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『シシリーの黒い霧』 Salvatore Giuliano (1962)

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山賊と警察とマフィアは三位一体だった

作品メモ

ひとつ前のエントリー『シシリアン』(87)は、戦後のシチリアで台頭した山賊サルヴァトーレ・ジュリアーノを描いたマイケル・チミノ監督作でしたが、こちらはその四半世紀前に、社会派フランチェスコ・ロージ監督が同じ人物をテーマに描いてみせた作品。
原題が«Salvatore Giuliano»と、氏名そのまま。
邦題はどう見ても『日本の黒い霧』(1960年刊)がお役に立っています。

冒頭いきなり本人の遺体発見現場から始まり、少し話が進んだあと、5年前の出来事が描かれ、そしてまた現在へ話が戻り……と、現在と過去を何度か往復しながら、ジュリアーノの生涯やその死の謎と切り結び、シチリアの複雑な政治社会情勢の闇の部分をあぶり出していきます。

『シシリアン』がストーリーや語り口などあくまで作り物としての映画の文法に従っていたのに対し、『シシリーの黒い霧』はドキュメンタリータッチの映画。クールでありながら気迫がみなぎる白黒映像が積み重ねられていき、映画の世界へぐいぐい引きずり込まれていきます。
こうした映像表現もそうですが、出演者もほぼ素人さんたちのようで、これらはフランチェスコ・ロージ監督が助監督を務めたヴィスコンティの『揺れる大地』(48)と同じ手法と言えます。
つまりちょっと遅咲きのネオレアリズモ。

中心にいるはずのジュリアーノ役すら、主役らしい演技がありません。
……といいますか、そもそもあまり登場してきませんし、登場しても顔をあえてはっきりとは写しません。
ちなみにイタリア語版WikipediaWに拠れば、ジュリアーノ役のピエトロ・カンマラータは、パレルモの路面電車の運転手とのこと。[1]ソースは、la Repubblica > Quando Rosi reclutò gli attori nel feudo del re di Montelepre

キャストでクレジットされているのはたった2人。
ジュリアーノのいとこで右腕であるガスパレ・ピショッタ役のフランク・ウォルフ(IMDbのPhoto)と、裁判長役の サルヴォ・ランドーネ(IMDbのPhoto)。
この2人は、台詞回しや演技がたっぷり。特にピショッタ役は裁判のシーンなど印象に残ります(IMDbのPhoto)。
『シシリアン』もそうですが、ジュリアーノを描くにあたり、ピショッタ役がどれだけ良い演技を見せるかがキモとなっているようですね。

ドキュメンタリータッチとはいえ、もちろんフィクションを交えた部分もいろいろあるかと思います。
史実としてのジュリアーノとピショッタについては、例えば以下を参照ください。

こちら↓はリアルの2人。白いコートがジュリアーノ。

映画ではこの動画の↓サムネイルのような感じで(手前と右端)、うまいこと再現されていると思います。

撮影ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ、音楽ピエロ・ピッチオーニ。
フランチェスコ・ロージは、監督の他脚本(共作)とナレーション(クレジットなし)を担当。

ロケ地

IMDbでは、

98 Via Serafino Mannone, Castelvetrano, Trapani, Sicily, Italy (Giuliano’s body)
Piazza Bologni, Palermo, Sicily, Italy (independentists demonstration)
Portella della Ginestra, Piana degli Albanesi, Palermo, Sicily, Italy (massacre)
Castelvetrano, Trapani, Sicily, Italy
Montelepre, Palermo, Sicily, Italy

映画冒頭のテロップで、史実通りの場所で撮影されたことが示されます。

この映画はシチリアで撮影された
サルヴァトーレ・ジュリアーノが生まれ
7年間支配を続けたモンテレプレの村と
最後の数か月を過ごし
ある朝中庭で遺体で発見された
カステルヴェトラーノの町で

例によって、IMDbのリストとウェブマップを頼りに画面とにらめっこでチェックしています。
間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。
随所に補足メモを入れていますが、これも間違いがありましたらご指摘ください。

字幕の引用は、NHKBSプレミアムシネマの放送録画より。

発見現場

0:03
ジュリアーノの遺体発見現場。

1950年7月5日カステルヴェトラーノ

98 Via Serafino Mannone, Castelvetrano, Trapani, Sicily, Italy (Giuliano’s body)

60年前の映画ですが、今でも撮影場所を確認できます。
カステルヴェトラーノはシチリア島の南西端近く。パレルモから見れば南西方面、車で90km。

独立派のデモ

0:07
お話は遡って、1945年。
シチリア独立派の激しいデモが繰り広げられるパレルモ市街地。

Piazza BologniW, Palermo, Sicily, Italy (independentists demonstration)

