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『約束』 (1972)

約束 [VHS]

※こちらは日本映画『約束』(1972)の記事となります。
シドニー・ルメット監督の『約束』は別途エントリーがありますので、そちらをどうぞ。
 → 『約束』 The Appointment (1969)

作品メモ

ひとつ前のエントリー『早春』の岸恵子さんがとても魅力的だったので、もう一本、少し後年の代表作を。
舞台は日本海沿岸を北へ向ってひた走る列車。
そこで出会ったワケあり男女の哀しいつかの間の愛を描きます。

陰のある女性、実は……という松宮螢子に岸恵子。この年は他にドラマの『化石』にも出演、以後『男はつらいよ 私の寅さん』(1973)、紹介済みの『ザ・ヤクザ』(1974)と続きます。そういえばマリームのCMはいつ頃でしたでしょうか?
螢子に声をかけてきたチャラ男風の若者、中原朗(あきら)に萩原健一。この映画の公開が1972年(昭和47年)3月29日。『太陽にほえろ』は同年7月21日スタートということで、俳優として見事なスタートダッシュ。以後映画やドラマに快進撃が続きます。

他に……
螢子に付き添う女性島本房江に南美江。
護送犯に中山仁。
中原を追う山室刑事に三國連太郎。裁判の回想場面で裁判官としても登場しています。こういうのって、何か意味があるのでしょうか??

特に個人的にツボに来たのは殿山泰司さん。
シリアスな役なのですが、つい最近『お早よう』で怪しいゴム紐売り姿を見たばかりだったので、本筋とは違ったところでウケてしまいました。
本当にこの方生涯にどれだけの役を演じてこられたのでしょうね。

監督斎藤耕一。
この後『旅の重さ』(1972)、『津軽じょんがら節』(1973) とこの時期絶好調。
作品を通してだけの勝手な印象ですが、情感をたっぷり込めた映像によって物語をぐいぐい引っ張っていくタイプでしょうか。 良く言えば叙情的、悪く言えば雰囲気優先。小津監督とは180度対照的な撮り方のように見えます。
そのノリがぴたりとはまると『津軽じょんがら節』などの心に残る作品が生まれるのでしょうね。
好みは分れるかもしれませんが、70年代、日本映画がいよいよ苦しくなってきた頃に気を吐いていた監督さんのひとりであることに違いはなく、名画座でも同監督特集が組まれると立ち見が出るほど人が入っていた記憶があります。

脚本石森史郎、撮影坂本典隆。

音楽宮川泰。
そう思って見てしまうと、冒頭の無調っぽい音楽が、どこか見知らぬ惑星に到着したヤマト乗組員的雰囲気をかもし出しているかも??

この文章を書いている時点で(2013年7月)、DVDはまだ出ていない模様。
ぜひ良い画質でソフト化していただければと思います。

DVD登場?

※13/9/27 項目追加

あの頃映画 松竹DVDコレクション 約束

Amazonに案内が出ていました。
発売予定日が、13年10月30日となっています。
赤松さん、良かったですね~
他にも待ちかねていたファンが多そうです。

『晩秋』

以前アヌーク・エーメ主演の方の『約束』で触れましたが、この映画のオリジナルは、韓国映画『晩秋(만추)』(1966)。

allcinemaやキネマ旬報のデータでは原作関連が見当たりませんが、『約束』本編のクレジットでは、原案に斎藤耕一と並んで金志軒の名前があります。ハングル表記なら김지헌(キム・ジホン)で『晩秋』の脚本の人。
イ・マニ(이만희 李晩煕)監督の方は特にクレジットされていません。

『晩秋』は韓国では1981年と2010年にリメイクされているようです。

レイトオータム [DVD] 2010年のものは『レイトオータム』というタイトルで日本でも公開&ソフト化(allcinemaキネマ旬報DB)。
タン・ウェイ目当てにこっそり借りて見たことがありますが、舞台はシアトルで中国系の服役囚と韓国系のエスコートサービスの男という設定になっとりましたぁ~ 😯

※13/9/27追記
韓国では1975年にもう一本別タイトル、”육체의 약속” (肉体の約束)でリメイクされていました。

見たことありませんが、脚本がやはりキム・ジホン(Naver映画)でこの内容ですから、リメイクで間違いなさそう。
監督がキム・ギヨンでヒロインがキム・ジミという、名前だけでお腹いっぱいになりそうな組み合わせです。

ロケ地

特に資料も用意せず、いつものように画面とにらめっこでチェックしていきました。
アナウンスなどから北陸を走る国鉄(当時)であることがわかります。

OP

蛍子がひとり待つ公園。
ここについては後ほど。

中原が乗ってきた駅

駅のアナウンスは、

到着の列車は、直江津、新潟、秋田方面青森行きの急行列車しらゆき号です。

ホーム側はほとんど写らないので、解明は難しそう。

トンネル出口

行きは0:06頃、帰りは0:58頃。
海岸沿い、コンクリートむき出しの四角いトンネル出口。
よく見たら、この四角い部分は線路を守る覆いのようで、その向こうにホントの丸いトンネル出口があります。
線路をひたすらたどれば解明できそう……

※20/5/2追記
……というわけで、7年ぶりに線路をひたすらたどって解明しました。

よく見るとホームがあってそこは駅……
海が間近の絶景駅としてよく紹介される青海川駅(おうみがわえき)W(柏崎市、信越本線)でした。
映画では跨線橋の設置工事中でしょうか。

