作品メモ
ひとつ前のエントリー『花咲く港』に続けてhuluで見られる木下惠介監督作品。
『生きてゐる孫六』に続く第3作で、1944年6月8日公開です。
タイトルは正確には旧字で「歡」。
疎開で次々人がいなくなった東京のとある町で、残された何軒かの家族を描きます。
これまた当然のことながら時代の空気が濃密に漂っていますが、『花咲く港』とはタッチが異なり、時勢の厳しさを感じながら結局は一日一日を懸命に生きる他ない市井の人々を、おなじみの俳優さんたちがしみじみと演じます。
当時この映画がどのように受け止められたかはわかりませんが、今見返すと、戦意高揚とは真逆の世界にも見えてしまいます。
ネタばれになるかもしれませんが、そこには全然「歓呼」なんてありません。
住人たち
オープニングからの一連のシーンで、ここに住む人たちが手際良く紹介されます。
キャラクターと建物の配置の記録も兼ねて、少しだけメモ書き。
山田流箏曲指南所と看板が出ているのは吉川家。
生徒ももう来ませんし、取り壊しも決まっているようですが、奥さん(信千代)は掃除に余念がありません。
話しかけてきた身重の女性は隣の印刷屋さんの妻(飯田蝶子)。
そこへやってきた丁寧な口調の郵便屋さん(河野敏子)。
「ぜんなみさん」と読んでしまう「ぜんぱさん」の家を探していますが、漢字では「善波」でしょうか。
彼女がやってきたのは、「お風呂屋さんのところをぐるっとまわったところ」にある立派な構えのお家。
夫(勝見庸太郎)は町会長。手紙には田舎に良い土地があることが書かれてありますが、妻(岡村文子)は子供のことを考えると反対中。
町会長さんがお風呂屋さんの長い板塀の前を左手へ歩いて行くと、最初のショットの橋へ出ます。
橋の奥にはもうひとつ小橋。
その手前まで進んでいくと、右手からお風呂屋さん(小堀誠)が話しかけてきます。
町会長さんは元は農家。鉄道が通ったことで土地成金となったようですが、町にいる必要もないので、疎開してまた農業をやりたがっています。
立ち話には印刷屋さん(日守新一)も加わりますが、どうやら商売はたたむ様子。
町会長さん、箏曲指南所へ来ると2階の吉川慎吾(上原謙)と話します。試験飛行士ですが、今日は家にいる様子。
父親(東野英治郎)は家を留守にしていますが、後ほど数年ぶりに戻ってきます。
慎吾に話しかけてきたのが、町会長の娘たか子(水戸光子)。
お風呂屋さんにも娘(山鳩くるみ)と婿三郎(安部徹)がいます。
ロケ地
特に資料は用意しませんでした。
ビビっときたところがありましたので、あとは例によってウェブマップを頼りに画面とにらめっこでチェックしていきました。
間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。
町
線路の近く。
日差しから見ると、おそらく線路は南北に走っていて、その西側。
線路からは川、あるいは用水が斜めに流れ、橋を渡った先の右手が銭湯。
その向かいが、少し斜めを向いて印刷屋と箏曲教室が並んでいてその前はちょっとした広場。
銭湯の裏手と、町会長の家の裏手が、その広場に面している構成。
奥は工場でしょうか。この建物や銭湯の煙突はややセットっぽいです。
最初は全体がスタジオセットかと思いましたが、逆向きで橋を捉えたショットでは背景に架線が見え列車が走り抜けるものもあり(0:12頃)、少なくともこの部分は実際の街中です。
これだけだとワケわかりませんが、他の撮影地と付け合わせると、線路は現在の京浜東北線と東海道本線のようで、東京都大田区の蒲田駅周辺でしょうか。
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス B7-C2-58(1936/06/11)
- 同・画像直リンク
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 8926-C2-18(1944/11/14)
- 同・画像直リンク
候補としては、例えばこのあたり。
あるいはこちらとか。
う~ん正直よくわかりません。
この場所は、1944年時点の空撮ではとても川幅が細く、用水路程度の流れであったように見えますので、可能性ゼロではないかと。
踏切
0:34
2人が小走りで渡るところ。
この線路(複々線)も南北に走っていて、その東側から撮られています。
これも蒲田駅周辺とすると、候補としてはたとえばこういったところ。
夫婦が歩く道
0:41
背後に編制が短い列車が、ゆっくりと走っています。
そうかと思えば、長い編制の車両が停まっているようにも見えます。
これはもう操車場でしょう。
ビビっときたのが東京蒲田の操車場。『砂の器』の現場となるところです。
日差しから見てカメラ位置は操車場の北側で南向き。
左手奥に尖った屋根が4つ並んでいるのが見えますので、こちら(十字の位置)ではないでしょうか?