この広場は、同じくフランチェスコ・ロージ監督作『パレルモ』(80)でも登場しています(次にエントリー予定)。

進展しない状況に独立派はいらだち、既存の武装ゲリラ組織を独立部隊として利用して、実力行使で運動を盛り返そうと目論みます。
この場面、メンバーは皆手を大きく動かすシチリアしぐさがたっぷり ⇒ IMDbのPhoto

独立義勇軍との会談

0:09

1945年10月
モンテレプレから数キロ離れた山中で
独立義勇軍の代表が山賊であるジュリアーノに
隊長の称号と軍旗を進呈
独立が成功すれば罪は許されると約束した

シチリア独立義勇軍(Esercito Volontario per l’Indipendenza della Sicilia = EVIS)については、たとえばこちら↓

撮影場所はこちら↓
同行した仲介者の老人がシチリアの大地に訴えかける場面で、周囲の地形がはっきり写ったため場所が判明しました。
マップでは、Baglio delle Case Nuove とあります。

車がやってくるのを俯瞰のパンで捉えたカメラアングル↓

ここでジュリアーノについて来歴がナレーションで簡単に語られますが、本人は建物の中にいるという設定で姿は現さず、ピショッタが戸口で出迎えます。

付き添ってきた背の高い老人は、会合には立ち会わず、見晴らしの良い場所へ出て、山々に向かって高らかに歌い上げます。

シチリアよ目を覚ませ
長い眠りを経てお前は
名誉まで失ってしまった
だが目覚めの時が来た
もう眠る必要は無い……

この人物、ドン・ピエトロと呼ばれます。
地元の有力者なのか、あるいはマの人そのものなのかわかりませんが、ともかく義勇軍と山賊を橋渡しした人物のようです。

彼が立っていたのは、会合のもたれた建物の北側向かいの建物を抜けたところ。

この南側にSagana(サガナ)という地名がありますが、ナレーションでも「さーがな」と言っているように聞こえます。(字幕では「モンテレプレから数キロ離れた山中」)

警察署襲撃

0:13
ジュリアーノ一味が、独立義勇軍の一部隊として活動する様子。

まず、ジュリアーノの名前入りのプロパガンダポスターが街角にずらりと貼られますが、よく見るとシチリアをイタリアから切り離しアメリカへ引っ張っていく絵柄となっています。
IMDbのPhoto

次にどこかの街で男たちが続々と集まり、夜間警察署を襲撃します。(上掲予告編30秒あたり)
場所は山中の村のようですが、モンテレプレではなさそう。
調査中。

その後も、山道の詰め所(IMDbのPhotoIMDbのPhoto)や、移動中の車を襲撃。
ここでの相手が国家憲兵(カラビニエリ)なのか警察なのかは不明。

遺体搬送と記者たちの取材

0:17
1950年に戻って、ジュリアーノの遺体が現場から運び出されます。 ⇒ IMDbのPhoto
撮影場所は「発見現場」と同じで、遺体を乗せた車は Via Frà Serafino Mannoneを南へ向かっていきます。

記者たちは取材を重ねますが、スッキリしない点があれこれ見つかります。

ローマから来たという記者が街角のスタンドに立ち寄り、冷えた飲み物で一服がてら、話を聞きます。

「ジュリアーノの評判は?」
「貧乏人の味方さ」
「本当に?」
「街の人には分かるまい」

この場所もカステルヴェトラーノ市内と思われますが、気になるので調査中。

軍の進駐

0:21
ゲリラ鎮圧のため、モンテレプレに300人もの軍隊が出動します。

モンテレプレ(Montelepre)W

モンテレプレは、パレルモの中心から西へ20数kmほど。
ジュリアーノやピショッタの生まれ故郷であり、一味は近くの山岳地帯に潜伏、周囲の村々を実効支配しています。

掟と情熱 恐怖で守られた
ジュリアーノの王国だ

モンテレプレ俯瞰

0:21
最初の俯瞰ショットは北側の山から。

0:30頃の軍隊との銃撃戦も、このあたり。

やってくる軍隊を観察する白いコート姿のジュリアーノ。
この場面も、双眼鏡で顔がかくれています。

シチリア島東部では
1946年当時軍がすでに
独立派の暴動を鎮圧していた
だが“モンテレプレの王”は健在だ

ということで、軍隊の出動は1946年のお話となります。

軍隊の進路

0:23
実際のモンテレプレの中を進んできます。
意外とSVで実際の場所と照合できたので、ついつい細かくチェックしてしまいました。
ロケ地マップにも記載しましたので、そちらをご覧になった方が早いかもしれません。

