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『マフィアは夏にしか殺らない』 La mafia uccide solo d’estate (2013)

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町の暮らし全体も僕の人生も
マフィアなしには語れない

作品メモ

ひとつ前のエントリー『ローマに散る』は、架空の連続暗殺事件を通して政治の闇を描いていましたが、こちらは実際に70~90年代にかけてパレルモで日常的に起きていたマフィアによる要人暗殺事件を題材にした映画。
……などと書くと、対マフィア戦争を描いた本格的な実録映画のように思われますが、ジャンルとしてはむしろコメディ。
パレルモに生まれ育ったひとりの青年が、初恋の女性を思い続けるというラブコメ的ストーリーに、リアルの事件や人物を組み入れてしまったという、少々大胆な映画となっています。

もしかするとしゃべりまくるナレーションや主人公のキャラ設定にいまいち乗れない人もいるかもしれませんが、最後までくるとあら不思議、見事な盛り上げが待っていて、この展開は誰しも思わず「むむっ」と身を乗り出すのではないでしょうか。
社会を揺るがした重大な出来事を当時の世相と合わせて手際よく見せた上で、最後に感情のゆさぶりをかけてくるあたり、ふと『グッバイ、レーニン!』を連想しました。

タイトルは劇中の父親のセリフから(0:26)。
要人テロやファミリー間の抗争をこわがる息子にそう言ってきかせるのですが、もちろんそんな根拠など端からなく、町では流血沙汰が延々と続くことになります。

出演は、
アルトゥーロ・ジャンマレージ(大人)にピフ。
小学校の同級生で初恋の相手フローラ・グアルネーリ(大人)にクリスティアーナ・カポトンディ。
IMDb Photo

原案原作脚本監督ピエルフランチェスコ・ディリベルト。
これは主演ピフの本名で、監督デビュー作となります。パレルモ出身ということで、地元愛がたっぷり。

撮影ロベルト・フォルツァ、音楽サンティ・ブルヴィレンティ。

テレビドラマ版

その後テレビシリーズにもなっています(2016,2018 2シーズン、各12エピソード)。

ナレーションはやはりピフですね。

ロケ地

IMDbではこれだけ。

Palermo, Sicily, Italy

例によって、画面とにらめっこでチェックしています。
間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。

OP

劇場前

大人になった初恋の相手フローラ・グアルネーリが通り過ぎます。

Teatro Politeama GaribaldiW

フローラが立ち止まった建物

彼女が20年前小学生の時に住んでいたとナレーション。
彼女の目線の先には、入り口脇に掲げられた銘板があります。
ここに一人の判事も住んでいたと語られますが、すぐ後(0:09)でこちら↓の人物と判明。

ロッコ・キンニーチ(Rocco Chinnici)W

場所は↓

リアルにこの建物の前で、キンニーチ判事は車ごと爆殺されました(後述)。

ラツィオ通りの大虐殺

1969年12月10日、両親の新居の下で起きたという事件は、こちら↓

Strage di viale Lazio(ラツィオ通りの大虐殺)W

リアルの場所は、ラツィオ通り108ということで、こちら↓ 

映画の場面と似ていますが、撮影は別の場所(不明)。

名前が挙げられた主犯トト・リイナは、数々の暗殺事件に関わった実在のマフィア。

襲撃の場面で「ひと泡ふかしてやる」とけしかけた他、車内で待機しているところが写っています。
この後も何度も登場  ⇒ IMDb Photo

最期は映画では描かれませんが、有罪となって獄中死しています。

なお、襲撃犯のひとり、バガレッラは、リイナの妻の兄。「バガレッラ」は姓。

映画ではちょっとおとぼけキャラでしたが、実際には要人や抗争相手を次々銃殺した直接の実行犯でした。

洗礼式

0:05
「パレルモ史上最短」という主人公の洗礼。 ⇒ IMDb Photo

撮影に使われた教会は不明。

そそくさと出かけていったジャチント司祭は実在の人物で、本名はこちら↓

司祭は何度か登場しますが、すぐ後に述べられるとおり、10年後、1980年9月6日に銃撃されて死亡。
イタリア語版Wikipediaでは、その背景について様々な解釈があるように書かれていますが、この映画ではマフィアとのつながりを示しています。
ベロッキオ監督の『シチリアーノ 裏切りの美学』の最初の方でも司祭襲撃の様子が出てきますが、そこでも普通に当時無数にあったマフィア間の抗争事件のひとつとして描かれていました。
ちなみに、部屋からは多額の現金の他に鞭が発見されたというのも史実の模様。これは後の方のちょっとした伏線となります……

