アレクサ~ンドラ~♪ アレクサ~ンドラ~♪
目次
作品メモ
このところソ連やロシアが登場する映画をチェックしていますが、これは「なんちゃってモスクワ」ではない、正真正銘リアルサイズのモスクワ市民を描いたソ連映画。
モスクワの女子寮に住んでいた3人の女性たちの姿を、1958年当時とその20年後(たぶんそのくらい)の2部構成で描いたドラマです。
前半部分は日本映画でよく見られた「三人娘」的設定。自分の記憶の中では時期的に山田太一さんのドラマ『想い出づくり』(1981)あたりに重なるものがあります。
後半は特にひとりにフォーカスが当てられ、彼女の生き方を通してソヴィエト社会の(当時の)世相も描かれます。
全体としてコミカルな部分とシリアスな要素をうまく織り込み、2時間以上のソビエト連邦映画にしては飽きることなく見ることができる一本。
ここで描かれた等身大の女性たちの喜怒哀楽は、洋の東西や体制を問わず「あるある~」とか「ないない~、ありえない~」といった風に親近感をもって受け入れられたことと思います。
その結果、1981年米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞。
ソ連映画の受賞は、『戦争と平和』、『デルス・ウザーラ』に続いて3本目。
日本での公開はallcinemaによると1982年1月29日。
79年暮れにソ連のアフガニスタン侵攻、80年モスクワオリンピックの西側ボイコット、81年レーガン大統領が就任しソ連との対決姿勢を強めるといった具合に、ソ連まわりの雰囲気があまりよろしくなかった頃です。
ソースはわかりませんが、そのレーガン大統領がゴルバチョフ大統領との会談の前にこの映画を見ていたというのは良く伝えられるエピソード。
邦題はロシア語原題の直訳。英題も”Moscow Does Not Believe in Tears”。
とある場面で登場するこのフレーズ。Wikipedia等によると昔のことわざだそうですが、この映画で初めて知りました。
キャスト&スタッフ
機械工場勤務で、向上心旺盛ながら進学のための受験に失敗してガッカリしているカテリーナ(カーチャ)に、ヴェーラ・アレントワ(Вера Алентова)。
パン工場勤務で、スキあらばより良い男子をゲットして人生をステップアップしようとしている活発なリュドミラにイリーナ・ムラビョーワ(Ирина Муравьёва)。
建設現場勤務で、結婚を意識しているお相手もいるマジメなアントニーナにライサ・リャザノワ(Раиса Рязанова)。
後半のキーパーソン、ゴーシャにアレクセイ・バターロフ(Алексей Баталов)。
アレクサンドラにナターリヤ・ヴァヴィーロワ(Наталья Вавилова)。
監督ウラジーミル・メニショフ、撮影イーゴリ・スラブネビッチ、音楽セルゲイ・ニキーチン。
製作モスフィルム。
見るには
何度か書いていますが、YouTubeにはモスフィルムの由緒正しいチャンネルがあり、そちらで無料で見ることができます(英語字幕付き)。これ、手持ちのVHSより画質が良いですね……
今から見るとなるとDVDは入手が難しそうですので、英語字幕ではありますがこういったものを利用するのも手かもしれません。
YouTubeのモスフィルムのチャンネルについては、こちらで少しまとめていますので、よろしかったらご利用ください。
音楽
見終わった後思わず口ずさんでしまう主題歌は、セルゲイ・ニキーチン(Никитин, Сергей Яковлевич)Wと奥様タチアナ(Татьяна)が歌う«Александра»(アレクサンドラ)。
これまたWikipediaではじめて知りましたが、御夫婦揃って物理学の博士号を取得しているとのことでびっくり。
ちなみに息子さんはАлександр(アレクサンドル)と言うそうです。
日本語訳付きはこちら → http://www.youtube.com/watch?v=nDn5UAcQdEM
ロケ地
IMDbではこれだけ。
Moscow, Russia
Mosfilm Studios, Moscow, Russia (studio)
いつものように画面とにらめっこでチェックしていきました。
タイムスタンプはVHSではなくYouTube版に従っています。
タイトルバック
タイトルバック1
最初のショットは、こちらの橋を北側から見たもの。
Большой Краснохолмский мост (Bolshoy Krashokholmsky Bridge)W
右の画像は南側からのもの。
映画のカメラ位置はおそらく背景右側に写っているスターリン様式のビルで、南南東向き。
タイトルバック2
映画のタイトルが出たときに2番目のショットに切り替わり、『ひまわり』で登場した川の上の駅と橋が写ります。
Воробьёвы горы (Vorobyovy Gory)W
