにしても、ハンドルネームがツボに来ますね 😀

外泊(石垣の里)宇和海自然ふれあい館前の看板

同看板の下にある説明

散策ルートにある丘から見た全景

ストリートビューと同じ神社

葬儀の階段

▼19/10/23項目追加

0:57

katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

漁港

1:02頃。
木村が魚を仕入れにやってきたところ。
背後のトラックの「○○漁業協同組合」の名前がうまく隠されていて判別不可能 orz

▼13/7/27追記
赤松さんからメールで情報寄せていただきました。
「宇和島近郊の深浦魚市場」とのことです。

南宇和郡愛南町深浦でしょうか。
「うまく隠されていて」とか書いちゃいましたが、よく見たら「深浦漁業協同組合」とちゃんと写っていましたね orz orz

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

▼20/2/2追記
katsuzouさんの画像の位置はこちら↓

防波堤

1:04頃。
無理して出たものの、心配した木村に再び保護されたところ。

▼15/9/23追記
背景の山並みは外泊のお隣、内泊のこちらとどんぴしゃり一致。

ただし昔の空撮を見ると、防波堤は今とは違うようです。

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

コメントもいただきました。

katsuzouさん 少女がふらふらと防波堤に行き着く道と、防波堤。
道路のガードレールと干し物はありませんでしたが、いい風景に出会えました。
野菜売りのおばあさん

▼19/10/23項目追加

1:09頃

katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

家に帰ってこない男を待つ階段

▼19/10/23項目追加

1:13頃

katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

コメントもいただきました。

katsuzouさん この階段は漁村の少女と出会うシーンでもあります。
石垣の形状や組み方で判明しました。
少女2人が語らう石垣

▼19/3/1項目追加
1:14頃

katsuzouさんから、2016年9月に探訪された時の画像を提供していただきました。
映画のショットが見事に再現されていますね 🙂

詩と眞實

▼15/9/23項目追加

コメント欄でmchamadaさんから情報を寄せていただきました(2015年9月19日14:44)。
秋吉久美子さん演じる漁村の少女が横たわっていたのは、上記外泊の神社に向かって左にある浜。

また彼女の葬列が進んでいたのは、こちらの坂道を上ったあたり。

ところが、最後の方でよしだたくろうの歌が流れてきた以降は、外泊ではないとのことです。

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。
漁村の少女(秋吉久美子)の自殺現場と葬儀のシーンの階段です。

海辺の鳥居

1:21頃。
木村に拒絶されて、泣きながら歩いて行くところ。
これはおそらく最初に倒れてしまった階段のあるところかと思いますが、未確認。

▼13/7/27追記
前述のSVの場所と思われます。

▼19/10/23追記
katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

リヤカーを押すシーン

▼19/10/23項目追加
ラスト、二人で行商に出てリヤカーを押すのを背後から撮ったシーン。

katsuzouさんから、今年(2019年)探訪された際の画像を提供していただきました。

▼20/1/30追記

「漁港」と同じ港で、マップではこちら↓

予告編

▼15/3/15項目追加(「少女が立っている切り立った海岸」のみ)

▼20/10/3追記
赤松幸吉さんのコメント(2020年9月27日 09:45)と、それに対するイノシシさんのコメント(2020年9月27日 10:26)を参考にしつつ、項目を追加しました。
赤松さんがお書きのとおり、予告編には本編では登場しないカットがあり、予告編だけでも楽しめますね。

少女が寝そべる堤防

▼20/10/3項目追加

0:49
特定は難しいかと思いますが、粘ればわかるかもしれませんので、調査中(未解決)に入れておきますね。

夕陽の堤防の少女

▼20/10/3項目追加

0:51
西海町の鹿島。 ⇒ 本編「夕焼けのシルエット」参照

少女が立っている切り立った海岸

2:14
コメント欄(2015年3月14日 23:16)でイノシシさんから情報を寄せていただきました。
切り立った海岸は、大月町の大堂(おおどう)海岸W

展望台はこちら↓のようです。予告編とほぼ同じ眺めが得られそうですね。

青空と雲の下の少女

▼20/10/3項目追加

3:00
本編ではありそうでなさそうなカット。

イノシシさん これはさすがに特定は難しいです。ある意味どこでも撮影できますが、ここと近似したシチュエーションの道が映画本編に登場しません。強いて言えば天気が良いので、旧嵐坂隧道へのアプローチかも知れません。
コメント 2020年9月27日 10:26

未解決

▼20/1/30項目追加
残りはあとわずか 🙂
我と思わん者は是非チャレンジを♪

歯磨きをした小川(▼21/6/29 項目追加
0:02 タイトルバックの小屋の後。
麦わら帽子を買うお店 (▼20/9/16 項目追加
0:03 「堤防の道」に続くアップの後、洗剤やたわしを売っているお店。
ヘビに驚いて逃げた道(▼21/6/29 項目追加
0:04
ポスト
0:05 蛇から逃げ出すショットの直後。なつかしい赤いポスト。  ⇒ 2022/04/04 解決
男性のお遍路さん
0:11 三谷さん演じる男性遍路との一コマ。  ⇒ 2020/02/16 解決
棚田
0:17 札所の直後の俯瞰ショット。2人連れの女性遍路とすれ違う。
水浴び
0:17
三叉路
0:18 隧道の直後。棚田が印象的な俯瞰図。  ⇒ 2021/12/05 解決
橋の下
0:54 行き倒れになりかけた橋の下
予告編・少女が寝そべる堤防 (▼20/10/3 項目追加
0:00:48

防潮堤 (▼22/8/21項目追加
こちらのスチル画像   Katsuzouさんのコメント(2022年8月21日 10:00)より。

ロケ地マップ

斎藤耕一監督作品

▼17/9/23追加
高知県が舞台の映画

資料

更新履歴

長いので折りたたんでいます。クリック(タップ)で開閉します。
  • 2022/08/21 「三叉路」にKatsuzouさんの画像を追記 「未解決」に「防潮堤」追加
  • 2022/08/08 「ロケ地マップ・斎藤耕一監督作品」に画像を埋め込み
  • 2022/04/04 「ポスト」に高岡タケシさんの情報を追記
  • 2021/12/05 「三叉路」に高岡タケシさんの情報を追記
  • 2021/11/23 「三叉路」に井上タツオさんの画像を追記
  • 2021/08/31 「トマト」にイノシシさんの画像を追記
  • 2021/06/29 「未解決」追記
  • 2021/06/27 「小屋」にタイトルバック(水田越しのショット)の撮影場所を追記
  • 2021/06/14 「上映レポート」を項目追加、「大心劇場(高知県安芸郡安田町)」「ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区)」をアップ
  • 2021/05/25 上映情報を一時的に掲載
  • 2020/11/27 見やすくするために、折り畳みなど試行錯誤中
  • 2020/11/25 「通過する列車越しのショット」項目追加 「トマト」「沈下橋」「<うわじま>に抜かれるショット」追記
  • 2020/10/03 「予告編」に各項目追加 「旅館」に管理人メモを追記 日付のCSSを改修
  • 2020/09/16 「未解決」に「麦わら帽子を買うお店」を追記
  • 2020/09/07 「男性のお遍路さん」にイノシシさんのコメントを追記
  • 2020/09/06 「男性のお遍路さん」にイノシシさんの画像を追記 全体で画像のリンク切れを修正
  • 2020/02/09 「海岸沿いの道」マップ更新
  • 2020/02/01 「漁師の家に泊めてもらうシーン」追記 「未解決」に「男性のお遍路さん」追記 「商店街」記述を整理
  • 2020/01/30 「トマト」「棚田」「水浴び」「砂利道」項目追加 細かい経過を「管理人メモ」へ折り畳み全体を整理 画像のリンク切れを修正 引用文のデザイン変更 マップのリンクを更新
  • 2019/11/12 「沈下橋」追記
  • 2019/11/06 「海岸沿いの道」にKatsuzouさんの画像を追記
  • 2019/10/23 「漁師の家に泊めてもらうシーン」「野菜売りのおばあさん」「家に帰ってこない男を待つ階段」「リヤカーを押すシーン」「」項目追加してkatsuzouさんの画像・情報をアップ 「小屋」「<うわじま>に抜かれるショット」「堤防の道」「女性のお遍路さん」「札所」「橋」「夕焼けのシルエット」「隧道」「学校」「旅館」「境内」「葬儀の階段」「漁港」「防波堤」「詩と眞實」「海辺の鳥居」にkatsuzouさんの画像・情報を追記
  • 2019/03/01 「アーチ橋」「商店街」「食堂」にkatsuzouさんの画像を追記 「少女2人が語らう石垣」項目追加
  • 2019/02/26 「女性のお遍路さん」にkatsuzouさんの画像を追記
  • 2019/02/25 「<しおかぜ>の踏切」追記 「女性のお遍路さん」項目追加
  • 2018/12/16 「作品メモ」に予告篇動画を追加 「沈下橋」に高岡タケシさんとイノシシさんの情報を追記
  • 2017/09/23 「ロケ地マップ」に「高知県が舞台の映画」を追加
  • 2017/01/03 「ひとりで入る海」「境内」に「なにわカツオ」さんの画像をアップ ストリートビューを更新
  • 2017/01/02 画像のリンク先を、PicasaウェブアルバムからGoogleアルバムアーカイブへ変更
  • 2016/08/11 「作品メモ」動画差替え
  • 2015/09/23 「食堂」「詩と眞實」「防波堤」
  • 2015/05/23 「ひとりで入る海」「ふたりで入る海」にイノシシさんの画像をアップ
  • 2015/05/07 「漁村」「商店街」に「久美子君を乗せるのだから」さんの画像をアップ
  • 2015/04/12 「Blu-ray発売」項目追加
  • 2015/04/06 「地元紙の記事」項目追加
  • 2015/03/20 「小屋」「「しおかぜ」の踏切」追記
  • 2015/03/19 「堤防の道」「橋」追記
  • 2015/03/15 「堤防の道」「夕焼けのシルエット」「予告編」項目追加。「札所」「隧道」「トラック」追記
  • 2015/03/14 「タイトルバック」小項目に分割。「小屋」「沈下橋」「ポスト」「男性遍路」「橋」「隧道」「トラック」「海岸沿いの道」「ひとりで入る海」「ふたりで入る海」「橋の下」項目追加
  • 2014/10/23 「映画館」追記
  • 2014/09/04 「境内」鳥居と石段部分のSV追加
  • 2014/08/16 国土情報ウェブマッピングシステムのシステム変更に伴い、国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスへ切替
  • 2014/07/27 「アーチ橋」「商店街」ストリートビュー追加

コメント

  1. 赤松幸吉 より:

    「旅の重さ」のアップ有り難うございました。生意気にも挑戦状を叩きつけましたが、完全に脱帽しました。この映画のロケは四国の広範囲に渡っており、ほとんど特定できておらず、どうしても知りたかったロケ地が今回のinagara様の調査でやっと分かったくらいです。
     アーチ橋、学校、商店街(宇和島と思って当時探し回ったのですが)などが分かってとても嬉しいです。これらが奇跡的なまで詳細に説明されており、恐れ入りました(商店街のマップなどどこから手に入れたのか思うほど)。特に、学校が特定されたのは凄い。映画館は今となっては難しいですね。40年前のようにもう一度四国を歩き回りたくなってきました。
    オール四国ロケということですが、これは宣伝文句で岸田今日子や高橋の家はどう見てもセットです。トラック野郎に山本紀彦も多分セットでしょう。
    唯一、 inagara様の調査で特定できなかった「漁村・石垣」は愛媛県愛南町(旧西海町)外泊地区です。この石垣の漁村を見たくてここを中心にロケ地巡りをしました。現在でもこの石垣の町は映画ロケ当時と変わらずに残っていると思います。是非inagara様のカメラで見せて下さい。
    また、よしだ・たくろうの素晴らしい主題歌「今日までそして明日から」ついてももっと述べて欲しかった。彼の「恋の歌」も劇中メロディーだけが流れていますね。
    旅芸人一座の砂川秀夫(ちらりと見える金歯が憎い)に触れるなら、光子・中川加奈(私のお気に入りの女優、あの四角い顔に惚れちゃいました)にもひと言欲しかった。

    inagara様は斎藤監督の最高傑作を「津軽じょんがら節」とされていますが、私個人としてはこの作品は評価しません。「約束」「旅の重さ」で映画賞を総なめにした監督が、いわば天狗になって、もう一度賞狙いをもくろんでいるのがミエミエです。だから、このロケ地には興味がありません。それよりも『パーマネントブルー 真夏の恋』(山根成之監督の傑作、ロケ地は今治市、今治海岸、大三島、大島とあります)『大地の子守唄』(増村保造監督のこれまた傑作)は、情報だけは多く集めたものの、ロケ地周りは結局出来ずじまいの作品です。 素九鬼子三部作として是非inagara様にお願いします。

  2. inagara より:

    赤松さん、コメントと情報ありがとうございます。
    まとまった時間がとれないため、少しずつたらたらと更新しているところです。
    旅一座の天満宮は、凄い情報量のサイトのおかげでやっと特定できました。
    今夜また少し作業できるはずですので、後から送っていただいた画像もその時アップさせていただきますね。

    作品に関して記載不足ですみません。
    もともと「作品メモ」ということで、単にメモったりあとから自分で検索するためのキーワードをちりばめる程度の使い方なのですが、どうしても個人的な切り口に偏ってしまいますのでご了承ください。
    映画の評価や印象は人様々ですからね~。下手をすると映画系の掲示板などで荒れるモトになったりします。
    その点ロケ地の探求は、正解はひとつ。しかもウェブマップや画像を使って公明正大?に実証可能なので、荒れる要素は全く無いという素晴らしさ 🙂
    なのに実際に訪問しても良し、安楽椅子探偵を気取っても良しと楽しみ方が様々なのがまたとても面白いです。

  3. 赤松幸吉 より:

    色々調査していただき有り難うございました。
    残念ながら、やはりあの写真の映画館はロケ地でなかったのですね。
    アメリカ古典映画を上映しているので、映画館の内部はセットでしょうね。

    旅一座の神社、境内がinagara様の調査で実際に写真で見られたのは感無量でした。映画撮影時と全く同じ建物・風景がそのままあったのは信じられない気持ちです。ロケ地の情報は持っていたものの、実際に訪れたことも写真も見たこともなく、憧れの地でした。(一体どうやってこの写真を見つけられたのですか?)
    夜の芝居シーンはこの境内を空け放しにして撮影したのでしょうか。

    岩松様の情報で「鳥居が見える階段」が特定できたのも喜びです。40年前に愛南町(旧西海町)外泊地区を歩きましたが、この場所には気がつきませんでした。

    商店街のマップを見ていると、映画の少女のように八幡浜市の商店街を歩きたくなりました。(国内なのでこれは少し無理をすれば実現できそうです) 当時はシナリオ記載の宇和島市ばかり頭にあって 八幡浜には一度も足を運びませんでしたので。 明治橋も是非この目で見てみたい。

  4. inagara より:

    赤松さん、コメントありがとうございます。
    OPの「うわじま」に抜かれる場所は、たぶん解明できたと思います。
    その他はほとんど進展なしでしょうか。

    映画館ですが正面部分の作りはとても似ているように見えます。
    でも『旅の重さ』の方は窓口が左側で出入口は茶色い片開きの戸が4枚という構成。赤松さんの写真の方は窓口は右側で出入口は白い両開きが3組。ということで、残念ながらどうも違っているようです。

    こちら↓のブログの記事でも同じ映画館が掲載されていました。

    http://blogs.yahoo.co.jp/maki57562000/41608362.html

    書かれた方もやはり『旅の重さ』の映画館が印象に残っていたためこの映画館を撮影されたようです。
    約30年前の画像ですが、赤松さんがいらした時もこういった街並みだったのではありませんか?

    映画館については引き続き調査中です。
    少女がおっさんをお昼に誘うショットの背景に特徴的な建物が見えますので、粘れば突き止められるかもしれませんね。

    学校は八幡浜市と宇和島市のマップからしらみつぶし方式で見つけました。
    山際にあることと、日差しからみて校庭が真南にある(=背後の山が真北にある)とは考えられかったので、それらを頭において片端からチェックしていきました。なかなか見つからなかったのでもう諦めようかと思った最後の頃、やっと宇和島の南でそれっぽい場所が見つかり、昔の空撮で校舎を確認した次第です。
    ハイテク駆使しているようで、実はローテクもかなり駆使しています。

    外泊地区は、赤松さんの情報がなければまったくわかりませんでした。
    鳥居と階段はすぐに見つかりましたが、ストリートビューで後ろを振り返り、石垣の家々が今でも映画と全く同じように並んでいるのが見えた時には結構感動しました。

  5. 居ながらシネマ より:

    八幡浜市内でストリートビューが使える場所が増えていたので、「アーチ橋」「商店街」など追加しておきました。
    逆に国土情報ウェブマッピングシステムが使えなくなりましたので、近いうちに別のものに置き換えるつもりです。

  6. 赤松 幸吉 より:

    夏になると必ず見たくなる作品です。
    よくぞ、この作品を忘れずに更新してくれました。八幡浜市へはこの夏、あのアーチ橋を訪ねて行こうと思っていたくらいです。(これは嘘じゃないですよ、本当ですよ)しかし体調を少し壊して実現できませんでした。
    居ながら様のストリート・ビューを見ますと町の様子は全く変わりましたね。小地方都市とはいえ、40年前のことですから仕方がないでしょうが、残念です。それでも映画の中で子供たちが魚釣りをしていたアーチ橋だけは変わっていないようです。
    このサイトを訪れる人はほんとんど洋画ファンだと思いますが、邦画にもこのような素敵な映画があるので是非ご覧ください。
    よしだたくろうの音楽もいいですよ。「今日までそして明日から」の主題歌が有名ですが、それ以上にメロディーだけが流れる「恋の歌」が秀逸。
    嬉しいことに、「旅の重さ 英語サブタイトル版 Journey into Solitude」はYOUTUBEで無料で見られます。

    あの映画館は一体どこなんだ!

  7. 居ながらシネマ より:

    赤松さん、コメントありがとうございます。
    この映画、確かに夏に見たくなる映画ですね。
    いろいろ情報寄せていただいたこともあり、気づいたことがあったら更新していくようにしています。
    映画館も引き続き調査中です。
    窓口の細かい文字を読み取りたいところなのですが、これはHD放送待ち。
    他に向かいの瓦屋根の建物が手掛かりになるかと思います。
    また「さらば美しき人」のポスターがあるのでそれを上映しているものと思い込んでいましたが、これはただの小道具かもしれませんね(「さらば~」は松竹の配給なので……)。
    なので映画館は邦画系洋画系松竹系などあまり先入観をもたずにまんべんなくチェックした方が良さそうです。

  8. 赤松 幸吉 より:

    ついに、映画館特定か。宇和島の映画館写真コレクターから、この映画館は宇和島ではなく。やはり八幡浜市の「八幡浜東映」ということです。地元の人に確認してもらったり、近くの商店の女将さんがここで撮影ロケされたことを覚えていて、まず間違いがないでしょう。

    少女が八幡浜の商店街を歩いていて、映画館だけ宇和島というのは不自然でした。(制作費からもそれほど次々と移動できなかったでしょう) なお、旧宇和島市内ではこの映画のロケはなかったということです。

  9. 居ながらシネマ より:

    赤松さん、情報ありがとうございます。
    「八幡浜東映」の場所がわからなかったので、検索したら赤松さんが問い合わせをされたブログがトップにヒットしました(汗)。
    おかげさまで場所がわかりましたので、さっそく昔の空撮画像でチェックしてみましたが、いかにも映画館らしい長い建物を確認。本文の方に追記しておきました。
    アーケードからもはずれていますし、この位置でこの向きなら日差しが映画の中と矛盾しないので、おそらくこちらで正解ではないでしょうか。
    東映系の映画館なら、松竹系洋画のポスターはカモフラージュだったのでしょうね。

    ともあれこれでスッキリですね♪

  10. イエロ一 より:

    はじめまして。両親が宇和島の奥の近永あたりで生まれ育ちました。少女が起きて小屋から出てくるシ一ン、たぶんですが三間町の自動車道下あたりと察しました。
    特急しおかぜ、急行列車うわじまのシ一ンが喜多灘駅あたりとはビックリしました。
    宇和町とか卯之町で照合しようと思ってました。
    今回の情報ありがとうございます!
    家内と松山で温泉に浸かって、喜多灘駅付近まで足を延ばしたいです。

  11. 居ながらシネマ より:

    イエローさん、いらっしゃいませ、コメントありがとうございます。
    舞台となったあたりをよくご存知の方にお越しいただき、とてもうれしいです。
    列車の撮影場所はマップ上で推定したものですから、確かなわけではありません。書いてくださった地名は今出先にて細かくチェックできませんが(マップや画像はけっこうパケットを消費するものでして……)、戻りましたらチェックし直してみますね。
    (松山で温泉、良いですね~)

  12. 居ながらシネマ より:

    イエローさん、その後「三間町の自動車道下あたり」をマップでチェックしてみましたが、今のところ成果無しです。せっかくヒントをいただきながらすみません。
    手掛かりは日差しと、少女が小屋の扉をあけたときの山の形ぐらいですが、幸い随所でストリートビューが使えるので、もう少し粘ってみますね。当時は自動車道もなかったと思いますので、そのあたりも念頭においてみたいと思います。
    線路の方もチェックしてみましたが、書いていただいた町名のあたりは、最初の頃「地形的にはこのあたりかも?」と思った地域のひとつでした。ただなかなか日差しや線路、川、道路構成といったものがぴったりくるところが見つかりませんでした。
    こういうのはやはり地元をご存知の方の直感が正しいと思いますので、どちらも自分の先入観にとらわれずに見直してみますね。
    実は四国は愛媛県だけ訪れたことが無くて、仮想的な旅も一緒に楽しんでしまっています。やはり温泉行きたいですね~

  13. イエロ一 より:

    お疲れ様です。今さっき旅の重さ見て、何回も通過した八幡浜市を確認したいですし、南部も確認する気持ちが湧いてきました。過去に男はつらいよ、島根の温泉津温泉と福井県永平寺口あたり、茨城県牛久沼、そして伊予大洲も確認したことあるのですよ。できるだけ執念持って確認できたらと思っています。

  14. イエロ一 より:

    こんにちは。度々すみません。土佐の海で少女一人はしゃいでいたシ一ン、多分ですが足摺の大岐海岸だと思います。

  15. 居ながらシネマ より:

    イエローさん、またまたありがとうございます。少女がはしゃいだ後、裸でorzのポーズをとるところですね。
    ここも周囲があまり写っていないので難易度がとても高いですね。
    少しマップと画像を見てみましたが、長~い湾曲した浜の形は確かにとても近いものを感じます。
    その前の海沿いの崖が迫っている道も、近いかもしれませんね。

  16. たかしくん より:

    42年振りに視ました。若かったあの頃、友と語りあった(旅の重さ)とは?
    60過ぎたこの年でも、新鮮な感じを受けました。
    青春の良き思い出として、これから何度も視聴したいと
    考えております。

  17. 居ながらシネマ より:

    たかしくんさん、いらっしゃいませ、コメントありがとうございます。
    この映画公開当時にご覧になったのですね。
    映画は最初に観たときの記憶や想い出と結びついていて、その映画を見返すとふっとそれが甦ることが多いですよね。
    特に『旅の重さ』は、その傾向が強いような。
    こちらにこれまで寄せていただいたコメントなどを拝見すると、多くの方たちに長い間愛され続けてきた映画であることを強く感じます。

  18. イノシシ より:

    初めまして。自分は高知在住で「旅の重さ」は10年近く前にDVDで見て以来、大好きな映画です。18分頃に登場する古い隧道(ずいどう)ですが、推測ですけれどトンネル内部は高知県宿毛市野地にある旧・宿毛隧道(https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92788-0036+%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E5%AE%BF%E6%AF%9B%E5%B8%82%E9%87%8E%E5%9C%B0/@32.948505,132.718207,3a,75y,336.32h,88.86t/data=!3m4!1e1!3m2!1sZv3Gb6bodkBP9AExpOTsCg!2e0!4m2!3m1!1s0x354f501da9e9bc6d:0xe4bcb1684dd5cbe6)、トンネルの出口に関しては愛媛県西予市にある俵津隧道(https://www.google.co.jp/maps/@33.333158,132.511159,3a,75y,43.04h,74.24t/data=!3m4!1e1!3m2!1speIKzDbsfaxPtmZEAr9Eeg!2e0)ではないでしょうか?またトンネルのシーンの直前にある橋も、旧宿毛隧道に愛媛方面からアクセスするところに架かっている橋だったような気がします(写真がないのですみません)。

  19. イノシシ より:

    少女が「土佐の海」で水浴びをする砂浜は、まず土佐清水市大岐の「大岐海岸」で間違いないと思います。これは一目見て分かりました。下のリンクの場所から砂浜のシーンの冒頭の俯瞰の絵が撮影できます。

    https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B8%82/@32.826158,132.951552,3a,75y,207.49h,83.65t/data=!3m4!1e1!3m2!1sqDmkDKgyFMjqlYiC8q19UQ!2e0!4m2!3m1!1s0x354f3670ec80c181:0x22cf4510eac828d5

    ただ、通行中の人々から撮影している模様が見えてしまうのでヌードシーンに関しては浜辺の中でも南の方(人があまり通らない)で撮影したものと思われます。この浜辺では最近も「パーマネント野ばら」の撮影が行われました。

  20. イノシシ より:

    さらに、24分ぐらいで登場する「土佐の海」の海岸線沿いの道は…

    https://www.google.co.jp/maps/@32.753205,132.805475,3a,75y,69.91h,87.14t/data=!3m4!1e1!3m2!1sBKlijfofTFy6swjuXAkcVw!2e0

    この付近と思われます。土佐清水市大津~土佐清水市貝の川間の海岸線沿いの「旧国道321号」。この時代はこの道が「旧」ではなく列記とした「国道」でした。現在も映画と同じ景色を見ることができますが落石で通行止めになっていることも少なくないです。

  21. イノシシ より:

    トンネルのリンク、見づらいみたいなので貼りなおしてみました。
    >18分頃に登場する古い隧道(ずいどう)=旧・宿毛隧道(高知県宿毛市野地)か?

    https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92788-0036+%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E5%AE%BF%E6%AF%9B%E5%B8%82%E9%87%8E%E5%9C%B0/@32.948505,132.718207,3a,75y,336.32h,88.86t/data=!3m4!1e1!3m2!1sZv3Gb6bodkBP9AExpOTsCg!2e0!4m2!3m1!1s0x354f501da9e9bc6d:0xe4bcb1684dd5cbe6

    トンネルの出口=俵津隧道(愛媛県西予市)か?

    https://www.google.co.jp/maps/@33.333158,132.511159,3a,75y,43.04h,74.24t/data=!3m4!1e1!3m2!1speIKzDbsfaxPtmZEAr9Eeg!2e0

  22. イノシシ より:

    またこれも推測ですが、少女が旅芸人一座の女と裸で水浴びをする海岸ですが、土佐清水市以布利(窪津との境)の海岸が映像と似ているような気がします。

    https://www.google.co.jp/maps/@32.793503,132.979688,3a,90y,297.95h,80.96t/data=!3m4!1e1!3m2!1s7nSSV9REkFN7EMf0cLiwOw!2e0

    大岐の浜からも比較的近い場所です。ここは道路から比較的アクセスしやすくロケはしやすいですが、以前はこの二車線道路はなく、同じ場所にあった細い山道が通っていただけの場所でした。ここがロケ地とすれば現在だったら道路から裸が丸見えですね。

    ところでこの映画は撮影場所を特定されないようにするためか、絶妙にランドマークとなるようなものを上下でトリミングしているように思えます。一方で下川口の天満宮は何度も訪れたことがあったので、まさかあそこがこの名作のロケ地だとは知りませんでした。あの場所は少し前までは映画と似た風情があったのですが2001年の高知西南豪雨で甚大な被害が出て、前を通る県道や堤防が大規模に改修されたので景色が変わってしまいました。近くには足摺岬や

  23. イノシシ より:

    失礼、前の文章書きかけでアップロードしてしまいました。この映画のロケ地の近くには足摺岬や竜串などといった高知県内屈指の景勝地があるのですが、あえてそういった観光名所を避けているのも不思議です。

  24. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、こんばんは、コメントありがとうございます。
    高知在住でいらっしゃるとのことで心強い……と思ったらこれは凄い情報量、一気に解明が進んだような。
    作業は週末になってしまうかと思いますが、寄せてくださった情報を確認しながら、ひとつずつ本文に反映させていただきます。
    どうもありがとうございました

    イノシシさんをはじめ皆さんのコメント拝見しますと、時代を越えて本当に多くのファンに愛されている映画であることがわかりますね 🙂

  25. イノシシ より:

    さらに冒頭の「特急うわじま」のシーンはずばりここですね。
    センターにズームすると、まさしく同じ景色になります。
    海側の突堤も…

    https://www.google.co.jp/maps/@33.640388,132.54174,3a,15y,66.32h,87.09t/data=!3m4!1e1!3m2!1sVJE6SFw0fP-iFUC3nTrIPQ!2e0

