目次
作品メモ
ひとつ前のエントリー『お早よう』に続けて小津監督作品をもう一本。
他にこれまで『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』 (1932)もチェックしていますが、3本ともかつて松竹撮影所があった東京都大田区蒲田近辺がロケ地となっている点で共通しています。
ただし物語はだいぶ違っていて、『早春』はコメディではなく、このところ冷め気味の夫婦が夫の浮気によって決定的な危機に陥る……といったシリアスな内容。
けっこう人の心のドロドロやギトギトが表に出ていていますし、至る所に冴えないサラリーマンの悲哀もたっぷり。
やるせなく息苦しい物語が2時間以上も続くとあって、小津監督作の中では個人的には苦手な部類かもしれません。
ところが不思議なことに、この映画における着物姿の淡島千景さんと可愛らしい岸恵子さんはストライクゾーンど真ん中(好みとも言う)、全体でプラマイゼロどころか何度も見てしまう映画となっております。
『東京物語』(1953)の次の映画でまだ白黒。
このあと暗い上になおまた暗い『東京暮色』(1957)を撮ってから、最初のカラー作品『彼岸花』(1958)を送り出し、その次が『お早よう』(1959)となっています。
現在DVD等のソフトが出ているほか、Huluでも鑑賞可能。
これが意外と画質が良く、今回はこれでチェックしました。
http://www.hulu.jp/watch/336597
煉瓦メーカーに勤める杉山正二に池部良。
妻の昌子に淡島千景。
正二の通勤仲間の「きんぎょ」こと金子千代に岸恵子。
その他、笠智衆、山村聡、東野英治郎、加東大介、杉村春子、浦辺粂子、長岡輝子、中村伸郎、宮口精二、三宅邦子……と毎度の事ながら凄いメンバーがずらり顔を揃えています。
主役は別として印象に残るのは、ネジが弛んでいるのか達観しているのかよくわからない「のんちゃん」こと青木大造役の高橋貞二さん。
この後小津作品では『東京暮色』『彼岸花』にも登場。
もし60年代以降も活躍されていたらどんな俳優さんになっていたのか、まことに惜しい気がします。
ロケ地
IMDbでは、
Enoshima, Kanagawa, Japan
Kamata, Ota-ku, Tokyo, Japan
Kawasaki, Kanagawa, Japan
Mitsuishi, Okayama, Japan
Seta Bridge, Lake Biwa, Shiga, Japan
Tokyo, Japan
1956年ということで、国土変遷アーカイブやgoo地図の昭和38年レイヤーが活躍しそうですね。
国土変遷アーカイブ・蒲田駅周辺1955/01/21国土変遷アーカイブ・蒲田駅周辺1956/03/10国土変遷アーカイブ・東京駅周辺1956/03/10国土変遷アーカイブ・東京駅周辺1957/03/29
加えて前回同様、国土交通省国土政策局の国土情報ウェブマッピングシステムを参考にしています。
今回基点となるエリアはこちら。
東京都南部・蒲田を中心に東京駅周辺
今回もこれまで同様IMDbのリストとウェブマップを頼りに、画面とのにらめっこでチェックしていきました。
答え合わせはしていませんので、間違えていたらごめんなさい。間違いのご指摘大歓迎です。
※18/11/14追記
現在は「地理院地図(電子国土Web)」に統合されています。
- 地理院地図・電子国土Web(1961-69) ……東京都南部・蒲田を中心に
- 地理院地図・電子国土Web(1961-69) ……東京駅周辺
OP
早朝の景色や出勤風景。
わかる範囲でチェックしてみますと……
「??冠」
おそらく月桂冠の広告。
場所不明ですが、この大きさと外観ですから、多摩川縁にど~んと立つ広告塔ではないかと推測されます。
住宅地
背後中央やや右に白い大きな煙突。
さらに遠くの方にトラス型の鉄橋が見えます。
これはおそらく多摩川にかかる国鉄か京急本線のもの。
太陽光は向って左側から差しているようですので、もし設定通り早朝だとすると、東京都側から撮られていて、国鉄の鉄橋であることになります。
となるとカメラ位置は、『お早よう』でアンテナが見えた土手の近く、住所で言えば西六郷のあたりでしょうか。
マップではこのあたり(参考)。
線路際
線路は国鉄。カメラ南向き。
線路は地面からかなり高い位置にあるので、もしかすると多摩川に近いあたりかもしれません。
たとえばこういったあたり(参考)。
出勤風景
住人たちの朝の様子を捉えたあとの場面。
川と線路
川といいますか用水路といいますかどぶ川のような細い水路が線路の下に潜っています。