車上の兵士がアップになってから最初のカット↓  車は南へ移動。カメラは左へパンし、進行方向右側を写します。

2番目のカットは、同じコースを走り、カメラは反対側(進行方向左側)を写します。

アーチ越し → 右へパン → 通り俯瞰

  • Google Maps(SV) ……反対側から
  • 38.0881571,13.17123924 ……カメラ位置

右へパンしきった後、人々が駆け下りていく階段と通りの俯瞰はこちら↓

警察署のカットを挟んで、教会↓

毎度のことですが、60年近く経った今でも多くの建物が現存しているのには驚かされます。

署長の進路

0:24
署長が窓から見下ろして「何事だ」と言うのは、こちらの建物から。

その後下に降りて歩いて行くのはこのあたり。

教会に沿って左折し、突き当たりを右へ。

軍が司令部を構えるのは、村の役場のようです。

路上の狙撃

0:26
進駐した軍がたちまち手荒い挨拶を受けるところ。

役場出口と言う設定で、署長とヴァッレ中尉が出てくるのはこちら↓ ⇒IMCDb

そのままカストレンツェ・ディ・ベッラ通りを東へ↓

途中は描かれませんが、おそらくそのまま通りを進んだという設定。
先を行く3人の警官のうち2人が左折するのは、同じ通りのこちら↓

撃たれたのはそのすぐ先↓

運び込まれたのは、このあたり↓

お触れ(夜間外出禁止)

0:27
太鼓を使っての「夜間外出禁止」のお触れ。(上掲予告編の冒頭)
暗くてよくわかりませんが、調査中。

交戦

0:29
山を登ってきた白い脚絆の兵士たちと一戦交える場面。
風にたなびく旗のショットから入りますが、これがジュリアーノたちが授かった独立派の軍旗でしょうか。
モノクロではわかりませんが、結構派手目の色彩です。

村を見下ろすショットは、前述の通り「モンテレプレ俯瞰」と同じ位置(村の北側)。
この↓SVよりもう少しバックして北側の高いところ。

凄まじい反撃に兵士たちは口々に、  ⇒ IMDbのPhoto

「奴ら本気だ」
「戦争で生き残って こんな場所で死にたくない」
「さっさと独立させてやれ」

  • 38.0941413,13.17247149 ……機銃に狙い撃ちされる兵士の位置
  • Google Maps(SV) ……「全員撤退だ」のアングル

歩兵は撤退となりますが、砲撃により一味の旗印を吹っ飛ばします。

お触れ(水くみと買い物)