    長年の謎が解けました!!ありがとうございます。

  26. イノシシ より:

    17分辺りに登場する橋ですが・・・

    http://taotawa.seesaa.net/article/179772287.html

    上記の下のほうに「野地橋」という写真が登場します。
    この橋は宿毛市野地の旧宿毛隧道(旧国道56号)にアクセスする
    「旧野地橋」です。
    写真を見る限り、どうやらこの橋で間違いないようです。

  27. イノシシ より:

    少女が乗せてもらったトラック「岩松運送」。
    学校のシーンの後だけに、岩松小学校のすぐ近くに現存していますね。

    https://www.google.com/maps/place/%E5%B2%A9%E6%9D%BE%E9%81%8B%E9%80%81/@33.1315815,132.5231678,115m/data=!3m1!1e3!4m2!3m1!1s0x3545f5da38bf5acf:0x69954e39530ba902

  28. イノシシ より:

    連投失礼します。

    少女が旅芸人の女と水浴びする海岸ですが、41分過ぎあたりの岩と岩の間から見える山の形からほぼ土佐清水市以布利の海岸で間違いないと思います。映画の中で左側の山の頂点辺りがややぼんやりしているのは、リンクで張った山の様子からも見て取れます。以前ここは度々ビーチコーミングで訪れた場所なのですが、岩と岩の間を抜けて行かなくてはならないような状態だったか定かではありません。
    https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92787-0312+%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B8%82%E7%AA%AA%E6%B4%A5/@32.793503,132.979688,3a,15y,358.36h,91.08t/data=!3m4!1e1!3m2!1s7nSSV9REkFN7EMf0cLiwOw!2e0!4m2!3m1!1s0x354f3220791792d7:0x6d563bdf2f90f2a7

  29. イノシシ より:

    57分ごろの少女が倒れてしまった赤い鳥居のある神社ですが、愛南町内泊地区のこちらの神社の可能性が高いのではないでしょうか?

    https://www.google.co.jp/maps/@32.939455,132.491177,3a,75y,182.09h,92.87t/data=!3m4!1e1!3m2!1sYo0FlpCbQEFm8Qw7ZbhhKQ!2e0

    私の持っている資料に「内泊でも撮影が行われた」とあります。映像の中では、石段の中ほどにやや広くなっている場所があります。外泊の石段にはそれがありません。またカメラの置き位置は神社の向かいにある建物の屋上辺りから別の民家の屋根越しに狙ったものです。外泊の神社にはその位置に建物がありません。Google Mapの映像では鳥居は昭和62年に新たに建立され赤い木製の鳥居から潮風に強い石の鳥居になったものと思われます。おそらくその頃新たな二車線道路の取り付けが行われ、外泊の神社も同時期に改修されたのではないでしょうか。

    一方、1時間21分頃に見える赤い鳥居の神社は外泊地区のもので間違いないと思います。つまり二つの「赤い鳥居」は別々のものではないかと思います。

  30. イノシシ より:

    映画に登場する札所についてですが、「69番観音寺」は誤りではないでしょうか?一番の根拠は観音寺は香川県であり、そもそも論で「愛媛県・高知県でロケされた」に当てはまりません。

    また43番の西予市から東にある寺は、久万高原町であったり松山市であったりと愛媛県内でも距離が非常に離れており、ロケ地としては非現実的だと思われます。以上のことから考えると、この映画の撮影ルート(南予、幡多)には札所は6ヵ所あります。

    【愛媛県側】
    第43番札所明石寺(西予市宇和町明石201)
    第42番札所仏木寺(宇和島市三間町字則1683)
    第41番札所龍光寺(宇和島市三間町大字戸雁173)
    第40番札所観自在寺(愛南町御荘平城2253-1)

    【高知県側】
    第39番札所 延光寺(宿毛市平田町中山390)
    第38番札所 金剛福寺(土佐清水市足摺岬214-1)

    このうち、高知県側の2箇所と40番観自在寺、42番仏木寺は平場の寺で、「15分ぐらい」に出てくるような印象的な石段はありません。よって札所は、43番の明石寺か、41番の龍光寺に絞られます。このうちGoogleストリートビューで見ると、43番明石寺の石段が映画の中でトリミングされている石段の形状と角度こそ違いますが重なるようです。

    https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92797-0007+%E6%84%9B%E5%AA%9B%E7%9C%8C%E8%A5%BF%E4%BA%88%E5%B8%82%E5%AE%87%E5%92%8C%E7%94%BA%E6%98%8E%E7%9F%B3%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91/@33.368591,132.519463,3a,75y,304.81h,86.2t/data=!3m4!1e1!3m2!1s-lKbWYrcQ4FKEckdM7KLkA!2e0!4m2!3m1!1s0x354587b6556a7767:0xcf62e43f1b9dfcdc

    映画の中ではもっと長い石段に見えますが、少女の歩き始めが石段の一段目で、最上段にはもう境内が写っています。意外とこの石段は短いのです。

    そして16分頃に登場する少女の後ろにある「お堂」。これは41番の龍光寺の「大師堂」と建物が同じと思われます。以下のYOUTUBE映像で本堂からのPANの後に写る大師堂をご確認いただきたいと思います。

    https://www.youtube.com/watch?v=QWPgxd3mTSI

    また本堂も現在はある程度改修されているようですが、位置関係からしても形状からしても、映画の中に登場するものと矛盾しません。また龍光寺には本堂と大師堂の間に稲荷社への参道があるのですが、映画の中のアングルからだと稲荷社は写りこみません。また当方の調査では「旅の重さ」は愛媛県三間町でも撮影がされたとあります。三間町は2005年に宇和島市に合併されていているので「旅の重さ」は宇和島市内でも撮影されたという説の論拠にもなります。

    私の推理では、石段の撮影は43番明石寺 本堂の撮影は41番龍光寺です。

  31. イノシシ より:

    あらためて映画を見てみると、少女が祈りをささげる女性遍路を残して境内から去っていく場面(16分30秒ごろ)で、下部にごろごろした石を積んだ石塔が女性遍路の向こうに写っていることや、本堂と大師堂のある位置が特徴的に一段高くなっていてその石積みが見られるところから41番龍光寺は間違いないと思われます。撮影が夏場なので木立に緑が多く、映画では陰影が濃く写っています。

  32. イノシシ より:

    本編には登場しませんが、予告編の中の2分13秒に登場するのは大月町の大堂海岸。

    https://www.google.co.jp/maps/search/%E5%A4%A7%E6%9C%88%E7%94%BA%E3%80%80%E5%A4%A7%E5%A0%82/@32.783088,132.665405,3a,75y,90t/data=!3m5!1e2!3m3!1s29688814!2e1!3e10

    こんなところにまで足を伸ばしていたんですね。とすると、この周辺が別のシーンのロケ現場になっている可能性があります。

  33. イノシシ より:

    17分30秒過ぎに夕焼けの中にシルエットで浮かび上がる島。実は半島です。

    https://www.google.co.jp/maps/@32.776054,132.639942,3a,27.1y,215.75h,86.82t/data=!3m4!1e1!3m2!1s_gljxznmi2qxOH7fgp6wog!2e0

    場所は幡多郡大月町柏島の渡し場。一つ前の書き込みが大堂海岸だったのでもしやと思いました。撮影の場所は展望台からかも知れません。

  34. イノシシ より:

    夕日のシルエットの島ですが…

    https://www.google.co.jp/maps/@32.941426,132.464793,3a,75y,300.69h,84.66t/data=!3m4!1e1!3m2!1sbPYPRbqHjOwIgh_Bd4okZQ!2e0

    こっちの島の方が可能性高いですね。旧西海町の外泊の半島の西の端から沖を眺めた場所にある無人島・鹿島。夏場に夕日が沈む方向を考慮しても、また山のシルエットを比べてみてもこちらが正解の可能性が高そうです。

  35. イノシシ より:

    夕日が沈む島影

    https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%84%9B%E5%AA%9B%E7%9C%8C%E5%8D%97%E5%AE%87%E5%92%8C%E9%83%A1%E6%84%9B%E5%8D%97%E7%94%BA/@32.948473,132.49979,3a,75y,90t/data=!3m5!1e2!3m3!1s-H3Jb18C9-aM%2FU8YNX0MsgOI%2FAAAAAAAACgo%2FZSa4DyBXrZU!2e4!3e12!4m2!3m1!1s0x3545f8b7229f69d3:0x6615d3d58e95a9a4

    こちらの画像を見ても、船越がロケ地で間違いないようですね。この場とこの時間をロケ地に選んだ撮影人はやはりプロだと思います。

  36. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、本日も貴重なコメントありがとうございます。
    最後の(14:30)のマップがうまく開きませんでしたが、撮影場所としては正解とのことで、ご確認ありがとうございます。この夕景は本当に良いカットですよね。

    時間をみて昨日今日と少しずつ本文に反映してきました。おかげさまで不明部分がかなり埋まり、多謝です。
    他にもとりあえずポイントとなりそうな場面をタイムスタンプとともに列記しておいて、後でわかったら埋めていくことにしました。

    「うわじま」「札所」「夕焼け」「海岸沿いの道」「ひとりで入る海」「ふたりで入る海」「予告編」すべてお見事でした(イエローさんもありがとうございました)

    トラックはとてもウケてしまいました。
    そりゃそうですね、わざわざトラックを偽装するわけありませんから、
    でもトラックまで調べようとは全然思っていませんでしたので、とても楽しかったです。

    以下の2箇所は、大変申し訳ありませんが反映は見送らせていただきました。

    ■鳥居と石段
    0:57 と 1:21ですが、見返してみたところ、やはり同じ場所のようです。
    どちらも石段の左側に逆Vの字型の柱状もの(枝の支えでしょうか?)が見え、同じ位置に四角い何かの標示が張られていますし、鳥居のしめ縄の下がり方も同じ様です。
    両場面とも左側に木々のモコモコが見えますが、内泊ではすぐ消防団の倉庫になっていて、やはり外泊の方が近い感じです。
    また本文でも書きましたが、石段で少女が動かなくなった次のショットで、今度は手前に少女が倒れている姿があり(最初ピンぼけ)奥手に石垣の民家が写りますが、それは外泊のSVで今でもほとんど同じように再現できます。

    http://goo.gl/maps/EeD3q

    0:57のカメラ位置は、逆にこのあたりの民家から石段を望遠で捉えたものかもしれません。

    確かに現在の外泊の石段は途中の踊り場がなくなっていますが、手前の道路を整備した際にセットバックして、ちょうど踊り場の奥行き分だけ引っ込んでしまったのではないでしょうか。
    隣接する港もリノベートされているためなんとも言えませんが、1:21の俯瞰に比べて、現在のストリートビューの方が鳥居の位置がすこし奥にあるような気がします。

    ■隧道

    これはせっかく情報いただいたのに、大変申し訳ありません。
    教えていただいた場所がどうしても(特に入口廻りの施工など)映画と同じには思えず、別途調べてしまいました。
    おそらく本文に記載した場所かと思います。
    ご協力心より感謝致します!

    ■札所の石段

    お堂の方は本当にお見事でした。動画ではっきりわかりますね。
    石段の方ですが、画像や地形をいろいろ見る限り、見つけていただいた第41番札所龍光寺の方が似ているように見えました。

    http://www.panoramio.com/photo/78177002

    よく見ると映画の石段は最上段の他にも(上の方で)踊り場がありますが、こちらの画像でも確認できます。
    また映画の方は右端ぎりぎりに何かの庇といいますか屋根の一部が見えていますが、43番札所明石寺の方は階段に向って右手に建物は見られません(41番札所は建物があります)。

    また2,3日は時間的にサイトの管理ができませんが、時間ができたら今度は沈下橋にチャレンジしてみたいと思います。
    地元の方がご覧になっているかと思うと汗顔のいたりですが、また何かご存知のことがおありでしたらコメントいつでもお待ちしております。

  37. イノシシ より:

    >居ながらシネマ様

    微力ながらサイト制作に参加できて嬉しい限りです。5年ほど前、2年間四万十市に住んでいて宇和島までは1時間半の距離だったので「旅の重さ」のロケ地めぐりをしたことがあります。その当時は貴殿のサイトもなく、ネット上の誤った情報から映画館のある場所、少女が散策した街は「宇和島」だとばかり思っていました。それが貴殿のサイトで八幡浜だと分かり、目からウロコが落ちる思いでした。それでこちらの分かる情報を可能な限り提供しようと思ったのです。

    「旅の重さ」は大好きな映画で、ふとした瞬間に思い出し、ネット上でロケ地めぐりをしています。今回もネットで旧西海町外泊の景色が見たくなり、そうしたきっかけで貴殿のサイトを発見した次第です。

    最大の発見は、旅芸人の滞在した神社が下川口だと知ったこと。下川口には友人も多く住んでおり、度々訪れたことのある場所です。映画の中で、旅芸人一座が滞在したのが「土佐」であることからロケ地の神社を探したこともあったのですが全く心当たりがなく、「外泊」同様 土佐の設定でありながら南予地方で撮影されたものかと考えていました。

    下川口は土佐清水市の中でもこれと言った特徴のない場所です。まさかそこがロケ地となっていたとは信じられない思いです。それが明らかになったので、こちらのサイトに一挙にシンパシーが湧き上がりました。

    嵐坂隧道もロケ地として全く矛盾がないですよね。例の岩松小学校から車で10分ほどの場所です。1970年に下の新隧道が完成しているので、まだ廃道化されて2年しか経っていないタイミングでの撮影です。もしそこが現道であれば、地域の「出役」によって草刈も行われる筈で、映画の中のように雑草がはびこった状態は「廃道化後2年」と重なります。

    なによりも興味深いのはその先にある「嵐」という小さな集落。この隧道がなければ「陸の孤島」で、昭和18年完成の「旧・嵐坂隧道」は大きな恩恵をもたらしたでしょう。また四国は本土防衛の前線でもあり、「人間魚雷回天・震洋」などの特攻隊の基地も数多く作られました。昭和18年という時代が、戦争と無関係だと思えません。

    高知県西部の幡多地域や愛媛県西部の南予地域がマイカーで訪れるのに便利になったのは、ここ10年以内の道路整備によるもの。平成になっても、中村~土佐清水市間には新伊豆田トンネルは開通しておらず、険しい峠を超えねばなりませんでした。また中村~宿毛間には高速もありませんでした。ましてや1970年代前半は、幡多地域内の移動だけを考えても、膨大な時間を要した筈です。

    そんな時代に、この四国西部で「旅の重さ」が大規模ロケで撮影されたことに”ロマン”を感じるのです。しかも撮影一ヶ月、編集一ヶ月であのような名作が生まれたとは…。

    今後もまだしばらく調査を続けてみたいと思います。あらたな情報が分かれば、またお伝えします。

    2015.3.16

  38. イノシシ より:

    堤防らしきところを真横から捉えたショット

    https://www.google.co.jp/maps/@32.976575,132.932451,3a,15y,35.35h,93.58t/data=!3m4!1e1!3m2!1slh2Fu-cu6fheGVuMtUBD0w!2e0

    山の形が似てませんか? 道路ぶちはすっかり藪となり、ここからしか見ることができませんが、土佐清水市と四万十市(当時中村市)を結ぶ道路の途上にある四万十川右岸です。

  39. イノシシ より:

    そしてまさかその堤防を逆から捉えたショットが
    まさかの橋だったりして…

    https://www.google.co.jp/maps/@32.977446,132.933157,3a,41.4y,195.29h,80.18t/data=!3m4!1e1!3m2!1s1oQNEK8XLFJZY7dTCHqPUA!2e0

    四万十川支流・中筋川です。

  40. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、撮影一ヶ月、編集一ヶ月だったのですね(知りませんでした……)。
    「ロケ地マップ」のピンの数がだいぶ増えてきましたが、西側のエリアをほぼまんべんなく移動しているようですね。撮っては移動の繰り返しだったのでしょうか。逆にそれが映像の鮮度につながっているのかもしれません。

    堤防を横からはこちらで正解のようですね。
    しかもまさかの橋も! どんぴしゃりです。
    (すみません、最初にヒントいただいた場所の方は橋脚が違っているようにも見えたので判定しきれず保留にしていました)

    ここ数日多忙につき本文に反映するのは後日になりますが、何かありましたらコメント欄に入れていただければ順番に追記していきますので、またよろしくお願い致します。
    (マップ情報だけでなく、一緒に地域のことも書き添えていただけるのが嬉しいです)

  41. イノシシ より:

    「旅の重さ」高知県地元ファンとしては、高知県を象徴する沈下橋について何とか解明したいと思い、地元の歴史を良く知る地域の活動家の重鎮3名に映画に登場した沈下橋の映像を見てもらいました。

    一致した意見としてあったのは
    「通常沈下橋は性質上路面がコンクリートである筈だが、映像のものは”木”を横に並べているように見える。こういった形状の沈下橋はない」
    「映像から見て、川は流れが緩やかで川幅の広い下流域である」
    「土台が特徴的でその仕様から橋を限定できる」
    というものでした。

    映画と同じような土台を持つ沈下橋は「今成橋(佐田の沈下橋)」と「三里橋(三里沈下橋)」の二つだけです。

    https://www.google.co.jp/maps/@33.015442,132.883762,3a,62.9y,115.15h,81.04t/data=!3m4!1e1!3m2!1sD5ns2qEXL5tywIUVFvBB8g!2e0

    https://www.google.co.jp/maps/@33.011974,132.873014,3a,50.2y,185.28h,81.28t/data=!3m4!1e1!3m2!1sVNyx4iKlwW1E1d3fZxTiHQ!2e0

    しかし古い新聞記事によると、今成橋は1972年2月の完成でコンクリート橋、三里橋は1965年の完成でコンクリート橋。1972年夏に撮影された時にはまだ双方真新しいコンクリート橋の筈です。高知県西部の沈下橋にはほかにこうした土台を持つ沈下橋があるとは思えません。しかし、「今成橋」の左岸約50メートル上流に以前から気になるものがあったのを思い出し、Google MAPで覗いてみました。それがこれです。

    https://www.google.co.jp/maps/@33.015457,132.885984,3a,15y,14.21h,87.49t/data=!3m4!1e1!3m2!1sBA7NTaGaxHqQ6uc07JsHnA!2e0

    映画に登場するのと同じ土台を持った沈下橋の跡のように思えます。文献によると、今成橋架橋前は「佐田~今成間には渡し舟しかなく、出水のとき難渋していた」とあります。ひょっとするとこの橋脚のようなものは渡し舟の乗り場=桟橋なのかもしれません。

    ・・・ひょっとすると、映画に移っているのは沈下橋ではなく、「船着場」だったりして…。それにしては映画に登場するものは”橋”の全長が長いと思います。今度四万十川に行ったら、謎の橋脚について調べてみたいと思います。

  42. イノシシ より:

    謎の橋脚について上空からの写真を見てみると…

    https://www.google.co.jp/maps/@33.0165752,132.8864872,130m/data=!3m1!1e3

    まさかのこんな具合でした。
    ひょっとすると謎の解明にかなり近づいた気がします。
    思い過ごしでしょうか?

  43. イノシシ より:

    ちなみに、堤防上を真横から見たカットについては、沈下橋を捜索する中で地元活動家の人の指摘で見つけることができたものです。その人いわく「山が低い、この堤防は四万十市具同辺りから撮影したものでは…」

    そこで具同の堤防を下流に向かって調べていくと似たシルエットの山を見つけることができました。そして堤防を下から見上げることができる場所が唯一あったのでそこに視点を移動するとぴったりと重なったと言うわけです。去年亡くなった撮影監督の坂本典隆氏。不要と感じたものはフレームの外に切り捨てる傾向が強いカメラマンのようです。このカットでは「橋」をぎりぎりでフレーム外に置いています。しかし、橋の左岸にある道路標識は少し写りこんでしまっているようです。

    四万十川のこの堤防は、中村から土佐清水市へ向かう唯一の国道ですが、三原村に流れを発する中筋川との合流点近くにあたり、度々洪水の原因となった場所でした。そこで中筋川の川底を近年浚渫するとともに、堤防ののり面をコンクリートブロック化しガードレールを取り付けました。この工事は比較的近年に行われたものです。

    「橋」に関しては、中筋川を対岸の香山寺方面に渡る小さなもので、「旅の重さ」のルートとは直接関係ありません。堤防上の歩きを撮影した際、遊び心で「ここでも撮っとけ」とついでに撮影したものでしょう。

    「旅の重さ」は中村市でもロケが実施されたが証明できて、嬉しい限りです。

  44. mchamada より:

    「旅の重さ」がHuluで配信開始になったのを機に、久しぶりに見返し、こちらにたどり着きました。
    後半、中年男と住んでいる家は西海町(現愛南町)外泊で間違いありません。私の祖父が所有していた家がロケ地で、撮影のために貸し出していました。
    今、こちらに貼られている神社のストリトビューを方向転換すると、ちょうど神社の真後ろあたりにバス停と小屋があって、その横に車1台分くらいの道があると思います。そちらを上がっていった右側にある家でした。葬列を窓から覗いているのも同じ家です。
    (58分ごろの別の葬列も、外泊ですね)

    女性の遺体が上がった浜は、前述の神社向かって左にある浜です。
    道も今は綺麗に石が並んでいますが、以前は家々の石垣と同じように手積みで、石が抜けたところは穴が空いていました。それが風情があって好きだったんですが。

    最後の方で、よしだたくろうの歌が流れてきた以降は、外泊ではないです。その前の2人で荷物を引きながら神社の横を通るシーンまでは、外泊の神社のはずなのですが…、行商とはいえどこまで売りに出かけていたんでしょうか。

  45. 居ながらシネマ より:

    mchamadaさん、コメントありがとうございます。
    今確認しましたが、たしかにHuluで見ることができますね♪
    実はNetflixに鞍替えしようかと思っていたところでしたが、もう少し契約を続けようと気が変わりました。
    そんなことはさておき、貴重な情報ありがとうございました。
    個人のお住まいについてはあまりマップでは明示しないようにしていますが、それ以外は後ほど記事にも反映させていただきます。
    それにしてもお祖父様の持ち家とは!
    現地をよくご存知の方がご覧になると、また感慨深いものがあるのでしょうね。

  46. 居ながらシネマ より:

    mchamadaさん、遅れてすみませんが、寄せていただいた情報を本文に反映させていただきました。
    Huluで流れているとの情報もとても有りがたく、おかげさまで高画質で何度も繰り返しみることができて、新たにいくつか撮影場所を見つけることができました。どうもありがとうございます。

  47. 長谷川千尋 より:

    2年半前に大阪から徳島に赴任したのを機に、映画「旅の重さ」のロケ地巡りをしようと思っています。助言お願いします

  48. 居ながらシネマ より:

    長谷川千尋さん、コメントありがとうございます。
    ロケ地巡りの助言をとのことですが、私個人は実際に巡ったわけではなく、映画とにらめっこで撮影地を調べていっただけです。
    幸い映画について愛情と情報をたっぷりお持ちの皆様から次々コメントやメールをいただき、それをまとめることでご覧のようなエントリーを作り上げることができました。
    個人的には助言などはできませんが、ぜひ当エントリーの内容をご参考いただき、素敵なロケ地巡りの旅を実現されますように、お祈りしております。

  49. Katsuzou より:

    はじめまして、居ながらシネマさん。
    なんか、嬉しくなりコメントしました。私はこの映画、中学3年ぐらいの時に見た記憶があります。当時、ロードショーという雑誌で高橋洋子さん記事を見て (可愛いなぁ~) ぐらいの感じで映画館に行ったのを覚えてます。二十歳を過ぎてから趣味でカメラをいじりだしたおかげで、
    各地によく出かけます。四国も喜多灘駅付近の鉄橋も、3年間通い今年やっと海の色が出た次第です。この夏は青の海バージョンから夕日の赤バージョンを撮影したのですが、いい色が出ませんでした。また、来年かな?と思っていたとき、映画、見ました。今、思うことは、この映画の画角で私も追いかけることにします。望遠や、標準、が、この年代の映画の特徴ですのでなんとか頑張ろうと思います。定年まであと少しですが、いい宿題ができました。大阪からの撮影になりますから時間がかかりそうですが、このサイトをヒントにして、また、自分なりの方法で、撮影場所を特定していきたいと思います。よく書かれているように、太陽の角度や向き、映画のカメラワーク、などを考慮し出来る限り映画に近づこうと思います。
    ひとつ、教えて貰いたいのですが、冒頭の小屋のシーン、主人公が、小屋の扉を開けるシーンと、小屋の立ち位置方向は、同じなんでしょうか。扉を開けるシーンは、同じ小屋なのでしょうか。どうも、ストリートビューで地理を見ますと、小屋の立ち方向は、北向きなような感じがするのです。しかし、扉を開けるシーンは、東向です。分かればで、宜しくお願いします。

  50. Katsuzou より:

    訂正します。
    ひとつ前の、コメント読みました。
    このサイトを最大限に活用させてもらい、四国の私なりの旅をしたいと思います。もう、このサイト20回以上確認しました、自分なりのルートで行きたいと思います。俯瞰の三叉路、是非とも一枚撮りたいので頑張ろうと思います。三谷さんとの、出会いの三叉路もしかり、の看板なんかを一つのヒントで調べていこうと思います。
    このサイトを立ち上げて頂き、本当にありがとうございます。感謝。

  51. 居ながらシネマ より:

    Katsuzouさん、コメントありがとうございます。
    いつもは気になった映画をひとりでこつこつ調べて記事をアップしていることが多いのですが、このエントリーだけは全然別で本当に多くの人からコメントや情報いただき、たいへんありがたく思っています。
    私もカメラ好きであちこち行って撮っていますが、なんだかだんだん重いカメラとレンズがつらくなってきて、スマホで十分なような気もしてきました……

    この映画は望遠が多いので、被写体の場所はわかっても、カメラ位置はまたちょっとはなれていたりして、それを確認するのも楽しいですよね。充実した撮影旅行になること間違い無しでしょうから、ぜひロケ地探索楽しまれてください。
    (発表する場所を特にお持ちでありませんでしたら、他の皆様と同じようにこのエントリーで掲載できますので、ご利用ください)

    小屋に関しては内側からと外からのショットで、日差しはほとんど一致しているようにみえるので、厳密にどの位置にあったかはともかく、同じ小屋のように思えました(劇場用映画の撮影カメラが中に入るかどうかは知りませんが 🙂 )

  52. 赤松 幸吉 より:

    冒頭の小屋シーン(「小屋」はシナリオでは「水源小屋」となっています)はロケ場所も、お尋ねの北向きか東向きかは分かりません。

    しかし、この小屋について小生が知っていることは、この小屋は実際に現地にそれらしい掘立て小屋があったわけではなく、斎藤監督とスタッフ全員が汗みどろになって、田圃の中に特別にセットとして作り上げたということです。
    (勿論、すぐに取り壊したはず。)

    これは公開当時、斎藤監督が雑誌か新聞で語っていたのを鮮明に覚えていますので、絶対に間違いはありません。

    「旅の重さ」は何十年経ってもこのようにファンがいるのですね。
    このブログは「旅の重さ」ロケ地の百科全書のようです。

  53. 居ながらシネマ より:

    赤松幸吉さん、お久しぶりです。
    このエントリーは赤松さんに背中を押していただいて作ったようなものですから、また来てくださってうれしいです。
    おかげさまでどんどんボリュームが増えてきましたが、ここまでくるともはや自分のサイトという気はまったくせず、ファンのみなさんが楽しみながら作ってくださった場所のように思えます。私はただの住み込みの管理人ですね。

    小屋に関しては、撮影用に建てたもの、ということで、なるほどですね。
    それならばKatsuzouさんがお書きのように、2つのショットで向きが(あるいは位置も)違っていてもおかしくはないかもしれませんね。

  54. なにわカツオ より:

    居ながらシネマさん、はじめまして。この素晴らしいサイトを開設していただき、心からお礼申し上げます。
    「旅の重さ」は、中学3年生の時、封切の時に観て大変感動しました。以来、1990年頃にVHS化されたビデオテープを入手するまでは、映画館などで放映の情報を聞きつけては、観に行っていました。
    学生時代、映画に映っているキハ58型の急行「うわじま」などに乗って初めて四国を旅行しました。ロケ地に行きたかったのですが、情報が全くなく、漠然と桂浜などから「憧れていた土佐の海」を眺めました。
    昨年このサイトを見つけ、感激しました。早速、昨年8月に住んでいる大阪からマイカーに乗って日帰りで土佐清水方面へ行って来ました。
    下川口の天満宮は、階段に手すりが設けられ、舞台のあった建物も建て替えられ、その隣にあった小屋はなくなって、小さな社になっていました。ただ、水道の蛇口がありましたが、これは座長や政子が水を口に含んだ当時のままのものでしょうか。また、観客で埋まり、少女が光子にシラミ取りで髪の毛をグチャグチャにされた舞台前の広場は44年前の撮影時と同様の雰囲気がありました。
    その後、海水浴客のいる大岐海岸を散策し、本当の「憧れの土佐の海」を満喫しました。
    このサイトを頼りに、また改めて他のロケ地も、ゆっくり巡ってみたいと思っています。

  55. 居ながらシネマ より:

    なにわカツオさん、コメントありがとうございます。
    封切り時にご覧になっていたのですね。しかも当時すでにロケ地を巡られていたとは、素晴らしいです 🙂

    私は確か70年代の後半に名画座で見たのが最初だったかと思います。思えばロケ地巡りは、名画座に通えるような、時間がたっぷりある学生時代にやっておくべきだったかもしれませんね。今はすっかり「居ながら」です…

    今回は拙サイトをご覧いただき、マイカーで巡られたとのことで、わざわざご報告ありがとうございます。
    好き勝手にマニアックなことをやらせていただいている拙サイトですが、『旅の重さ』は皆様から熱いコメントや情報、画像等を数多く寄せていただき、感謝感激。このページに関しては、もはや自分の手を離れて、皆様の寄せ書きで成り立っている状態です。

    なにわカツオさんも、もし他のファンの皆さんに見ていただきたいような画像等がありましたら、管理人宛に送付いただければ、アップさせていただきます。ご遠慮なくご利用ください(その場合、最初にContactページからご連絡ください)

    私もいずれ現役引退したら、時間をとってゆっくり巡ってみたいですね。
    その時にはぜひ旅先でこのページを開き、皆様のコメントや画像をニコニコ拝見しながら、と思いますので、それまで頑張ってサイトを続けて見ようかと思っている次第です。

  56. 居ながらシネマ より:

    なにわカツオさんから画像を提供していただきました。
    「ひとりで入る海」「境内」にアップさせていただいています。
    どうもありがとうございました 🙂

    それから私が誤読してしまいましたが、最初にご覧になったのが中学3年の時で、その後大学生時代にロケ地が不明のまま四国を何度か旅行されたとのこと。今回拙サイトをご覧いただき、ようやくロケ地訪問が叶ったとのことでした。拙サイトが少しでもお役に立ち、それだけでも嬉しいところ、わざわざコメントや画像を寄せてくださって、本当にありがとうございます!

