But who is the enemy?
目次
作品メモ
ひとつ前の『暁の出撃』はルール川にあるダムを攻撃するお話でしたが、近くに(といってもルール川が合流するライン川の方)、以前何かの折りに置いた『レマゲン鉄橋』関連のピンがありましたので、続けてこちらをチェック。
映画のおかげでとても有名なこの橋、今さら人に聞けない「レマゲン鉄橋」って何? ですが、第三帝国が神々の黄昏に覆われようとしている45年3月、西部戦線の天然の要害ライン川に最後まで架かっていた橋のことで、映画はこの橋をめぐるアメリカ歩兵大隊とドイツ軍との戦いを描きます。
橋の名前は正確にはルーデンドルフ橋(Ludendorffbrücke)Wで、レマゲンはその南西側(左岸)の町。ドイツ語としては「レマーゲン」ですね。
北東側(右岸)の町はエルペル(Erpel)。
……ですが、なぜか「レマゲン鉄橋」という名前が定着しているようです。
余計なお世話ですが、「レゲマン鉄橋」とか「バジル大作戦」などと間違って覚えないようにしませうね。
映画としては冒頭何台もの戦車が連なって爆走しながら火ぶたを切るところが見事で、一気に戦争映画の世界に引きずり込まれます。
中盤以降もハンパない爆発と水柱と銃撃戦、果ては町が次々破壊されていくという凄まじい表現に圧倒されます。崩れていくのはどうみてもホンモノの街並みなのですが、その理由は後ほど。
ドラマ部分は、史実はどうか知りませんが、それぞれに問題を抱えた両軍を偏ることもなく描けていたように思います。
攻防が延々とくりかえされ、ムチャな命令にうんざりしながらも兵士たちは橋に突き進み、ばたばたと倒れていきます。
やがて死闘は終結を迎えますが、そこで交わされる闘っていた者同士の会話には、なにか憑きものが落ちたかのような境地がありました。
第二次大戦終結間近ならではの描写なのでしょうが、こういう場面があったことで、いっそう記憶に残る戦争映画になったように思えます。
キャストはアメリカ軍側がジョージ・シーガル、ベン・ギャザラ、ドイツ軍側はロバート・ヴォーン、ペーター・ファン・アイク等々。
ドイツ人同士でもセリフは英語ですが、ドイツ語の部分もあります。
いちばんおいしいところをさらっていったのは、その母国語をちらりと披露したハンス・クリスチャン・ブレヒだったかも。
監督ジョン・ギラーミン、撮影スタンリー・コルテス、音楽エルマー・バーンスタイン。
ロケ地
IMDbでは、
Mechince, Czech Republic (Oberkassel bridge in opening scene.)
Davle, Czech Republic
Hamburg, Germany
Most, Czech Republic
Italy
Austria
今回は英語版Wikipediaに多くの答えが書かれてありました。それらの記述をさらにウェブマップで確認するという作業となっています。
間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。
撮影は主にチェコ。
IMDbのTriviaやWikipediaによると、1968年8月のソ連(ワルシャワ条約機構軍)によるチェコスロヴァキア侵攻で撮影は中断。クルーとキャストはタクシー28台を連ねて西側に逃げ、残りはイタリアとオーストリアで撮影したとあります。
IMDbのTriviaではさらに、
A half-replica of the bridge was built near Castelgandolfo, the Pope’s summer residence south of Rome, and the film was completed in Hamburg [Germany] and various Italian locations.