この画像は2005年のもので、2007年の新潟県中越沖地震で被災する前の様子となっています。

護送犯が乗ってきた駅

0:13

アナウンスからは、糸魚川駅W。撮影もそのように見えます。

護送犯が降りた駅

0:18

駅名標示が柏崎駅。

中山仁さん、出番はこれだけってもったいなかったかも……

到着した駅

0:20

いろいろな舞台となる街の駅。
セリフやアナウンスから、「うえつ」という設定であることがわかります。漢字で書くなら「羽越」でしょうか?
架空の名前で、駅や駅周辺の街並みを見る限り、敦賀駅Wで撮影されているようです。

山を背景にした駅のショットが昔の敦賀駅の画像と一致しますし、構内の撮影も「のりば案内」に「米原、大原、名古屋方面」と書かれてあるのでおそらくこの駅でしょう。その後の町の描写も敦賀市内のSVで確認できます(後述)。
これまで糸魚川駅→柏崎駅と北に進んでいたのに、一気に後戻りという感じですね。

※20/4/30追記
Bill McCrearyさんから、以前の駅舎の画像を提供していただきました。
ご自身のブログに敦賀旅行記をアップされていますので、ぜひご覧ください。
撮影は2008年7月とのことです。ありがとうございました♪

ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
小さな旅(1)

こちらの画像の右半分ぐらいがちょうど映画で駅が写るカットのフレームになっています。
映画では荷物運搬用の跨線橋(テルハ)が中央にどーんどーんとそびえ立っていましたが、こちらの画像ではすでに撤去されていますので、だいぶ印象が違いますね。

※20/5/2追記
おまけの画像ですが、映画に登場したディーゼル車は、昔はあちこちでお世話になった懐かしいタイプ。
現在敦賀市内に一両こんな風に展示されているようです。
映画に登場したものに比べればだいぶ後の型式と思われますが、敦賀を訪問された際は、こちらも一緒にいかがでしょう?

場所は、敦賀赤レンガ倉庫の脇

Wikipediaでは国鉄キハ58系気動車Wに詳しいですが、それにしても鉄っちゃん系の記事はまいど凄い情報量に驚かされます 🙂

駅前の旅館

※13/7/24 項目追加

コメント欄で赤松さんから情報寄せていただきました。
蛍子と島本房江が入っていった橋本という旅館は当時駅前に実在していたとのことです。

©1972 赤松幸吉

画像も提供していただきました。
貴重な1枚ですね。どうもありがとうございます♩

※20/4/30追記

おそらくマップではこちら↓

現在お土産屋さんとなっているお店のところです。
建物そのものは建て替えられているかもしれませんが、右側の建物は映画と同じたたずまいに見えます。

商店街

0:24頃。

蛍子につきまといながら右に曲がるところ。
「ダイシン」と言う文字が見えますが、こちらでしょうか?(自信なし)

この角を西から来て南へ向っているようですが……

歩道橋

0:24頃。
中原が下を横断して先回りするところ。


大きな地図で見る

 
 

墓参に向かう道

※20/5/3項目追加

コメント欄で高岡タケシさんから情報を寄せていただきました(2020年5月3日 21:43)。
墓参に向かう途中で花を買いますが、こちらのお寺の門の前でした。

養泉寺
福井県丹生郡越前町米ノ51-77

※20/5/4追記

その直前、仏花のショットのひとつ前で、二人は石段の前を右手へ歩いて行きますが、同じ道の少し手前のこちら↓ですね。

蓮光寺

石段は新しくなっているようですが、右側の壁の石積みが今でも映画と同じものを確認できます。
さらにその前の、家々の屋根と海を望遠で捉えたショットは、やはり同じ町で、右下に港に面した<はまのストア>の陸屋根が見えます。

逆に、花を買った後降りていく石段は不明、調査中。

墓参

※13/7/29項目追加
コメント欄で赤松さんから情報寄せていただきました。
蛍子の母の墓地は敦賀市郊外の「五つ幡海岸」とのことです。

※20/5/2追記
こちらでしょうか?
背景の山並は、映画と一致しています。

動物園

※13/7/24追記
コメント欄で赤松さんから情報寄せていただきました。
この小動物園や遊具は、OPやエンディングの公園内にあったとのことです。

長い橋

0:34頃。
敦賀湾に面したこちら(SVのピンは橋を横から見るため隣の橋に移してあります)。

0:48頃ショーケンが駆けてくるところもおそらくここ。

※13/7/24追記
コメント欄で赤松さんから情報寄せていただきました。
この橋で正解とのことです。斎藤監督から直々に聞いたのですから(凄い……)、間違いないでしょう。

超望遠レンズによる撮影をSVでできるだけ再現してみました。
ただし向きは真逆かもしれません 😉

朗と男たち

※20/5/2 項目追加

0:39
埠頭を男たちが駆けていくロングショットは、おそらくこちら↓

現在は半分ほど埋め立てられて埠頭ではなくなっています。

その後、朗が相手を刺して逃げていく貨物線は、当時の埠頭の根元で、現在はタンクとなっているこのあたりと思われます。

待ち合わせた旅館

0:43頃。
待ち合わせた海辺の旅館。
おそらく敦賀湾に面したどこかかと思いますが、ウェブマップだけではもはや限界……

※20/5/3追記
おそらく越前岬近くのこちら(越前町玉川)↓
今は営業している雰囲気ではありませんが、マップで示してしまいますと、

路地の突き当たりにある和風の入口のところで、螢子が待っていた部屋は奥の4階角部屋。

痕跡としては、螢子がやってくる時と去って行くカットで、左手に温泉マークの袖看板が「?八」と見えますが、こちらは今も健在の旅館<古八>。
袖看板に見える3桁の電話番号が、現在の番号の下3桁と一致しています。
波打ち際や岩場は今では整備されて映画とは雰囲気が違っているかもしれません。

降りた駅

設定では名古屋駅。
撮影も同駅でしょうか?