  57. 高岡タケシ より:

    居ながらさん 本日はこちらにおじゃまします。
    沈下橋がまだ不明なようですので 探しておりますが 地元を流れる四万十川では見たことのない構造ですね。
    私見ですが この河川は大州市を流れる肱川ではないでしょうか?
    肱川には増水時に橋の上部が流れる 流れ橋 が存在したらしいです。
    構造ですが 橋脚に丸太などの桁を渡しその上に幅一尺ほど 厚さ一寸三分ほどの板を打ち付けたらしいです。
    この流れ橋 昭和40年代までは肱川に数か所あったらしいです。

  58. 居ながらシネマ より:

    高岡タケシさん、こちらでもありがとうございます。
    なるほど、四万十川以外の可能性もあるということですね。
    教えていただいた肱川をマップや画像、さらには70年代の空撮画像でたどってみましたが、残念ながらここぞという場所は見つけられませんでした。それでも、川幅の広さや雰囲気など十分映画に近いものを感じることが出来ました。可能性はかなりありそうですね。

    改めて映画本編や予告編をチェックしましたが、橋脚はコンクリートですが、その上に板を並べて結びつけただけのような構造で、でもしっかり両幅ぎりぎりに車両の跡がついていて、人だけでなく車も利用していたことが伺えます。渡るときはスリル満点だったでしょうね 🙂

    それから、『旅の重さ』と『祭りの準備』のロケ地マップをようやくまとめて、両方のエントリーにアップしました。あれこれ更新する気持ちになってきたのも、いろいろコメントいただいたおかげです。ありがとうございます。

  59. イノシシ より:

    ご無沙汰しています。また予告編が見られるようになっていますね。
    https://www.youtube.com/watch?v=Kf2c3HWGE1s

    そして高岡タケシさんのご指摘どおり、肱川の潜水橋は確かに構造、背景が映画に登場する橋と似ていますね。この橋の部分が昔、枕木を組み合わせたようなものでその後改修されたのだとしたら、撮影のルート的にも大いにあり得る話だと思います。
    http://bridge.michikusa.jp/newpage180.html

  60. イノシシ より:

    そして残念ながら上に上げた潜水橋は既に取り壊されてしまっているようですね。自分が直近でこの道路を通ったとき(2008年頃)にはまだこの橋はあったのですが・・・。長いこと大洲に行っていない証拠ですね。

    https://www.google.co.jp/maps/@33.5089402,132.601115,3a,75y,190.65h,90.97t/data=!3m6!1e1!3m4!1s5TeT3XSg-59TV3rUIwWCoA!2e0!7i13312!8i6656

  61. イノシシ より:
  62. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、ご無沙汰しています。
    橋のピンポイント情報ありがとうございました。
    画像を見るとありえそうな気がしてきました(みなさま、凄いですね 🙂 )
    今夜にでも本編と照合してみます。
    ありがとうございました!

  63. イノシシ より:

    地元の方の情報によると、その潜水橋(板野橋)は昭和41年に手すり付きのコンクリート橋(2012年グーグルマップで見られるやつ)に架け替えられたみたいです。

    https://ameblo.jp/kimagure-torajirou/entry-12184631705.html

    しかしながらその方が子どもの頃は板橋だったという証言もあり、映画が撮影された頃は板橋がどこかに存在した可能性もありますね。高知の沈下橋はできた当時からコンクリート橋ばかりなので、元は枕木のようなものが使われていた可能性は低いですね。それにしても高知県内に沈下橋はたくさんあるのだから高知で撮影してくれれば良かったと思います。四万十水系の沈下橋はほぼ現存していますのに。

  64. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、大変申し訳ありません、いただいたコメントが自動判定で未承認状態となっているのに気づきませんでした。さきほどコメントが表示されるように直しました。

    地元を知る方ならではの情報、いつもありがとうございます。

    > 映画が撮影された頃は板橋がどこかに存在した可能性もありますね。高知の沈下橋はできた当時からコンクリート橋ばかりなので、元は枕木のようなものが使われていた可能性は低いですね。

    これはいよいよ肱川の板橋説が有力になっていましたね。
    ほとんどファイナルアンサーという気がしてきましたが、ここまできたらもう少し粘ってマップ上で具体的な場所を解明したくなってきました。

  65. katsuzou より:

    お久しぶりでございます。
    以前、小屋の向きで投稿させて頂きました
    katsuzouです。
    踏切の件なんですが、カメラ片手に大阪から、
    行きましたが、構図が、合わないような
    気がしてなりません。線路のカーブと、
    電車の屋根を、被らせるには、レールを、
    またぐような、大きなアーチが、必要に、
    なってくるんです。そこで、バイクの
    強みで、踏切を、探して、大洲まで、
    来たら、ちょうど構図に当てはまる踏切が、
    ありました。大谷踏切なんですが、
    どうでしょうか?ちなみに、ほぼ同じ構図で、
    写真を撮る事ができました。
    動画ではありませんが。

  66. 居ながらシネマ より:

    katsuzouさん、コメントありがとうございます。
    その後もカメラワークを追究し続けていらしたのですね 🙂

    踏切を見つけられたとのことで、素晴らしいです(記事が間違っていたようで、すみません……)
    ご指摘の場所がどこなのかわからなかったのでこちらでは確認出来ませんでしたが、もしお差し支えありませんでしたらもう少し詳しくお知らせいただけませんでしょうか。
    お写真も、ぜひ拝見したいです(この記事に掲載させていただいて、皆さんにもご覧いただければ、なお嬉しいです)。

    掲載可能な場合は、一度Contactページから私宛にご連絡いただけますでしょうか(メールアドレスが必要になりますが、フリーメール等で全然構いません)。
    よろしくお願い致します。

  67. katsuzou より:

    居ながらシネマ、
    katsuzouです,
    contactで、メールアドレス
    入力しました。もし、
    確認できなければ、この欄で、
    お知らせください。
    よろしくお願いします。

  68. 居ながらシネマ より:

    katsuzouさん、すみません、Contactページからの連絡は届いていないようです。
    お手数おかけして申し訳ありません。
    こちらのアドレスへ直接メールいただけますでしょうか。

    inagara.cアットgmail.com 
    (アットのところは半角@に置き換えてください)

    よろしくお願い致します。

  69. 居ながらシネマ より:

    katsuzouさんから踏切について情報とお写真を提供していただきましたので、記事に反映させていただきました。
    またなんと女性のお遍路さんと語らった木まで検証していただきました。
    どちらも現地へ足を運んで初めて解明できたことと思います 🙂
    貴重なお便り、本当にありがとうございました。

  70. 赤松 幸吉 より:

    「しおかぜ」の踏切と女遍路(新村礼子)と語らった樹が写真で確認できるなんて、感動ものです。

    公開以来、ほぼ50年が経っているのに、この映画がまだこうして数多くのファンから愛されているのは無上の喜びです。

    katsuzou様もこの映画を多分リアルタイム(1972年)ではなく、後のリバイバル上映やDVDで鑑賞されたのでしょう。

    「うわじま」に抜かれるショットについては、ある鉄道ファンに調べていただいたことがあります。

    それによりますと、当時1号~9号まで片道9本も運転されていた「急行うわじま」の中で唯一グリーン車が連結されてなく3両編成であることと進行方向右手に海が見えていることから下り急行「うわじま3号」(605D 高松 6:15発⇒宇和島 11:55着)。

    katsuzouさまはオートバイでこのロケ地を走り回っていらしゃるのこと(45年前には小生は徒歩で探訪しましたが)、また新しい情報があればこのサイトに投稿してください。

  71. 居ながらシネマ より:

    katsuzouさんから木のお写真を追加で提供していただきましたので、「女性のお遍路さん」へアップしました。2016年9月に撮影されたとのことで、数年越しの探求に感服しました。
    お写真どうもありがとうございました。

    赤松さん、このエントリーはもともと赤松さんのお誘い?でスタートしたわけですが、さらに、45年前の赤松さんの徒歩による探訪までさかのぼることができるのですね。
    その時間の重みに、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」とか唱えたくなりました。

    皆様のご協力でこのエントリーもなんだか凄いことになってきましたが、管理人冥利に尽きるというものです。

  72. イノシシ より:

    すごいですね、katsuzouさん。あの踏切、「階段は改築されなくなってますが」とおっしゃってますが、草に覆われているだけでしっかりコンクリートの階段も確認できますね。大阪からわざわざ四国に来ていただいたのも嬉しいです。

  73. Bill McCrearyBill McC'DY8 より:

    どうも、この数日の進展もまたすごいですね。ほんと、この記事での皆さまの情熱には圧倒されます。

    実は今月はじめ、松山と別府に行き、途中フェリーに乗るため駅から港まで八幡浜の街を歩いたんです。そうしたらアーケードもあって、「あ! あれ『旅の重さ』のアーケードじゃない?」と思いましたが、同行者がいたので確認はできませんでした。また時間をとらねばなです。

    ところで、踏切の場所については、

    >愛媛県大洲市長浜町晴海のふれあいパークの前の踏切で大谷(おおや)踏切です。

    とのことですが、そのすぐ次の「うわじま」のくだりで、

    >大洲市長浜町がロケ地であったとの情報もいただきましたので

    ともすでに書かれておられましたから、案外ヒントは近いところにあったようです。

    それですみません、女性のお遍路さんの木の近辺のSVですが、

    https://www.google.com/maps/@33.290479,132.5950112,3a,44.2y,238.61h,90.12t/data=!3m7!1e1!3m5!1sNYbL26acP8D5ZrG77s9jvQ!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DNYbL26acP8D5ZrG77s9jvQ%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D236.76096%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656

    で開いて木らしきものが確認できませんでしたが、これはこれでいいのでしょうか。

  74. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、
    なるほど、階段は草に覆われているのですね。
    イノシシさんもそうですが、皆さん凄すぎです 🙂

    Bill McCrearyさん、
    ホントですね、いただいた町名情報をその後で転載していましたね orz…
    SVですが、こちらのPC環境ではそのリンクで中央に写って見えます。
    こちら↓は2012年7月のもので、緑の水田の中にありますから、こちらの方が映画のイメージに近いかもしれませんね。
    https://goo.gl/maps/3egkHpC5qkr

    私有地かもしれませんので、あまり書かない方が良いのかも??

  75. katsuzou より:

    居ながらシネマさん、
    写真掲載して頂きありがとうございました。
    妻も最初は四国行きは乗り気ではありませんでしたが、
    下灘の夕日を見てからは、気分良く同行してくれます。

    メールでも少し書かせて頂きましたが、語らいの木の
    シーンは背景が現地と符号しない様に思われました。
    時の流れとともに風景も変わって行くのでしょうけれど、
    変わらない風景も必ず存在するのものと思っております。
    木陰の木の節目なんかを観察し、決めたいと思います。また、
    果物を貰うシーンも、41番札所の近くと判断し去年
    行きましたが、果物を貰い女遍路さんを追いかける、
    まっすぐに伸びるあぜ道の左側にある農機具小屋の風景に出会うことは
    できませんでした。また、
    電車で抜かれるシーンも夏だと雑草が高くなり、写真のヌケが
    悪くなるので、この春、行こうと思っています。

    イノシシ様、
    そう言う事なので階段を見に行きたいと思います。
    構図ばかりに気を取られ肝心の踏切の観察を怠りました。
    今度は200ミリ以上のレンズで撮りコレクションに納めたいと
    思います。本当によく見つけてくれました。

    赤松様
    赤松様のおっしゃる通り10年前にDVDで観ました。
    ただ、1972年当時、よくロードショーや近代映画の雑誌を愛読しており、
    たしか、いや、たぶんでしょうか、近代映画の雑誌の中に「旅の重さ」
    が紹介されていたと思うのです。そして友人と日曜日に映画館に
    観に行った記憶があるのですが、全く内容を覚えていませんし、いつのまにか、
    忘れていました。
    私は吉田拓郎のファンで、10年ぐらい前に、
    その友人とお酒を飲みながら拓郎談義をしていた時にその友人が
    「確か、今日までそして明日からの歌は昔、中学生の時に一緒に観に行った
    映画の主題歌で、よく分からない映画やったな。主演の女の子、名前は知らないけど、
    可愛い子やった」と言いました。
    まあ中学生では無理もないことでしょう。

    数日後、気になりDVDを観ました。
    映像の中に映る風景は今と違い、デジタルではなく、本物が映り込んでいる
    美しさに酔いしれました。そこからなんです。
    元々、青春18切符ポスターの真似撮りもカメラワークの1つでもあり、
    (四国は本当にポスター写真の撮影地が多い場所なんです)
    それなら、この際2つまとめて行く方が、楽しさも2倍、と、言うわけで
    5年前ぐらい前から始めています。
    ポスター撮りの場所はわかりやすいんですが、
    ロケ地となると、ちんぷんかんぷん。
    そうこうしているうちに、
    このサイトに行き着いたわけであります。

    居ながらシネマ様、イノシシ様、赤松様、
    大人のいい宿題ができたと思っています。
    本当にありがとうございます。
    感謝。

  76. 居ながらシネマ より:

    katsuzouさん、
    書き込んでいただいたコメントがなぜか保留扱いになっていて、反映されていませんでした。同じ内容で何度も書き込みいただいたようでう申し訳ございません。
    最後の書き込みが改行が少し見づらく見えたので、最後から2番目のものを反映させていただきました。問題がある場合はお知らせください。

    そうでした、木はまだ検証中でしたね。
    場所としてはとても良い線をいっているように思えますが、検証大事ですね。
    私が現地へ行けるのはおそらく何年後かに現役引退してからとなると思いますので、それまではマップをこねくり回して自分なりに探索を続けてみたいと思います。

    テーマを持った撮影の旅、良いですね。
    奥様のご理解ご協力を得ていらっしゃるというのがまた素敵です。
    拙サイトはマイペースで続けていくつもりですので、この映画に限らず何かありましたらお便り寄せていただけましたら幸いです。

  77. 居ながらシネマ より:

    katsuzouさんから画像を追加提供していただきました。
    「アーチ橋」「商店街」「食堂」「少女2人が語らう石垣」(新規項目)へアップしましたので、どうぞご覧ください(記事がかなり長くなってきましたので、探せないときは目次をご利用ください)。

  78. 赤松 幸吉 より:

    katsuzouさま
    今回の食堂の写真には我が目を疑うような驚きでした。
    スクリーンではほぼ内部だけしか映っていないのに、よくぞ見つけられました。
    店内は成る程三角地のように細くとんがっており、まさしくこの食堂でしょう。

    吉田拓郎の「今日までそして明日から」は素晴らしい曲ですが、それ以上にメロディーだけが流れる「恋の歌」(乞食遍路に会うあたりから流れる)が爽やかで愛すべき名曲です。

    また、当初は同じく拓郎の「歩け歩け」が挿入歌として使用される予定であったようです。

    このサイトが「旅の重さ」のロケ地の聖地となっており、今なお数多くのファンがこのサイトを訪れています。

    私がもう少し若ければ、これらの写真を手にもう一度ロケ地探訪をしたいのですが。

    面食らっているのは泉下の斎藤耕一監督でしょう。
    50年近く経ってもこの映画がこれほど熱く語り継がれていようとは、夢にも思わなかったでしょう。

  79. KATSUZOU より:

    居ながらシネマ様、

    梅雨の晴れ間を利用しまして
    先月、季節は初夏、
    棚田の早朝や夕景の風景写真を撮りながら、ロケ地の探索をかねて、四国に行ってきました。

    そこで判明した事なんですが、やはり
    2人が木陰で語らうシーンは、間違い無く
    投させて頂いた木である事が確認できました。
    ネットの画像で、ちょうど2人が語らうシーンの
    少し引いた画角が、載っており、
    背景の2つの山の重なり具合からそう判断できたのですが、
    ロケ当時からおおよそ50年近く経過しているのに、木の形があまりにも変わっていなか
    ったので迷いました。また、

    漁師の家に一泊させて貰い、早朝引き上げる
    シーンや、いよや旅館のシーンも、
    判明しまし。

    いよや旅館のシーンの探索のおり、
    卯之町の宇和先哲記念館の方々の協力もあり、
    判明した次第であります。

    梅雨が明ければそちらの方に行こうと思っております。

    また、居ながら様に、メールで、ご連絡させてもらい、新たに写真などを、添付しょうと、思っております。

    その時は、よろしくお願いします。

  80. 居ながらシネマ より:

    KATSUZOさん、コメントありがとうございます。
    現地でさらに詳しくお調べになったとのこと。あの木をはじめ、旅館や漁師の家なども解明されるとは、粘り強い調査力やフットワークに感服しました。
    掲載しても大丈夫な範囲で、ぜひお写真やレポートお寄せください。お待ちしております!

  81. KATSUZOU より:

    居ながらシネマ様、
    ご無沙汰しております。

    今年の夏も終わりを告げめっきり秋めいて参りました。その後いかがお過ごしでしょうか。
    今年の四国の旅は、本当に素晴らしい旅を地域の皆様にお世話になりながら、回ることができ、
    貴重な体験をさせて貰いました。
    皆様の情報を参考にして四国を飛び回り写真を撮る事も1つでしたし、
    画像から模索し出会った人たちのお話を聞き、
    ロケ地が判明した事など、
    誠に楽しい夏のひとときを過ごさせて頂きましたのも、
    居ながらシネマ様 同様、このサイトの皆様のお陰です。
    本当に感謝でございます。

    さて、居ながらシネマ様、また、メールで写真を一枚一枚、お送りします。
    居ながら様のご判断で掲載してください。
    何枚かの写真にはロケ当時に関わりをお持ちの方のお話や、撮影時のエピソードなど、
    また、私自身のエピソードなどを添え、お送りさせていただこうかと思っております。
    宜しくお願いします。

  82. 居ながらシネマ より:

    KATSUZOUさん、メール受領しました。素晴らしいお写真の数々、堪能させていただきました。
    現在多忙にて更新できませんが、できれば次の週末にでも作業したいと思います。メールに添えていただいたエピソードも一緒にアップさせていただくつもりですので、もう少しお待ちください。
    どうもありがとうございました!

  83. 赤松 幸吉 より:

    居ながら様、katsuzou様
    19/10/23追記のロケ地写真に泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて(←しつこい)、涙が枯れるほど大泣き(感動)しました。

    「堤防の道」「漁師の家」「果物を貰う家」「夕焼けのシルエット」「旧嵐坂隊道」「旅館いよや」 などには希有の眼福、奈良の大仏が目の前で駆け出したくらい驚きました。

    まさに神がかり的探査で、絶句!絶句!絶句!絶句!絶句!絶句!(←もう十分)です。

    私が50年ほど前(何の情報もなく歩き回った)ロケ探訪からこのブログに投稿した記事には、今読み返すと勘違いや誤認があります。その後、多くの方からより正確な情報や写真を前にして、汗顔の至りです。

    私も毎夏になると少女の歩いた四国へと行きたくなりますが、老齢のためなかなか実現できません。しかし、 katsuzou様やその他の方の投稿やそれらを丁寧にまとめてくださる居ながら様のおかげでまた闘志が湧いてきました。

    死ぬまでにもう一度このブログを片手に「旅の重さ」ロケ地巡りをしますからね。

    「ぶらり日本名作の旅(旅の重さ)」日本テレビ 1990年放映 38分 牛原千恵キャスターという番組にもロケ当時に関わりを持たれた方などが登場します。

    例えば、芝居一座の舞台へ「おひねり」の代わりにスイカを進ぜたのは私の母であるとか、そのようなことが。

  84. 居ながらシネマ より:

    KATSUZOUさん、遅くなりましたが画像とコメントをアップさせていただきました。数年がかりで探究された詳細な情報に驚くとともに、映画のショットを見事に再現した画像へのこだわり、さらに現地の皆様に掲載許諾もしっかりとっていただいているという、ロケ地探訪のお手本のようなレポートとなっていて、ただただ感じ入るばかりです。
    本当にありがとうございました。

    赤松幸吉さん、ご覧になった時はまだ更新の途中でした。
    さらに残りの画像と情報をアップさせていただきましたので、どうぞご堪能ください。
    思えばこの記事は赤松さんがたきつけて(?)くださったところから始まりました。その後赤松さんをはじめ皆様のお力で更新を重ね、今では上から下までスクロールするだけで日が暮れるという、とてつもないボリュームとなりました。
    その中には、情報だけでなく、皆様の映画に対する愛情がたっぷり詰まっています。改めて、感謝申し上げます。

  85. 居ながらシネマ より:

    KATSUZOUさんから、コメント欄でエラーが出たため、直接メールでコメントいただきました。そのまま転載させていただきます。
    ありがとうございました! 奥様にもよろしくお伝えくださいませ。
    <以下転載>

    居ながらシネマ様、
    ご丁寧なアップをして頂き、ありがとうございました。

    投稿の写真をまとめていると、家内曰く、
    「改めてみると、主人公の女の子と、私、さほど変わりはあれへんな~」
    と、言っておりましたので、今後のこともありますので、私曰く、「そおやな~」と。

    来年も、男性遍路の三叉路、俯瞰の三叉路、ポストへ投函のシーンなど探しに行こうかと思っております。

    赤松様
    すいかのシーン、本当にホント、ビックリしました。
    「ぶらり日本名作の旅」是非是非、見てみたいです。
    今ではもう、無理なんでしょうね。

  86. 居ながらシネマ より:

    赤松幸吉さんからご連絡いただきました。都合により代わりに転載させていただきます。

    <以下転載>

    katsuzou様

    前回の投稿について訂正させていただきます。
    このブログは「旅の重さ」ファンの聖地なので正確を期しておかなければなりません

    「ぶらり日本名作の旅(旅の重さ)」日本テレビ 1990年放映 38分 牛原千恵キャスター
    この中でスイカのシーンに勘違いしました。

    これは「シネマ紀行」(松竹製作 衛星劇場で本編の後にサービス放映されたもの)の方にあります。

    「ぶらり日本名作の旅」の方は素九鬼子さんの原作のドキュメンタリーで、映画とは余り関係がありません。

    それでも牛原千恵さん(映画監督・牛原陽一氏の娘さん)が少女と同じコースを歩くという内容で、映画のロケとだぶるシーンもあります。

    さて、「シネマ紀行」(松竹製作)は2000年4月撮影とあり、女優の柴山智加(大林宣彦作品で有名です)がロケ地を案内するという番組でした。

    トマトをもぎ取るシーンは「八幡浜市」、学校や旅館いよやは「東宇和郡 宇和町」、少女が全裸で泳ぐシーンは「土佐清水 竜串 落窪海岸 臼婆」、横山リエと泳ぐ海は「伊予駄場 尻貝の浜」などとテロップが出ます。

    制作者の松竹自身が言っているのだから、まず間違いはないでしょう。

    さて、スイカのシーンですが、これは下川口浦地区地区長さんの祖母だったとインタビューで述べておられます。

    西海のシーンでは民宿の方と息子さんさんがインタビューに答え、葬式の行列で民宿の方はごはん茶碗を、息子さん(まだ子どもでした)は笹を持って階段を何度も上り下りしたと述べられています。

    「ぶらり日本名作の旅」「シネマ紀行」の両方ともVHSビデオで所有しております。
    どこかにアップしてもよいのですが、小生は機械の方はまったく弱く、その方法が分かりません。

    「旅の重さ」のファンで「個人的に鑑賞するだけなら」喜んで郵便で送付いたします。

    なお当時、小説「旅の重さ」が映画化で、更に有名になった少し後、ラジオ・ドラマ(NHKだったと思います)が放送されたと記憶にあるのですが、どなたかこのドラマについてご存知の方はいませんか。

  87. ほりやん より:

    ラジオドラマに関して、「いわき民報」の番組欄に掲載されていました。

    https://library.city.iwaki.fukushima.jp/manage/archive/upload/00002_20160111_0057.pdf

  88. 赤松 幸吉 より:

    ほりやん様、情報提供有り難うございました。
    どうせ今じゃ、誰も知らないラジオドラマだと当てにしないでいましたが、早速の回答に恐れ入りました。

    昭和48年6月9日文芸劇場(ラジオドラマ)「旅の重さ」9:05pm~10:20pmNHK松山製作としてNHK第一で放送されています。

    任啓子、長田重子、黒野信男さん、松山放送劇団の出演となっています。

    当時、私はこの放送番組を実際に聞いています。

    やはりこのブログは凄いですね、「居ながら」キャプテン様。

  89. ほりやん より:

    赤松様
    ラジオドラマ化されていたことを知ることができ、こちらこそありがとうございました。
    キャプテンのお人柄が良いので皆さんが訪問したくなるのでしょうね。

  90. Bill McCreary より:

    こんちは。

    赤松さんがお書きになっていた情報は私もつかんでいましたので、こちらに投稿するつもりでしたが、赤松さんに先を越されました。

    あるいはですが、赤松さんが参照したのかもしれないサイトを参考資料として。

    http://mezala.la.coocan.jp/radiodrama/rd1973.html

    基本的にラジオ第一放送の「文芸劇場」というのは、土曜に本放送があり、日曜に再放送があるというものだったようです。FMでもラジオドラマの放送があり、またキャストを見ると、え、と思うくらい豪華ですね。録音は残っていないでしょうからもったいないと思います。ほかにも6月30日報道のドラマで東北が舞台で仙台放送局のものがありますから、たぶん地域特性のあるドラマは、地元の局で制作する方針みたいなものがあったのでしょう。

    以下余談です。二輪の免許を先日取得しまして(現在大型を取得中)、この映画のような交通の便が悪いところのロケ地訪問には役立ちそうです。

  91. 居ながらシネマ より:

    赤松さん、ほりやんさん、キャプテンって私のことでしたか 🙂
    このページはおかげさまでかなりの情報が集まってきましたが、「情報」を読み下せば情けの報い(ホント?)。皆様のこの映画に対する深い愛情で報われているような気持ちです。

    Bill McCrearyさん、大型も取得予定ですか。バイクとなるとかなりフットワークが良くなりそうですね。どうぞお気を付けて、ロケ地訪問お楽しみください。

  92. 高岡タケシ より:

    沈下橋ですが、大洲市の畑の前橋約150メートル下流に架かっていた橋のようです。
    地理院61-69年の空撮で確認できます。
    現地にて鮎漁をする年配の川漁師さんに話を伺い、スクリーンショットを見て頂いたところ、間違いないとの事でした。
    板橋と呼ばれていたこの橋は、橋自体がスロープ状になっているのが最大の特徴で、自動車も渡れる最大規模の板橋だったそうです。
    対岸が見えないほど草木が生い茂っていた為撮影は断念し図書館で資料を探しましたが見つかりませんでした。
    残念です。

  93. 居ながらシネマ より:

    高岡タケシさん、コメントありがとうございます。沈下橋、引き続き探索してくださったのですね。
    この場所よくぞ見つけてくださいました。素晴らしいです。
    現地の漁師さんに確認されたとのことでそれだけでも十分ですが、過去の空撮でチェックしてみても、地形や日差しなど映画と一致しています。
    これで正解と思われますので、記事の方に反映させていただきました。
    ありがとうございました 🙂