現在はこういった↓ところ。
もしここで正解だとすると、この場所は日本最初のかなタイプライターを製作し、IBM等の代理店も務めていた黒澤商店の工場や社員向けの施設があったところで、黒澤村(吾等が村)と呼ばれたところです。
現在は南に向って左手(東側)が富士通、右手(西側)がマンションと大田区民センターになっています。
操車場の方は、これまでのエントリーで言えば小津監督の『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』でも登場していました。
くぐった線路下
そのあとかがむようにして通り抜けた線路下。
例えば現在も確認できるこういった箇所かと思いますが、こちらかどうかは不明。道路構成的には可能性高いです。
ロケ地マップ
※16/1/14追加
資料
更新履歴
- 2016/01/14 「ロケ地マップ」追加
- 2016/01/12 新規アップ
コメント
『歓呼の町』は木下恵介監督が国策映画を逆手に取った愛すべき小品だと思います。
木下監督は、世評名高いお涙頂戴映画「二十四の瞳」、「喜びも悲しみも幾歳月」(♪俺ら岬の灯台守は~、一体、劇中に何度同じメロディーを流せば気が済むというのだ!)、「永遠の人」、「二人で歩いた幾春秋」よりも『歓呼の町』あたりの「わが恋せし乙女」、「お嬢さん乾杯!」、「カルメン純情す」、「婚約指環」などに本来の才能を発揮したのではないでしょうか。
是非、若い人もこの頃の木下作品を鑑賞してください。そうすれば、木下は黒澤明に匹敵する天才だと驚くことでしょう。
さて、「楢山節考」ではすべてスタジオ撮影、「春の夢」もほぼ一屋敷に限定してストーリーが繰り広げられているので、この『歓呼の町』の撮影も町内全体をセットで組み、街頭ロケはなしと、すべてスタジオセットばかりと思っていました。背景に列車が走り抜けるシーンはまったく記憶に残っていません。
列車が動いている以上、ロケには違いないでしょうが、戦時末期下のロケは可能だったのか、許されたのかという疑問が残ります。
古い文献ではロケ地は東京の某地区(蒲田地区あたり)とありますので、INAGARA様の検証で間違いないでしょう。
題名の『歓呼の町』は監督のささやかな抵抗でしょう。本来なら、「号泣の町」ぐらいではないでしょうか。
赤松さん、「国策映画を逆手に取った愛すべき小品」とはなるほどです。
よく検閲通ったものですね。
『お嬢さん乾杯!』は良いですよね。関東限定だったかもしれませんが、昔々テレビ東京で(たぶん東京12チャンネル時代)日本映画名作劇場という枠が有り、そこで見たのが最初でした(毎週テレビで気軽に過去の作品と接することができる、とても貴重な枠でした)。
『歓呼の町』の列車が走り抜ける場面ですが、今見返したところ、上掲予告編冒頭とちょうど逆に、町の側から橋とその向こうの線路を捉え、列車が通り過ぎたあとカメラが左にパンして、銭湯の入口に「午後4時ヨリ」と札がぶら下がっているのを写しています。
なのでここがホンモノの街角であることは確かですが、その後人々が銭湯に入っていく場面では、門柱や石塀の質感がちょっと違って見えました。
もしかすると大半は(橋の周りは実際の街角を模して作った)スタジオセットでの撮影で、列車が通過するショットだけモデルとなった街角で撮影したのかもしれませんね。