司祭が洗礼式もそこそこに駆けつけたのは、チャンチミーノ市長の就任式。

1970年11月のこと。
両親が結ばれた前項目から1年弱ですから、赤ちゃんの年齢的には設定がぎりぎりOKでしょうか。
洗礼式とからめるとは、うまいこと考えたものです。

市長もマフィアとの深いつながりが認められる人物でしたが、有罪となるものの天寿は全うした模様。

赤ちゃんと対面

0:07

父親と一緒に、ガラス越しで弟と対面するところ。
となりで人のよさそうなオヤジが嬉しそうにあやしていますが、赤ちゃんの名前は«MARIA C. RIINA»(マリア・C・リイナ)。
……ということで、「ラツィオ通りの大虐殺」の主犯、リイナその人。

娘の名前はMaria Concettaなので、こちらも実名登場でした。

フィラデルフィオ・アパロ

0:08

ラジオのニュースが、「パレルモで機動隊の隊員が殺された」と伝えます。
字幕では入っていませんが、「フィラデルフィオ・アパロ」と名前を言っています。

Filadelfio AparoW

1979年1月11日。
パレルモ警察本部公安機動隊副隊長。43歳。

マリオ・フランチェーゼ

0:08
お店のテレビが、「新聞記者のフランチェーゼ氏がパレルモで殺害されました」と伝えます。

Mario FranceseW

1979年1月26日。53歳。

この頃、町の人たちの反応は薄く、マフィアの関与はわかっていても、見て見ぬふりをして心の平和を保とうとします。

カーニバルの仮装

アルトゥーロの仮装(=DVDのジャケット)がアンドレオッティ首相のつもりであったことが判明。 あこがれていた首相ですが、実際にはマの世界とずぶずぶの人物。

ボリス・ジュリアーノ警部

0:20
イリスW をごちそうしてくれた男性。⇒ IMDb Photo
すぐ後(0:23)の暗殺のニュースで、ジュリアーノ警部と判明します。

Boris GiulianoW

1979年7月21日。
«Bar Lux»というお店で銃撃されました。48歳。
続いて映し出される銘板は、そのお店の前に掲げられています。

撮影に使われたのは別の場所(不明)。

警部が殺された日から
パレルモは一転
毎日のように人が殺された

こわがるアルトゥーロに、パパは「マフィアは夏にしか殺らないよ」と言ってきかせるのですが……

チェザーレ・テラノヴァ判事

ジュリアーノ警部の銘板に続いて、犠牲者の銘板や碑文が次々写されます。

連名の銘板は、犠牲となった判事と護衛警官のもの↓

1979年9月25日。58歳と26歳。 銘板はこちら↓

続く碑文は新約聖書「テモテへの第二の手紙」より。

Ho combattuto la buona battaglia, ho terminato la mia corsa, ho conservato la fede.
  2 Timoteo 4:7-9
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
  テモテへの手紙二 4章7 (Wikisource

場所不明。

ガエターノ・コスタ判事

Gaetano Costa(ガエターノ・コスタ)W

1980年8月6日。64歳。
銘板はこちら↓

ピオ・ラ・トッレ議員

0:31

小学生体験記者コンテストの発表。
アルトゥーロが最優秀賞を受賞しますが、ラ・トッレ議員の暗殺が伝えられたため、表彰式は中止に。

Pio La TorreW

1982年4月30日。54歳。  

勢力を強めるマフィアに対峙するため
ダッラ・キエーザ将軍が
パレルモに赴任する直前を狙った
卑劣な犯行です

ダッラ・キエーザ将軍

Carlo Alberto dalla ChiesaW

暗殺は、1982年9月3日。61歳。

0:35
将軍に会いにいった場所が気になりますが、調査中。

ファルコーネ判事が着手した一連の捜査に
キンニーチ判事も満足げです。

お金の流れが厳しく監視されるようになり、銀行員であるアルトゥーロのパパはご機嫌斜めとなります。

キンニーチ判事

0:47

ロッコ・キンニーチ(Rocco Chinnici)W

フローラの住まいと同じ建物に住み、アルトゥーロの初恋をあたたかく見守ってくれたキンニーチ判事も、とうとう爆弾テロの犠牲となります。
1983年7月29日。59歳。
暗殺されたのは住まいの前で、「フローラが立ち止まった建物」と同じ。