  94. KATSUZOU より:

    居ながらシネマ様、高岡タケシ様、
    沈下橋、決定したんですね。良かったです。

    一昨年、勇み足なんですが、以前の投稿を参考にさせて貰い
    沈下橋を訪れまし。
    一時間ほど川原を歩いて感じたのは、
    やはり、前半は肱川に沿って撮影に挑んでいたことが、
    なにげに分かるような気がした次第です。
    冒頭の小屋のシーンもしかりですしね。

    来年もまた、判明した沈下橋跡を訪れようと思っています。
    本当にありがとうございました。

  95. 居ながらシネマ より:

    KATSUZOUさん、沈下橋はマップ的といいますか地形的に見ても、おそらく肱川のここで正解と思われます。個人的にはこれでファイナルアンサーですが、もちろん新たに新事実が展開したら、どんどん追記させていただきます。

    > やはり、前半は肱川に沿って撮影に挑んでいたことが、なにげに分かるような気がした次第です。

    こうして解明していくと、本当にそのように感じられますね 🙂

  96. イノシシ より:

    久々にここを覗きました。KATSUZOUさん、高岡タケシさんの調査で今まで解けなかった謎が大部分解明されていて非常に驚きました。KATSUZOUさん、私は高知に住んでいます。ぜひお立寄りいただいて、「旅の重さ」について語らい会いたかったです。本当にお疲れ様でした。素晴らしい調査力だと思います。

    私は今50歳。DVDでたまたまこの作品を見たのは30代の後半だったと思います。39歳から四万十市(旧中村市)に2年間住んでいて、その時にこの作品のロケ地である西海町を初めて訪ねました。最初にここに投稿してから5年が経ちます。あとは三叉路、三谷さんと出会った場所か・・・。

    ちなみに「ママ、土佐の海よ」の前の切り立った岩ですが、あれは叶崎灯台から超望遠で覗いたアングルです。私の持っていったカメラでは撮影は無理でした。機会があれば挑戦したいですね。

  97. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、お久しぶりです、コメントありがとうございました。
    本当に皆様の調査力や行動力は凄いですよね。
    イノシシさんも地元にお住まいのことで、いくつもの貴重な情報を寄せていただき、感謝感謝です。
    もはや自分の能力ははるかに超えたところに到達しているようですが、まだまだ未解決の箇所もありますし、映画についてあれこれ語るのもまた楽しいですから、どうぞ皆様引き続きこのページをご自由にご活用ください。

  98. イノシシ より:

    あと、トマトを盗んだ後の堤防上を歩くカットも気になりますね。あのカットも大洲近辺かも知れませんね。また横山リエが野外で男とむつみ合っている神社前の草むらですが、撮影現場となった土佐清水市の下川口地区は2001年の高知西南豪雨で大きな被害を受けてしまい、下川口天満宮の直下にある道路よりさらに川沿いに2車線の新道が作られました。その新道が建設された部分がまさしくそこです。災害に見舞われるまではその風景がそっくり残っていましたが、ある意味残念です。

  99. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、気になるところはまだまだありそうですね。
    このページ全体がおかげさまでボリュームたっぷりになり見通しが少々悪くなってきているので、後ほど記事の最後に「未解決リスト」みたいなものを用意させていただこうと思います。
    一昨年の西日本豪雨の時大洲や肱川といったこのページでなじんできた地名が出てきてどきっとしましたが、他の場所もこれまでいろいろと被害に遭われているのですね。被害が繰り返されないことをお祈りします。

  100. イノシシ より:

    トマトを盗んだ後の堤防上のカットに似た風景。でも山の形も少し違うし、奥の方には橋があるし自信はありません。取り壊された潜水橋のすぐそばです。
    https://www.google.co.jp/maps/@33.5375762,132.5674276,3a,75y,47.17h,91.84t/data=!3m6!1e1!3m4!1sS-1jrChojR7u2OtbvKlZNg!2e0!7i13312!8i6656

  101. イノシシ より:

    トマトを盗んだ後の堤防上のカットに似た風景。

    https://www.google.co.jp/maps/@33.5375762,132.5674276,3a,75y,47.17h,91.84t/data=!3m6!1e1!3m4!1sS-1jrChojR7u2OtbvKlZNg!2e0!7i13312!8i6656

    でも山の形も少し違うし、奥の方には橋があるし自信はありません。取り壊された潜水橋のすぐそばです。

  102. イノシシ より:
  103. 赤松 幸吉 より:

    イノシシさん、今日は。

    「旅の重さ」ロケ探訪マニアの元祖・赤松です。
    トマトを盗んだシーンが特定できたとしたら、これは画期的なことです。

    このシーンを含め、タイトルにかぶるシーンはすべて大洲市で撮ったということを当時の雑誌か何かの記事で読んだことがあるので、大洲であることには間違いがないと思います。

    3分46秒あたりに、(背景に)川と堤防、人家らしい屋根が数軒、3分57秒に農夫の後ろに映る山並みからだけで判断しないといけないので超難関です。

    DVDと何度も山の形状を見比べましたが、一番それらしく私には見えたのは最初の映像(貴投稿14:36版)です。

    少女はトマトを左手でもぎ取っていますね。普通、何かを盗むときは利き手を使用するものなのだが、(右手には杖を持っているとはいえ)少女は左利きなのだろうか。

  104. イノシシ より:

    赤松様

    少女がトマトを食べるシーンの背景は、上に挙げた投稿と同じ場所で撮影されたように思えます。一連のこうした雑景シーンは日照の関係上からも恐らく同じ日に撮られたと推測できますので、恐らく大洲近辺(畑の前橋周辺)で撮影されたと思います。畑と田んぼが隣接している場所ですが景色としては印象的なものはないので特定はかなり難しそうですね。以前の赤松様の投稿ではトマトをもぎとるシーンは「八幡浜」とありましたが、その情報はシネマ紀行からでしょうか?

  105. 赤松 幸吉 より:

    イノシシ様

    私の以前のコメントを注意深く読んでくださって有り難うございます。
    確かに2019年10月31日づけの投稿で「トマトをもぎ取るシーンは八幡浜市」と書いています。

    これは「シネマ紀行」(松竹製作 衛星劇場で本編の後にサービス放映されたもの)からの引用で、少女がトマトを盗むシーンに「愛媛県 八幡浜市」とはっきりテロップが出ます。

    しかし今考えるとこれは松竹側のミスで、「大洲」だと思います。
    映画の冒頭の流麗なシーンはやはりすべて大洲附近で撮っていると思われます。

    以下の二本(DVD)、もしお持ちでなく興味があれば、どなたにでもお貸ししてもいいですよ。

    「シネマ紀行」(松竹製作 衛星劇場で本編の後にサービス放映されたもの)
    「ぶらり日本名作の旅(旅の重さ)」日本テレビ 1990年放映

    居ながらシネマ 様

    このページは巨大化してしまって、当初からずっと読んでいる私にも何が何だか分からなくなってきています。

    「旅の重さ」のロケ地を知りたい人は必ずこのサイトを尋ねてくると思いますので、初めての人にも分かりやすく、「未解決リスト」みたいなものを用意していいただいたら、幸せです。

  106. イノシシ より:

    赤松様
    シネマ紀行は松竹映画のDVDの本編後におまけとして収録されていることが多かったのですが、「旅の重さ」はなぜか収録が見送られていましたね。ぜひ拝見したいです。居ながらシネマさんは「未解決リスト」を用意されると書いておられましたが、むしろそれよりも間違った情報を整理してカットした方が見やすいかも知れませんね(プロセスが失われてしまいますが)。赤松様はじめ、ここの住人の協力でほとんどのロケ地はもう解明されていて、あとはポスト、三谷遍路と出会った場所、俯瞰で撮られた三叉路、水浴びしている川ぐらいだと思います。伊豫屋旅館と桃の接待を受けた場所を割り出したKATSUZOUさんの仕事は本当に偉大でした。

  107. 高岡タケシ より:

    イノシシ様
    昨年沈下橋探しに畑の前を訪れた折にここだ!と思い映画のフレームを再現できる場所を探しましたが、今ひとつしっくり来る場所が見つからず保留にしてました。
    堤防の芝は枯れていたものの、堤防の法尻から見上げた山の雰囲気はバッチリでしたよ。

    報告が遅れましたが、昨年11月に八幡浜市の菅田屋食堂の看板が外されてました。
    残念ですね。
    赤ポストも現存しない可能性大ですが
    なんとか場所だけでも とコツコツ探しております。
    ちなみにポストに投函するシーンでバックに映る黄色い看板は、高知県宿毛市の ますや家具店さんの看板です。

  108. 居ながらシネマ より:

    皆様すみません、未解決リストを書くといってずっと更新できないでいました。
    映画本編を流して未解決部分を再度チェックしつつ記事を読み返していたのですが、手を入れたいところがあちこちできてしまい、どうしようかと思っていたところです。
    赤松さんお書きの通り、記事が巨大化して見通しが悪くなり、特に初めていらした方はめんくらってしまうかもしれませんね。
    イノシシさんがお書きの通り、修正部分も含めて地層のように残っているのが巨大化の一因なのかと思います。
    ただ自分にとっては、何年も前に赤松さんとのやりとりからはじまったこのページが、プロセスや間違い含めて非常に愛おしく、ばっさりと整理するには忍びないものが……
    整理したもの(結論とみなさまのお写真等)を表に残し、プロセスのたぐいは折り畳み機能を使って埋め込んでしまえば見た目はスッキリするかもしれませんので、ただいま舞台裏でテスト中です。もう少しお待ちください。

    それからイノシシさん、まだ記事に反映していませんが、トマトを盗んだ後の背景は、これで大正解ですね。よくぞ見つけられました。凄すぎです 🙂

  109. イノシシ より:

    居ながら様
    ここを拠点にみなさんと情報交換できることが最大の楽しみです。後他にはご詠歌を詠いながら歩く棚田の中の道も印象的ですよねえ。棚田は高知県中部の山間部にはたくさんあるのですが四国西部ではちょっと珍しい光景だと思います。

    高岡タケシ様
    初めまして。高岡さんは私と同い年ぐらいじゃないですか?中村にお住まいなんですよね。私も2年ほど中村に駐在していたことがあります。当時はシネマ四万十の会にも参加していました。今度幡多に出向いたときにいっぺん「旅の重さ」を肴に呑みませんか(笑)

  110. 居ながらシネマ より:

    高岡タケシさん、食堂の看板が降ろされていましたか。
    やはり完全に店じまいされていたのですね。
    すごいとんがり物件、一度は中へ入ってみたかったです。
    それから、ポストのショットで背景の看板よく気づかれましたね。手がかりになると良いのですが。
    男性遍路が去って行くショットでは、右端に宇和島市の「丸串寝具店」の広告がかかっていますが、こうなるともはや画面の周辺をほじくるようにチェックしてしまっています。

  111. 居ながらシネマ より:

    部分的にスリムにしたり、引用部分のデザインをフキダシのようにしてどなたのコメントかわかりやすいようにしたり、画像やマップのリンクを更新したり……等々あまり奏功していませんが、できる範囲で全体を更新しました。
    不具合や間違いがありましたら、ご遠慮なくツッコンでください。
    最後に「未解決」を並べてみましたが、気になる未解決箇所はこういったところでしょうか?

  112. 赤松 幸吉 より:

    今回の改訂版のおかげで初めての人でもかなり分かり易くなっています。
    これだけするだけでもとても手間ひまがかかったと思われ、いつもファンの我がままをすぐに受け入れてくれる居ながら様の律義さには頭が下がります。

    さて、未解決部分のですが、

    オールロケということですが、岸田今日子さんは四国ロケに参加しいるとは思えず、(原作では少女の家は新居浜ということになっていますが、)「朝顔の咲く庭のある少女の実家」はおそらくスタジオ撮影ではないでしょうか。

    なんどかフイルムに登場する岸田今日子さんのシーンは四国ロケなのか、撮影所で撮られたのか、はっきりと知りたいです。

    男・木村の家の内部シーンだけはスタジオ撮影ではないでしょうか。
    それとも、すべて「愛南町(旧西海町)外泊地区」なのでしょうか。
    これも是非知りたいです。

    また、少女が「骸骨の詩」を朗読しているシーンもどこでしょうか。

  113. イノシシ より:

    居ながら様

    すごく見やすくなっていてびっくりしました。本当にありがとうございます。赤松様、私も岸田今日子さんのシーンは東京で撮られたと思います。もし四国ロケだとすると、髙橋洋子さんと同フレームにいるカットがある筈です。一方、高橋悦史さんのシーンは効率を考えると愛南町ロケだと思います。1h13m頃にあるKATSUZOUさんが写真をアップされた「木村の帰りを待つシーン」。そのカットの次に秋吉久美子の足下が写るその背景はこちらのブロック塀です。

    https://www.google.co.jp/maps/@32.9367448,132.4783461,3a,62.5y,77.96h,79.78t/data=!3m6!1e1!3m4!1sAF1QipOZrbX8x6g189HujIIqKBX2wGHeryCd6XJK3nY6!2e10!7i13312!8i6656

    1975年の空中写真をみると特徴的な中庭のある家が集落の入り口から5軒目辺りにあるようです。

    https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1079867&isDetail=true

    1h03m頃の俯瞰のショットも、この坂の奥の高台(更地)から容易に狙えそうです。

  114. 高岡タケシ より:

    エントリーのリニューアルに伴い、未解決リストに棚田が挙がっていたので
    目星を付けていた棚田の情報をひとつ

    棚田は大洲市戎川の樫谷棚田ではないでしょうか?
    S字状の道や半月形の田、谷川など
    地形的にここだと思うのですが。

  115. イノシシ より:

    高岡様

    うわーすごい。樫谷棚田、確かに似ています。そして「俯瞰の三叉路」もこの集落内でなら撮影できそうです。katsuzouさんが割り出した西海町船越の砂利道や、旧・嵐坂隧道のようにロケ隊の移動経路内ではなく、樫谷棚田は少し大回りな気もしますが、四万十川沿いの堤防や予告編の大堂海岸などもロケルートから大きく外れても雑景のみを撮影するために足を伸ばしていますのでここで撮影された可能性もあると思います。

    https://www.google.co.jp/maps/search/%E6%84%9B%E5%AA%9B%E7%9C%8C%E5%A4%A7%E6%B4%B2%E5%B8%82%E3%80%80%E6%A8%AB%E8%B0%B7%E6%A3%9A%E7%94%B0/@33.6082112,132.5372689,195a,35y,66.19h,61.78t/data=!3m1!1e3

  116. 居ながらシネマ より:

    高岡タケシさん、情報ありがとうございます。
    樫谷棚田、本当によさげですね。
    いろいろ昔の空撮画像にあたってみましたが、「棚田」については、この場所↓が多少可能性が感じられました。

    https://docs.google.com/presentation/d/1crKpuZGKMytUVEywR0iNSH2cJ9tqqr_YTIJsxOEL7M8/edit?usp=sharing

    (Googleスライドで作った検証用の資料で、そのうち削除します)

    今は森の中に埋もれていますが、60-70年代では棚田だったところで、カメラ位置の標高も矛盾なし。
    ただ地形的にいまいちなところもありまして、スッキリはしません(こういうのはスッキリ感が大事♪)。違うような気もします(オイ)

    「三叉路」はうまく見つけられていません。
    「棚田」含めて他の場所となると、昔は今より棚田があちこちにあり、総当たりで調べるとかなり大変そうです。
    影の長さや向きからおおよその時刻とカメラの方角を求め、地形と合わせて絞り込んでいく感じでしょうか。

    イノシシさん、確かにロケ地マップを眺め返すと、撮影は結構広範囲にまんべんなく広がっていますね。
    今となっては貴重な郷土映像資料にもなっているかもしれませんね。

  117. イノシシ より:

    リンク先にある1975年の樫谷棚田を見ると、この50年でかなりの広範囲が森林に戻っていることが分ります。「旅の重さ」が作られて今日に至る月日はそういう重みを持っているのだなあと痛感しました。南予は高知に比べて棚田はあまり多くなく、ほとんどが段々畑です。その南予にこうした美しい棚田があることを、ここがロケ値であるとしたなら当時のロケ隊は良く見つけ出したものだと感心します。

  118. イノシシ より:

    「土佐の海よ。とうとう来たのよ!」の前に歩く海岸カット、カメラを構えたのと同じ場所のSVが普通にありましたのでリンクを貼り付けておきます。うっかりしていました。

    https://www.google.co.jp/maps/@32.7485269,132.8018683,3a,15y,52.63h,87.56t/data=!3m6!1e1!3m4!1sxf8RCynFE4G7V2WILN6QRQ!2e0!7i13312!8i6656

  119. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、SV情報ありがとうございます。
    私カメラ位置すっかり間違えていましたね(汗)
    「ロケ地マップ」と合わせて更新させていただきました。

    棚田が森林に戻っていくのをつい簡単に「残念」とか思ってしまいますが、美しい棚田も、それを作り代々守ってきた農家の方のとてつもない労力のたまものだったということですね……

  120. イノシシ より:

    SVが叶崎灯台の駐車場まで行っていたことに最近まで気付いていませんでした。直線距離で800mも離れた場所から狙っています。恐らく棚田関係のショットも相当望遠で狙ったと思います。居ながらさんが指摘されている場所は、奥の道路の曲線が違うように思えますが、手前の棚田の形状や重なりが実に似ていますね。樫谷棚田保存会に確認すれば、撮影の記憶とか何か分るかも知れませんね。

  121. 居ながらシネマ より:

    イノシシさんのSVポイントは、実にスッキリですね。
    私の棚田はどうもそういったスッキリ感がなく、モヤモヤが残るので、たぶん違うような……
    ご無理のない範囲で、また何か見つけられましたら情報お寄せください。

  122. 高岡タケシ より:

    三谷昇さんに声をかける三叉路
    見つけました!
    https://goo.gl/maps/ddcjfC8orvkJGk5b7

  123. 赤松 幸吉 より:

    凄いな! 乞食遍路が歩いていた三叉路を特定できるなんて。

    確かに、正面の農家の屋根(左右が7対3の比率)とか電信柱の位置でここだと信じます。

    多くの熱心なファンのおかげでこの映画のロケ地が次々と解明されつつありますが、個人的には小生の夢が壊れていくように感じます。

    あのロケ場所は永遠に分からない方がよかったとか、不謹慎ながらそう思ったりなんかして。

  124. 居ながらシネマ より:

    高岡タケシさん、ここでバッチリ大正解ですね。
    おめでとうございます♪
    自分もマップをぐりぐり動かして探していましたが、おかげさまでスッキリできました。
    「隧道」の近くで、「学校」や「旅館」からも数kmという、撮影スケジュール的にも無理のない位置ですね。

    赤松幸吉さん、ひとつずつ場所が解明されていくのは寂しいところもあるかもしれませんね。それを言ってしまうと拙サイトの存在意義が問われてしまうわけですが(笑) 

  125. イノシシ より:

    む???

    確かに下のリンクの小屋に似た建物が写っているような気がしますが、その後ろの建物などは相当古いように思えますが映画には写っていません。映画に写っている赤い「たばこ」の看板は山本商店の軒先?三叉路のカーブも異なるように思います。高岡さん、もう少々謎解きの解説お願いいたします。
    https://www.google.com/maps/@33.0876193,132.5096645,3a,90y,330.45h,92.09t/data=!3m6!1e1!3m4!1szJXBOi-5NWbonYCWj5M0pg!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP

  126. イノシシ より:

    自分で検証してみました。
    たしかに!!
    これは分りませんね。すごい!!
    https://docs.google.com/presentation/d/1BT6KCNSfqY73VEqC2PCJaFwXXqwD0YveyIz8lUZjRIE/edit#slide=id.p

  127. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、Googleスライドありがとうございます。
    (昨日うまく開かず共有の申請してしまいました……すみません)
    これはわかりやすいですね。
    私も、ぴょこっと出た電灯でここでバッチリ大正解と確信しました 🙂

  128. Watson より:

    管理人様、始めまして。
    素九鬼子さんが亡くなられ、アチコチ検索しているうちにたどり着きました。
    始めて「旅の重さ」を見てから、もう半世紀近くが経ちました。名画座にかかるたびに何度となく足を運び、30回近く見た映画です。VHSもDVDも買いました。「約束」と共に懐かし想い出がある映画です。
    共にこの映画を語る人がいないと思ってましたので、こんなに多くのロケ地が特定され、この映画に関心を持たれている方がいることにうれしくなりました。

    少女の後ろを走る予讃線・しおかぜ、堤防の道、岩松小学校等々、斉藤監督らしく印象に残るシーンが沢山あります。四国、特に宇和島~土佐清水を訪ねてみたいと思っていましたので、大いに参考になります。
    岩松小といえば、宇和島の企業組合・いわまつのブログ(2009.5.4。今は削除されたようです)に「旅の重さ」という記事があり『映画のスタッフと一部の俳優さんが岩松川沿いにある「新橋旅館」に宿泊されていました』とあり、山本紀彦さんに映画のロケ地に連れて行ってもらったと書かれています。この方も岩松小がはっきり映っていてビックリしたそうです。新橋旅館も三好旅館もまだ営業中のようですね。

    多くの方が、実に詳細にロケ地を特定され他ご努力に敬服し、感謝いたします。
    未解決の解明、期待しております。

  129. 居ながらシネマ より:

    Watsonさん、コメントありがとうございます。
    恥ずかしながら素九鬼子さんが最近亡くなられていたこと、知りませんでした。個人的には確か映画の方が先で、70年代後半に角川文庫でようやく読んだ記憶があります。
    『旅の重さ』は自分の場合封切り時ではなく名画座でだったと思いますが、それでも最初に見てから40数年経っていることになりますね(謎汗)

    仰るとおり、このページには映画に魅せられた実に多くの方たちの熱い思いが寄せられていて、管理人としても驚き、また有り難く思っています。
    おかげさまでだいぶ中身も充実してきましたので、記事でロケ地を追体験したり、コメント欄で交流されるなど、ご自由にお楽しみいただければ幸いです。

    それから、山本紀彦さんの情報ありがとうございます。ということは映画では運転席の1カットしかありませんが、実際に現地へ行かれていたのですね。編集で切られたのかもしれませんが……

  130. 居ながらシネマ より:

    イノシシさんから男性遍路と出会う場面のロケ地の最新画像を送っていただきました。
    「男性のお遍路さん」にコメントとともに掲載させていただきましたので、どうぞご覧ください。
    今もなお、映画と同じ建物をいくつか確認できるようですね。なかなか気軽には現地に行けませんので、貴重なお写真、ありがとうございました 🙂

  131. 居ながらシネマ より:

    Katsuzouさんから、コメントがうまく書き込めなかったとのご連絡をいただきました。
    以下メールの内容をそのまま転載させていただきます。
    (皆様へ:もし今後コメントが書き込めないことがありましたら、直接メールやあるいはContactページなどでご遠慮なくお知らせください)

    ========以下転載=======

    katsuzouです。
    コロナ禍の中、お元気で毎日をお過ごしのことと思います。
    今年の四国旅行は、残念ながら社会事情を鑑みまして行くことはできませんでしたが、男性遍路との出会いのシーンが判明したんですね。
    皆さんの努力のおかげで、次々とロケ地が解き明かされていくのを楽しんでおり、また、その場所に行き、撮影し、できれば現地の人々と会話しながら四国を満喫したいと思っております。

    麦わら帽子の購入シーンなんて判明すれば最高なんでしょうね。
    (色々な角度から考察中なんですが、、、)

    イノシシさん、お元気でしょうか。katsuzouです。写真を撮りに行ったんですね。
    工事中であり、また、電灯が付け替えられていたのは残念でしたね。

    今や私の趣味の1つでもある
    「写真で綴る旅の重さコレクション」のため、来年はイノシシさんとと同じように、撮りに行こうと思います。また、それまでに新たな発見があることを祈りつつ。

  132. イノシシ より:

    katsuzouさん

    コメントいただきありがとうございます。三谷遍路と出会うシーンは高岡タケシさんが場所を割り出されたことが大きいです。高知市在住の自分はロードバイクに乗るのが趣味で、コロナ禍が一番ひどいときに「旅の重さ」の撮影場所を色々巡りました。基本的に独りで走りますし日帰りでしたので誰にも迷惑かけることはないと思い…。katsuzouさんが奥様と巡られた深浦漁港は5月に初めて訪問し、その時に12年ぶりに外泊の石垣集落、とらやホテル周辺も訪ねました。その際、写真も色々撮ったのですが、katsuzouさんが撮影され投稿された「映画と同じアングル、同じ画角」の写真で、このサイトの情報としては充分ですね。

    katsuzouさんが割り出されたスコールの中、一夜の宿を借りる漁村や、桃のお接待を受ける三間の辻、旅館いよやがある津島町岩松の情報には感動しました。自分もかなり調査をして全く辿り着けなかった場所です。自分の活動フィールドは高知ですので、高知の景色であれば映画を見てなんとなく分かるのですが、南予となるとほとんど未知の世界となってしまいます。沈下橋といえば四万十川と言う固定概念で考えてしまいますが、それが大洲の肱川にかつて存在していた潜水橋であることを割り出された高岡タケシさんの仕事も実に素晴らしいです。

    高岡タケシさんも高知市に住まわれておられ、3月ぐらいに一度飲みましょうと約束したのですが、仕事でバタバタしていたことと、コロナ過の影響でうやむやになっています。またコンタクトをとってお会いしたいと思っております。katsuzouさんも四国に来られたらぜひご連絡ください。「旅の重さ」のロケ地、不明な場所も数えるほどになってきました。引き続き、よろしくお願いいたします。

    PS:麦わら帽子、購入のシーンってありましたっけ?(汗)

  133. イノシシ より:

    それとここへの投稿ですが入力中に時間が経過しすぎると、キャプチャコードが認識されなくなるようです。10回ほど投稿失敗したら新たなキャプチャーコードに切り替わりますので、それで投稿すると大丈夫だと思います。それか投稿内容を下書きしておいて、それを貼り付けてすぐに投稿するかどちらかだと思います。お試しください。(笑)

  134. イノシシ より:

    ちなみにキャプチャーコードは半角入力のようです。

  135. 赤松 幸吉 より:

    イノシシさま

    「 PS: 麦わら帽子、購入のシーンってありましたっけ?」
    「ありました。」

    3分44秒(列車が少女の横を通り過ぎる後ぐらい)まで少女は無帽で歩いています。

    3分45秒で、少女は「十亀たわし」「ジャンボー(洗剤)」「タイヤ(洗剤)」などが置いてあり、大きな「麦わら帽子」が吊ってある雑貨店の前にいます。
    そこで少女は別の麦わら帽子を(買おうと)手に取り上げようとします。
    次のシーンから少女は麦わら帽を被って歩いています。

    この店屋のロケーションも1シーンだけなので特定するのは難しいですが、前後関係のロケ地から絞れるのではないでしょうか。

  136. 居ながらシネマ より:

    みなさま、コメント入力でいろいろお手間いただいてしまって、申し訳ありません。
    1.受け付けられない
    2.受け付けられてもすぐに反映されない。

    等発生しているようですが、当面コメントの判定はこのままで行きたいと思いますので(実は直し方がよくわからない……)ご了承ください。

    1の場合は、すぐ上のイノシシさんの投稿を参考にしてみてください。それでうまくいかなければ、すみませんが私のメルアドがおわかりの場合はメールでお知らせいただくか、Contactページをご利用ください。
    2の場合、いったん保留あつかいになっていますが、管理人の方では投稿があったことはわかるようになっていますので、内容を確認次第表示するようにしています。だいたいその日の夜には作業できると思いますので、半日お待ちください。

    イノシシさん、投稿がすぐに反映されずすみませんでした。キャプチャーコードのアドバイスありがとうございます。管理人ですと必要ないのでなかなか気づかないんですよね……

    赤松さん、ご無沙汰しています。私もイノシシさん同様麦わら帽子の購入シーンなどあること自体まったくわかっていませんでした。後ほど「未解決」に入れておきますね。

  137. イノシシ より:

    赤松様

    その節はありがとうございました。
    確かに…。
    麦わら帽子を強調している商店のカットがあり、
    その中で少女は帽子のひとつを手にして、
    次のカットは畑に植わったトマトの上から
    麦わら帽だけがのぞいているという2カットで
    麦わら帽の購入が表現されていました。

    考えてみると四万十川の堤防上を歩くカットの後、
    少女の横顔が空を見上げるのは「暑い」を意図したのかも知れません。
    うーむ、こんな短い1カットで
    「麦わら帽購入」を描こうとトライしたそのカット割の妙が
    この作品の魅力なのかも知れませんね。
    何度も見た作品なのに、新たな発見でした。

  138. イノシシ より:

    さらにこのコメント欄の入力についての補則です。
    「居ながらシネマ 旅の重さ」のページにアクセスした瞬間に
    キャプチャコードの有効時間のカウントダウンが始まりますので、
    ページを閲覧した後、そのまま書き込みをしようとしても
    ほとんどの確率で弾かれてしまいます。