0:33
「これより1時間水くみと買い物の時間が与えられる」とのお触れ。
長い坂道を太鼓を叩きながら降りてくるロングショット。
IMDbのPhoto

村人たちがゾロゾロ出てくるワンカットは迫力がありました。
水くみ場といいますか、井戸はもう無くなっているようですね。

独立義勇軍解散

0:34

1946年5月シチリアに自治権が認められた
独立義勇軍も解散することとなった

政治犯は釈放されますが、ジュリアーノ一味の恩赦の約束は反故に。
ただのお尋ね者の山賊へ逆戻りです。

誘拐

0:37

法外な身代金目当ての誘拐と強盗恐喝ゆすりが
義勇軍解散後のジュリアーノの活動だった
戦利品はジュリアーノとマフィアで分配された
マフィアの保護は高くつく

ジュリアーノ一味イコールマフィアとかいう単純な話ではないことがわかります。

誘拐の場面で、車が大きな柱が並んだ建物の前を通過します。
下の部分しか写りませんが、特徴的なのでパレルモ市内のこちら↓とわかります。

サン・ドメニコ教会(Chiesa di San Domenico)W

連れてきた山中の建物はさすがに不明。

一味狩り

0:42
兵士が村の若者たちを片端から連行していきます。

下車する兵士たち

村の近くの坂道で、兵士たちが下車するところ。
西側のこちら↓

白いコートを着たジュリアーノと仲間が、俊敏に山へ隠れます。

連行する街角・その1

署長が立ち会っていたところ。
角の建物がかなり傷んでいます。

署長はどうも乗り気でない模様。
村人は無関係だ、と進言しますが、
「それどころか全員グルだろ」
とあっさり言い返されます。

連行する街角・その2

こちら↓の通りの両側から一人ずつ連行。

  • Google Maps(SV) ……右手の建物(映画とは反対側から)
  • 38.0908469,13.17111817 ……左手の建物 

通りの突き当たりの建物は、今も全く同じ姿。

VIA S.CATALANOという標示が見えますが、この↓位置。

  • 38.0908469,13.17111817

左側の建物から男を連行し母親が嘆く姿を捉えながら、カメラが移動。角を右手へ回ります。

さらにワンカットで左へパン。

左へのパンの途中で写る長い坂道は、「お触れ(水くみと買い物)」の坂道を反対方向から見ています。

男たちが集められた広場

パレルモ行きを言い渡された若者が叫びます。

モンテレプレに生まれたことが罪なのか?

おまけですが、こちら↓にこの場所での撮影の様子がありました。

こちら↓はさらにおまけ。

女たちが上ってくる坂

0:48
女性たちが手を振り嘆きながら駆け上がる坂。

ここ↓で右折しますが、

次のショットでカメラが捉えているのは、1ブロックバックしてこちら↓の角

そしてすぐに右折↓ ジュセッペ・テッラノーヴァ通りを南下。

運ばれた墓地

0:51
ここで突然1950年に戻ります。
遺体が運ばれてきたのは、カステルヴェトラーノのこちら↓の墓地。

駆けつけた母親が遺体にすがって嘆き悲しむのですが……

このシーン、横たわるジュリアーノが息をしているのがはっきり見て取れてしまいます。⇒ IMDbのPhoto
IMDbのGoofsでもツッコまれていますが、全編にみなぎる緊迫感と臨場感が、ここだけ「あら?」という一瞬醒めたような気持ちになってしまったので、できれば演者の方、30秒ほどしっかり息を止めていて欲しかったかも……

スカウトされる羊飼い

0:55
再び過去に戻り……
羊飼いがジュリアーノの一味に強引にスカウトされてしまいます。
先の一斉検挙で、人員不足となったからでしょうか?

撮影場所は、モンテレプレの村の東側の山腹。

この羊飼い、「メーデーの虐殺」の後、取り調べで、誰も殺していないのに、と激しく悔しがる運命となります……

メーデーの虐殺

0:58
1947年のメーデーで起きたデモ参加者への虐殺事件が描かれます。

これまでのエントリーで言えば、『シシリアン』(1987)でジュリアーノの運命が大きく変わる事件として描かれたほか、『シチリア!シチリア!』(2009)でも間接的に登場しています。

撮影場所も、実際に事件が起きたこちら↓

Portella della Ginestra, Piana degli Albanesi, Palermo, Sicily, Italy (massacre)

事件が起きた現地には記念碑が建てられています。

1979-80の作とのことで、当然映画には写り込んでいません。

埋葬された墓地

1:05
再び1950年に戻ります。

1950年7月ジュリアーノの名が墓に刻まれる

ジュリアーノの墓参りをする母親。
墓所の撮影は、モンテレプレの東側に位置するこちら↓

ジュリアーノのお墓はこちら↓ですが、スマホでは見られないかもしれません。

ナレーションがさらに続きますが、メーデーの虐殺(1947)からジュリアーノの死(1950)に至るまでの流れを、映像なしで一気に語ってしまいます。

メーデーの虐殺後も一団は罪を重ね……
政府は非常手段として、ルカ大佐が率いる特別鎮圧部隊を出動
11ヶ月の活動の末 大半を逮捕または殺害
ジュリアーノも死んだ
残るは彼の右腕 ガスパレ・ピショッタだけだ

ピショッタの実家

1:06
設定ではモンテレプレと思われますが、撮影場所不明。

史実では、ピショッタの逮捕はジュリアーノ殺害直後の1950年7月5日。
このシーンは当然、ひとつ前、母親の墓参りの場面よりは少々時間を遡っていることになります。

裁判

1:09
ピショッタ逮捕の後、すぐ裁判の場面となります。
テロップやナレーションが入らないため、少々とまどいますが……

これは、1950年~にヴィテルボ(Viterbo)で開かれたメーデー虐殺事件(ポルテッラ・デッラ・ジネストラの虐殺)についての裁判。
映画の時系列では、母親の墓参りの後につながる現在編の続きとなっています。