※13/7/29追記
参考までに、各駅の昔の空撮画像。(※20/5/2更新)

刑務所までの道

※20/5/3 項目追加

1:15
刑務所に戻る二人を追う朗。
背景に鉄橋が見えるショットは、津新町駅の南側、刑務所の側を流れる岩田川の右岸を歩いています。
かなり圧縮がかかっていますが、SVで再現するとこういった↓感じ。

その後、高い塀に沿って川沿いの道をさらに進んでいきます。

刑務所の門

重厚な作りの門。
決して面白おかしくロケ地を探って良い場所ではないとは思いますが、次の場面をチェックすることで場所がわかりましたので、そちらで合わせて記しておきます。

逮捕

佐藤浩市さんにそっくりな(逆か)三國連太郎さんにとうとう逮捕される場面。
背後に写る仏壇店や、その前朗が駆けてくるショットで電柱広告が写る質店は、ざっくり検索するとどちらも津市内にその名前が見られ、現在の住所でわずか数ブロックしか離れていないところにあります。
おそらくそこで正解だと思うのですが、残念ながら該当地域でSVが使えず確認できません。

該当地域のマップをメモ。

で、ここから刑務所も津市内であると推定しますと、こちらの三重刑務所Wとなります。

  • 34.711839,136.504827

画像を検索すると映画に登場するものと同じでした。

Wikipediaによると、

大正5年に建築されたレンガ組みの重厚な監獄正門で、「安濃津監獄」の文字が右から左に書かれている。現在は塀の外にあって門としての機能は果たしておらず、歴史的資料として保存されている。

とのことです。
現在の衛星画像では確かに塀の外側にあるようですが、上記昭和50年度の空撮では映画と同じように塀と一体になっているように見えます。

※14/8/17追記
SVが使えるようになっていました。スッキリ解明できましたのでメモ。(※20/5/2マップ更新)

正門↓

別れた直後駆けてくる通り(カメラは最初南向き)。

捕まったのは商店街入口にあるこちら。現在クリーニング店となっています。

懸命に暴れるのもこの店の前で、よく見るとアーケードの柱が写っていました。
そのままずるずると商店街の中へ引きずられていきストップモーションとなったわけですね。

※20/5/4追記
アーケードがある状態のSV

 
 
 

公園

海岸に近い冒頭の公園。
おそらく敦賀湾を臨むこちらではないかと思われますが、確証はありません。

気比の松原W

2年たったらあの公園で待ってて。
2年後の今日よ、約束して。

 
※13/7/24追記
コメント欄で赤松さんから情報寄せていただきました。
気比松原で正解とのことです。

©1972 赤松幸吉

当時の画像も送っていただきました。
どうもありがとうございます♩
まさにここですね。
公園の売店といったところでしょうか。

©1972 赤松幸吉

こちらはうまく補正できなくてすみません……

※13/7/28追記
赤松さんからさらに画像を提供していただきました。
ロケ地の画像はすべて40年以上前のものとなります。

©1972 赤松幸吉

映画に登場した回転遊具。

©1972 赤松幸吉

ラストの浜辺。

キネマ旬報97年8月下旬号

これはキネマ旬報97年8月下旬号での映画評論家・田沼雄一氏の映画評とのことです。
この中で「学生」とあるのは赤松さんのこと。
こういう誌面の画像掲載については微妙なものがあるかもしれませんが、記念的な意味合いの強い一部引用ということでご理解いただければと思います(権利は本来の著作権者に属します)。

※13/7/29追記

昔の空撮で見ると、おそらくこの場所ではないかと思われます。

ロケ地マップ

(※13/7/24追記)


より大きな地図で 斎藤耕一監督作品 を表示

資料

更新履歴

  • 2020/05/04 「墓参に向かう道」「逮捕」追記
  • 2020/05/03 「旅館」を「待ち合わせた旅館」に改題して追記 「刑務所までの道」「墓参に向かう道」項目追加
  • 2020/05/02 「トンネル出口」「墓参」「到着した駅」追記。PicasaへのリンクをGoogle Photoへ切り替え。「朗と男たち」項目追加。
  • 2020/04/30 「到着した駅」にBill McCrearyさんの画像を追加 「到着した駅」「駅前の旅館」「商店街」「歩道橋」の「電子国土Web.NEXT」を「地理院地図 電子国土Web」に、「国土情報ウェブマッピングシステム」を「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」にそれぞれ切り替えてデータを更新 各SV更新
  • 2014/08/17 「逮捕」SV等追記
  • 2014/08/16 国土情報ウェブマッピングシステムのシステム変更に伴い、リンクを削除
  • 2013/09/27 「DVD登場?」項目追加
  • 2013/07/29 「墓参」項目追加
  • 2013/07/24 「駅前の旅館」項目追加

コメント

  1. 赤松幸吉 より:

     この映画に感動し、若い頃このロケ地を歩いてきました。ただ当時はロケ地の特定は雲をつかむような至難の業で、まず映画館の中でのカメラ撮影(この映画自体の画面が非常に暗いので、ほとんど失敗)、テレビ放映時のカメラ撮影、スチール写真などの宣材を駆使してあらかじめ大体の見当を付けておく。その上、斎藤監督に失礼ながら直接電話して主なロケ地を聞いておく。これらを手に北陸へとロケ地探しに出ました。もう40年前以上のことです。
    作品メモ
     三國連太郎は刑事と裁判官の2役だけでなく同じ裁判シーンの検事も演じ、実際は3役です。、私の記憶では更に網の手入れをする漁師役でも出演しているようなので、これを加えれば実に4役ということになります。、これは監督と三國が懇意でお二人のお遊びだったと思われます。
     DVDはこの名作が何故か売り出されていません。ビデオ(既に廃盤)は購入しましたが、オールロケ、ノー・ライティング撮影なので画質がよくなく、松竹もDVD発売をためらっているのではないかと思われます。
    「(斎藤監督は)良く言えば叙情的、悪く言えば雰囲気優先」と表現しておられますが、まさしく私も同感、彼は日本のクロードルルシュールと呼ばれた映像派でした。
    音楽宮川泰 「無調っぽい?音楽」こんな言葉あるのですか?
    この音楽は情緒たっぷりで素晴らしいメロディーだと思いますが、観客に媚びを売るような俗ぽっさを持ち、歌謡曲的です。「旅の重さ」の吉田拓郎とは比べ物になりません。
    護送犯が降りた駅
    「中山仁さん、出番はこれだけってもったいなかったかも……」監督と中山仁とは親友関係で、ゲスト出演です。斎藤プロ第一作「囁きのジョー」の主演も中山でした。
    到着した駅
     これは確かに敦賀(つるが)駅です。監督から直接聞きました。
    蛍子が入る旅館は「旅館橋本」で実際に駅前にありました。

    「これまで糸魚川駅→柏崎駅と北に進んでいたのに、一気に後戻りという感じ」この映画では車両1両をまるごと何日間も借り切って撮影されたので、このようになるのでしょう。
    長い橋
    「0:45頃ショーケンが駆けてくるところもおそらくここ」そうです、同じ橋(港大橋)で撮影されています。
    監督と電話で話したとき、「映画のシーンと(私が)実際に訪れた場所がまったく違ったように見えました」と私が言うと、監督は「超望遠レンズで撮っているのでまるで別の場所のように見えるのだ」とおっしゃいました。
    商店街
    駅前の「橋本」という旅館に入ります。この旅館も実名で存在していました。中もオールロケということのなのでその場で撮っており、セットではないはずです。
    動物園
    これは「気比の松原」(冒頭およびラストシーンは指摘の通りこの場所)の近くにある公園で、その敷地内に小動物園があります。勿論、動物の種類も数も少なく誰でも自由にぶらつけます。子供達が遊ぶ回旋塔(グルグル回るジャングルジムのような遊具)も実際にその公園にありました。
     ラストシーンのあずま屋、ベンチなどもそのままありました。
    ラストシーンの岸恵子の表情は「あの愛をふたたび」のアニージラルドとそっくりだと思いませんか。
    降りた駅
    この刑務所も三重刑務所です。現在はどうか知りませんが、当時はまるでおとぎ話に出てくるような外観をしていて、建築上全国的に有名でした。

    inagara様のロケ地メモにはありませんが、蛍子の母の墓地は敦賀市郊外の「五つ幡海岸」です。

    inagara様への挑戦状。
    「約束」に匹敵する名作「旅の重さ」をアップしてもらえませんか。同じく40年前このロケ地を歩いたアナグロの私とデジタルなinagara様とでどちらがより正確か、勝負しませんか。

  2. inagara より:

    赤松幸吉さん、コメントありがとうございました。
    貴重な情報とメールで送っていただいた画像は、後ほど記事の方に反映させていただきますね。
    (ここ数日多忙につき、作業遅れると思いますが、ご了承ください)
    答え合わせをしていただいたも同然で、とても有り難いです。
    もう40年前の映画なのですね。私は70年代後半になってようやく名画座で見たのが初めてで、公開当時すでにロケ地にいらっしゃっていたとは驚きです。

    挑戦状受けて立ちましょう(笑)ってかなうわけないですよ~
    実は『旅の重さ』と『津軽じょんがら節』は『約束』と一緒に以前チェックしたことがあるのですが、『約束』以外はまったく歯が立ちませんでした。今回の『約束』もその時ウェブマップに付けたピンを元に書いたものです。
    とはいえ日本列島のデジタル化は少し進んでいるかもしれませんので、今なら多少は調べられるかもしれません。赤松さんの資料頼みということで、記事の方用意させていただきますね。

  3. inagara より:

    赤松幸吉さん、『旅の重さ』アップしました。
    なんとか数ヶ所わかりましたが、それ以外はほとんど全滅です。
    あとはよろしくお願いします~ 🙂

  4. inagara より:

    赤松さん、画像はこれで全部アップしたつもりですが、漏れあったらお知らせください。
    せっかくのお写真うまく補正できなくてすみません。
    40年前のものだと思うと、感無量ですね。