    ですので、どこか適当な場所で下書きをした後に
    「居ながらシネマ 旅の重さ」のページにアクセスして貼り付け、
    時間をおかずに投稿すればまず失敗はないと思います。
    その際に、キャプチャコードは「半角」で。
    アルファベットの大文字小文字の書き分けにもご注意ください。

    或いは、キャプチャコードは「F5ボタン」を押すとリロードされます。
    リロード後、時間を待たずに投稿すればすぐに反映されます。
    ただし「F5」を押すと
    それまでに書き込んだ内容が消えてしまいますのでご注意を。
    その場合ページ上の「←(戻る)」キーで再表示されますので、
    コピペした後「F5」を押して、リロードされたページに貼り付けます。
    これでストレスフリーになると思います。

  139. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、いろいろとありがとうございます!
    管理人からログアウトして一般ユーザーとして試してみましたが、確かにキャプチャーコードは使いづらいですね(長い間すみませんでした……)。
    先ほどとりいそぎ「私はロボットではありません」にやり方を変えてみました。
    ロボットでない方は(汗)、そこにチェックを入れてから「送信」してみてください。
    不具合が出なければ、しばらくこれでやってみようと思います。

    チェックを忘れてはじかれてしまった場合(Errorと表示されます)、ブラウザの「戻る」で戻れば、元の文章は失われずにすむと思います。
    とはいえ、先に書いた1,2の問題はまだ残りますので、イノシシさんがおっしゃるとおり、長文の場合は別途エディタやワープロソフトなどで書いておいてから、まとめて貼付けることをお薦めします。

  140. 高岡 タケシ より:

    イノシシ様
    ご無沙汰しております。高岡です。
    ロケ地探訪お疲れ様でした。
    実は ロケ地が判明した後で
    下川口天満宮での三国連太郎さんの入れ墨のシーンで、背中にかけられたタオルに、不鮮明ですが 酒井商店のプリントがあるのに気付きました。
    商店の粗品用タオルと察し、津島町の酒井商店さんが撮影に協力されたのか?四国流のお接待をされたのか?と 想いを巡らせておりました。
    もし津島町の酒井商店さんのタオルなら、撮影時のエピソード等聴かせて頂けるかも知れませんし、撮影ルートが特定できるかもしれませんね。

  141. 赤松 幸吉 より:

    高岡 タケシさま

    よくぞ気が付かれましたね。
    確かに38:03頃、三國連太郎の背中にかけられたタオルに、(裏返しになっているので逆文字になっていますが)「酒井商店」と読み取れます。

    拡大して、鏡を当てて見ていきますと、上には「土佐清水市下川口」と書かれてあり、「下川口」は確認できますが、他は自信がありません。
    どなたか正確に読み取っていただけないでしょうか。

    なお、ネット検索では現在「酒井商店」は「酒井米穀店」となっているようです。

  142. イノシシ より:

    >高岡 タケシさん

    そろそろ「乞食遍路のロケ現場&潜水橋、発見おめでとう飲み会」実施せねばなりませんね(笑)。今回はロケ地探訪というよりも、一度宇和島までロードバイクで旅してみたく、その道中に津島町上畑地を通ったという感じでした。Katsuzouさんが割り出した旅館のある津島町岩松の街も走ってみたかったし、久々に南楽園にも脚を伸ばしました。自分は高知県西部~南予の雰囲気が好きなんですね。酒井商店、よく気付かれましたね。

    >赤松さん

    この推理に関しては赤松さんが的を得ておられると思います。下川口でのロケですので手ぬぐいは地元のお店と考えるのが適当かと。下川口は知り合いもたくさんいますので様々な話を聞けると思います。件のドキュメントに登場する手島区長も自分が四万十市中村に赴任していた際にお会いしたような記憶があります。ですが今も米穀店やら酒店などがありますから、まずこのご一族の関係者と思って間違いないでしょう。

    https://www.google.com/maps/@32.7833074,132.8413638,3a,75y,270.88h,90.75t/data=!3m6!1e1!3m4!1sMLwnqg4g3hlFncBPmkV6FA!2e0!7i13312!8i6656

    あと「俯瞰の三叉路」「棚田」、ぜひ割り出したいですね。ロケ地マップを順繰りにたどっていけば分かるような気がします。棚田に関しては高岡さんが以前指摘された「樫谷棚田」がそれではないかと思うのですが、樫谷棚田保存会に問い合わせたら「違う」と言われましたのでそこで捜査が行き詰っています。あと少女が水浴びするシーンも宿毛市の篠川が雰囲気が似ているのですが、自転車旅の途中で色々と見てきましたが同じシチュエーションの場所は発見できませんでした。

    https://www.google.com/maps/@32.9553734,132.7120789,3a,60y,252.37h,78.19t/data=!3m6!1e1!3m4!1sSxkCaGR6OD8IadFL1g6E4A!2e0!7i16384!8i8192

    「少女が行き倒れとなる橋」ですが、これも盗みを働こうとするばあさんの背景に映る段々畑から、南予地方のどこかであることは確実です。畑は多分「芋畑」だったろうと思われます。ただこの橋は映画に映る物を見ても相当古く、護岸工事や道路改良も含めて現存している可能性は少ないのでしょうね。Katsuzouさんが割り出されたとらやホテル近くの海沿いの道をくまなく走れば割り出すことができるかもですね。印象的なシーンなので気になります。

  143. katsuzou より:

    居ながら様、次々と詳細情報が見られて楽しく閲覧しております。
    旅の重さ聖地巡礼は、ただ画角を調整して撮影することも1つの楽しみでもありますが、
    もう一つの楽しみは、その場所に行き、そう変わらないであろう山の稜線なんかを見たり、
    また、そこにお住まいの方々と話をすることも1つの楽しみなんです。

    今回、高岡様の調査で、
    タオルから判明した、川口の米穀店、
    男性遍路と出会う、山本たばこ店(そうそう、ここにも背景の看板の小屋は酒井酒店ですね)
    を、是非訪問したいと思います。(来夏ですが)

    また、赤いポストの投函シーンも、ダメ元で宿毛市郵便ポスト一覧表(写真あり)で、調べてみようかと、
    思っております。

    麦わら帽子購入シーンも、この宿毛市界隈だと思います。来夏、四国に行けば調べてみようかと。
    それまでに判明すれば幸です。

    それでは、失礼します。

  144. katsuzou より:

    PS,
    そうそう書き忘れておりました。

    イノシシ様、また、愛媛県に行くようなことがあれば、松野町まで
    足を伸ばしてみてください。

    以前、とらやホテルの女将さんのお話をお伺いした折、旦那さん曰く、「愛媛県松野町にも
    ロケをした」と言われていたものですから。

    私も来夏は行こうと思っております。

  145. イノシシ より:

    katsuzou様

    確かに、当時の新聞記事で「宿毛などでロケ」となっていますが、これまで判明しているシーンで宿毛は全くありませんから、麦わら帽子購入シーン、赤いポストの投函シーンは宿毛である可能性もあるかも知れませんね。麦わら帽子を被っていない堤防上のカットは旧中村市ですから、ロケの順番をどのように行ったかが気になります。1972年は四国西部は非常に交通のアクセスが悪かったはずです。瀬戸内から太平洋方面へと順繰りに撮影し、堤防上のカットがラストカットに近かったのではと思われるのですが…。

    とらやホテルでの「松野町でロケをした」の証言の信憑性も気になりますね。

    「棚田」なのか、「俯瞰の三叉路」なのか、「麦わら帽」なのか、「ヤギのいる草むら」なのか、「ヘビに驚いて逃げた道」なのか、「ポスト投函」なのか、「ポストに投函したあと休憩したクモの巣のある草むら」なのか、「水浴びした川」なのか…。

    まだまだ謎が多いですが、katsuzouさんの調査能力には適いません。ぜひ色々とご教示ください。

  146. 赤松 幸吉 より:

    イノシシ さま

    「麦わら帽子購入、赤いポストの投函シーンは宿毛(高知県)である可能性」はまずないと信じています。

    私がそう信じている理由として、斎藤耕一監督が撮影に入る前、どこかにこの映画は「ロケ隊も少女と同じく四国を旅していく」と強調しているのを読んだことがあります。

    愛媛県 → 高知県と少女の足取り通りに撮影隊も移動していく、これが斎藤監督のロードムービーの信念・信条であったはずです。

    そのため、「棚田」、「俯瞰の三叉路」、「麦わら帽」、「ヤギのいる草むら」、「ヘビに驚いて逃げた道」、「ポスト投函」、「クモの巣のある草むら」、「水浴びした川」はすべて愛媛県でロケされたものだと思います。

    「宿毛、松野町でロケ」という証言(新聞記事も含めて)はあながち嘘や思い違いではないと思います。映画というものは各ロケ地でフイルムに収めたものを編集時に大幅カットし、実際にはそのシーンは使用されないことが多いからです。

    予告編を見ると本編には登場しないシーンが何か所か見られますし、また、映画にはないシーンがスチール写真や宣材にもあちらこちらに見られます。
    カットされた部分はここらで使用しているかもしれません。

    ちなみに、予告編も素晴らしいですね(誰も指摘していないですが)。

    「さよなら ママ  さよなら 学校 さよなら ブルーな毎日~」
    「自由になるんだ 解放するんだ 18才の私自身を~」

    素九鬼子さんの原作にはこれらの詩的な表現は一切ありません。
    実に名文でいったい誰が書いたのだろう?

  147. イノシシ より:

    赤松 幸吉様

    映画のロケ日程がどうであったか。
    映画の最後のシーンは旧西海町と城辺町ですから
    土佐清水市の下川口から言うと大きく戻ります。

    あと、麦藁帽子のシーンですが、
    ほとんどのシーンを撮り終わった後、
    「麦藁帽子を買うシーンを作ろう」となったのかも知れません。

    例えば高橋悦史さんとのシーンを取り終えた後、
    高知県入りして旅役者のシーンを撮影するスケジュールだった場合、
    三國連太郎さんらが合流する先は宿の手配の関係からすると
    旧中村市が街の規模からして都合が良い気がします。

    新キャストが到着するのを待つ間、「歩きシーン」を追撮しようと考え、
    四万十川堤防で麦藁帽を買う前の「歩きシーン」を撮影。
    そのカットを取り終えて、麦藁帽子をかぶせ、
    「橋の上を歩くシーン」を撮影となったかも知れませんね。
    ですので麦藁帽を買うシーンは
    ひょっとすると中村市だったかも知れません。

    そう考えると、中村市街地近郊には
    四万十川の「佐田の沈下橋」が1972年に完成しています。
    橋を渡るならそっちの方が絵が良いわけですが、
    「沈下橋(潜水橋)」は大洲で撮影済みなので、
    中筋川に架かるあの小さな橋を選んだ理由も納得できます。

  148. 赤松 幸吉 より:

    イノシシ様

    貴説は納得しました。やはり、実際、四国に住んでいる人の土地勘には敵わないということでしょうか(ただ、さらに調査してみる必要はあるでしょう)。

    予告編で本編には登場しない南四国の風景、「少女が寝そべる堤防」(0分49秒)、「夕陽の堤防の少女」(0分51秒)、「少女が立っている岸壁(2分14秒)」、「青空と雲の下の少女」(3分0秒)はいったいどこでしょうか。

    土地の人ならカンで推測ができるのではないでしょうか。予告編に使用されているなら、撮影隊は必ずその場所を訪れたはずで、本編のロケ地の特定に少しのヒントを与えてくれるかもしれません。

    予告編のロケ地も特定できましたら、また教えてください(こういったからと言って、律儀なイノシシ様のこと、決して無理をなさらないでくださいね、老人のたわ言など、無視してもらっても全くかまいませんので)。

  149. イノシシ より:

    赤松様 半分はすでに解き明かされています。

    「夕陽の堤防の少女」(0分51秒) ⇒これは西海町の鹿島ですね。
    「少女が立っている岸壁(2分14秒)」⇒これは岸壁ではなく大月町大堂海岸の展望台です。

    「少女が寝そべる堤防」(0分49秒)⇒天気が下り坂なので明浜周辺でしょうか?
    「青空と雲の下の少女」(3分00秒)⇒これはさすがに特定は難しいです。ある意味どこでも撮影できますが、ここと近似したシチュエーションの道が映画本編に登場しません。強いて言えば天気が良いので、旧嵐坂隧道へのアプローチかも知れません。

  150. 赤松 幸吉 より:

    イノシシ様

    情報提供ありがとうございました。
    確かに、居ながらさんの記事や皆さんのコメントを読めば、このブログですでに特定されています。
    「旅の重さ」のページは中里介山の『大菩薩峠』かプルーストの『失われた時を求めて』に匹敵するほどの「総量」になっており、高齢者(の目に)はすべてを読み通すには少し辛いです。
    「旅の重さ」というより「目の重さ」でしょうか。
    でも、読み返すたびに新しい発見があって楽しいです。

  151. イノシシ より:

    赤松様

     「居ながらシネマ」というこのサイトはピックアップされている作品の数も膨大で、そのほとんどが海外作品という特異なものだと思います。その中のONE OF THEMである「旅の重さ」ですが、地味な作品なのになぜか心の琴線に深く響くものがある不思議な映画です。

     自分もその情報が欲しくて数年前ここに辿り着いたわけですが、そもそもの出発点は赤松さんがアーカイブされていたシネマ紀行ほか2種類の番組だと思います。そしれ謎解きの一部に参加できたことは嬉しいですし、そのきっかけを与えてくださった赤松さんには感謝です。

     自分はここ数年、50歳を境に新たな趣味としてロードバイク(自転車)に乗り出しましたが、一日120kmほどを走る中で、そのルートにこの映画のロケ地を組み入れたり旅の楽しさが倍増しています。まだ未解明の場所で発見の可能性があるのは「棚田」「俯瞰の三叉路」「水浴びした川」ぐらいかと思いますが、その謎解きに苦しむのも「旅の重さ」ですね(笑)

    引き続きよろしくお願いいたします。

  152. 居ながらシネマ より:

    赤松幸吉さん、中里介山です(笑)
    長すぎますよね、このページは。ルナールの博物誌の蛇です。
    本文だけでなく皆様のコメントも膨大なものになっていて、全体が把握しづらくなっていますよね……
    私も老眼がかなり進んできていて目薬さしながらこつこつ作業していますが、なんとかならないかと考えているところです。
    何かわかりやすい表示のアイデアなどありましたら、ぜひお寄せください。できるだけ対応させていただきます。
    パソコンの画面は疲れますから、どうぞ休み休みご覧になってくださいね。

    イノシシさん、予告編の整理ありがとうございます。こちらでも整理して本文の方に反映させていただきますね。
    地元を知り尽くした方がさらにロードバイクで丹念に走査というのは、とても心強いです。
    どうぞお気を付けて、無理なさらない範囲で、また何か判明しましたら、ぜひご報告ください!

  153. イノシシ より:

    ポストですが、背景に映る「ますや家具店(宿毛市)」は現在も現存しています。

    https://www.google.com/maps/@32.9365406,132.7280193,3a,75y,188.79h,100.97t/data=!3m7!1e1!3m5!1sBvLEambAf-f4r1hYd7qeJA!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DBvLEambAf-f4r1hYd7qeJA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D215.82103%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i16384!8i8192

    このますや家具店の商圏ですが、四国西南部は1972年ごろを考えると北は御荘、西土佐あたり、東は中村あたり、南は土佐清水ぐらいまででしょうか?ホーロー看板の設置はそういう会話ぐらいまでだったかも知れません。断定はできませんが、その頃の筒状の郵便ポストは郵便局(簡易郵便局含む)とセットになっている場合が多かったような気がします。ですので背後地が山の斜面、山際の道路に面した郵便局を探せ、赤いポストのロケ地が割り出せるかもしれません。

    あと気になっているのですが、「俯瞰の三叉路」で少女はある民家の玄関に入ろうとします。あれはどういう演出意図なんでしょう?道を尋ねるなら家の前で水巻きでもしている人に尋ねたほうが自然と思いますし・・・。結構長いカットなので何を描こうとしたのか謎です。

    麦わら帽子を買うお店(20/9/16追記)
    0:03 「堤防の道」に続くアップの後、洗剤やたわしを売っているお店。
    ポスト
    0:05 蛇から逃げ出すショットの直後。なつかしい赤いポスト。
    ・高岡タケシさん コメント欄(2020年1月27日 22:02) 「ちなみにポストに投函するシーンでバックに映る黄色い看板は、高知県宿毛市のますや家具店さんの看板です。」
    男性のお遍路さん
    0:11 三谷さん演じる男性遍路との一コマ。  ⇒ 2020/02/16 解決
    棚田
    0:17 札所の直後の俯瞰ショット。2人連れの女性遍路とすれ違う。
    水浴び
    0:17
    三叉路
    0:18 隧道の直後。棚田が印象的な俯瞰図。
    橋の下
    0:54 行き倒れになりかけた橋の下

  154. 高岡タケシ より:

    イノシシ様
    そろそろ(旅の重さを語る会)開催したいですね。
    ますや家具店さんの商圏については私も同感でして、琺瑯看板の宝庫 旧国道を徹底的に探索しております。
    俯瞰の三叉路ですが、KATSUZOU様の松野町情報を手掛かりに探索しておりまして、下記の場所にたどり着きました。

    〒798-2106 愛媛県北宇和郡松野町大字目黒 県道8号付近

    指定した地点
    〒798-2106 愛媛県北宇和郡松野町大字目黒 県道8号付近

  155. イノシシ より:

    高岡タケシ様

    ごめんなさい。先ほどの投稿、書きかけのものを誤って投稿してしまい管理人さんに削除をお願いしようと思っていたところでした。後半のコピペがそのままですし、誤字・脱字が多くて申し訳ありません。

    「旅の重さを語る会」ぜひ開催しましょう。ご都合の良いときを私の携帯アドレスまでご連絡いただければいつでも歓迎します。

    さて目黒ですか。宇和島から西土佐江川崎までは、昭和28年に宇和島線が開通していて、結構早くから陸路が整備されていますね。判明している撮影のルートからは大きく外れていますが、可能性がないとは言えないですね。

    予告編に登場する大堂海岸も、つい15年ほど前までは辿り着くのも大変な場所でしたし外泊の石垣の里までも非常な悪路だったと思います。情報の少ない当時にそれらの場所を探し当てているので、相当綿密なロケハンをやった可能性もあります。以布利の尻貝の浜を探し当てたということは足摺岬も見た上でロケ地から外したのでしょう。高岡さんの調査力はハンパないので楽しみです。

  156. 高岡 タケシ より:

    イノシシ様
    こちらこそマップのURL 貼り付け出来ていませんでした。
    正しくは目黒217です。
    よろしくお願いします。

  157. 赤松 幸吉 より:

    イノシシ さま
    ***「俯瞰の三叉路」で少女はある民家の玄関に入ろうとします。あれはどういう演出意図なんでしょう?道を尋ねるなら家の前で水撒きでもしている人に尋ねたほうが自然。***

    あまり気に止めなかったシーンですが、「家の前で水撒きでもしている人」はどこに映っているのですか、それとも例えだけのお話ですか。

    少女は手に地図のようなものを持っていて、道に迷ったのか何度もそれ見ています。
    三叉路にたどり着き、宇和島(八幡浜)方面へは右、左どちらに進んだらよいかを知るために、三叉路の真正面にある民家に道を聞きに入ったと思われます。

    道を教えてもらったので、少女は家の人にお辞儀をしています。

    「旅の重さ友の会」、高橋洋子さんを呼べたら最高でしょうね。

  158. イノシシ より:

    高岡様

    拝見しました。似たシチュエーションですがカメラの置き位置に苦労しそうですね(笑)。先日司馬遼太郎の「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」を読んだのですが、その中に「かつて花神の取材のためにここを通ったときは法華津峠を越えるしかなかった」とありました。「旅の重さ」一行は長浜~大洲の撮影のあと、ルートから言えば八幡浜へ向かったと思われます。その後、旧宇和町(西予市)で冒頭の田園シーンを撮影。その後、明浜の俵津で一夜の宿を借りるシーンのそのルートの途上に、この法華津峠があります。この旧峠道を越える際、眼下に「三叉路」を見つけた可能性はないでしょうか?当時の移動ルートの途上の必然性に、この映画に登場するシーンが転がっていそうな気がします。松野町はちょっと遠いなあと思うのです。

  159. イノシシ より:

    赤松様

    例えのお話です。
    2又に別れているのでどっちに行くか迷った。
    丁度その家の玄関が影になっていて見えづらいので、
    自分が監督なら、その家に住む人に家の前に出てもらい、
    水でも撒いてもらっていて、そのシチュエーションで
    たまたま出会った体で道を尋ねさせたかなと思ったのです。
    地図を見ているかどうか識別できるかどうかが分かれ目ですね。
    今度、Blu-rayで見直してみたいと思います。
    「旅の重さ友の会」、高橋洋子さんを呼ぼうかと
    連絡先を探してみましたが、
    元々いらした事務所には名前がありませんでした。
    でも本人は「ロケバスに乗ってただけなので」とおっしゃるでしょうね(笑)

  160. 高岡 タケシ より:
  161. イノシシ より:

    高岡様

    これはすごい。ご本人も「旅の重さ」をまだ現在進行形で心に抱えていることが分かりました。このトーク&ライブ(ギターも弾くんですね)は代官山などではなく、ぜひ四国で行って欲しいですね。地元で組織を作って寄付金を募れば実現できそう。ご本人さんにもこのサイトを覗いていただければ嬉しいですね。

  162. ミズマ より:

     高橋洋子さん演ずる少女に憧れて、家を飛び出したのが17歳の時でした。あちこち長い旅を続けて、今南予地方に住んでおります。(^^)/ ずっと何処でロケしたのか気になっておりました。熱心に調べている方がおられて嬉しいです。

  163. 居ながらシネマ より:

    ミズマさん、コメントありがとうございます。このサイトの管理人のinagaraです。
    「少女に憧れて、家を飛び出した」とはまた凄いお話ですが、それだけ映画の少女が魅力的だったのでしょうね。
    このページは熱心なファンの皆さんが集う場所となり、私はメンテナンスだけで精一杯となっていますが、よろしかったらまたいつでもお立ち寄りいただき、皆さんと交流していただければうれしいです。

  164. ミズマ より:

    inagaraさま、ご返信ありがとうございます。(__) この映画は中学校の推薦映画でした。多感な時期に観たことによって、脳内に刷り込まれたのでしょうね~(笑) 

  165. KATSUZOU より:

    仕事が、ひと段落し、久しぶりに、
    サイトを見ました。
    『旅の重さを語る会』、
    いいですねえ、コロナ禍のなければ、
    四国に行きたいなぁ。
    なにぶん、パートナー(妻)は、
    動いては、皆んなに迷惑をかけるので、
    ダメ出しを、食らっています。
    遠出は出来ませんが、落ち着いたら、
    行きたいですね。

    皆さんの努力の結果で、
    ロケ地が、判明して、写真一枚を、
    全力で撮る(他力本願)。
    また、関係者を割り出して、お話を聞く事が、何よりのお酒の肴になりますしね。

    写真的には、三叉路ですよね、
    前半にもシーンで出てくる、田んぼの中の
    木製の電柱、絵的にも、素晴らしい、
    シーンですね。是非一枚、
    抑えたいですが、現在では、なくなってしまった風景でしょうね。

    皆さん、よろしくお願いします。

  166. イノシシ より:

    KATSUZOUさん

    自分はKATSUZOUさんが割り出した「お接待を受けた三叉路」「雨宿りで一夜の宿を乞うた漁師の家」。この2件の調査能力には簡単しました。あと津島町岩松の旅館。「棚田」や「俯瞰の三叉路」、「赤いポスト」など判明できたら楽しいでしょうね。こちらはいつでも高知にいますので機会があればお会いしましょう。お体大切に。

  167. 居ながらシネマ より:

    管理人より更新のお知らせです。
    イノシシさんが連休中に自転車で回られたとのことで、ロケ地の現在の様子をメールと画像で知らせてくださいました。「通過する列車越しのショット」が新しい項目で、「トマト」「沈下橋」に追記してあります。
    イノシシさん、お疲れ様でした。情報と画像ありがとうございました!

  168. katsuzou より:

    居ながらシネマ様、イノシシ様、
    大谷踏切、載せていただき、ありがとうございます。2年前、暑い夏の最中、
    三脚を立てて、汗だくで電車を待った事を思い出しました。
    踏切の撮影後、埋立地(未舗装道)を歩くシーンの再現写真の時、次の電車が来なくて1時間近く待った事(トラブル発生、駅員さん聴取)など、懐かしい限りです。

    また、居ながらシネマ様、
    『少女が寝そべる堤防』なんてなすが、
    そこは、少女が、一夜泊めてもらう漁師の
    家の横の堤防で、小さな船の引揚場所があった所だそうです。但し、
    明浜町のご高齢の人にDVDの表紙の写真や、映画のカットを見てもらうと、
    (100%ココや、とは、わからんけど、
    多分埋め立てる前の堤防やとおもうけどなぁ、昔のことやから)と、仰られましたので来年あたり、また、確認に行こうと
    思っています。
    まぁ、楽しみの一つですね。

    大阪はコロナ禍、
    コロナが、落ち着かないと、動けないのですが。

  169. イノシシ より:

    管理人様、写真と記事のアップロードありがとうございました。当方、趣味でロードバイクに乗っておりまして3連休とGOTOキャンペーンをフルに利用し、高知市の自宅から松山市~伊予市~長浜町~大洲市~西予市~宇和島市~三間町~鬼北町~松野町~四万十市西土佐~四万十町窪川と走ってきました。途中雨に降られ西予市卯之町から宇和島までは輪行(ロードバイクをバッグに詰めて列車に乗る)したりもしました。総走行距離は3日間で約300kmと大したことはありません。ですが南予は坂また坂。心が折れそうな坂が連続しており、強いて言えば街と街の間にはほとんど、峻険な峠があります。お遍路さん泣かせの峠の連続で、ましてや「旅の重さ」ロケ時には現在と比較にならないほど道路事情が悪かった筈です。今回の旅では残念ながらスケジュールの都合上、八幡浜には立ち寄れませんでした。この時期、ロードバイクの移動は日暮れとの戦いです。また大き目のカメラも持ち歩けず、スマホでの撮影となったためベストな状況での写真は撮れませんでした。

    今回大洲市から西予市に向かうために鳥坂峠というとても厳しい峠を越えましたが、映画のロケのルートでは鳥坂峠は越えず、昭和46年5月に開通した夜昼トンネル(もしくは旧道夜昼峠)を超えて八幡浜に向かったものと思われます。その後、双岩を経て宇和町(現西予市宇和町)に出たと思われます。そうでないとあまりにも移動の効率が悪くなります。またこうしてルートを考察するに、やはり「棚田」のシーンは高岡タケシさんが以前指摘されていた樫谷棚田がロケ地として無理がないようです。大谷踏切の撮影場所から道を上に上がっていけば、樫谷棚田があります。樫谷棚田を南側に降りると大洲市に降りますので、沈下橋などのロケ地に直結します。

    不思議なのは宇和島市街地でロケを行わず、八幡浜市街地をチョイスしたこと。明浜町でのロケもルート的にも激しい山越えがあり大変そうです。2020年11月22日の朝にはNHK BSPで「よみがえる新日本紀行 南伊予(昭和42年制作)」がたまたま放送され、録画を仕掛けて出かけました。帰宅後見てみると、「旅の重さ」ロケ時と近接した時代の南予の様子が克明に記録されており、外泊などロケ地と同じ場所も紹介されていました。どっぷりと「旅の重さ」に浸れた三連休でした。

  170. イノシシ より:

    katsuzou様

    埋立地、katsuzouさんも同じ場所でと目をつけておられたのだったらここで間違いないですね。自分は列車を待っていたら宇和島に到着するのは無理とあきらめました。もっとも夕焼け小焼けラインで自転車の前輪がバーストし、チューブ交換にも時間をとられました。1972年には鉄道は地域住民の主要なライフラインだったはずで、列車の本数も現在とは比較にならないぐらい多かったんでしょうね。自分もここ、真夏に行きたいです。

  171. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、すみません、追伸でいただいた画像をアップしそこねていました。
    これは「<うわじま>に抜かれるショット」でよろしいんですよね?
    というわけで、皆様、本日は以下更新致しました。

    ・新規項目:「通過する列車越しのショット」
    ・追記:「<うわじま>に抜かれるショット」 「トマト」「沈下橋」

  172. イノシシ より:

    管理人様

    「<うわじま>に抜かれるショット」についてはkatsuzouさんが2019年に撮影された際の写真がすでに掲載済みですので消していただいても(掲載しなくても)大丈夫です。おまけ的に添付したものですので。同じアングルの画像はGoogle SVをクリックすれば見られますし。katsuzouさんの写真の方が列車待ちをされていることや、季節も映画本編と同じであることなど数倍上質です。情報量の多い当サイトですので整理していただいても良いかなと思っています。多分katsuzouさんも同アングル、同画角の写真を撮りながら情報過多を避けるため投稿されていないだけだと思います。