実際の裁判の展開はたとえば↓

本来は虐殺事件の裁判ですが、ピショッタが警察幹部と共謀してジュリアーノを殺害したと証言して、大騒ぎに。

新聞の紙面がどーんと出た後、スーツ姿で証言したのは、前検事総長。
任期終了後に人を介してジュリアーノと会談したことを証言。
次にその仲介者も、同様の証言。
最後に制服姿の男がジュリアーノのメモについて、聴いたことはあるが入手できなかったと証言します。
こちらは国家憲兵(カラビニエリ)。字幕では「大佐」と呼ばれていますが、鎮圧部隊のルカ大佐その人なのかどうかは不明。
前検事総長にスパイの名を教えるよう要請したが拒まれ、いちから調べる事になったと証言。

こうして憲兵隊と警察は対抗心を燃やし始めた

どうもジュリアーノ一味を追う側も、一枚岩になれず、足の引っ張り合いをしていたようです。

憲兵隊とマフィア

1:27

憲兵隊はマフィアと手を組んだ

おそらく国家憲兵隊(カラビニエリ)の建物内で、男2人が司令官(COMANDANTE)の部屋に呼ばれていきます。

ここからまた過去に遡った話となり、憲兵隊(カラビニエリ)がマフィアを利用し、ジュリアーノ一味を切り崩していく様子が描かれます。

マフィアへの指示

続いて、洗濯物がぶら下がっている通りを、マの人とおぼしき黒いスーツ姿の男性がやってきます。
そこはパレルモのような大きな町に見えます。
たとえばこういった↓ところとか。

入り口で署長と呼ばれる男が待っていますが、これはカラビニエリの施設で男2人を呼び入れた人物ですね。
建物に入るとき、署長がちょっと躓くのがかえってリアル。

ジュリアーノの行方を知りたがる署長に、マの人は答えて曰く

友人としてなら話をしよう
署長としてなら何も知らん

ジュリアーノ本人の代わりに他の者を差し出すことを提案。

最初の1人

最初に捕まるフランコ・マンイーノは、冒頭近く、独立義勇軍の車がやってくるのを捉えたショットで、パンの最後右端にいた男。
手引きしたマの男は農夫の格好をしていますので、そこは自宅の農家という設定でしょうか。

署長はこの程度で満足せず、マの男に圧力をかけて次々ジュリアーノ一味を切り崩していこうとします。

さらに2人

さらに2人の一味をおびき出すところ。
用心深く山から下りた2人を、ジュリアーノの指示だからと、言葉巧みにカゴに入れ、トラックで運び出してしまいます。 ⇒ IMCDb

どこかの町外れですが、調査中。
建物や周囲の地形が写っているので、粘れば分かるかも。

石切り場

とうとうジュリアーノとピショッタにバレて、手引きしていた男はもう一人の男(カラビニエリの司令官に呼ばれた2人組の右側の男)とともに捕らえられます。
男は、石切り場に繋がれたまま、ピショッタを寝返らせようと説得します。

撮影場所は、おそらくモンテレプレの周辺と思われますが、調査中。

ここでの2人のやりとりは興味深いものが。

「俺は47年から警察と組んでるぞ」
「警察より憲兵が問題だろ」

先の裁判もそうですが、こうした複雑な情勢は、ただ映画を見ただけではなかなか理解するのは難しいような。
個人的には今回こういった↓本が参考になりました。

4062919656

こちらを参考に少し補足しますと……
ジュリアーノたちが活動を維持できたのは、単に奪ったお金を配って民衆から支持されたのではなく、警察やマフィア(当然警察組織に深く関わっている)とズブズブだったから。
独立義勇軍としての活動も、メーデーのデモへの襲撃も、さらに映画では描かれていませんが、他の山賊を一掃することにも協力していたようで、ジュリアーノたちは特赦をエサに特定の集団にとことん利用されていたと言えます。

一方鎮圧隊を率いるルカ大佐(=国家憲兵、カラビニエリ)は、ジュリアーノを仕留めることをめざし、右腕のピショッタをハメようと目論みます。それが映画でこの後描かれます。