    ウェブでは1975年(昭和50年)の空撮画像を見ることができるのですが、うまく実際のマップと重ね合わせるやり方がわからず、見づらいかと思います。
    「電子国土Web.NEXT(ライブラリーの写真1974~78年をクリック)」という名前でリンクをつけたウェブマップは、使い勝手が良くなっているので、そちらもお試しください。

  5. 古川幸之助 より:

    貴重な記録をありがとうございます。一度は糸魚川で映画に出てきた駅弁を食べて見たかったですし、ロケ地巡りも憧れですが、腰が重く財布は軽く今に至ります。久しぶりに映画を見返したいと思います。

  6. 居ながらシネマ より:

    古川幸之助さん、コメントありがとうございます。
    私もなかなか実際のロケ地巡りには行けないクチですが、マップをたどったりするだけで結構楽しいものですよね。駅弁は食べられませんけど……
    敦賀もそのうち新幹線が通るようですのでアクセスが楽になりそうですが、映画の雰囲気味わうのはやはり在来線でしょうか。

  7. 居ながらシネマ より:

    11月に日本映画専門チャンネルで『雨のアムステルダム』が放映されるようです。DVD未発売だったような…

  8. Bill McCreary より:

    萩原健一が亡くなったので追悼記事を拙ブログで書きまして、それで貴記事を紹介させていただきました。勝手なことをして申し訳ございません。

    https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/747c70de67a08d65d39e14f303fa982d

    私が引用した記事は、どうも萩原のWikipediaを引き写した感がありますが、ともかくこの映画で彼が演技開眼をしたのは間違いなさそうですね。それで、拙記事でも指摘しましたように、今の時代では芸能界を追放されていた可能性があったかと思います。

    >そういえばマリームのCMはいつ頃でしたでしょうか?

    1974年のようです。私は彼女の一人芝居を見たことがありますが、とても年齢を感じさせないすごいものでした。

    https://www.youtube.com/watch?v=k_esN5mbi3Y

    >佐藤浩市さんにそっくりな(逆か)三國連太郎さんにとうとう逮捕される場面。

    某映画にエキストラ出演したことがあり、佐藤浩市がすぐ近くにいました。やはりすごい迫力でした。三國はもっとすごかったんでしょうね。

  9. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
    平成も最後になって次々有名人が鬼籍に入られてますね。

    ブログ拝見しました。拙記事をご紹介いただきありがとうございます。(ご紹介などもちろんご自由になさってかまいませんので)
    記事を拝見して、初めて気づきました。
    『青春の蹉跌』はDVD化されていないんですね!
    これにはビックリです。
    あまりロケ地的なネタはなさそうですが、ぜひ拙サイトで取上げたいと思います。えんや~とっと。
    ついでに?岸惠子さんと再度共演したが『雨のアムステルダム』もとりあげてみたいですね。 

  10. 居ながらシネマ より:

    6月7月の日本映画専門チャンネルで放送されます。
    https://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10004835_0001.html

    すでにBlu-rayも出ているようですが、HDでは見たことがないので、これは自分にとってはありがたいです。

    特集<4ヶ月連続 追悼・萩原健一>
    https://www.nihon-eiga.com/osusume/hagiwara_kenichi/

    この特集で他にありがたいのは、エントリー済みの『青春の蹉跌』(7/26)『雨のアムステルダム』(7/26, 7/31)あたりでしょうか。もう一回ぐらい録画しても良いかもと思っているところです。
    解説ページで、『青春の蹉跌』には「未DVD化」と書かれていませんが、今まで出たことがあるのでしょうか??

  11. Bill McCreary より:

    すでにご存知かもしれませんが、津市でのロケについての面白い記事がありましたのでご紹介します。

    https://ja-jp.facebook.com/FCrockez/posts/250433851767752/

    記事中

    >今日のように情報がいたる所で往来しておらず、またテレビや新聞で大々的な宣伝をし観客を映画館へ誘導する時代でなかった。

    というのは、映画のクレジットも、ロケ地協力についても何もないし、今でこそたぶん貴サイトの力もあり、この映画が主に敦賀でロケーションされたことは知られているかと思いますが(気づいたら、日本映画専門チャンネルでも、この映画が敦賀でロケされたことは記されていました。

    https://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10004835_0001.html

    )72年では、ほんと口コミで広まるのみで、地元の人も知らなかったんでしょうねえ。前、寅さんと釣りバカ以外は、ロケなんて迷惑だという話を聞いたことがあり、だいたいそんなものだったのだろうなと思います。2月の撮影で3月末での公開ですから、まさにバリバリに記憶が新しい時期での公開だったのですがね。

    この映画を観ていて、岸恵子と南美江がほんとに刑務所の中に入ったシーンは、「え、ほんとに入っちゃうの」と驚いたのですが、これも、なるほど、刑務所と本格的に協力関係にあったのだなと納得しました。72年では、上にも書いたように行政、ましてや刑務所が映画の撮影に協力的な時代ではないでしょうから、このあたりはやはり松竹ばかりでなく斎藤監督の熱意の故でもあったのでしょう。

    ところで、自分でも忘れていたのですが、敦賀駅の昔の駅舎の写真がありました。ただ映画では、そんなに真正面から映ってはいないので、参考写真という形になるかもです。

    https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/286c8e1621625dba87bfb1b7c568deff

    撮影は2008年の7月です。

    ほかはちょっとこの映画にかかわる写真がないのですが、ただアーケードの道は、いまにしてみるとたぶん岸と萩原が歩いた道なのでしょうね。橋本旅館は残念ながら記憶にありません。すでに廃業されていたんでしょうね。あと歩道橋の写真はありませんが、映画を観ると、国道8号線の標識とともに、「・・・市」というのは隠されていますが、「敦賀・・・」(たぶん「敦賀警察署」)というのが読めますので、完全に隠しているというものでもないようですね。いまならCGで隠す?