Лужнецкий метромост (Luzhniki Metro Bridge)W
ゆっくり左にパンすると、やはり『ひまわり』に登場したレーニンスタジアム(当時)Wが捉えられます。
カメラ位置はおそらくこの見晴台。カメラ向きは東から北。
タイトルバック3
タイトルバック1の高層ビルから今度は北東向き。
手前に見える橋はこちら。
寮
不明。
夜の広場
0:07。
銅像はウラジーミル・マヤコフスキー(Владимир Владимирович Маяковский)W。
果たして今の人たちにアピールする名前でしょうか……
- Google Maps(SV)
- WikiMapia
- https://pastvu.com/p/5853 ……1965-69
- https://pastvu.com/p/20416 ……1971
- https://pastvu.com/p/150587 ……1980-81
2人はボリシャヤ・サドヴァヤ通り(Большая Садовая улица)をやってきて、トヴェルスカヤ通り(Тверская улица)を右に曲がります。
劇場
0:08。
フランス映画祭が行われていた劇場。
手掛かりがなかったので、Театр(テアトル)でひたすら検索して見つけました。
Государственный театр киноактера
- Google Maps(SV)
- WikiMapia
- https://pastvu.com/p/44707 ……1980-85 映画の外観と同じ。
この場面、次々入場する俳優たち、コニューホワ(Татьяна Георгиевна Конюхова)、ユマトフ(Георгий Юматов)、ハリトーノフ(Леонид Харитонов)はみんな本人のようです。このあたり不勉強にして良く知らず、ごめんなさい。
チケットがなくて入れないでいた「無名の」俳優スモクトノフスキー(Иннокентий Смоктуновский)も本人で、ここはきっと笑いどころなのでしょう……
地下鉄駅
0:12。
駅名は出ませんが、ステンドグラスがきれいなこちらでしょう。
途中駅で、車窓の向こうに見える駅名はこちら。
ロシア語版Wikipediaによると、この駅は時代設定の1958年当時はこの名前でしたが、(撮影時を含む)1961年からソ連崩壊までは«Проспект Маркса»(マルクス通り)という名前に変わっていたとのこと。昔の駅名を擬装して登場させることで、当時の雰囲気を出していたわけですね。
逆に言えば擬装してしまえばどの駅で撮影しても同じなわけで、実際に通り過ぎた駅がこの駅であるとは必ずしも言えないかと思います。
図書館
0:20頃。
マンション
0:22頃。
1ヶ月住むことになった伯父さんの家。
字幕で「蜂起広場」とあります。
こちら↓に建つスターリン様式のビルのおそらく北側。
犬の散歩から戻ってくる階段はおそらくその真下、東側のこちら。
ベンチ
0:52、2:01。
時を隔てて登場するところ。この映画でもっとも印象的な場所かもしれません。
並木道が細長く続いてその先がぐっと曲がっているのが特徴的。
後の方で「ゴーゴリ並木通りで」というセリフがあります。
Гоголевский бульвар (Gogolevsky Boulevard)W
- Google Maps
- WikiMapia
- https://pastvu.com/p/14887 ……1958-62
- https://pastvu.com/p/7999 ……1959
- https://ssl.panoramio.com/photo/88175330
第1部で 背景に見える建物はこちら(カメラ西向き)。
第2部でカーチャがやってくるショットで背景に見える柱が並んだ建物はこちら(カメラ北向き)。
モスクワ現代アート美術館W(のひとつ)
Гоголевский бульвар, 10
右の画像は並木道側から真正面を見たところ。
となると、ベンチの位置はこのあたり。
病院
0:58。
入口脇に«РОДИЛЬНЫЙ ДОМ №25»とあります。
Wikimapiaに映画のキャプチャーが関連づけられているので、ここで正解のようですね。
集合住宅
カーチャの現在の住まい。
不明。
待ち合わせ
1:21頃。
カーチャのお相手が待っていたところ。
背景に見えるビルは『ロシア・ハウス』で登場したホテル・ウクライナ。
この先の橋の下では、ひとつ前のエントリー『ボーン・スプレマシー』でボーンのクルマがパトカーに追いかけられていました。
ロケ地マップ
資料
更新履歴
- 2015/11/03 「ロケ地マップ」追加
- 2014/04/27 YouTubeの動画をリンク切れのため削除
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