記事内の商品画像には広告リンクが含まれています

『遙かなる帰郷』 La tregua (1997)

B00005FVIH

The worst thing they did was to crush our souls.

作品メモ

『マフィアは夏にしか殺らない』の前まで『シシリーの黒い霧』『パレルモ』『ローマに散る』とフランチェスコ・ロージ監督をチェックしていましたので、もう少し続けて……

この『遙かなる帰郷』は、『パレルモ』(1990)に続く作品で[1]ドキュメンタリーを1本はさむ。、監督最後の作品。
アウシュヴィッツでからくも生き延びた主人公が、9ヶ月という長い道のりを経て、故郷トリノに帰還する姿を描きます。

原作はプリーモ・レーヴィの『休戦』(La tregua 1963)。

4003271718

代表作『アウシュヴィッツは終わらない これが人間か』は収容所内の体験を描いていましたが、『休戦』は収容所を出てから帰国までということで、2作品はセットのように読み合わせることができます。

4022630655

どちらも、人物や状況、心理が実に克明に記録されています。
おそらく「(神に)生かされたのは、書くため」という使命感があったものと思われますが、一方で、ありえないほど過酷な体験を強いられた作者にとって、ひとつひとつ書き残すという作業そのものが、自身の心を少しずつ立ち直らせる過程となっていたのではないか、とも感じました。

その筆致はあくまで冷静かつ淡々としていて、あたかも第三者がどこからか見ていて記録したかのよう。
映画の方も原作と同様のテイストとなっていて、映画的にはいささか盛り上げに欠けると思われるかもしれません。
それでも、収容所で魂を打ち砕かれてしまった主人公が、人としての心を取り戻していく様子は丁寧に描かれて伝わってきますし、ラストの彼の姿は、セリフはないのに何より雄弁で胸を打ちます。

出演は、
主人公プリーモにジョン・タトゥーロ。
旅路の仲間チェーザレにマッシモ・ギーニ。
したたかでたくましいギリシャ人にレード・セルベッジア。

撮影は、長年監督とコンビを組んできたパスクァリーノ・デ・サンティス。
撮影中に亡くなり、遺作となっています。

音楽は、最近のエントリーで言えば『奇跡の丘』『イル・ポスティーノ』のルイス・バカロフ。

イタリア語はもちろん、ロシア語、ポーランド語、ギリシャ語、フランス語と、リアルな言語が飛び交います。

経路

なじみのうすい地名が出てきますので、あらかじめどういったルートを辿ったのかを頭に入れておくと、映画も理解しやすいかもしれません。

こちら↓は日付も入っているのでとてもわかりやすいマップ。
原作にも地図が収録されていますが、日付なし、さらにウクライナやベラルーシは独立前なので国境線なし……で、現在の目線では位置関係が把握しづらいものとなっていました。

ロケ地

IMDbでは、

Ukraine
Lviv, Ukraine
Turin, Piedmont, Italy
Italy

例によって、IMDbのリストとウェブマップを頼りに画面とにらめっこでチェックしています。
間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。

決して面白おかしくロケ地をチェックしていい映画ではありませんが、全体のルートを確認したかったのと、途中で登場した町がどこで撮影されたか気になったため、特にそのあたりを見てみました。

収容所

ドイツ軍が撤退し(1945年1月初め)、ソ連軍がやってきた(1945年1月27日)アウシュヴィッツ。
主人公がそこにいたのは、ユダヤ人だからナチスドイツによって送り込まれたのではなく、イタリア降伏後(1943年8月)パルチザンとして活動していたところをファシスト軍に捕まり、ドイツ側に引き渡されたため(1944年2月)。

最初の町

0:16

機関車の故障で途中から徒歩となり、ようやくたどりついた町。
原作ではポーランドのクラクフ。
撮影はIMDbのリストのこちら↓

Lviv, Ukraine

主人公の目線で最初に写る建物(イタリア語の歌が聞こえてきた方角)は↓

ソ連兵に止められたゲートは同じ広場で、カメラアングルが逆の向き↓

背景の教会は↓

Dormition Church, LvivW

ゲートの奥、イタリア兵が集まっているという建物は、別の場所(不明)。

解説が必要かもしれませんが、ここでのイタリア兵は、イタリアが枢軸国から離脱して降伏した後ドイツ側に捕虜になっていた人々。 
主人公はともかく、ギリシャ人を入れるなんてとんでもない、という反応は、当初イタリアはギリシャと戦っていたため(でもタバコを渡してあっさり解決)。