  12. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
    ご紹介の記事、興味深く読ませていただきました。
    刑務所撮影の件は、なるほどという感じですね。
    あと、久々に自分の記事のSVを開いて見たら、逮捕の場面の商店街でアーケードが撤去されていてビックリしました。
    近くに有名ショッピングモールがありますし、あちこちでみられる商店街の衰退とアーケードの撤去がこちらでも起きていたと言うことですね……

  13. 赤松 幸吉 より:

    Bill McCreary さま
    津市のロケ情報、どうも有り難うございました。
    当時(1972年)、「約束」のロケ地周りをしたとき、津市や三重刑務所も訪れようと思いながら、結局行けなかった場所です。

    確かに、当時は「敦賀」を「羽越(うえつ)」という架空名にしなければ、映画化できないほど「見えざる圧力」が何故かありましたね。

    この「約束」は列車行程(ルート)に日本映画史上No1矛盾点が多い作品です。

    二人の乗った急行「しらゆき」(青森~金沢)は「直江津」「柏崎」を過ぎ、北上し続けているのに着いたところが、ずっと南の「敦賀」(羽越)なんですね。

    帰りも名古屋や津方面に向かっているのに、急行「しらゆき」に乗ったままであるという不思議。

    居ながらシネマ さま

    このブログのおかげで「旅の重さ」のロケ地の95%は解明できたと思っています。

    この「約束」は30%くらいではないでしょうか。

    「旅の重さ」と「約束」 は同年(1972年)に奇跡的に誕生した甲乙つけがたい名作です。全国には「旅の重さ」と同じくらい「約束」の熱狂的なファンがいらっしゃるのではないでしょうか。

    是非、このブログで解明率30%ぐらいが90%になれば、と願っています。

  14. Bill McCreary より:

    赤松様

    どうも、過分なお言葉ありがとうございます。斎藤監督に直接お問い合わせをされたというその行動力には感服しております。赤松様のコメントが「旅の重さ」のロケ地解明の一歩だったわけで、私も感謝の心でいっぱいでございます。

    なお前にこちらのサイトでお名前を拝見していて「お!」と思いました。阪口さんは、「君は海を見たか」での彼女を見たいのですが、まだ鑑賞しておりませんので、観る日を楽しみにしたいと考えております。これからもよろしくお願いします。

    https://blog.goo.ne.jp/mikuni_girls/e/989981da3d6a7e6c3a98c7883bbdc51b

    >確かに、当時は「敦賀」を「羽越(うえつ)」という架空名にしなければ、映画化できないほど「見えざる圧力」が何故かありましたね。

    なるほどね。今では考えにくいですが、そのような時代だったのでしょうね。「ブラック・レイン」もなかなかロケがうまくいかなかったようですから。

    居ながら様

    私もこの映画に限らず、微力ながらこれからもご協力できることはしていく所存でございますので、これからもよろしくお願いします。

  15. 居ながらシネマ より:

    赤松幸吉さん、「旅の重さ」は95%でこの「約束」は30%くらいですか、ひえ~~ \(◎o◎)/ まだまだがんばります(笑)
    最初の頃に比べればだいぶ腕も上がってきたので、もう少しなんとかなるかもしれませんね。
    とりあえずひとつ、駅前の旅館の場所がわかりましたので、追記しておきました。(分かりづらいかもしれませんが)

    Bill McCrearyさん、「到着した駅」でお写真ひとつお借りしました。
    ありがとうございます。
    映画とは印象が少し違いますが、右半分がちょうど映画の最初の駅舎のカットにあたると思います。
    こちらこそこれからもぜひよろしくお願い致します。

  16. 居ながらシネマ より:

    こうもお天気が良いとせっかくのGW出かけたくなりますが、ひたすら自粛中。お籠もりを利用してこつこつ更新しているところです。
    待ち合わせたものの逢えなかった旅館は、越前岬近くで見つけましたが、おそらくここで正解かと。
    その前の螢子を望遠レンズで捉えた隧道もその近く(おそらく現在は使われていない海沿いの道)かと思うのですが、まだ判明していません。
    今の騒ぎが収束したら、ぶらっと巡ってみたいですね。

  17. Bill McCreary より:

    >おそらく越前岬近くのこちら(越前町玉川)

    これはすごいですねえ。よく見つけられましたね。この記事読んですぐ映画を確認しちゃいました。設定では街(羽越市?)の郊外ということなのでしょうが、敦賀からかなり遠くじゃないですか。斎藤監督もよくロケハンでこのようなところを発見されましたね。差支えがなければ教えていただきたいのですが、これはやはり海岸線をえんえんたどられたのですか?