前夜アルトゥーロが歩道にメッセージを書いたり、以前(0:27)判事がフローラと話した場面は、別の撮影場所。

これでアルトゥーロの少年時代はしめくくられます。

フローラとの再会

0:55

大人になったふたりが再会。
アルトゥーロは、理想とはちょっと異なりますがなんとか仕事を見つけました。
ボスのジャン・ピエールは架空の人物。

フローラは代議士リーマの秘書をしていましたが、こちらは実在実名の人物。

1:10
マフィアとズブズブだった彼も、銃撃で暗殺。
1992年3月12日。

映画ではアルトゥーロの目の前で事件が起きます。
撮影場所不明。

ファルコーネ判事

ジョヴァンニ・ファルコーネ(Giovanni Falcone)W

1992年5月23日、高速道路を走行中に爆殺。53歳。

映画の中では、近くを走行中のフォフォ(フローラを巡って競っていた小学校の同級生)が事件に遭遇。

直前、リイナがエアコンのリモコンを操作する場面が入りますが、実際爆破はリモコンによるものでした。
IMDb Photo

ボルセリーノ判事

パオロ・ボルセリーノ

1992年7月19日、やはり車に仕掛けられた爆弾により暗殺。52歳。
映画ではファルコーネ判事の暗殺に続けて描写されますが、実際には2ヶ月ほど間が空いています。

映画の中では、ジャン・ピエールの実家が同じ通りにあるという設定で、事件に遭遇。

ファルコーネ判事とボルセリーノ判事の名前は、『ローマに散る』で登場したパレルモ空港の名称に受け継がれています。
ファルコーネ・ボルセリーノ国際空港W

アルトゥーロとフローラ

1:18
葬儀への参列を止められた市民は、パレルモ大聖堂前の広場に押し寄せて、反マフィアのデモを行います。

実際の映像に、アルトゥーロとフローラが再会するシーンをうまくつないでいます。
2人が互いをみつけた路地は、パレルモ大聖堂Wの真正面のこちら↓

メモリアル

ちょっとネタばれとなりますが、映画のラストで次々登場するメモリアル。
全員、映画の中でなんらかの形で登場しているのですが、わかりづらいところもありますので、撮影場所をメモしつつ、整理しておきます。 これまでの記事と重複しますがご了承ください。

なお、もちろんこれらの人々の他にも、実に多くの方が犠牲となっています。
ご参考までに↓

フィラデルフィオ・アパロ副隊長

Filadelfio AparoW

映画の冒頭近く(0:08)、ラジオのニュースで「パレルモで機動隊の隊員が殺された」と伝えられますが、その人物。
1979年1月11日。

銘板の場所は、おそらくこちら↓の機動隊本部、入って左側。

パレルモ機動隊の副隊長、別名猟犬。

ピオ・ラ・トッレ議員

ピオ・ラ・トッレ(Pio La Torre)

映画では、小学生体験記者の表彰式がこの事件によって中断されます。
1982年4月30日。

場所は、via Li Muliのこちら↓

銘板には、一緒に殺害された共産党員Rosario Di SalvoWも名を連ねています。

反マフィア法で財産没収を可能にしたのは、彼なんだ

マリオ・フランチェーゼ記者

Mario FranceseW

映画では冒頭近く(0:08)、テレビのニュースで事件が伝えられます。
1979年1月26日。

場所は、viale Campania。
ガソリンスタンドの北側、中央分離帯の中。

シチリア新聞の記者で、ボス・リイナの思惑を見抜いた

パオロ・ボルセリーノ判事

パオロ・ボルセリーノ(Paolo Borsellino)W

1992年7月19日。
映画では後半、ファルコーネの暗殺に続いて。
ジャン・ピエールの母親があやうく巻き込まれそうになります。

場所は、Via D’Amelio。

ボルセリーノはここで殺された
マフィアに狙われてると知っても怯まなかった

ジョヴァンニ・ファルコーネ判事

ジョヴァンニ・ファルコーネ(Giovanni Falcone)W

1992年5月23日、高速道路を走行中に爆殺。
映画では、近くを走行中のフォフォ(フローラを巡って競っていた小学校の同級生)が事件に遭遇。

メモリアルには、ファルコーネ判事の他4人の名前が刻まれています。

ジュリアーノ警部

Boris GiulianoW

1979年7月21日。

店には変なひげのおじさんがいて
イリスをくれたんだ

ダッラ・キエーザ憲兵隊将軍

Carlo Alberto dalla ChiesaW

1982年の9月3日。

初めて取材した人だよ

ロッコ・キンニーチ判事

ロッコ・キンニーチW

1983年7月29日。

キンニーチ判事の他、一緒に亡くなった人々の名前もあります。

  • Mario TrapassiW ……護衛警察官
  • Salvatore Bartolotta ……護衛警察官
  • Stefano Li Sacchi ……住まいのドアマン

マフィア対策チームを作った人だ
ママとパパの知り合いだった

ロケ地マップ

資料

更新履歴

  • 2022/10/24 新規アップ

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