劇場前

群衆がつめかけた広場。

巨大な垂れ幕がかけられた劇場は、リヴィウのオペラハウス。

リヴィウ・オペラ・バレエ劇場W
Львівський національний академічний театр опери та балету імені Соломії КрушельницькоїW

道を尋ねた教会

0:28

門をくぐって司祭の後をつけたのは、こちら↓の通り(Brativ Rohatyntsiv St)。

内部はこちら↓

Bernardine Church, LvivW

カタコトのラテン語で、困窮者に食事を提供している場所を聞きます。

ギリシャ人と別れ、ロシア兵に半ば強制的に乗せられたトラックで、カトヴィッツェ(Katowice)Wの収容施設に連れてこられます。
ここで、イタリアでは大卒(学士)がドットーレであることから、ドクターとして仕事につくことに。

音楽が聞こえた窓

0:57

終戦後、チェーザレと入っていったのは、リヴィウのこちら↓(Virmens’ka St 13)の建物。

こちら↓の裏道に出ます。

アルメニア大聖堂 (リヴィウ)W

店の女性

0:58

ドイツ語を話す彼女は、2人がアウシュヴィッツから生還したと知ると、お店に招き入れます。
勇敢にもヒットラーに開戦をいさめる手紙を書き、追放されたと語ります。[2]原作では、夫は連行されてそれきり。彼女はベルリンを追放された
撮影場所は不明ですが、おそらくこれまで同様リヴィウでしょうか。

チェーザレが夫の遺品のバイオリンを盗むのは、映画オリジナル。
汽車で、ダニエーレと再会。

途中で降ろされた駅

1:05
ソ連兵が使うため降ろされてしまった駅。
原作では、現ウクライナのジメリンカW

再び途中下車

1:09

オデッサ行きのはずが、線路が中断されていて、そこで下車。

オデッサ(ウクライナ)へのルート[3]港から船で帰国するつもりだった。が絶たれたため、北方のミンスク(ベラルーシ)近くのスタリエ・ダローギを目指し、そこからトラックに乗る計画[4]原作では「スターリエ・ダローギ」は地図で見つからないと書かれていますが、おそらく実在するСтарыеДорогиWのこと。

赤い家

ようやくスターリエ・ダローギの「赤い家」にたどり着き、救援収容所で帰国の足を待つことになります。
そこでギリシャ人と再会しますが[5]再会したのは原作ではスルーツク、意外な仕事?をしていました。
原作ではごく短いエピソードを、映画は少し膨らましています。

「赤い家」やその周辺の撮影はどこかの工場施設と思われますが、不明。

ドイツが降伏し、ギリシャ人と別れた後、入っていった森の緑が印象に残ります。

B00E6LMOF8

森の中でのフローラとのエピソードは、映画オリジナル。
全体に原作に忠実とは言え、このように多少脚色はしています。

到着した駅

1:41
ソ連の列車で到着した一行。
テロップでMonacoと出ますが、南欧のモナコではなくイタリア語でミュンヘン(ドイツ)のこと。
1945年10月15日で、1月に解放されてから9ヶ月後のことでした。

撮影はおそらくウクライナのこちら↓

リヴィウ(Liviv)駅W

列車は東側から数えて4番目の線路(カマボコの東側の西端の線路)を北側から入ってきているように見えます。

駅ではドイツ兵捕虜が労務についていますが、それを見たイタリア人たちは重く押し黙り、モノローグが気持ちを代弁します。
その後の、ひとりのドイツ兵とのエピソードは映画オリジナル。
原作での近い描写としては、ジメリンカ滞在中にドイツ軍捕虜たちと遭遇した際、ダニエーレがパンを地面に置いて這って取りに来るよう命じたところでしょうか。
ダニエーレは、ヴェネツィアのゲットーで家族や親戚をすべて殺されていました。

自宅

トリノの自宅に駆け戻る主人公。
これはIMDbに地名があるので実際にトリノ市内かもしれません。

Turin, Piedmont, Italy

資料

更新履歴

  • 2022/10/26 新規アップ

References

References
1 ドキュメンタリーを1本はさむ。
2 原作では、夫は連行されてそれきり。彼女はベルリンを追放された
3 港から船で帰国するつもりだった。
4 原作では「スターリエ・ダローギ」は地図で見つからないと書かれていますが、おそらく実在するСтарыеДорогиWのこと。
5 再会したのは原作ではスルーツク

コメント

タイトルとURLをコピーしました