  173. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、掲載がOKならこのままにさせてください。
    引きの画像があった方がわかりやすいですし、SVって時間が経つと更新されてあらぬ場所を示していたりして当てにならないことがあるんですよ。
    (なので最近は座標の数値を併記するようにしています。これは不動なので)

    この場所も最初に記載してから足かけ7年ですね。私はマップをぐりぐりするだけでしたが、実際に現地へ足を運んで撮影した画像を提供してくださった皆様に、感謝感謝です。

    記事が肥大化しているのはそれはそれでなんとかしなくてはなりませんが、ちょっとあれこれ作戦練ってみます。

  174. イノシシ より:

    管理人様

    掲載自体はまったく差し支えはありません。自分はKatsuzouさんのようにこだわりをもって映画のフレームを再現されているものが好きなので、なにやら申し訳ないと思い・・・。すでに掲載されている記念写真的なものに関しては投稿された方には申し訳ないですが、「もう一歩踏み込んで知りたい人のために」的な感じで折りたたみの対象にしても良いかも知れませんね。

    自分も今回Katsuzouさんが掲載されている三間の龍光寺や田んぼの中の木、桃のお接待を受けた三叉路にも足を運び、写真も撮影しましたが、Katsuzouさんを超える発見はありませんでしたのでお送りしていません。龍光寺の石段も同画角を撮影しようと思いましたが、民家の敷地や2階に上がらせてもらわねば再現できそうになかったため諦めました(笑)。龍光寺は映画撮影時には大師堂の裏側が森だったようですが、現在はその森は全て伐採され、日当たりが随分良くなっています。

    現地に足を運んで分かることはたくさんありますね。タイトルバックの列車を絡めたシーンは「夕焼け小焼けライン」で様々なカットを試行錯誤していることが分かりましたし、望遠レンズを使った絵作りの妙も勉強になります。樫谷棚田にも行きたかったですが、季節が稲刈りが終わったばかりであることや、海岸線沿いの0m地帯から一気に標高500mまで上がらねばならなかったため断念しました(笑)。車で行けばよいのですが「旅は自転車」と決めており、ハードルが高かったです。

  175. katsuzou より:

    居ながらシネマ様、

    赤松様の立ち上げで本当にボリュームの多い旅の重さファンの集いに、このサイトの新人として、私自身喜んでいます。
    管理人様の苦労は別として、
    (すみません)。

    昨年より、赤松様からのプッシュで、
    パーマネントブルーの下調べを現地まで行き、下調べを行なっていたわけでありますが、コロナでポシャりました。落ち着いたら、再開したいと思っております。

    また、明日、四万十川と予土線の写真を撮りに、四国に入ります。
    『堤防で寝るシーン』の確認も出来れば平行で行いたいとおもっております。
    イノシシ様が、撮られた男性遍路のロケ地も、尋ねようと思っており、
    たばこ屋さんとも、お話が出来れば幸いかなぁ、と、思っております。 

    イノシシ様、
    私どものような拙い写真を、お褒めして下さいまして、誠に有難うございます。
    (褒められると木に登るタイプですので。)
    龍光寺の階段の撮影なんですが、高い位置からの撮影と書かれていましたが、反対に
    少し左に寄り、低い位置からの(立ち位置よりも)撮影が、良いと思われます。
    機会があれば、挑戦して下さい。ただ、
    左の樹木、入りますのでオートファカースは避けて、マニュアルフォーカスを、お勧めします。ボケ味が、綺麗と思います。

    明日、久しぶりに四国入りですので、
    楽しもうと思っております。

    居ながらシネマ様、
    イノシシ様、
    グダグダ投稿してしまい、すみません。

  176. イノシシ より:

    katsuzou様

    龍光寺の石段、仰せのとおりのやり方でやってみましたがどうもポジションがつかめませんでした。左の葉っぱのフォーカス加減も挑戦してみましたが中々難しかったですね。石段の角度も違います。映画ではそのカットもおそらく望遠かと。ところで四国にこられるならぜひ高知市にも足を伸ばしてください。私の連絡先は管理人さんに聞いてもらえれば分かりますので。もし可能なら高岡さんにも声をかけてみます。

  177. katsuzou より:

    居ながらシネマ様、
    イノシシ様、
    おはようございます。
    今朝の3時に、大阪を出発して今、
    四国、明浜に来ております。

    イノシシ様、お誘い、誠にありがとうございます。今夜あたりにもお会いしてお酒でも飲み交わしたいところなんですが、
    ご存知の様に大阪はコロナ禍で、規制がかかるほどの状態です。もし万が一、大阪から来た人と接触し感染でもしたら、
    それこそ大変なご迷惑をお掛けすることになりますので、今回は、お会いする事は、
    避けようと思っております。
    誠に勝手なんですが、
    申し訳ございません。(楽しみは後に取っておくと、言うことで)

  178. イノシシ より:

    katsuzou様

    大阪を朝3時に出発して午前10時前には明浜とは、中々すごい行動力。車だと早いですね。自転車では高知からでも2日がかりでした(笑)。新型コロナ、うざい案件ですね。去年までなら、そんなことに斟酌する必要など一切なかったのに。残念ですが四国の旅、楽しんで下さい。いまは丁度みかんの季節ですしね。

  179. ミズマ より:

    よみがえる新日本紀行 南伊予 YouTubeにアップされています。

  180. 居ながらシネマ より:

    ミズマさん、ありがとうございます、見ることができました。
    映画の5年前ですからほぼ同じ頃の景色ですね。人々の様子など自分にとっては(場所は別でも)懐かしい昭和の光景も見られました。イノシシさんも最初の情報ありがとうございました 🙂

  181. ミズマ より:

    居ながらシネマ様、お役に立てて幸いです。偶然にもロケ地の南予に住むことになりましたが、いまだに皆様の見つけられた撮影場所を訪ねることができません。物語を完結させることになりそうで。

    良いお年をお迎えくださいねー。

  182. Bill McCreary より:

    前にもご紹介した「ラピュタ阿佐ヶ谷」で、高橋洋子の舞台挨拶があるとのことです。

    http://www.laputa-jp.com/laputa/program/saitokoichi/

    私が電話したところによると、現段階通常通りの営業をしているとのことですが、ただ予定されている6月12日はどうなるかですね。いまのところは未定くらいに考えたほうがいいかもし4れません。高橋さんも、最近そんなに芸能活動をしているわけでもないようですから、もし挨拶が実現したら貴重な機会ということでしょう。私も可能なら参加します。なおこちらでは、以前仲代達矢のトークショーがあり、仲代氏とはお話、握手などはできませんでしたが、岡本喜八監督の『殺人狂時代』の上映でしたので、岡本夫人、岡本監督の娘さんも会場に来ていて、岡本夫人とは握手もしていただいたこともいい想い出です。

    以下余談です。私も貴サイトを閲覧して(特に『残された日々』の例の給水塔の発見に感激して)ロケ地探求・調査に熱心になった人間ですが、特に刑事物とか特撮物、戦隊物のようにロケ地が多いドラマのファンにそういう方が多いのかと思いますが、その人たちの調査能力、熱心さには頭が下がるというより絶句します。このハッシュタグはすごいですね。

    https://twitter.com/hashtag/%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E3%82%82%E5%88%86%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%A0%B4%E6%89%80%E3%81%AF%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AB%E6%8A%95%E3%81%92%E3%82%88%E3%81%86?src=hashtag_click

    私も相当な馬鹿ですが、私はせいぜいネットに上がった情報を検索しまくるのと現地にいって写真を撮るくらいですから、未知のところからの調査をされる方々(もちろん居ながら様をふくみます)には本当に敬服します。

  183. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
    これはこの映画や高橋洋子さんのファンにとってはとてもうれしい情報ですね。東京の感染状況次第でしょうか。実現に向けてぜひ状況が収まってほしいものです。
    それにしてもあらためてこの斎藤耕一監督特集は見事に網羅されていて、一気にタイムスリップできますね。貴重なラインナップで本当は一通り見ておきたいのですが……
    (ついでに、今月日本映画専門チャンネルで『無宿』放送されますが、高画質では持っていないので、ぜひ録画しておきたいです)

    それから、特撮ファンのツイッターのハッシュタグ、これまたすごいですね。自分はとうてい特撮マニアのみなさんにはかないませんので、できるだけかぶらないような対象を追究してみたいと思っています。
    その点『残された日々』の給水塔に注目していただけて、とても嬉しいです。これは密かに自分の中で「よくやった自分」と自画自賛している物件のひとつでして 😉
    記事でも書きましたが、確か高画質版を見ることができて、背景のゴルフ場に気づき、それが手がかりとなって見つけたのだと思います。
    一般的に、そうした周辺の情報をいったん脳内に整理しておいてからマップをぐりぐり動かしていると、いつしか神様が降りてくるといいますか、ハッと一瞬視野が広がったような状態になって、見つけられることが多いような気がします。
    きっと優れたアスリートたちの「ゾーンに入る」とはこのことかと思われます(アホか)。

  184. イノシシ より:

    高知県東部・安田町にある大心劇場という小さな映画館で2021年6月5日(土)から6月12日(土)までの一週間、「旅の重さ」が上映されます。高知も新型コロナの特別警戒期間に入るため無事上映できるかどうか分かりませんが、昭和の香りがそのまま残るこの劇場で「旅の重さ」をぜひ見てみたい。ちなみに大心劇場はデジタル化が一切されていないため、正真正銘のフィルム上映となります。館主の小松さんは私の古くからの知り合いです。

    http://wwwc.pikara.ne.jp/mamedenkyu/

  185. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、コメントありがとうございます。
    先にBill McCrearyさんが知らせてくださった東京での上映と同じ週というのが偶然の一致にしてはぴったりすぎますね。

    劇場のサイトを拝見した上でストリートビューで見てみましたが、まさかここに映画館が??……と思わずマップを二度見してしまいました。
    まわりはみんなシネコンみたいになってしまっているので、こういう個性的な劇場は本当に貴重です。映画鑑賞後カフェで川を眺めながら一服するのも良さげですね。
    今回はコロナ禍で移動が難しいですが、いつかは訪れてみたいと思いました。
    劇場主様とはお知り合いとのことで、上映のご成功をお祈りしております。

  186. イノシシ より:

    居ながらシネマ様

    「大心劇場」はすごい存在です。今や都市部にも単館そのものがあまりないのでこうした劇場を見つけると嬉しくなりますね。四国ですと徳島県脇町のオデオン座(旧脇町劇場)も「虹をつかむ男」の上映がきっかけで名所となって残っている場所もあります。

  187. 居ながらシネマ より:

    オデオン座は『虹をつかむ男』で知りましたが、こちらも一度見学してみたいところです。
    拙サイトのトップ画像は台湾の九份ですが、こちらも映画がきっかけで注目され観光地として蘇ったわけで、映画好きとしてはこういう展開は嬉しいですよね。
    『虹をつかむ男』はもう西田敏行さんの演技が凄すぎてその印象ばかり強いです。
    『かくも長き不在』の熱烈プレゼン?など見ものでしたが、いざ劇場にかけてみるとお客さんの評判が散々で、ラストネタバレまでされちゃっているのに『かくも長き不在』可哀そう、とか思ってしまいました(しみじみ良い映画なんですけどね……)。
    あと、上島竜兵さんと西田さんのツーショットがお二人そっくりで、これもウケました 🙂

  188. イノシシ より:

    居ながらシネマ様

    トップ画像は九份だったんですね。まったく気付きませんでした。九份が有名になるきっかけとなった「非情城市」は独特の味わいのあるよい(内容は悲劇ですが)映画ですね。まだ台湾が自由国家となった黎明期の作品で、過去の国民党政府の横暴を表現できるようになった初期の作品です。映画の中にはそれほど九份の町並みが描写されているわけではなく、九份の高台から見た基隆の港町の遠景が印象的でした。今はなぜか「千と千尋の神隠し」のモデルになったという根拠のない噂で、阿妹茶楼が大人気みたいですね。台湾映画では霧社事件を描いた「セデック・バレ」も素晴らしい作品だと思います。

  189. 居ながらシネマ より:

    サイト全体が地味な配色なので、トップ画像などどなたも気づかないと思います(笑)。
    『セデック・バレ』もすごい映画でしたよね。
    日本人から見るといろいろしんどい場面もあって、同じ監督さんの『海角七号』の方がとっつきやすかったかもしれませんが、どちらの映画もいろいろな思いがぎゅっと込められていて、それを解きほぐすためにも、そのあたりの歴史を勉強したくなりました。

  190. イノシシ より:

    台湾の人々は国民党軍の圧制で80年代末まで戒厳令下にあり、また汚職もはびこっていたため、統制の取れた日帝時代を懐かしむ風潮が強かったと思います。また日本人が整備した鉄道や上下水道、農業技術、治水技術に感謝もしており、そのひとつに言い方は悪いですが蛮族の統制もあったと思います。霧社事件が発生した時代は山間部での首刈り被害が頻発していた時代と遠くない時代でもあり、原住民支配下にある山中の開発は難しい状態でした。そうした原住民に対して近代的な生活文化や教育の普及は必要だったと言う認識は台湾人共通のものとして一定もたれていると思います。日本語の強制や各地に日本的な神社を建てるなど、現代の目線で見ると日本のアジア支配はどうかと思う部分はありますが、キリスト教の布教による世界侵略の歴史にもあるように、帝国主義とはそういうものであったと思います。またその時代に対する解釈が韓国と台湾で大きく異なっている点も興味深いと思います。

  191. 居ながらシネマ より:

    もはや『旅の重さ』と全然関係ないような(笑)……『セデック・バレ』や『海角7号』は一応コツコツ下書き書いてはいるのですが、じっくり鑑賞すると歴史的なことも含めていろいろ気づくことがあってキリがありませんね。映画論などやるつもりはないので気楽にアップしようとは思うのですが。
    それに、台中や台南は行ったことがないのでどうせなら一度訪れてみてから……と思っているうちに昨今の情勢となってしまいました。

  192. イノシシ より:

    自分は「海角7号」見たことなかったのでDVD入手しました(笑)。時間があるときにじっくり見てみたいと思います。最近は大島渚の「少年」のロケ地を探してみたりしています。高知のロケ地だけですが・・・。あと昨日も「旅の重さ」の土佐清水市のロケ地周辺をチャリ旅していました。旅回りの一座が下川口の町を宣伝のために練り歩いた場所を判明したかったのですが、日暮れが迫っており断念。そしてちゃんとしたカメラを持っていかねばなあ・・・と思った次第。ロケ地めぐりは車でないと難しいですね(笑)

  193. 居ながらシネマ より:

    DVDわざわざすみません、お気に召すと良いのですが。
    『少年』は全国各地が登場しますので、拙サイト的にはいつかとりあげてみたいですね。
    イノシシさんには以前このエントリーで『パーマネント野ばら』の撮影地をご紹介いただきましたが、他にもご当地で撮影された映画でなにかお好みのものがありましたら、ぜひご紹介ください。
    自転車でのロケ地巡りも、どうぞお気をつけて。
    ここに集うファンのみなさんは、なかなか現地へは行けないと思いますので、すでにレポート済みの場所でも現況をまた伝えていただければ嬉しいお便りになるかと思います。

    GWの頃でしたか、『岩合光昭の世界ネコ歩き』で「四万十・土佐清水」が登場し、いきなり四万十川にかかる沈下橋とネコ様が登場して、思わず身を乗り出していまいました。このエントリーで何度も沈下橋をチェックしたおかげで、どこだかすぐにわかり、ストリートビューを開いてちょっと旅した気分になりました。 😀
    あまり関係ありませんが、「世界ネコ歩き」もこのところすっかり「国内ネコ歩き」になってしまっていて、この情勢で作り手も苦労されているようです。

  194. イノシシ より:

    「パーマネント野ばら」は職業柄、ロケの模様を見ておりましたのでロケ地については大部分を把握できていると思います(笑)。「いけちゃんとボク」もそうですが、西原理恵子作品には高知県はかなり助けられていますね。あと「県庁おもてなし課」も作者の有川浩さんが高知出身で高知が舞台となっています。そのほか高知ロケの映画は「南国土佐を後にして」「英雄候補生」「鉄拳」「刑事物語 くろしおの詩」「鬼龍院花子の生涯」「絵の中のぼくの村」「死国」「土佐の一本釣り」など色々ありますが、「旅の重さ」のようにロケから50年が経過しているような作品の方がロケ地巡りの面白さがあるかも知れませんね。岩合さんは苗字からして高知にルーツがあるんでしょうかね。一条神社のネコとか、自分も知ってるネコが登場していて楽しかったです。「ネコ歩き」は国内バージョンの方が自分は好きです。ロケ地の割り出しはお手伝いできることがあれば参加させていただきます。「少年」はぜひ取り組んでみたいですね。

  195. 居ながらシネマ より:

    おお、ご当地映画ありがとうございます。さすがリストアップはあっというまですね 🙂
    手持ちで半分ぐらいはありますので、後ほど見ていきたいと思います。
    おっしゃるとおり、ロケ地めぐりするなら昔の映画の方が面白そうですね。『少年』もぜひと思っています。
    一条神社のネコ様ご存知でしたか。岩合さんの名前を見たときは岩合さんと一緒に驚いてしまいました。このあたりは地元の方は四万十市というよりは中村といったほうが馴染みがあるのでしょうね。

  196. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、昨夜『少年』アップしました。おっしゃるとおり、昔の映画のほうが探索が楽しいですね 🙂
    高知に関してもわかる範囲で網羅したつもりですが、盛大に間違えているところもあるかもしれません。
    一番むずかしかったのが、冒頭のお地蔵さんの山といいますか、かたまりのショットで、昔の空撮でもズバリのものが見つからないので、そもそも推定した場所が違っているのかもしれません。ああいったものが公園の一部にぽつんとあるのも不思議な感じです。こういうのは昔を知っているご近所の方ならひと目で「あれだ」とすぐおわかりになりそうですね。
    他にも何かお気づきの点がありましたらご当地チェック?ぜひお寄せください。今週はもう時間的にサイトのメンテはできませんが、週末にでも対応させていただきます。

  197. イノシシ より:

    居ながらシネマ様

    御意。私もいくつか現地で写真撮ってますので早めに参加いたします。
    ありがとうございます。

  198. 居ながらシネマ より:

    『旅の重さ』6月12日、高知と東京の同日上映を鑑賞されたイノシシさんとBill McCrearyさんからレポートを頂戴しましたので、そのまま「1.3 上映レポート」として掲載させていただきます。
    おふたりともありがとうございました。
    (そのまま転載してしまいましたので、修正されたいところなどありましたら、お知らせください)

  199. イノシシ より:

    Bill McCrearyさんの上映リポート、感動しました。ご本人の登場は本当に嬉しいし、羨ましい。「さらば美しき人」はの上映についてですが、八幡浜は松山などの上映が済んだ後、遅れて上映されたと思います。私の地元は岡山県北でしたが、津山市の映画館は全国上映と同じタイミングで封切りされることはまずなく、2か月~3か月遅れが当たり前でした。県庁所在地以外の地方都市の映画館では、みなどこもそうだったと思います。が、大人の事情でそうした可能性も皆無ではありません(笑)

  200. イノシシ より:

    あと、ママのシーンも新居浜市でロケされていたんですね。
    さすがにママのシーンは東京のスタジオセットと思ってました。
    ロケ日程表、感無量です。

  201. 赤松幸吉 より:

    (主に)Bill McCrearyさん へ  それから居ながらさんとイノシシさんへ

    6月14日のイノシシさん投稿「ママのシーンも新居浜市でロケされていたんですね。」

    「旅の重さ」のファンとして新居浜でロケをされていたかどうかは、とても気になる所なので、是非事実かどうかもう一度解明してください。

    私は新居浜ロケは100%なかったと信じています。もし、そこでロケをしていたなら岸田今日子も四国に来ていなければなりませんが、そのニュースは新聞など、どこにも見当たりません。

    確かにプレスシートには「ロケ地が新居浜市」と最後に印刷されていますが、そのうち一枚には「撮影日程予定順」と表記されており、プレスレシート作成時の予定でしかありません。
    プレスレシートは大変いい加減なもので、新東宝の「黄線地帯」(石井輝男監督 神戸を舞台にしたアクションもの)では、プレスには「神戸 大ロケ敢行!」と書かれていても、一度も撮影隊は神戸を訪れていません。それどころか「東京駅」を「神戸駅」に仕立てて、すべて東京で撮っています(これは鉄道オタク・ファンの間では有名な話です)。

    もう一度言います。「旅の重さ」のファンにとっては新居浜でロケがあったかどうかはとても気になります。是非、もう一度 チェックしてください。

  202. イノシシ より:

    赤松幸吉様

    ご無沙汰しております。
    「新居浜ロケ」はプレスシートを見て私がそう解釈しただけなので、
    実際は四国ロケでなかった可能性もあります。
    映画の画面上のシチュエーションからして、
    セット撮影であると私も思っていましたが、
    ロケ予定に「新居浜」とあったので、驚いて上の書き込みをしました。
    岸田京子さんと高橋洋子さんが同じフレームに居るシーンも少しありますので
    ご本人さんに確認できたら良かったですね。

    それにしても一番岸田京子さんの一番最後のシーンで
    娘から来た手紙をびりびり破いたのはなぜなんでしょう。

  203. Bill McCreary より:

    赤松様

    お世話になります。私としては、劇場にはってあったプレスシートのコピーを撮影した写真をご紹介したまでで、その内容の真偽については何ともいえません。ただ、例の映画館のシーンは、プレスシートの予定と映画館の看板は対応しているなとは思いました。その他についても、今後も私なりに研究をしていきたいと思います。

    居ながらシネマ様

    どうも、拙メールと拙写真のご紹介ありがとうございます。それで、今回の高橋洋子の舞台挨拶の記事を発表いたしました。

    https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/f52d444339771a0c9f6bada19851501d

    メールと記事に書き落としたことを補足いたしますと、高橋洋子さんが「自分がロケしたときと現在では稲の長さが全く違う(たしか現在のほうが短い?)」と述べていたことが印象に残りました。彼女もたぶん農村とかの経験はあまりなかったでしょうから、そういう基本的なところも大変だったのだろうなと思います。あとこれは私の気のせいかもですが、若干目が潤んでいるようにも感じました。話は違いますが、こちらには驚愕しました。

    https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01km0b1017axg.html

    >恒例のサイン会・撮影会・新年会(要別途会費)もございますので、気さくな高橋さん、横山さんと接する事が出来るまたとないチャンスをお見逃しなく!!

    なんだって、そんな機会あったのと、これは無念にもほどがあるというものです。違う映画の会ですが、「旅の重さ」でも高橋、横山のお二人からいろいろ面白そうな話も聞けたでしょうに。うーん、残念。

    引用にもありますように、高橋さんはとても気さくな方でした。またお会いできる機会もあるでしょうから、その日を楽しみにしたいと思います。

  204. 赤松幸吉 より:

    イニシシさま
    「一番最後のシーンで娘から来た手紙をびりびり破いたのはなぜ」
    これは母が娘の無軌道ぶりに呆れたのか、怒ったのか、私にもよく分かりません。

    それはさておき、最近とても古い映画で「旅の重さ」のような映画を発見しました。
    「むすめ巡禮 流れの花(日活 1956年)」で少女(浅丘ルリ子 同じく16歳)が母を訪ねて八十八カ所の札所を旅するという映画で、北四国(徳島、香川、愛媛)の札所が次々と画面に登場します。
    この映画はアマゾン・プライム・ビデオで無料で鑑賞できます。会員でなければ一か月無料体験を利用すれば、やはりタダで観賞できます。
    ただし、内容はなにしろ56年度の「母もの」映画なので、私のような同時代人でないと(見ていくのが)しんどいですので、あまりお薦めできませんが。

  205. イノシシ より:

    赤松幸吉さん

    普通だったら娘から現金が同封されて届いた手紙は愛おしいと思うはず。
    ですがママはびりびり破いてしまう。なんか変ですよね。
    実は映画館の大画面で見て、初めて気付いたしだいです。

    あと秋吉久美子が命を絶った理由。
    これも結構分かりません(笑)
    「むすめ巡禮 流れの花」、高群逸枝の「娘巡礼記」の映画版かと思いました。
    少し触りだけ見てみましたがこれはすごい!
    じっくり見てみたいですね。

  206. 居ながらシネマ より:

    高岡タケシさんから撮影地についてご連絡いただきました。
    私では判断つかないところもあり、みなさまでご検討いただけたらと思い、高岡さんのお許しを得て私の方からこちらに書かせていただきます。

    冒頭の小屋の場面、小屋の中からのショットはすでに記載した場所でOKと思いますが、小屋と少女を水田越しに捉えたショットは別の場所で、こちら↓ではないかとのことです。

    ストリートビュー↓
    https://goo.gl/maps/prudFrkguR6T52wh9

    地理院地図・電子国土Web(1974-78)↓ ……SVのカメラ位置
    https://maps.gsi.go.jp/?ll=33.2710994,132.64395&z=17&base=std&ls=yk74%7Cphotopoint_1971_1980&vs=c1j0l0u0#17/33.271099/132.643950/&base=std&ls=std%7Cort_old10%7Cgazo1%7Cgazo2%7Cseamlessphoto&blend=0000&disp=11100&lcd=ort_old10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

    33.2710994,132.64395 ……同上

    場所としては、果物をもらったり女性のお遍路さんと語らったあたりから東へ5kmぐらいでしょうか。
    私の方でもGoogleスライドを使って説明画像を作ってみました。

    https://docs.google.com/presentation/d/e/2PACX-1vRUm5QhbOw63VdIh4__tcwSegimcwM82Xin-ym1XGRZtCNHpO59lA8Trq0mQQH-yWhS1SotEG7MboxO/pub?start=true&loop=true&delayms=1000

    良い線いってるかと思うのですが、いかがでしょうか?