ピショッタの寝返り

1:38
どこぞやの村に車がやってきて、降り立つ人物をピショッタが物陰から確認します。
石切り場での「署長でも大佐でも会わせてやる」という誘いに、ピショッタが乗ってきました。

村が気になりますが、調査中。

ジュリアーノ暗殺

1:43

夜の町。
ビショッタが数人の憲兵(カラビニエリ)と登場。
ジュリアーノが潜んでいるのは、デ・マリア弁護士の家、という設定。
撮影場所はカステルヴェトラーノのどこかでしょうけど、暗すぎて不明……

この後ひとりで入っていたピショッタがジュリアーノを射殺、映画冒頭の遺体発見現場につながる偽装工作の動きとなります。
ピショッタはいったんは逃走、その後「ピショッタの実家」につながります。
このあたり、時系列がややこしいですね……

判決

1:48
場面はふたたび現在の裁判所。
弁護士デ・マリアの他、仲介したマロッタなる人物も登場しますが、ふたりの証言はなかなかかみ合いません。
映画では説明されませんが、実際にはこの弁護士はマの息がかかった人物で、マロッタはマの人。
ジュリアーノはその家に潜みながら、国外脱出の道を探っていたようです。
『シシリアン』の原作『ザ・シシリアン』で、マイケルがジュリアーノを国外脱出させようとしていたという筋立ては、このあたりの史実をベースにしていたと思われます。

ジュリアーノの切り札と思えるメモ(メーデー虐殺事件の教唆者が書かれている)についても、渡したという「先生」が何者なのかわからずじまい。
結局虐殺事件やジュリアーノの死について真相が掘り下げられないまま、判決が下されます。

刑務所

1:56
ピショッタが収監されたのは、史実では、パレルモのウッチャルドーネ刑務所(Ucciardone Prison)W

ご参考までに、場所は↓

ラスト

1960年。
どこかの村の教会前広場で突然の銃声。
1人の男が倒れます。

これは、石切り場でピショッタを懸命に説得して寝返らせた男ですね。
本当に唐突で何の説明もないシーンですが、ジュリアーノの死から10年経って、まだなお黒い霧がシチリア社会を覆っていることが暗示されます。

撮影場所は不明。とても気になるので調査中。

▼23/11/2 追記

コメント欄(2023年10月31日 22:48)でほりやんさんから情報を寄せていただきました。
「発見現場」「運ばれた墓地」の町Castelvetranoにあるこちら↓の教会の前でした。

Convento dei Cappuccini
Piazza San Francesco d´Assisi, 1

ロケ地マップ

広域↓

モンテレプレ拡大↓

資料

更新履歴

  • 2023/11/02 「ラスト」追記
  • 2022/08/22 新規アップ

コメント

  1. ほりやん より:

    (ラストの教会前広場)

    特徴のある教会なので、このシーンを切り取って、
    類似画像検索
    https://smallseotools.com/ja/reverse-image-search/
    にかけてみました。

    たくさん出てきますが、「これだ!」と思える画像をクリックすると、
    「MONASTERY OF THE CAPUCHINS」というサイトに行きます。
    http://www.distrettoturisticoselinuntino.it/en/a.cfm?id=612

    この教会のアドレスは、
    Piazza San Francesco d´Assisi, 1 – Castelvetrano
    ですが、これをSVで調べてもあの広場が見えてきません。広場、疲労場と、しばらく周りを散策すると、ありました!

    長いアドレスですが、
    https://www.google.com/maps/@37.6737904,12.789035,3a,75y,167.89h,87.82t/data=!3m6!1e1!3m4!1sDwOstUR5a1U1ZeLtZXIPAw!2e0!7i16384!8i8192?entry=ttu
    をクリックしてください。

    追伸 あのスイッチだけは入れないでくだせぇ。

  2. 居ながらシネマ より:

    ほりやんさん、コメントありがとうございます。
    おー、これでお見事大正解ですね 😀
    ここは「発見現場」(史実&撮影)の町ですね。となると他の調査中の箇所も案外同じ町かもしれませんので、ヒマになったらチェックしてみます。

    ほりやんさんは貢献度が高く 😀 マークもいっぱい獲得していますので、ただちにスイッチを入れることはしません。
    なんならご自分で 😀 マークをいっぱい入れて延命を図ってください。
    コメント中に半角スペースを入れてから「:-D」とすると、いくらでもマークが入りますので 😀 😀 😀

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