    ところで先日勝新太郎と高倉健の最初で最後の共演作である『無宿』を観まして、主に京都市内と丹後でロケがされているようですが、こちらもロケはすばらしいですね。が、やはり斎藤監督は、『約束』『旅の重さ』『津軽じょんがら節』が抜けていますかね。Wikipediaにも、この時期が全盛期だったとはっきり書かれていて、なかなかあれだけの作品をコンスタントに生み出すのは難しそうです。斎藤監督も、『無宿』のような豪華キャストの映画で成功していればまた違った道があったのかもですが、なかなか都合よくは行きません。

  18. 高岡タケシ より:

    〒916-0426 福井県丹生郡越前町米ノ51−77 養泉寺付近
    https://goo.gl/maps/aFmypa8pbk3yzBWA8
    墓参に向かうシーンはこちらではないでしょうか?
    五幡からひたすら北上して見つけました。

  19. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、旅館は橋の上から「あそこに見える旅館で」だけで待ち合わせしてますから、結構大ざっぱな設定ですね 😉
    場所は、部屋のショットから建物がRCの4階建て以上だとわかりましたので、そのぐらいの構えの宿が成り立ちそうな町を昔の空撮で敦賀から北へ順に見ていきました。
    水平線に陸地が見えなかったので、湾の奥ではなく外洋に面したところで、おそらく(日差しから)西~南西向きというのも絞込条件になりました。
    ここぞというところでSVを使ってチェックしましたが、なんだかこれ、事前確率を上げてから確定診断のためにPCRを実行するみたいな感じですね(汗)

    『宿無』も齋藤耕一監督でしたね。どうしても70年代の、ヒロインをセンターにすえた映画が印象に残っていますが。そういえば『幸福号出帆』を書きかけてそのままにしてありますので、そのうちアップすると思います。これもそれ以前の作品と比べるとどうしても……という感じでしょうか。

    高岡タケシさん、これはお見事大正解ですね。
    これこそよくぞ見つけられました。旅館よりずっと難易度高いと思います。ヒントが少なく、私は早々にあきらめました……
    後ほど記事に反映させていただきます。
    ありがとうございました!

  20. 田中ヤスコ より:

    素晴らしいサイトですね!今日またCATVで何度目かの「約束」を見ました。つい放送に気付いてしまい見始めると途中で止められない・・。で、いろいろ検索していてこちらにも辿り着きました。こういった親切丁寧なサイトがあると、作品をより身近に感じられて良いですね。「約束」は私の中では「青春の蹉跌」と双璧をなすショーケン映画です。

  21. 居ながらシネマ より:

    田中ヤスコさん、コメントありがとうございます。
    またお褒めの言葉、恐縮です。
    特にこのページなどは、ご覧いただいた方々から多くの情報を寄せていただいて成り立っているようなものですので、皆様には本当に感謝感謝です。

    「約束」に「青春の蹉跌」、良いですよね。
    ショーケンは個人的にはテンプターズから「いだてん」の高橋是清まで、リアルタイムに見続けることができましたが、いざ作品を振り返ろうとすると、やはり70年代の若々しい姿がまっさきに浮かんできます。きっと時代の空気とうまくマッチしていたのでしょうね。

  22. Bill McCreary より:

    すみません、ロケ地ネタではないのですが、萩原の著書「ショーケン」からのトリビアということで。ご存知でしたらすみません。

    もともとこの映画は中山仁主演だったのですが、女優選びに難航(岩下志麻で決まっていたのが他作品出演で不可、岡田茉莉子、倍賞千恵子から断られ、中尾ミエは監督が却下、園まりも不可)、中山も降りてしまい、岸恵子にオファーを出したら相手役は誰だでショーケンの写真を送って岸が萩原と面会してOKとなったそうです(単行本p.50 ~52)。

    ってことは、中山氏は、斎藤監督への負い目みたいなものもあって、特別出演に合意したんですかね?

    あと逮捕シーンでは、三国連太郎は本気で殴ったとのこと。さすがに一発OKだったとのことですが。

    この映画を観た後では、萩原と岸恵子以外の2人はあり得ないですが、たとえば中山、岩下でも面白そうではありますね。

    以下まったく関係ない話すみません。その中山仁が、山口百恵バージョンの「伊豆の踊子」に出演していますが、百恵の時間が全く取れないので、伊豆のシーンは奥多摩で撮影したとのこと。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%B1%86%E3%81%AE%E8%B8%8A%E5%AD%90_(1974%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)#%E6%92%AE%E5%BD%B1

    うーん、港で彼女が手を振るシーンは、スタンドインだったんだなあと何をいまさらのことを考えました。山口百恵が忙しい話は有名ですが。前に

    https://inagara.octsky.net/nikudan

    の記事で、内藤洋子バージョンの「伊豆の踊子」の話をさせていただきました。その映画は実際に伊豆でロケをしたようですが、原田美枝子の「大地の子守歌」も、山のシーンは八王子だったようなので、今はどうだかですが、奥多摩方面でうっそうとした山あいのロケをするというのは、すくなくとも70年代はけっこうあったのかもですね。

    https://inagara.octsky.net/daitino-komoriuta

  23. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
    『ショーケン』をAmazonで見たら、交友関係の記述が主なようですが、出演作もあれこれ触れているのでしたら、手元に置いて資料的に役立ちそうですね。中古でも値段がさがらないのはさすがですが。(旬が過ぎて中身があまりない芸能人本は、すぐ1円になったり、bookoffで100円均一になったりしますものね)
    しかし写真でOKって、ルックスやっぱり大事??