  207. イノシシ より:

    旅の重さのロケ地の中でも、ここまで様々な場所が割り出されながらも追求されていないシーンに、「ヘビに驚いて逃げた道」「生まれたばかりの猫がいた道」「行き倒れになりそうになった橋の下」「大泣きして木村の元に帰ることを決めた道」などとともに、この「タイトルバックの小屋」「歯磨きをした小川」があると思います。

    決定的な構造物がなく、あったとしても時代から考えて現代からは追求するのがかなり困難だと思われる場所。この小屋は既に判明している「扉を開けた際に見える田園ロング」と対になっているシーンですが、「歯磨きをした小川」などと同じ場所で撮影されたのか、それともそれなりに移動して撮影したのか、小屋がセットなのかどうかも場所を考えるうえでの指針になりそうですね。googleマップでみても西予市宇和町の田園地帯は大規模な圃場整備が行われ、それとともに用水路の改修も行われているようで中々ハードルが高そうです。

    サテライト西予辺りから見える田園ロングと、小屋が建てられていた目の前を小川が流れる場所が同一であることが私は一番理にかなっていると思います。小屋の中からのカットはワイドレンズでないとああいう構図は難しそうです。そこも考える上での指針になるかも知れません。

  208. 赤松幸吉 より:

    夏になると「旅の重さ」のコメントが続々と出てきますね。
    高岡タケシさん、よくぞ「小屋と少女を水田越しに捉えたショット」の場所を見つけられましたね。田んぼのあぜ道、小山に続くなだらかな坂道、周りの樹木などぴったりです。
    居ながらさんの映画のシーンと現在の光景を重ねたスライドでは、まったく区別がつかないほどです。50年前の風景がそのまま残っているとは、感無量で涙が出てきます。

  209. イノシシ より:

    高岡さま

    赤松さんと同じで私もこの場所で間違いないと思います。
    前の田んぼにも良く見ると段差があるようにも思われます。
    田んぼの土手の石積みは50年前も変わらずにあったのか
    それとも土の土手だったものが補強されたのか。
    今のほうがきれいに草刈りされたているのが不思議ですね。
    上では色々小理屈書きましたが、
    管理人さんの説明動画を見たら疑いようないです。
    恐れ入りました!!
    おめでとうございます。

  210. 高岡タケシ より:

    居ながらシネマ様

    コメント欄への投稿ですが とても分かりやすいレイヤー画像までつけて頂きありがとうございました。

    イノシシ様 赤松様もご納得な様で安心しました。(最近誤報を投稿したばかりなので)

    イノシシ様

    この件に関しご意見を伺いたく一度メールさせて頂いたのですが‥

    丁度 少年 のエントリーで投稿が伸びている時期でしたので、追っての連絡は控えてました。(誤情報で混乱させましたし)

    ロケ地の話に戻りますが、田圃の石垣の補修跡について 私は奥側の田圃が分割されていた名残りではないかと考えています。

    空撮では確認できませんが タイトルの 旅 との の間に薄っすら線が見えるような気がします。 小屋の位置はその延長線上かなと。

    是非ご意見をお聞かせください。

    赤松幸吉様

    旅の重さ ロケ地探訪の元祖である御大に喜んで頂けた事 大変嬉しく思っています。

    まだ左側の建物の建設時期等 検証すべき点がありますが、太鼓判を押して頂いたも同然、心強い限りです。

    ありがとうございました。

  211. イノシシ より:

    高岡様

    広い地図(Google Map)上ではミクロの点にしか過ぎないこの地点を良く割り出されたものだと驚きを禁じえません。実は最初、少女が小屋から出てきたシーンとマップを比較していたのですが、タイトルバックの方が画角が広いことにあらためて気付き、さらに見比べてみてこれはほぼこの地点で間違いないだろうと思いました。後ろの小山に続くスロープに大きな判断材料ですが、ほとんど同じアングルからの風景が記録されていたGoogle SVもすごい。そしてなんと言ってもサテライト西予から遠く離れたこの場所でこのポイントを探し出された高岡さんの観察眼にはあらためて驚かされます。

    ここから先は私の推測ですが、Google SVを俯瞰で見る限り、県道57号広見三間宇和島線は比較的近年に拡張工事が行われ、その時期に周辺の田んぼの圃場整備が大規模に行われたと思います。映画に登場する小屋があった場所は他の田んぼより一段高い場所にあり、畑として使われていたのが道路拡張で田んぼが削られた代わりに、水田に改修された可能性もありますね。

    それにしてもこの小屋は元々農機具庫としてこの場所にあったのがロケハンに訪れたスタッフの目に留まったのか、それともセットとして作られたものなのか、なぜ扉を開けるシーンはあえて30Kmも離れた宇和町大江でなければダメだったのか?新たな疑問が湧いて来ます。

  212. 居ながらシネマ より:

    赤松幸吉さん
    イノシシさん
    ご確認いただきありがとうございました。おふたりが太鼓判押されたのでしたら、大丈夫でしょう。のちほど本文に反映させていただきます。
    Googleスライドのような映像は、先に見てしまうとバイアスがかかり「ここで間違いなし」と思い込みが先行してしまいますが、実際とても似通って見えますから仕方ないですよね。

    もちろんこの箇所に限らず、拙サイトの内容はすべてツッコミ大歓迎ですので、何か気づかれた方はご遠慮無くコメントお寄せください。

  213. Watson より:

    管理人様、ご無沙汰しております。

    太陽がギラギラ輝く夏になると、「旅の重さ」が見たくなります。
    1972年当時のいろいろな思い出が浮かんでは消えていきます。
    先日もDVDで30数回目の「旅の重さ」を見ました。また、同じものなのに衛星劇場の番組も見ました。

    久々にこちらを訪れたところ、一年前に見た時から更に詳細な調査結果が多数加わり、驚きました。
    また、大心劇場でのリバイバル上映、加えて高橋洋子さん自身が舞台挨拶なんて信じられないイベントまであったのですね。コロナがなければ飛んでいきたいところです。
    高橋さんも、数年前、テレビの2時間ミステリーの中居役での登場や映画出演と、まだまだお元気。ただ昔と比べると丸~くなったかなという印象です。
    大学時代アルバイトで知り合った女性が、高橋さんと同じ都立三田高校の後輩で、水泳部で活躍していた彼女のことを知っていると話してくれました。

    撮影中は、当時付き合っていた彼がロケにずっとついてきたこと、主演が秋吉久美子にほぼ決定していたが、たまたまオーディションに遅刻した高橋洋子が、逆転して主役の座を射止めたエピソードなどが載った雑誌の記事も、どこかにとってあると思います。
    当時、話題となった原作も読みましたが、この映画が何で50年も特別な想いの対象となる作品となったのか。少女が同世代だったからか、当時の思い出と重なるからか―不思議な魅力の映画です。

    皆さんの調査結果を拝見すると、撮影順にストーリーが展開していったのではないことが分かりました。
    また、Bill McCrearyさんの言う通り、DVDを見ると、貧しい時代だったことを実感しました。雨宿りをさせてもらった家の老婆が草鞋を編んでくれたなんて、当時でも東京ではありえない光景です。家もあばら家のようでしたし。木村の家も実に質素でしたね。

    少女のそばを走る「しおかぜ」や「うわじま」のシーン、岩松小学校のシーン(ずっと高校だと思っていました)など、斉藤監督お得意のショットは半世紀たっても忘れられません。白い雲、田んぼの緑、青い海。日本のクロードルルーシュと言われた監督の見事な映像に拓郎の音楽などが上手く使われていたと思います(「約束」の敦賀港大橋も好きなシーンです)。
    TBSアナウンサー、故・林美雄氏がパックインミュージックで、斎藤監督を日本映画では珍しく映画音楽を重要視した人、と紹介していましたが、「旅の重さ」「約束」の2本はまさにそれが結実した作品だと思います。

    四万十川岸のショット、同じタイプのクルマがほぼ等間隔で3台通りすぎていきます。演出なのか、偶然だったのか。
    改めてスクロールをしていくと「ここ見た」「この写真覚えてる」という写真ばかりで懐かしくなります。
    「旅の重さ」未解決問題の一つ、「水浴びをする」(約17分)シーンですが、手前に木の杭のようなものが並んでいます。最初に見た時から川と言うよりは用水地かと思っていましたが、シーンが短いので判別できません。ぜひこの解明もお願いいたします。

  214. 居ながらシネマ より:

    Watsonさん、コメントありがとうございます。
    もはやネタが尽きたかと思われるこのエントリーも、どっこい毎回みなさまから新鮮な情報が寄せられてきていて、管理人としても更新作業が楽しくてたまらない状態となっています。
    Watsonさんのコメントで改めて気づきましたが、1972年の映画ということで、来年は50周年なのですね。もしかすると劇場での上映その他イベントが企画されると良いなあ、と思っているところです。
    ロケ地探索の方は難易度が高くなりすぎて、私も頂いた情報を整理するのが精一杯となっていますが、ロケ地ネタにこだわらず、感想や思い出話などなんでも歓迎ですので、またぜひお気軽にお立ち寄りください。

  215. Watson より:

    管理人様

    サイトを見ているうちにまた見たくなり、どうせ見るならと思い、amazonでBlu-ray discを購入しました。
    「初回限定 特典封入」版ー懐かしのロビーカート風ポストカード入りーが入手できました。2015年8月リリースですからラッキーでした(ということは余り売れていない…?)。ハッキリとした画面にはなっています。
    オリジナルフィルムの修正等を監修された坂元典隆撮影監督も、鬼籍に入られたようです。
    この年齢になると「今日までそして明日から」がズシっときます。
    予告編を見ると、高橋洋子さんは「2000人から選ばれた女の子」なのですね。しかも最後に大逆転で。秋吉久美子さんはどんな気持ちだったでしょう。

    四国絡みで、しばらく見なかった「祭りの準備」(’21年7月14日発売)も併せて買いました。こちらも何度も見た映画です。原田芳雄さんがいい味出していますね。

    管理人様のコメントにあった「来年は公開50周年」で思ったのですが、同年公開の「約束」も併せ、出演者・スタッフをお招きしての、「~旅の重さ・約束~ 斉藤耕一監督作品上映会」を開催できないかと思いました。
    当サイトの「未解決問題」もスッキリするかもしれません。

    ラピュタ阿佐ヶ谷が、どのようなルートで高橋洋子さんとコンタクトしたかは知りませんが、松竹に一枚かんでもらうのがベターかなと思います。
    どなたか、コネクションがある方がおられると良いのですが。

    追記:7月20日のコメント、最後の部分「用水地」は「用水池(ようすいいけ)」と入力するつもりでした。失礼しました。

  216. 居ながらシネマ より:

    Watsonさん、50周年企画、ホントにどこかで実現されると良いですね。
    ラピュタ阿佐ヶ谷は都合がつかず行けませんでしたが、次の機会にはぜひと思っています。
    Blu-ray盤の画質が「ハッキリ」とのことでAmazonで買う気になってきました。でも特典が入っていない通常版が届いたらがっかりかも。
    予告編では、「オール・ロケィション」と「ィ」が小さくなっているのが個人的にツボです。
    これどういうふうに発音すれば良いのでしょう 😉
    当時他の映画でもこんな風に表記していたのか、もはや忘却の彼方です。

  217. 居ながらシネマ より:

    イノシシさんから、「トマト」(盗んだトマトを食べながら歩く堤防)の最新現地レポートを届けていただきました。(「トマト」内「▼21/8/31追記」 参照)

    季節感含めて、再現度合いはかなりのものと思われますが、いかがでしょう 🙂 ?

    他に「棚田」の候補地である「樫谷棚田」も訪ねられたとのことで、そちらの画像も送っていただきました。
    残念ながら

    > 映画と同じようなアングルを見つけ出すことはできませんでした。

    とのこと。さらに、

    > かつて樫谷棚田保存会に映画の写真を送り、「樫谷棚田ではないか」と
    > 尋ねた事もありましたが、「違う」との回答でした。

    とのことですので、映画の棚田は残念ながら別の場所のようです。

    それはともかく、現地はとても素敵な景観ですので、どうぞ以下リンクで御覧ください。

    https://photos.google.com/share/AF1QipPNO4OoX3LBmP34Q02LNsFkbExJ1svVdJAHk2BvqLlLG52RKKEoQiUftmX6V83M9w/photo/AF1QipPeuYIL3BjtdMk5vDdkYcaSDVqMbZ0T-zCGQFSV?key=TW82MEhxZncyMHRGeVNSbVpjUnhrXzVXOGFQRVRB

    https://photos.google.com/share/AF1QipPNO4OoX3LBmP34Q02LNsFkbExJ1svVdJAHk2BvqLlLG52RKKEoQiUftmX6V83M9w/photo/AF1QipMSb0qPRerQRIU43f5GsMKyn6nxeR5RhknAEkYb?key=TW82MEhxZncyMHRGeVNSbVpjUnhrXzVXOGFQRVRB

    > ひとつ思ったのは、「車で来て良かった!」。
    > この樫谷棚田、上り口は「しおかぜの踏み切り」から延々登ってくるわけですが、
    > 自転車で登れるような場所ではありません。
    > ですが樫谷棚田、素晴らしい景色で「旅の重さ」をリメイクするなら
    > この場所はロケ地として使えそうです。

    この景色なら確かに使えそうですね 🙂

  218. イノシシ より:

    居ながら様
    写真のアップロードありがとうございました。
    季節は「旅の重さ」のロケと同じ季節になりましたね。
    まだ未解明のロケ地が判明することを祈りつつ・・・。

  219. 高岡タケシ より:

    イノシシ様
    長雨前の良いタイミングで探訪されたのですね。
    写真拝見しました。素晴らしいです。
    夏の青い空に沸き上がる様な雲、伸び放題の草。きっと現地の風の香りも素晴らしかった事でしょう。
    私の方は長雨に祟られた上、コロナの感染拡大もあり探訪はお預け 居ながら探索を続けております。

    居ながらシネマ様
    ちょっとした情報なんですが
    79年公開のトラック野郎にも大岐の砂浜が使われています。
    土佐犬の散歩をする原田大二郎さん 後を追う森下愛子さんのシーンです。

  220. イノシシ より:

    高岡さん

    「夏の真っ盛りにあの小屋があった場所、見に行きたいねえ」とのことでしたので、敢えて荒らさず残しています(笑)。まだ今シーズンも間に合うと思いますよ。

    ところでBill McCrearyさんがあげられたラピュタ阿佐ヶ谷の上映会における展示資料には主要なシーンとなっている宇和町や三間町がロケ地として上げられていません。また予告編には大月町大堂海岸も出てきますがこれもロケ地にはないですね。西海町のロケのあと、もう一度土佐清水市に戻ってきていますが、「土佐の海よ」のシーンや「大岐ノ浜で泳ぐシーン」はそのタイミングで撮られたかと思います。まだ未解明の赤いポストも自分はそのタイミングで道の駅サニーサイドパークすくも~大月町にかけてのどこかで撮られたものと思います。※「ますや家具店の看板」より推測

  221. 高岡タケシ より:

    イノシシ様
    先日早朝より鬼北町に行きました。
    もっと良い報告が出来ると思ってましたが今夏は完全に出遅れました。
    稲は黄金色になり、奥側の田は刈り取られてました。
    誠に痛恨の極みでございます。

  222. イノシシ より:

    高岡様
    あらら・・・残念。温暖化の影響なのか、従来稲刈りは10月だったものが「旅の重さ」の1972年よりどんどん早くなっていっているんですね。いずれにせよ実際の映画の撮影は8/15~9/15とありますが、今シーズンはよさこい頃から半月も雨が降り続いたので仕方がないですね。トマトを食べた土手の写真も撮影してから20日ほども塩漬けにしていたので、もう少し早くアップして高岡さんに刺激を与えるべきでした(笑)

  223. 井上タツオ より:

    管理人様
    はじめまして、井上タツオと申します。先週、封切り時からの念願だった「旅の重さ」を封切りから49年も経った先週漸く観ました。 そして、舞台が伊予と土佐であることも吉田拓郎の「今日までそして明日から」がテーマ曲であることも初めて知りました。 私は生まれも育ちも現在の住所も東京ですが、12歳の時からほぼ毎年、伊予大野ヶ原小松ケ池の龍王神社に参拝しているので、この映画のロケ地は大変懐かしく拝見しました。特に1965年頃までは大洲駅から河辺の秋瀧まではバスで行き、そこから大野ヶ原までは一日がかりで歩きました。
    そこで、ロケ地は何処だろうかと探し、いくつかは突き止めました。そのうちに、このような素晴らしいサイトが立ち上げられていることに感心しました。 
    このサイトは未だざっと目を通しただけですが、気づいたところを2,3お目にかけます。
    1.少女(高橋洋子)が道を尋ねて出てくるシーンのある棚田。 これは愛媛県内子町の泉谷の棚田だと思います。添付のシーンの写真と現在のGoogleMapを較べてみても、現状は撮影当時と大きくは変わっていないようです。Mapの下方(手前側)に「棚田展望台」があります。当時もあったかどうか分かりませんが、この高みから撮影した事は間違いないかと思われます。映画とGoogle Mapの同じ位置に電柱の影が見えます。 
    2.写真(JPEG)を添付してお送りしたいのですが、どのようにすればよろしいでしょうか?

  224. 井上タツオ より:

    管理人様
    先程のロケ地の続きです。これが本当の2番です。
    2.映画館のシーンに先行する商店街が八幡浜銀座であることは既に書かれています。私も’65年と’66年年にここにあった「千丈家」という旅館に泊まったことがあるので、映画をみて八幡浜銀座だという事が判りましたので、手掛かりを探しました。そしてすぐに見つけました。アタゴカメラの向かいの電器屋「アポロ電化」(三菱のマーク有り)の看板に「八幡浜店」と書かれているのが見えます。

  225. 居ながらシネマ より:

    井上タツオさん、コメントありがとうございます。管理人のinagaraです。
    私は四国方面にはまったく土地勘がありませんので、お詳しい方にこのページをご覧いただき、とてもうれしいです。

    まず画像の送付方法ですが、このコメント欄は画像添付はできませんので、お手数ですが直接私宛にメール添付いただけますでしょうか。
    アドレスはこちら↓です。

    inagara.cあっとまーくgmail.com (「あっとまーく」は「@」で置き換えてください。)

    あわせて「About」ページの「掲載画像について」もご覧いただけますと幸いです。
    https://inagara.octsky.net/about

    ご指摘の「愛媛県内子町の泉谷の棚田」とはこちら↓でしょうか?

    https://goo.gl/maps/7r8wiEx3PmgWcDA1A

    それから「少女(高橋洋子)が道を尋ねて出てくるシーンのある棚田」とは、この記事で言いますと「2.11 三叉路」のことでしょうか?

    すみません、いまのところうまく映画のシーンと一致する場所が見つからないでいます。場面やマップで勘違いしていると照合できませんので、もう少し具体的なポイントを示していただけますとありがたいです。
    一番良いのはパソコンのGoogle Mapsでできるだけ映画のシーンと近いアングルを作っていただいて、

    左上の三本線マーク →、「地図を共有または埋め込む」 → リンクを送信する → リンクをコピー

    これでコピーされた共有リンクをこちらのコメント欄へ貼り付けていただけますと、場面も場所はっきりしますので、とても助かります。
    お手数ですが、よろしくお願いいたします。
    (他の方もおわかりになったらぜひお知らせください m(__)m )

  226. 井上タツオ より:

    居ながら様
    早速ご教示頂き有難うございます。
    お示し頂いた地図のほぼ中央。地図の向きはほぼそのままで、2.11三叉路のシーンと一致します。

    現在は左側に凸のカーブに見える道ですが、Mapをよく見ると左下に橋(現在は中央で折れているように見える)があり、その端に向かって降りて行く路があったように見えます。(現在はMapの手前側に別の道が緩やかに下ってこの小川を渡っています)当時はこの橋に向かう道が舗装されていたので、映画で見るような三叉路になっていたと思われます。この場所が三叉路のロケ地と考える手掛かりがいくつか見出せます。 ①3軒の民家の内右側の大きな家は大きな変化がない。②その上の棚田の端部の台形の形状が変わっていない。③棚田の中、同じ位置に電柱がある。④電柱に張られた電線の位置と向きが現在も同じ。⑤棚田の中を登って行く小径の位置と形が同じ。⑥メインの道を左上に辿ってゆくと道の右側に小さな崖(窪地)があるが、現在も同じ形状で見える。 といったところです。少女が道を聞いた、左端の小さな家はなくなっているようですが、すぐ右側にあった畑の中に建て替えたのではないでしょうか?
    来月下旬当たりに松山市訪問と大野ヶ原参拝を予定しているので、現地を踏査する事を計画中です。 では、また。

  227. イノシシ より:

    井上タツオ様

    イノシシと申します。興味深く拝見しました。「2.11三叉路」、上空から見ると確かにその特徴と似たポイントがいくつかありますね。特に電柱。良く似た位置にあるものだとびっくりしました。Google Mapの仕様改変で、今わたしが使っているPCから3D画像が見えなくてもどかしいですが、泉谷棚田の展望台からのSVが貼り付けられておりそれが下のリンクになります。

    https://www.google.com/maps/@33.5149877,132.7173065,3a,83.8y,327.42h,91.63t/data=!3m8!1e1!3m6!1sAF1QipNJMMi5Yfh3AH4tPTjgxFIptz4toRUH0AYy4aQn!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipNJMMi5Yfh3AH4tPTjgxFIptz4toRUH0AYy4aQn%3Dw203-h100-k-no-pi-0-ya49.5342-ro-0-fo100!7i8704!8i4352!5m2!1e1!1e4

    ご指摘の3軒の民家の場所の西側は相当傾斜のきつい棚田になっており、少女が歩いてきた道がかつてあったとは考えづらい気がします。また3軒の家はどうやら1軒のお宅の母屋と離れ・蔵であるようです。SVを見る限り、土地の形状からも建て替えの可能性は低いと思いますし、また映画に映る建物は少女が道を尋ねた家を除き「寄棟造」となっていることも、場所の割り出しの際に考慮に入れた方が良さそうです。ただ非常に興味深い考察で、もしかするとこの場所がお遍路とすれ違った棚田の撮影地でもある可能性を感じた次第です。今後とも撮影地の割り出しにお力を貸していただけると嬉しいです。

  228. 井上タツオ より:

    イノシシ様
    早速のコメントをありがとうございます。
    ご指摘の点、道の傾斜など、確かに私自身納得できていない点もありますが、⑥として指摘いたしました小さな崖と窪地の位置と形状が映画のシーンと同一にしか見えなかったことからここだろうと確信した次第です。当初は(といっても1時間ほどのGoogle MapおよびGoogle Earth上での探索ですが)、三叉路にばかり目を向けていましたが、道の左下(西南)の壊れた橋を見つけ、その延長線上がちょうど三叉路に当たるところに目を付けた次第です。また寄せ棟の母屋は映画撮影当時と殆ど変わらない姿で現在も建っているように思われます。建物の向きと道路が平行している点が大きな手掛かりだと思われます。いずれにしましても、来月には現地を見てくる予定ですので、また報告させて頂きます。それから、ご指摘のもう一つの棚田のシーンも実はこの泉谷の棚田と同定した手掛かりがいくつかあります。 ただ、GoogleMap/Earthでは踏み込めないので、ここも現地を見てからコメントします。 元々映画のロケですから、現実に少女が通る必要もありませんし、撮影効率を考えると2か所の棚田に行くとも考えられませんので、このように愚考する次第です。

  229. 居ながらシネマ より:

    井上タツオさん、
    ひきつづきコメントと別途管理人宛に詳細な検証ファイルを送付いただき、ありがとうございました。メールでも返信致しましたが、残念ながら個人的にはこの場所は当該場面の撮影地ではないような印象を受けました。
    ご参考までに今回の箇所の空撮画像を並べてみました(1964年と1975年)
    https://docs.google.com/presentation/d/1lsnURtpJ-Qg3CrHRkTjAl6VDjNK_5aWmYUaf684OGNY/edit?usp=sharing
    建物の配置や屋根の形状は現在と特に変わっていないように見えます。
    また日差し的にも映画では逆光となっていて、8月の日中と考えるとカメラ北向きでこういう影ができるとは考えづらいかもしれません。
    でも、この場所に気づかれたのはさすがで、自分もとても参考になりました。
    今回の件を含めて、なにか気づかれたことがありましたら、ぜひ今後もお気軽にコメントお寄せください。よろしくお願いいたします。

    イノシシさん、
    いつもコメントありがとうございます。この場所は今までのロケ地コースから少しだけ東へずれているようですが、沈下橋やトマトからはせいぜい10数キロのようですし、このぐらいなら撮影隊の合理的なコースどりに入りそうでしょうか? 探索の範囲をもう少し広げないとならないかもしれませんね 🙂

  230. イノシシ より:

    >井上タツオ様

    お遍路とすれ違う棚田である可能性はまだ残っていますね。棚田の傾斜を流れる谷が幾筋か見られることも映画のシーンと近似しています。ぜひ現地で確認いただけるとありがたいです。

    >管理人様

    内子町と旧大洲市街地は距離的にはとても近いです。映画のロケ予定地に旧宇和町、旧三間町や大月町は含まれていませんが実際にはロケが行われているので、内子町でロケが行われていたとしてもおかしくはないですね。そもそもロケ地として考察する上で昭和47年当時の遍路道(旧国道)があると思います。当初ロケ予定地でなかった旧宇和町、旧三間町、大月町でロケが行われたのは、遍路道が通っていてロケハンの際にたまたま目に留まった景色があったからだと考えられます。ですが八幡浜は遍路道とは外れており、四国西部の遍路道筋で一番の大きな町である旧宇和島市でロケが行われていないなど一筋縄では行かない部分もあります。

    棚田についてですが、撮影前から「棚田」がロケ地として候補に上がっていたとは考えにくく、ロケハンの途中で目に止まったと思われます。こうして考えると、旧国道の峠道に近い場所にロケ地となった棚田や三叉路があったのではないかと思うのです。もちろん過去にもその観点から探してみたこともありましたが結局発見には至りませんでした。ちなみに大洲市長浜から宿毛市に至るまでの旧国道(昭和の遍路道)で車が通ることができる代表的な峠は下記のものがあります。このどこかで棚田や三叉路のロケ地が見つかる可能性があるかも知れません。

    「伊予鳥坂峠(旧大洲市~急宇和町間)」※現道として共用
    https://www.google.com/maps/place/%E4%BC%8A%E4%BA%88%E9%B3%A5%E5%9D%82%E5%B3%A0/@33.4498635,132.524306,7557m/data=!3m1!1e3!4m8!1m2!2m1!1z44K144OG44Op44Kk44OI6KW_5LqI!3m4!1s0x0:0x4f023a671bdd5bcb!8m2!3d33.4498635!4d132.524306

    「法華津峠(旧宇和町~旧吉田町)」
    https://www.google.com/maps/place/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E6%B4%A5%E5%B3%A0%E5%B1%95%E6%9C%9B%E5%8F%B0/@33.3387637,132.5231881,1892m/data=!3m1!1e3!4m8!1m2!2m1!1z44K144OG44Op44Kk44OI6KW_5LqI!3m4!1s0x3545886de56d5331:0x787507129cb33d26!8m2!3d33.3353102!4d132.5269859

    「歯長峠(旧宇和町~三間町間)」
    https://www.google.com/maps/place/%E6%AD%AF%E9%95%B7%E5%B3%A0/@33.3280901,132.5629973,946m/data=!3m1!1e3!4m8!1m2!2m1!1z44K144OG44Op44Kk44OI6KW_5LqI!3m4!1s0x354f62b31834c5f7:0xe44d5c021495b96!8m2!3d33.3284147!4d132.5637647

  231. 井上タツオ より:

    居ながらシネマ様
    イノシシ様
    早速貴重なコメントをいただき有難うございます。
    来月の四国行きに先立って、このコラムの記事をしっかり読んでおく必要があると気付きました。政子が浜に入る土佐清水の海岸のイノシシさんの取材は鳥肌が立ちましたね。お陰様で、ワクワクしてきました。

  232. 井上タツオ より:

    居ながらシネマ様
    イノシシ様
    この棚田のシーンに限らず、この愛媛県西部の一般的な事として捉えて頂きたい話がございます。 私が父親らとともにこの辺り(大洲市、内子町、旧河辺村、旧野村町)を歩き回った昭和38年から40年頃には、この少女が歩いたような自動車の走るアスファルト舗装された道路は未だ十分に整備される前で、途中で行きどまりとなるところが多々ありました。時にはそのような道路の工事現場に行くトラックに便乗させてもらいましたが、主要な道といえども、大抵は丁度泉谷棚田の中に走っているような急傾斜の細道であったりして、それを上り下りしておりました。この映画の作られた昭和47年ともなると、さすがにこれら自動車の走る道路も全通していたと思われますが、まだまだ車両の数が少なかったので、これらの細道も現役であったと思われます。 したがいまして、ロケ地の同定にはこのような事情も考慮して頂ければ幸いです。

  233. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、
    毎度詳しい情報ありがとうございます。さっそくルートをGoogle Earthに書き込んでおきました。いくつか新規の記事をアップし終えたら、撮影隊の気持ちになって?『旅の重さ』のチェックを再開しようと思います。またぜひいろいろ教えてください。

    井上タツオさん、
    貴重なお話ありがとうございました。私はマップを使った上から目線?で失礼する他ありませんが、『旅の重さ』の撮影地を昔の空撮で比較しても大きく変化しているのを感じます。日本全土がそういう激変の時代だったのでしょうね。
    この映画に関しては64年と75年の空撮を現在と比べながら探索につかっていますが、道路が整備されていく一方で、棚田などの田畑が失われていくのも見て取れます。四国はこれまであまり縁がなく、撮影地をチェックしていると空間旅行と時間旅行を同時にしている気持ちになりますね 🙂

  234. 井上タツオ より:

    居ながらシネマ様
    先月、予定通り愛媛に旅して、泉谷棚田を見てまいりました。結論から申し上げると残念ながら、ここがロケ地であった可能性はほぼ無いかと思いました。三叉路のシーンと思われる地点、現在は一本のカーブにもう一つ谷から上がって来る道が接続して三叉路を形成していたのではないかとの仮説を立てましたが、現地に行ってみると、谷からの斜面が急峻なため、昔といえどもここに道は出来ないと思う他ありませんでした。空から見たGoogle Mapだけでは現地の状況は分からないものだと思い知った次第です。しかし、ロケ地踏査はこれからも続けたいと思います。

  235. 居ながらシネマ より:

    井上タツオさん、コメントありがとうございます。探索お疲れさまでした。
    メールで送付いただいた画像を「三叉路」にアップさせていただきました。なかなか見事な景観ですね。
    「ここではない」の確認も大変だったことと思います。
    また何か御座いましたら、ご報告お待ちしております。ありがとうございました!

  236. 居ながらシネマ より:

    「三叉路」について、高岡タケシさんからメールで情報をよせていただきました。私の方でも現在や過去のマップをぐりぐり動かしてみましたが、これで正解と思われます。
    同項目にマップ情報をまとめて追記しましたので、ぜひ高岡さんの探索結果をご覧ください。

    ⇒「三叉路」内の追記箇所を表示

    これはよくぞ見つけられました。
    高岡タケシさんお見事でした 😀

    それから、しばらくサイトのメンテナンスの時間がとれないため、勝手ながら当面コメントを承認制とさせていただきます。投稿した瞬間には反映されなくなりますが、私の方で承認次第表示されるようになります。ご不便おかけしますが、何卒ご了承ください。

  237. イノシシ より:

    高岡さん、素晴らしい。Googleマップでは少女が訪ねた家が陰でつぶれていて見えないのによく割り出したと感服いたします。田んぼの形状はもちろんですが、少女が訪ねた家がそのまま残っていることが驚きです。寄棟造の家の一軒も!おめでとうございます!撮影ポイントに近年植林されて見えづらくなっていそうですね。少女が訪ねた家が取り壊される前に撮影しに行かなくては!!!