線路は国鉄だと思いますが、京急本線の可能性もあります。カメラは東向き。
線路の向こうに「?田ガラス」という建物が見えます。
ここは粘れば解明できそうですが、とりあえず調査中。
駅沿いの道
続々と駅に向う人々。
左側に奥に向ってホームが伸び、突き当りはT字路のように別の線路が走っているようです。
これは東急線の蒲田駅の南側。カメラ位置はこのあたりで東向き。
左側(北側)が東急目蒲線(現在の多摩川線)、突き当り右(南)から左(北)に走っている列車は国鉄(当時)の京浜東北線。
東急線は現在高架になっていて、SVで見ても当時の面影はほとんどありません。
昭和38年でもまだ東急線は高架にはなっていないようですね。
線路沿いの道
その次のショット、人々がこちらに向って出勤してくる様子。
こちらは国鉄沿い。カメラ南向き。
ホーム
蒲田駅のホーム西側。
日差しから見て、撮影はむしろ午後。
昭和39年の空撮は東口に駅ビルができてだいぶ構内の構成が違ってきているので、昭和22年の方が参考になりそうです。
出勤仲間が次々合流したのは構内陸橋のやや北側、この位置。
乗ろうとしたのは「2番線」の「8時18分発蒲田始発大宮行き」。
今はホームが2つありこの位置は4番線ホームとなっています。
東京駅
背景の白いビルは、左側が当時の丸の内ビルヂング(現・丸の内ビルディング)、いわゆる「丸ビル」。
右側は新丸の内ビルヂング(現・新丸の内ビルディング)、いわゆる「新丸ビル」。
ビルのアップ
丸の内ビルヂングWの正面。
勤務先は「東亞耐火煉瓦株式会社」。
丸ビルにオフィスがあるという設定のようです。
「729」号室などビル内の描写もセットではなく実際の建物を使っているようですが、丸ビルかどうかは未確認。
後の方で同僚の三浦を見舞いに行ったとき、衰弱しきった彼が丸ビルの思い出を語る場面が印象的でしたね。
俯瞰
バスが道路を塞ぐように並んでいる大きな通り。
これは丸ビルから東側(東京駅方面)を見下ろした構図。
右側は中央郵便局、上の方に東京駅南口が一部見えています。
昭和38年の空撮でもバスが並んでいますね。
お濠端
0:10頃。
手前右側に松の枝のシルエットがあるショット。
中央に見える柱が並んだ大きなビルは、明治生命館W。
手前の石垣含めて無理やりSVで再現すると、
ということは続くみんなで腰を降ろしてお出かけの相談をしている場面もお濠端でしょうか?
未確認。
江の島ハイキング
0:20頃。
最初にど~んと江の島が写る海岸沿いのハイキング。会費400円也。
監督にしては珍しくカメラが移動するショットも見られます。
茅ヶ崎の海岸でしょうけど、厳密に特定するのは難しそう。
烏帽子(えぼし)岩が左手に見えるショットがありますので、とりあえず大ざっぱにこのあたりと言うことで。
高架の駅
0:25頃。
昌子の実家、つまり浦辺粂子さんのおでん屋さんの近く(という設定)。
東急池上線五反田駅のホームですね。
下に少し見える別の線路の架線は山手線のもの。
路地とビル
0:30頃。
中華料理店の直前のショット。
「割烹九重」の袖看板が見える路地の向こうに、大きなビルが見えます。
かろうじて記憶が残っていましたが、これは有楽町にあった朝日新聞社東京本社ビル(の左側)ですね。
それを晴海通りを挟んで南側から見ている構図。
「九重」の建物で隠れていますが、左側には日劇があるはずです。
まず映画に写っていた同ビルの角はここ。
カメラ位置は数寄屋橋通りでしょうか?
アングル間違えていました。カメラ位置はこちらの路地です(※13/7/19修正&追記)。
現在のSVで再現するとこういった感じ。
この路地は、池辺良さんが警官役で出演した『曉の逃走暁の追跡』(1950)の最初の方でも登場しています。ただし向きは逆。
(※13/7/19修正&追記ここまで ※18/11/14タイトル修正 orz..)
ついでの話ですが、映画の時点ではまだ右の画像のように、朝日新聞社前には数寄屋橋と外堀があったはずです。
Wikipedia・数寄屋橋Wによれば、外堀が埋め立てられ数寄屋橋が取り壊されたのは1958年(昭和33年)とのこと。
ガソリンスタンド
0:39頃。
のんちゃんが勤めている日石のガソリンスタンド。
手掛かり少なく調査中。
ビルの谷間
0:40頃。
ガソリンスタンドの直後のショット。
正面に見えるのは南側から撮った丸ビル。
カメラ位置はここ。
海辺の宿
0:46頃。
宿はセットかもしれませんが、その前に1ショット、現在のように埋め立て地だらけになる前の東京湾岸が写ります。
何本も棒が立っているのはノリの養殖でしょうか?