    そういえば日経の岸惠子さんの連載、電子版で全部読みました。当たり前ですが、ご本人しか書けないことがあれこれ綴られていて、興味深かったです。ご紹介ありがとうございました(電子版はお試しのまま解約しました……)

    『伊豆の踊子』は奥多摩の踊り子でしたか。私は『エスパイ』目当てでしたが、お客さんは大半が百恵ちゃん目当てだったでしょうね。

  24. 居ながらシネマ より:

    しょうこ様へ

    当サイト管理人のinagaraです。
    サイトのメンテナンスで記録を調べたところ、3月13日と3月19日にこちらのページでコメントを書き込みいただいていたのに、自動判定でスパムと誤認定してしまい、受け付けていなかったことが判明しました。おそらく何度コメントを送信してもすべて無反応で終わってしまっていたと思います。
    復元を試みましたが、こちらで気づくのが遅くなったため、先頭数十文字以外は復元できませんでした。
    せっかくのコメントを無にしてしまい、本当に申し訳ございません。

    スパム判定を修正しましたので、おそらく以後は書き込むことができると存じます(それでも受け付けられなかった場合、お手数ですがContactページから直接コンタクトいただければ対応させていただくことができます)。
    復元できた範囲では、敦賀方面へロケ地探訪を計画されていたとのことで、ぜひお話を聞かせていただければ幸いです。

  25. Bill McCreary より:

    昨日「ラピュタ阿佐ヶ谷」この映画を鑑賞しました。やはり人気があるようで、他作品より客の入りはよかったですね。しばらくはそうかな?

    >設定では名古屋駅。
    撮影も同駅でしょうか?

    映画館に当時のプレスシートのコピーがはってありまして、

    >敦賀を拠点に、金沢、名古屋、津、大阪-弘前間の車中撮影など、オール・ロケの撮影

    とありましたので、その可能性は高そうですね。ほかにも金沢のロケってどこじゃいなです。あるいは、岸惠子が手紙を置きに行ったあたり?

    それでプレスシートでは、はっきり敦賀でのロケとかいてありますが、斉藤監督のキネ旬でのお話では、敦賀の名前が歩道橋に写っていたのはまずかったということなのでしょうね。あくまで「羽越市」という架空名にしないと、赤松さんがおっしゃるようにだめだったのでしょうね。

    以下余談です。このシリーズ私すべて見ていまして、この前の週に『旅路 おふくろさんより』を見ました。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E8%B7%AF_%E3%81%8A%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%81%95%E3%82%93%E3%82%88%E3%82%8A

    森進一主演の歌謡映画ですが、実際には田村正和が主人公でした。やはりプレスシートがはってあり、清水市(当時)で1週間ロケをしたとのことです。さすがの早撮りだなと思いました。海を効果的にロケしているところは、『約束』ほかの映画とも共通していました。このあたりで監督なりにロケーションの効果的な活用を開眼したのかもですね。

    それにしても斎藤監督は、やはり坂本カメラマンと組んだときが華でしたね。分かれた事情は知りませんが、溝口-宮川、小津-厚田、黒沢-中井、海外ならゴダール-クタールといったレベルの名コンビだったと思います。やはり72年~74年頃は、斎藤監督にとっても奇跡の時期だったでしょう・・・。

  26. 赤松幸吉 より:

    Bill McCrearyさま
    「約束」について
    プレスシートには「金沢」と書いてあっても、撮影隊は金沢には足を踏み入れていません。企画段階では金沢ロケの予定もあったかもしれませんが、実際には金沢ロケはありません。
    プレスシートには「金沢」というロマンチックな街を(宣伝用に?)に含めただけなのかもしれません。
    とにかく、この映画はロケ地の地理的整合性はめちゃくちゃで、それを指摘されると斎藤耕一監督は「そんなこと気にするのは鉄ヲタだけさ」と大笑いしたそうです。
    ラストの「三重刑務所」(津市)についても、男性刑務所で女囚の岸恵子が戻っていくはずがありません。

  27. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
    ラピュタ阿佐ヶ谷へいらしたのですね。今月から都内の映画館の規制がゆるくなったようで、良かったです。

    70年代の斎藤監督の活躍は本当に目を瞠るものがありますよね。
    俳優の魅力を引き出してみせてその一方で撮影が早いという、映画会社にとっても芸能プロダクションにとっても重宝したくなる監督さんだったことでしょうね。
    逆にこの時代にばんばん仕事ができたのはそういった監督さんに限られてしまっていたのかも……
    フィルモグラフィを見てみましたが、坂本カメラマンは1977年の『憧憬』『季節風』まででしょうか。上に書いたような映画作りが、そのあたりで頭打ちになってしまったのかもしれませんね。カメラマンさんは腕を上げればいろいろな監督さんや製作者から声がかかるでしょうけど、監督さんはスタイルがすたれるとちょっとつらいとか。

  28. Bill McCreary より:

    赤松様

    ご教示ありがとうございます。私も正直「金沢でロケ? そんな情報知らないぞ」と思いましたので、「やっぱり」というところです。それにしてもプレスシートの記述に誤りがあるのも困りますよね。70年代あたりですと、クレジットにも不完全にしかロケ地についての協力者が出ていませんよね。タイアップしたホテルとかはともかく(苦笑)。

    居ながらシネマ様

    すみません、『旅の重さ』の高橋洋子の舞台挨拶が終わったら、ちょっとメールをさせてください。

  29. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、メールお待ちしています。……といいますか、私も舞台挨拶行ければ行きたいところなのですが、今回は無理かもしれません。
    あと『少年』さきほどアップしました。

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