  238. 高岡タケシ より:

    イノシシ様
    やっと見つけました。
    やはり愛媛県でしたね。
    今回はヒントも乏しく、迷走に迷走を重ねました。
    居ながら様も書かれていましたが、フレームの外に予讃線は意外でしたね。
    ロケルートを想像して丹念に探れば棚田も見つかるかも知れませんね。
    現存、木製の橋と以前の赤松様情報
    臼婆 落窪海岸はどのシーンか探しております。

    追伸
    お祝い飲み会大歓迎です。
    胃腸の調子を整えてお待ちしております。(笑)

  239. イノシシ より:

    三叉路がある八幡浜市釜倉の1975年の空撮写真を見てみると、田んぼの北側にある製材所がなく、映画に登場する田んぼが失われた可能性もなきにしもあらずだったことが分かりますね。またカメラを置いた上の県道から釜倉へダイレクトに降りるスロープも整備されていませんから、撮影部隊はこのショットを取るためにかなり大回りしているなど、結構手間隙をかけていることが分かります。折角の見晴らしの良い場所が植林で視界をさえぎられることになったのは残念です。臼碆や落窪海岸は映画の中には採用されておらず、「旅の重さ」を扱った「シネマ紀行」に足摺岬周辺のビューティショットとして紹介されています。映画本編とは直接的には関係なさそうです。「行き倒れの木橋」やふらふらになりながら歩く軒先の風景など、高岡さんなら発見できそうですね!(笑)

  240. 赤松幸吉 より:

    高岡タケシ様、イノシシ様
    DVDの映像と確認しましたが、まさしく同じ風景、同じ道筋、同じ家屋。
    三叉路の「あの家」がまさか残っていたとは ! 歴史をひっくり返す大事実! 思わず、天を仰ぎました。神よ、あなたは我々を見捨てなかった(← 大げさ)。

    ここに到達されるまでには信じられない忍耐と努力があったことと推察されます。
    御両人(高岡タケシ様、イノシシ様)+居ながら様にパスツールの名言「幸運は用意された心のみに宿る」を贈ります。

  241. イノシシ より:

    >赤岡様

    グーグルストリートヴューで見ると、2014年撮影の分では映画とほぼ同フレームが切り取れるのですごいと思います(下記のリンク)。その後、ガードレールの向う斜面に植えられた杉の植林が伸びてきて景観をさえぎっています。地域の人にとって見ても、視界をさえぎるこの植林は残念ではなかったかと思います。農業用モノレールのレールも見えますので、かつてはなんらかの果樹栽培(おそらくミカン)がこの場所では行われていたかと思います。

    https://www.google.com/maps/@33.4130235,132.463321,3a,15y,216.98h,71.16t/data=!3m6!1e1!3m4!1sTBkxy-0bdfBNb8S_IJP43g!2e0!7i13312!8i6656

  242. katsuzou より:

    居ながら様、ご無沙汰しております。

    三叉路の撮影場所判明したみたいですね。
    来年の夏の楽しみが1つ、増えたことに
    喜びを感じてます。また、もう一つは、
    麦わら帽子を買うシーンです。ある程度の当たり(高知県)を、つけてありますので、三叉路の撮影を兼ねて、確認に行こうと、思ってます。その時はまた、ご報告させていただきます。

    イノシシ様、
    ご無沙汰しております。一杯飲み会、
    参加したいですね。コロナが、治れば、
    是非、お誘いよろしくお願いします。
    大阪から、飛んでいきますので。(笑)。

  243. イノシシ より:

    katsuzou様

    しばしお見かけしなかったのでお元気そうでなによりでした。katsuzouさんの調査能力、特に「雨宿りさせてもらった家」「お接待を受けた家」を割り出されたことは未だに感服の念がやみません。自分では絶対割り出せませんでした。麦わら帽子を買うシーンは、その前の日差しを見あげるシーンが四万十川の堤防なので、高知県の中村市内(現在の四万十市)の比較的近い場所で一連のシーンとして撮影されたものではないかと思っています。八束地区の旧幹線道路(国道321号が改修前)のこの辺りなどが雰囲気的に似てるなあと思います。

    https://www.google.com/maps/@32.9565924,132.9688989,3a,75y,156.56h,87.37t/data=!3m6!1e1!3m4!1sDpEurufxqmWM4xQsn2TFgw!2e0!7i16384!8i8192

    ぜひ高知(四国)に来られる際にはご一報下さい。

  244. katsuzou より:

    イノシシ様、
    さすがですね。
    麦わら帽子のシーンで、チラッと宿毛の
    地名が出てくる事や、後ろの道の形状で、
    河川付近と見込んで、探しておりました。
    Googleマップ上ではありますが。

    そこで、1つ見つけたのが、今はもう閉店している実崎の雑貨屋です。
    現地の人達とお話が聞けたらなぁ、と、
    思い、麦わら帽子と杖を持参して、
    来夏行く予定です。

    また、
    三叉路のあの半逆光のシーンは、とても
    綺麗ですね。これも皆さんの調査を参考にして脚立持参で行こうかなと。
    電柱が無いのが、残念ですが。
    良い写真が撮れたなら、電柱を入れようかと、
    思っています。
    高知県に行けば、迷惑でなければ連絡をします。居ながら様にメールアドレスを聞いていただいても構いませんので、よろしくお願いします。

    居ながら様、イノシシ様から連絡があれば、
    お手数ですが、よろしくお願いします。
    お邪魔しました。

  245. イノシシ より:

    katsuzouさん

    帽子を買うシーン、実崎(さんざき)辺りではないかと意見が一致し嬉しいです。最初は中村の街中とか、四万十川を流れる赤鉄橋の南側のたもとかもと考えたのですが、ロケ(ロケハン)のルートを想定して地道に考えていくのが良いと私も思います。そう考えると、土佐清水市の下ノ加江辺りの旧道も怪しいのですが、当時は中村市と土佐清水市との間には伊豆田峠と言う難所がありましたしやはり中村側かなと思います。「麦わら帽子のシーンで、チラッと宿毛の地名が出てくる」とは「ますや家具店」のことでしょうか?

    管理人様

    Katsuzouさんとメルアドなど交換できれば嬉しいです。ぜひお願いいたします。

  246. 居ながらシネマ より:

    katsuzouさん、イノシシさん、毎度コメントありがとうございます。
    メルアドですが、とりいそkatsuzouさんの方へメール送らせていただきました。届いていない場合はお知らせください。

    いつも皆様から情報をいただいてばかりでいますが、個人的には「三叉路」が解決した今、やはり「棚田」が気になっていて、正月休みにでもまた昔の空撮マップをぐりぐりいじって探してみようかと思います。

  247. イノシシ より:

    管理人様

    「三叉路」の割り出しは偉大すぎますよね。さすが高岡さんの執念と言うか。「棚田」は私も暇を見つけてはぐりぐりやってますが中々難しい。恐らく愛媛ですが、少女が倒れている橋は後ろにミカン畑が映っているように、「ミカン畑は海に近い場所」「棚田は内陸部」かと思います。1972年にタイムスリップし、移動経路を考えながらロケ隊になったつもりで考えれば割り出せるかもしれませんね。メールアドレス、ありがとうございました。

  248. 高岡タケシ より:

    イノシシ様
    執念の男 高岡です。
    今年もラジオから ジョン・レノンの ハッピークリスマスが聞こえて来る時期になりましたね。
    毎年の事ながら仕事はバタバタ クリスマスの秘密工作に奔走しておりましたので、ロケ地探しは中断してました。
    麦わら帽子を買うシーンですが、それらしいところはあるのですが、説明材料が少なく、これはsvで確認できない行き倒れの橋と併せて「突撃シネマ」せねば!と画策中です。

    赤松様
    先日は素晴らしいお言葉を頂き、ありがとうございました。
    少女が訪ねた家 現存してて良かったですね。
    もう取り壊されているつもりで探索していたので、タブレットの画面に出た時には、ドキッとして息が止まりそうでした。

  249. katsuzou より:

    居ながらシネマ様、
    katsuzouでございます。
    メール、届いておりませんので、
    お忙しいとは思いますが、再度、送信よろしくお願いします。恐縮です。

    イノシシ様、
    久しぶりに、実崎周辺をストリートビューで
    確認しましたら、候補の宮崎酒店は、
    取り壊されていました。しかしながら、
    私の得意技、付近の皆様方のお話を交えて、
    情報収集に来夏、いきますので、その時は、
    よろしくお願いします。

  250. 居ながらシネマ より:

    katsuzouさん、もうひとつのアドレス宛に再送しました。
    他のアドレスは存じ上げませんので、今度ももし届かない場合は、申し訳有りませんが、Contactページから一度ご連絡いただけませんでしょうか?

    https://inagara.octsky.net/contact

    お手数おかけしますがよろしくお願い致します。

  251. 居ながらシネマ より:

    『旅の重さ』ではありませんが、ご参考までに。
    高橋洋子さんのトークイベントが、また東京のラピュタ阿佐ヶ谷で催されるようです。

    2月26日(土) 20:30 『北陸代理戦争』上映前
    http://www.laputa-jp.com/laputa/program/matsukatahiroki/

    このご時世ですので、開催の有無やスケジュールは事前に十分ご確認ください。

  252. 居ながらシネマ より:

    上で紹介しました高橋洋子さんのトークショーですが、参加された方からその様子をメールにてお知らせいただきました。
    『旅の重さ』についても少し話されたとのことで、そこだけご紹介しますと……

    > 斎藤監督は、だいぶ機嫌が悪くむすっとしていたが、
    > 少女が小屋から出て田園の中で歯を磨くシーンの
    > ラッシュを八幡浜だったかなの映画館でラッシュで観たら、
    > 急に機嫌がよくなった

    とのことです。
    この映画館が「八幡浜東映」かどうかはわかりませんが、その可能性は高いような気がします。館内の場面を撮影しておいて、わざわざ別の映画館でラッシュを見るとも思えませんし。
    すべては憶測となりますが、冒頭の小屋と続くいくつかのシーンは本当に最初の最初に撮影されて、仕上がったラッシュをロケ先で確認したという流れでしょうか。
    「急に機嫌がよくなった」というのもなんだか微笑ましく感じました。
    新人女優さんにしてみれば監督の反応はなにより気になるでしょうし、監督もいざスクリーンに映し出されたものを見て、ようやくこれで「いける」と手応え感じたのかもしれませんね。

  253. 赤松 幸吉 より:

    この映画の永遠の謎、「映画館」はどこ?
    高橋洋子さんの口から直接「八幡浜」という言葉が出た以上、これは「八幡浜東映劇場」に間違いがないでしょう。
    それにしてもほとんど手がかりのない田舎道や棚田などが解明されているのに、これほど調べても、市のランドマークの大きな映画館がはっきりと分からないというのも不思議な話です。
    八幡浜の土地の人なら誰かがこの映画館の写真を持っているはずで、気づかれた方は是非投稿してください。

    ネット画像で「八幡浜東映」を調べたら、「愛媛県歴史文化博物館//博物館ブログ「研究室から」rekihaku.jugem.jp 八幡浜東映 」の昭和40年ごろの写真が1枚出てきました。

    DVDの映画館シーンと比べてみると多分この映画館に間違がないと思いますが、だれかもっと目のいい人に見てもらえませんか。

    この映画館が100%解明できるまで死ねません。

  254. 居ながらシネマ より:

    赤松幸吉さん、ご無沙汰しています。
    ご紹介のブログ記事ではうまく「八幡浜東映」の画像は見つかりませんでした(他の映画館の画像かもしれません)。
    もちろんどこかにそのものズバリの画像があれば最高ですが、フィルム時代はそんなにみなさんバチバチ映画館の写真など撮りませんし、同地域の昭和のレトロな画像の片隅にたまたま写っているのがあれば御の字ぐらいかもしれませんね。

    > この映画館が100%解明できるまで死ねません

    赤松さんに長生きしていただかないと困りますので、100%解明できた方はこちらに書かずに私にこっそり教えて下さい 😉

  255. イノシシ より:

    ご無沙汰しております。この春まさかの東京転勤となってしまい四国を離れてしまいました。管理人さんご紹介の2月26日がまさかの引っ越し日でしたので、残念ながら高橋洋子さんのトークショーは聞けずでした。ですがラピュタ阿佐ヶ谷までは東京の住まいから電車で30分少々ですので次のチャンスもありそうです。

    「八幡浜東映」についてはこの方の調査が詳しいですが、「八幡浜明星劇場」も同じ番地(八幡浜市新栄町210)であることから、おそらく「八幡浜東映」の番地は新栄町209の誤記で、かつては2つの劇場が並んでこの地にあった時代もあるということなのだと思います。

    https://hekikaicinema.memo.wiki/d/%B0%A6%C9%B2%B8%A9%A4%CE%B1%C7%B2%E8%B4%DB

    現在の地番を調べてみると八幡浜市新栄町210の番地はありませんが、八幡浜市新栄町209は(有)黒潮水産や民家などに分割されて跡地利用されているようですね。

    https://map.yahoo.co.jp/place?maptype=basic&lat=33.46010&lon=132.42501&ac=38204&az=Mzg&fr=sydd_GEDD_maps_next_p&zoom=19

  256. イノシシ より:

    いずれにせよ非常に狭い路地の中に「八幡浜東映」はあったようです。映画を観てみると、劇場の外観はファーストカットが俯瞰、警官のいるカットは演者と同じ目線ですので、路地の対岸にある民家の2階からファーストカットは撮られたと考えるべきでしょう。恐らく八幡浜東映の入り口があったのは下のリンクの場所で、敷地の前面には自転車置き場が、入り口から奥に長く客席が続いていたと想像できます。

    https://www.google.com/maps/@33.4601225,132.4246234,3a,90y,45.03h,94.94t/data=!3m6!1e1!3m4!1sqaaLGuz7p0_GKlQmzDMmKg!2e0!7i16384!8i8192

    ※現地で確認すればすぐに分かる筈ですが残念ながら東京都民になってしまいました!!

  257. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、コメントありがとうございます。

    よもやよもやの東京転勤ですか。
    でも地元のことはしっかりインプットされていると思いますので、引き続きいろいろ情報お寄せください。

    「消えた映画館の記憶」さんは他の記事でも参考にさせていただいていますが、本当に凄い&有り難いコンテンツですよね。
    2つの映画館が並んでいたというのは、昔の空撮でもなんとか確認できます。

    2つの映画館は南北に「二」の字に並んでいて、西側が映画館の前となり、少しスペースがあったようです。
    先に北側の建物がなくなり、南側の東映だけ残りましたが、北側の敷地は分割されて、西側のスペース含めて住宅が並んだ結果、南側の東映は路地の奥に旗竿のように残ったようです。東映の前のスペースはそのままで、スペース+路地が「旅の重さ」の映画館前のカットとなっているのかと思います。
    今朝は用意できませんが、後でまたGoogleスライドあたりで説明画像を作ってみますね。

  258. 高岡タケシ より:

    旅の重さファンの皆様、ご無沙汰しております。高岡です。
    ポストに投函するシーンのロケ地と思われる場所が見つかりましたのでご報告させていただきます。
    赤松様、ハンカチの準備はよろしいでしょうか。
    https://goo.gl/maps/xxkHb89cQrjSDHpN6
    カメラおおよそ南東向き、少女は坂道を下ってきてポストに投函したのではないかと考えていますがいかがでしょうか。

  259. 赤松 幸吉 より:

    高岡タケシさま
    大変ご苦労様でした。
    早速、長時間にわたってDVDのシーンと投稿されたストリート・ビューを克明にチェックしました。
    まず、ポストに投函するシーンのロケ地に間違いがないでしょう。
    少女が歩いてくる坂道の曲がり具合、後ろの山、道端の家並み、「ますや家具店」の看板がある黒い建造物(現在は取り壊されていますが)の土台の石垣(←これが一番の決め手かな?)などから、確信いたしました。
    さてさて、「感涙」はハンカチだけでは拭き切れず、バスタオル(キングサイズ)やティッシュBOX10箱分、念のために「涙壺」まで用意いたしました。

  260. 赤松 幸吉 より:

    高岡タケシさま 追伸です。  小生はストリート・ビューの見方に慣れていないので、勘違いをしていることもあるかもしれません。高岡タケシさまが、ここがポストに投函するシーンと信じる決め手がありましたら 具体的に教えていただけませんか。

  261. 高岡タケシ より:

    赤松様
    なんと!涙壺ですか(笑)
    時代屋の女房に出てきたアレですね。
    余談はさておき、ご質問の決め手ですが、左側の切妻屋根の重なり方ですね。並列ですが二の字ではなくハの字形の並びである事。
    道路から一段下がった敷地。
    向かいの黒い建物の石垣の高さもバッチリです。
    ますや家具店さんの商圏からしても矛盾は無いかと。
    そしてトドメは、近くにポストがある事です。
    残念ながら丸ポストではないのですが…svで確認して見て下さい。

  262. 赤松 幸吉 より:

    高岡タケシさま
    ご回答有難うございました。小生が(決め手らしきものに関して)信じていたこととほぼ同じでした。これで思う十分に「涙壺」を使うことができます。

  263. イノシシ より:

    高岡様

    やっと掲載されましたね、「赤いポスト」。おめでとうございます。私なりに赤松さんの疑問を立証してみました。現在の貝ノ川郵便局は国道321号(通称サニーロード)沿いの「土佐清水市貝ノ川中ヲサ866−1」にありますが、映画の撮影当時は現在の国道321号はなく、貝ノ川浦地区を通る海岸線沿いに旧国道はありました。貝ノ川郵便局は新道開通の後に移転されましたが、移転前は「土佐清水市貝ノ川1308」付近にあったとのことです。つまり当時は丸い赤ポストのある貝ノ川郵便局が高岡さんの発見された場所にあったということです。郵便局は移転したものの、ポストだけは旧郵便局の近くに新たに設置されたようです。現在四万十市在住の貝ノ川出身の知人に確認しました。ちなみにその知人は現在63歳。中学時代に映画のロケを下川口天満宮に自転車で見に行ったそうで、高橋洋子さんや三國連太郎さんがいたのを記憶していました。映画自体は見ていないそうでこれをきっかけに見てみるとのことです。土佐清水市貝ノ川は宿毛市の商圏にもなっており、「ますや家具店」のホーロー看板が設置されていることも矛盾しません。執念の男、高岡さんがまたやってくれました。あとは「棚田」ですね!

  264. イノシシ より:
  265. 高岡タケシ より:

    イノシシ様
    早速検証して頂きありがとうございました。相変わらず仕事が早いですね。
    漁協かな?それともハガキや切手を扱う商店かな?等と考えていましたが、仰る通り当時のメイン道路ですよね。三叉路にはバス停も残っていますしね。
    お陰様ですっきりしました。

    棚田は似たような地形を何ヵ所かピックアップしましたが、カメラ位置がダメです(泣)

  266. 居ながらシネマ より:

    高岡タケシさん、情報ありがとうございました。
    イノシシさんが検証してくださいましたし、赤松さんが涙壺ということで、これにて一件落着、大正解とさせていただきます。
    毎度のことながら、お見事でした 😀

    今回の成果は後ほど記事に追記させていただきます。
    わずか数行の追記でも、高岡さんの汗と涙の結晶であることは、ここに集う皆様にはきっとおわかりいただけると思います。
    この勢い?で「棚田」もぜひお願い致します ^^;

    全体のマップで見ると「海岸沿いの道」の先のあたりでしょうか。そのまま歩き続ければ、旅一座の境内。これがイノシシさんがお書きの旧国道なのでしょうね。
    撮影隊のルートのミッシング・リンクが少しずつ埋まっていくのがまた、わくわくしますね。

  267. イノシシ より:

    居ながら様

    おっしゃる通りで、奇岩がある「海岸沿いの道」の先と この貝ノ川の浦集落(本当の地名です)は海岸線をなぞる旧国道321号で繋がっていました。1972年はその海岸線の道しかなかったのでポストのある道が幹線道路でした。「繋がっていた」と書いたのは、以前にもお話したと思いますがこの地域は2001年に「西南豪雨」という大雨災害で大きな被害を受けました。私も仕事で現場に入りましたが貝ノ川集落の被害もかなり大きいものでした。その時に、普段から落石などが多かった旧321号は至る所で土砂崩れが発生し通行不能になってしまいました。それまでは旧道ながら生活道路として使われていたのですがその後復旧工事が行われることなく現在も廃道扱いになったままです。ものすごく景色の良いルートで、サイクリングロードなどに絶好のポイントだっただけに残念です。

  268. イノシシ より:

    2022年夏、今年は「旅の重さ」公開から丁度50年。
    この夏は「旅の重さ」のロケ地はどうなっているだろう。

  269. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、コメントありがとうございます。
    わー、本当ですね。公開から半世紀とは、時間的にも旅の重さが感じられますね。
    ロケ地の探索はすでに乾いたタオルを絞るようなレベルに到達していますが、探訪となるとこれからもいくらでも楽しめると思いますので、みなさんの知恵と汗が結集したこのページをいろいろな方に少しでも参考にしていただければうれしいです。

    管理人としては、この長大なページをさらに見やすく使いやすくすべく、少しずつでも手を入れていこうと思っていますので、またぜひお立ち寄りください。

  270. 居ながらシネマ より:

    ささやかな更新ですが、ロケ地マップ「斎藤耕一監督作品」で、『旅の重さ』の各マーカーに、記事本文で使わせていただいた皆様の画像を埋め込んでみました。
    左側のリストで選ぶか、あるいはマップ上のマーカーを直接クリック(タップ)すると、その場所の画像も見られるようになりました。

  271. イノシシ より:

    ねえ50年。50年も昔の四国の風景がこんな風に美しく撮影されている作品はないですね。やはりこの50年目の夏は特別な夏だと思います。今年は高知にいたかったですねえ。管理人さん、ありがとうございます。

  272. katsuzou より:

    居ながらシネマ様、大変ご無沙汰しております。katsuzouです。

    高岡タケシ様の尽力で三叉路が判明したことを心から喜んでおります。
    旅の重さのシーンで好きなカットの1つでもあり、早々、愛媛県まで日帰りで行きました。

    イノシシ様からある程度の付近の情報も頂いていたものの、そこはやはり50年という歳月が
    流れているのを痛感した次第です。樹木は高々と伸びており撮影当時の道路からのポジションでは到底カメラを向けることはできませんでした。
    (小屋だけは時間が止まっていました)

    民家の後の山の斜面も考えたのですが私有地の可能性もあり断念。

    その後、県道まで上り、歩き回ってやっと抜けの良い場所を見つけた次第です。
    映画の画角とは少し違いがありますが、俯瞰撮影が出来ました。

    また、ここの場所は遍路道でもあるのでしょうか、「笠置峠越」のかんばんがありました。
    ご承知の方がおられましたら、ご教授をよろしくお願いします。
    (遍路道のシーンが多いように思われるので)

    それともう一つ、たぶん高知県の海と思われる防潮堤らしき写真の場所も1つ未解決に
    加えていただけないでしょうか。

    居ながらシネマ様
    お手数ですが、メールで今回の写真と防潮堤の写真を送りたいと思いますのでよろしくお願いします。

  273. 居ながらシネマ より:

    Katsuzouさん、コメントと画像送付ありがとうございました。
    日帰りのロケ地探訪お疲れ様です。
    先ほど本文の「三叉路」に追記させていただきました。

    https://inagara.octsky.net/tabino-omosa#sansaro-katsuzou

    毎回素敵な画像はもちろんですが、撮影マナーもきちんと配慮されていて、ロケ地探訪の鑑のようなレポートとなっているのがすばらしいです。

    防潮堤も「未解決」に追加しました。
    これは宣伝用のスチールでしょうか。なかなか難易度は高そうですが、我と思わん方はぜひチャレンジを 🙂

  274. イノシシ より:

    Katsuzouさん、お疲れさまでした。

    俯瞰の写真、雰囲気は出ていると思います。あのような抜けの良いアングルに植林して見通しを悪くした人の木が知れません。しかも植えたのは杉で、これからあの場所はどんどん日当たりが悪くなり、さらに今後伐採される可能性もないと思います。でも映画公開50年の今年に一つロケ場所の現在が加わったことは嬉しい限りです。

    スチールの写真ですが私も高知の可能性が高いと思います。高知は台風常襲県で、高波から集落を守るためにこのような高い防波堤が作られます。これが瀬戸内や南予だとここまで高い防波堤はありません。東日本大震災以降、さらに南海トラフに備え防波堤がかさ上げされましたから様子は変わってしまったかもしれませんね。下の石が砂利ですね。しかも防波堤の中まで石ころが入ってきてしまっています。高波を受けた後だと思います。

    多分今頃、高岡さんが棚田と行き倒れの橋を割り出そうと頑張っていると思います(笑)

  275. イノシシ より:

    あと笠置峠は下のリンクが良くまとまっています。
    https://www.city.seiyo.ehime.jp/miryoku/seiyoshibunkazai/bunkazai/kuni/kshiseki/4232.html
    四国霊場は八幡浜をかすめていないので遍路道とは直接関係ありません。ですが大正時代の遍路記に高群逸枝の「娘巡礼記」という紀行文がありますが、その時代に九州から四国へ渡ってくる遍路は八幡浜から札所へ向かったようですから、逆打ちの場合、笠置峠を越えた遍路もいると思われます。

  276. katsuzou より:

    居ながらシネマ様、お褒めのお言葉、ありがたく頂戴いたします。(笑)
    ありがとうございます。
    また、未解決に追加して頂きありがとうございます。ところで、
    未解決の項で「堤防に寝そべるシーン」とありましたが、以前、漁師の家で泊めて貰う
    ロケ地(明浜)を訪れた際、地元の人々に映像を見て頂いた記憶があります。
    「たぶん埋め立て前の堤防とちがうかなぁ」と、聞いた事を思い出しましたが、確証には至りませんでした。今度また、四国に行った折、もう一度明浜の人たちに見てもらいたいと思います。

    イノシシ様、笠置峠はそのような古道だったんですね。
    四国には撮影や観光でお邪魔するのですが、今度、四国八十八カ所に挑戦してみようかと
    思うに至りました。

    高岡様、棚田、橋、防潮堤、頑張ってください。私も微力ながらサーチします。
    よろしくお願いします。

  277. 高岡タケシ より:

    イノシシ様
    ロケ地探訪は何かとタイミングが合わず、実現しておりません。
    が、探索の炎はメラメラでして、一人乾いたタオルを絞っております。笑

    katsuzou様
    写真、心待ちにしていました。
    毎回アップされる写真もですが、行動力もすごい!の一言です。
    今回は未解決ロケ地を提起して頂き、また楽しみが増えました。
    こちらの宣材?ロビーカード?の写真も素晴らしいですよね。
    おそらく高知県、濁さずに申しますと土佐清水市益野の砂利浜が有力かと思われます。
    残念ながらsv記録車は入ってませんので現地で確認するしかないですね

  278. katsuzou より:

    高岡タケシ様、

    恐れ入りますが、益野とは、下益野のことでしょうか。もし、下益野であれば、今度訪れた際に、写真を見てもらおうと思います。
    ちなみに、グーグルマップで下益野港をクリックしていただければ、「O KATSU」で、
    海岸の写真を載せております。あの高い防潮堤はありませんでしたが、聞いてみる価値は
    ありそうですね。

  279. 高岡タケシ より:

    katsuzou 様
    土佐清水市を丁寧に探索されていたのですね。
    仰る通り下益野です。
    益野川の河口には頻繁に釣行していました。
    その際高い堤防のそばに駐車した様な気がするのですが…
    20年程前の事なので間違っていたらすいません。
    私の方でももう少し調べて見ます。

  280. イノシシ より:

    Katsuzouさん、高岡さん

    私の直感ではロビーカードの防波堤があるのはこの辺りから遠からじの場所だと思います。ちょっとまだ確定はできていないのですが、大月町の西泊周辺ではないかと。かつて見たことがあるような景色だと思うのです。
    https://www.google.com/maps/@32.7736949,132.7423026,3a,83.1y,194.03h,77.11t/data=!3m6!1e1!3m4!1sQKVTGajXyeK-eUS4dsXRwQ!2e0!7i16384!8i8192

  281. katsuzou より:

    イノシシ様、高岡様
    ありがとうございます。

    以前、働いていた会社の後輩が下益野の出身で写真を見てもらうと、
    幼少の頃に大阪に引っ越してきたようで、あまり記憶には残ってないとの事でしたが、
    親父さんに一度写真を見てもらと、言ってました。
    詳細が判れば、また、ご連絡を差し上げます。

  282. 高岡タケシ より:

    katsuzou 様
    先日の投稿ですが、大きな見落としがありました。
    下益野は堤防内の路盤勾配がロビーカードとは逆です。
    下川口浦地区なら勾配的にokかと…
    現在も似た様な開口部が何ヵ所かありますし、港が出来た事で高い防潮堤が不要になり321号線の工事の際に現在の低いものに替えられたかも知れません。
    ただ地区内の道は昔のままでしょうから、昔を知る方から証言が頂けたら絞り込めそうですね。

    そして
    イノシシ様
    少年の旅館、ご納得して頂けた様で嬉しいです。
    こちらの未解決も真面目にやってますので(笑)
    ベテラン刑事の言葉、現場100回に習い、マップ1000回をモットーにやってますので(笑)
    前置きが長くなりましたが、一件見つけたかも知れません。
    慎重に調査してますので、しばらくお待ち下さい。

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