今では想像もつきませんが、確かに戦前から昭和30年代前半までは大森から羽田あたりの一大産業だったようですね。
その後は埋め立てや工業地帯化とともに姿を消したようです。
夕べは灯りがきらきらしていて良いところだと思ったら、汚い海
う~む……
スカラ座の垂れ幕
0:53頃。
スカラ座の垂れ幕のあるビル。
そのまんまスカラ座かと思いきや、すぐ側に国鉄が走っているのでそれではおかしいことになります。
おそらく日劇の裏側(有楽町駅側)の壁で、マップではこちら。
カメラ西向き。
左右対称の白いビル
0:55頃。
きんぎょの勤務先。よく見ると左右対称ではありませんが……。
おそらく(当時の)新丸ビルWを中庭側(西側)から撮ったもののように見えるのですが、いかがでしょう??
- goo地図・昭和38年
国土画像情報(カラー空中写真)・昭和49年国土画像情報(カラー空中写真)・昭和54年- 電子国土Web.NEXT(ライブラリーの「写真1974~78年」にチェック入れる)
のんちゃんの家
1:13頃。
調査中。
富永栄の住まい
1:54頃。
いかにも団地風のたたずまい。
これは解明するのはほぼ無理そう。
大きな橋
2:16頃。
転勤する途中で、笠智衆さん演じる小野寺と会ったところ。
小野寺は大津勤務という設定でした。
IMDbでは Seta Bridge, Lake Biwa とありますが、瀬田の唐橋Wのことですね。
この頃はまだ木製。
2人がいたのはここの真下。
最後のショットで、ず~っと向こうで汽車(東海道線)が走っているのが見えます。
当時汽車が何本も走るわけでもなく、撮影はさぞ緊張したことと思います。
工場
岡山県の三石という設定で、撮影も同地。
駅で言えば、山陽本線の三石駅W。
映画の中では何本も煙突がたち並び黒煙を上げていますが、現在の鉄道周辺はだいぶ煙突の数が減っているようです。
こちらも国土交通省ウェブマッピングシステムを利用してみましょう。
国土交通省ウェブマッピングシステム・三石近辺の検索結果
昭和49年のもの(ピンクの◇)が参考になりそうです。
特にこの範囲↓がどんぴしゃり。
国土交通省ウェブマッピングシステム・昭和49年- 電子国土Web.NEXT(ライブラリーの「写真1974~78年」にチェック入れる)
すべての煙突の位置をマークして補助線を引いていけば、全ショットのカメラ位置と向きを特定できるかもしれませんね。
どなたかいかがですか? 😉
ロケ地マップ
より大きな地図で 小津安二郎監督作品 を表示
資料
関連記事
小津安二郎
更新履歴
- 2018/11/14 「ロケ地」追記 「路地とビル」での映画タイトル修正
- 2014/08/16 国土情報ウェブマッピングシステムのシステム変更に伴い、リンクを削除。一部国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスへ切替
コメント
こんにちは。最近コメントが多いのは、家にいる時間が多く、貴サイトで取り上げておられる映画の鑑賞も多いので、必然的に「おお!」ということが増えていることによります。ご迷惑ということもないかもですが、よろしくお願いします。
この映画の、三石のロケ地にこだわっているサイトさんを見つけました。
https://nearestfar.exblog.jp/i12/
小津監督も、舞台は東京か神奈川が多いわけですが、中国地方などでも効果的にロケをしていますね。「東京物語」の尾道のロケなどはさすがですよね。
ところで岸恵子が今月(2020年5月)日本経済新聞の「私の履歴書」を書いています。ロケ地とまではいわずとも、この映画や「約束」などは、面白い話もしてくれるかもですから、私も期待をして待っていたいと思います。
Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
日本全国、いや世界中が「居ながら」になってますね 🙂
拙サイトもここ1,2ヶ月アクセスがぐっと増えているのですが、きっとお籠もり生活でビデオや配信で映画をご覧になる人が増えたからですね。
そういうことで増えてもあまり好ましいことではないので、とにかく一刻も早く、元の生活に戻れることを祈りつつ……
三石のロケ地のサイト様、確かに凄いですね。掘り起こせばどんどん出てくるという感じで。
日経の「私の履歴書」情報もありがとうございます。
とりあえずお試しで電子版を無料購読してみようかと思っています。
以前ウォールストリートジャーナルをお試ししたら解約方法がわからず難儀したことがありましたが、日経なら大丈夫でしょう……たぶん……
すみません。本日は、ロケ地情報でなく雑談どいうことで。先日(8月5日)国立フィルムアーカイブで、『生きてはみたけれど・小津安二郎伝』という映画を観まして、これは1983年の公開で、小津の没後20年ということで製作・公開されたと思われますが、岸恵子もインタビューを受けていまして、小津からくりかえしリハーサルをさせられた際、これは若気のいたりというものでしょうが、大要「先生、なんでこんなにリハーサルをするんですか」と聞いてしまい、小津から大要「恵子ちゃん、それはね、君が下手すぎるからだよ」と究極の回答をされてしまったということを語っていました。それはそうでしょうが(苦笑)。ご存じでしたらすみません。
ところで没後20年というのは、この種の映画を作るにはいい時期かもしれませんね。関係者がまだご存命だし、そろそろ封印されたことも言える時期でもあるかもだし。そういう点では、これはできない相談ですが、この映画にも原節子には出てほしかったし、また回顧録みたいなものも書いてくれればよかったのですが、彼女はほんとそういうことも一切せずに亡くなってしまったわけであり、それはご当人の考えですのでしょうがありませんが、やはり残念なところではありますね。
この映画の上映企画自体「逝ける映画人を偲んで 2021-2022」であって、インタビューに応じていた山内静夫氏(里見弴の息子)と映画評論家の佐藤忠男氏を偲んだものであり、小津映画出演者の中では最も若いと思われる岩下志麻も、すでに80を超えていますからね。現在小津については、同時代で彼を知っている人間も少なくなっているし、まさに小津映画もそういう段階に入ったということなのでしょう。
BS録画分をチェック。
(??冠)
きんぎょが夜遅く杉山の家に来て、二人で出掛けたときに、「月桂冠」の広告塔がどど~んと映ります。
(川と線路)
Googleマップで、JR「蒲田」駅から南に線路沿いを歩いて行くと、「六郷用水 新宿糀谷村用水跡」というのが見つかります。それをクリックすると、当時の用水の位置を示す写真があり、現在の蒲田高校を突き抜けて通っていた用水は、映画の中で国鉄の線路下を通っていた水路ではないでしょうか。映画の勤め人たちは水路にかかった小橋を渡ったあと、線路沿いを蒲田駅へ向かって歩いていると思われるので、この水路は六郷用水だと思うのですが。
Bill McCrearyさん、
すみません、いただいたコメントは全部返信していたつもりでしたが、見落としてしまっていたようです。
『生きてはみたけれど』はCSで見たような記憶があるのですが、中身までは忘却の彼方でした。そうでしたか、それは確かに岸恵子さん若気のいたりですね(笑)。でもつい訊きたくなるような繰り返し作業だったのでしょうね。
ちょっと意地悪ですが、最初のカメラテストの映像が残っていたら、比べてみたいという気もします。
それから驚いたのが、佐藤忠男さん、昨年亡くなられていたのですね。知りませんでした……
ほりやんさん
清酒月桂冠、ありがとうございます。1:38頃ですね。お買物は松坂屋も並んでいますね。
月桂冠の方は、おそらく瓶を模した先が少し細待っている形をしているようで、これなら影が伸びていれば空撮画像ですぐに見つかりそうなものですが、今のところ発見できていません。
川と線路ですが、ご指摘の場所で50年代の空撮を見ても、用水路がうまく確認できないんですよね。これだけ幅があると、けっこう用水そのものやまたいでいる通路まで映っているはずなのですが。
実は最初に記事を書いた時に、蒲田駅の北側(となりの大森駅との中間)なのですが、ここかな?と思った場所がありました。
https://maps.app.goo.gl/nLNCfwr1W1h4v7tv7
https://maps.gsi.go.jp/#18/35.575320/139.721357/&base=std&ls=std%7Cort_USA10%7Cort_old10&blend=00&disp=111&lcd=ort_old10&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m
ここは、ガード下に流れている川にへばりつくように通路が作られていて、とても冒険心?に満ち溢れたところです。
数年前に封鎖されて通れなくなりましたが、以前は自転車でも頑張れば押して通ることができました。なので何度か通ったことがあり、それでビビっときました。
上のSVで見てみると、アングル的にも映画に近いですし、現在の歩道の部分がいかにも用水に蓋をして暗渠となっている感があります。
まあいったんそう思ってしまうとバイアスがかかってしまい正解から遠ざかることもままありますので、もう少し慎重にみていきたいと思っています。
SVを見る限り、ここがそれっぽいですね。池部の家が西六郷にあると思ったので、蒲田駅の南ばかり探していたのがよくなかったみたいです。西六郷と言えば、子供の頃に聴いたアニメソングの西六郷少年合唱団が思い出されます。