とありますが、このあたりは確認できませんでした。
OPの鉄橋
川沿いを走る列車と、彼方に見える鉄橋。
設定ではオーバーカッセル橋(Oberkassel)です。
英語版Wikipediaによると、Vrané nad Vltavouという村の南にある鉄道橋とのこと。
Vrané nad VltavouWはチェコの街。プラハの南20km弱といったところでしょうか。
橋はWikipediaの記載通り、街のすぐ南で見つかりました。
WikimapiaではSkochovice railway bridgeと標されています。
OPの最初のショットは南側から撮影。
川は、プラハに流れていくヴルタヴァ(Vltava)川W。
リアルでのオーバーカッセル橋は、デュッセルドルフのこちらで、もちろんライン川。
ドイツ軍による爆破は1945年3月3日。
レマゲン鉄橋(撮影)
英語版Wikipediaによると、Davleというところで撮影。
Davle(ダヴレ)WはOPの橋があるVrané nad Vltavouのすぐ南。
その近辺をチェックしたところ、OPの橋の3,4km南側に架かっているこちらの橋であることがわかりました。
5分頃に地図を指さした後鉄橋の空撮に切り替わりますが、これはこの橋を東側から見たショット。
強引に再現するとこういった感じ。
このあとぐるりと旋回して反対側を写した後、東側のたもとに接近します。
さらにオーバーラップして人々が避難する様子が描かれた後(町の場面の撮影は別の場所……後述)、再びオーバーラップして今度は人々が通りを右折して橋へ向うショットとなりますが、このあたり。
両側に立つ塔や右岸のトンネルは史実を模したセット。
トンネルは25万ドルかかったとか(→ IMDbのTrivia)
東側(右岸)から。
西側(左岸)、つまりダヴレの街の側。
ルーデンスドルフ橋跡(参考)
史実としてはライン川のこちらに架かっていました。
レマーゲン(Remagen)Wはボンの南約20km。
1945年3月7日ということで、まさに決着がついたその日の画像。
映画の最後で示された通り、橋は10日後の45年3月17日に崩落しています。
崩落後。
映画でも登場したサインが見られます。
“CROSS THE RHINE WITH DRY FEET COURTESY OF 9TH ARM’D DIV”
(靴ぬらさずにライン河を渡る 第9師団に感謝を)
1950年。
レマーゲン側に残った部分は、現在では博物館となっているようです。
http://www.bruecke-remagen.de/
エルペル側のトンネル跡。
ドイツ軍司令部
0:16頃、サングラスをかけたクリューガー少佐(ロバート・ヴォーン)がやってきた立派なお館。
これは画像から見つけました。
レマゲンの街の撮影が行われたMostの町(後述)の近く、ドゥフツォフW。
- Google Maps(SV) ……お屋敷正面
- Google Maps(SV) ……少佐の背景
- WikiMapia
ここはあのカサノヴァWが晩年司書として過ごした屋敷とのこと。『回想録』もここで書かれたとのことです。
ラスト近くでは、裏庭が登場します。
クリューガー少佐が歩いていった道は、今では芝で覆われています。
But who is the enemy? (誰が敵なのだ?)
メッケンハイム
0:31頃一晩過ごした途中の町。
リアルではこちら。
確かにレマーゲンの西15kmほどのところにありますが、実際の撮影場所は不明。
広場や塔が特徴的なので、粘ればわかるかもしれません。
レマーゲンの街(撮影)
中盤以降戦車隊が乗り込んできて、建物が片端から崩壊するところ。
英語版WikipediaやIMDbによると、Mostの旧地区で撮影されたとあります。
Most(モスト)Wはやはりチェコの街。
プラハの北西7,80kmほどのところでしょうか。
褐炭採掘のため旧地区を解体している時期にあたり、それを映画撮影に利用していたようです。
なので許可を得て建物は壊し放題。
ただし、IMDbのTriviaによると、共産党本部ビルは配慮して破壊しなかったそうで……。
(なお日本語版Wikipediaでは、橋の撮影が行われたダヴレで町の撮影も行われたように書かれていますが、おそらく誤り)
再開発というよりは市街地を移動させたようで、現在のモストの街を画像で見ると妙にピカピカで、ニュータウン風に新しい建物が並んでいます。
今から撮影場所をたどるのは難しそうですが、少しだけ手掛かりがありますのでメモ。
広場と教会
1:07に噴水がある広場のような場所が登場し、バリケードを作ったドイツ軍とアメリカ軍が激しい戦いを繰り広げます。
ここはタイトルバックでレマゲン橋の空撮からオーバーラップし、町の人たちが避難する様子が俯瞰で捉えられたところと同じ場所と思われます。
こちら↓のサイトはMostの昔と変遷を記録していますが、
- http://starymost.web2001.cz/
この↓ページ、上から4枚目の画像が、映画に登場した広場と思われます。
- http://starymost.web2001.cz/historie.htm
- http://starymost.web2001.cz/svobody.htm ……上から4枚目の画像直リンク
この画像の左奥に写っている教会はこちら。
上記サイト4枚目の画像とほぼ同じアングルで、背後に山の稜線が同じ程度にかかっています。
教会の背後の部分は、1:07頃、バリケードを写しながら左へパンしてホテルを捉えるショットで、手前の建物とともに、背景右側に見えています。
こちら↓の古いポストカードを販売しているチェコのサイトでも、Mostのカテゴリーで、別のアングルの画像を見つけることができました。
この↑ページの下から2番目、«Most , Náměstí generála Svobody»とあるポストカードですが、映画に登場した噴水の真後ろから教会を見ているアングルです。直リンクでは(ごめんなさい) → こちら 。
このポストカードですと、左側に別の教会も写っていますが、上記1:07頃バリケードを写しながら左へパンしてホテルを捉えるショットでも同じものが写っています。なので、この広場で確定でしょう。
で、最初の教会に戻りますと、なんとこの教会は解体を免れ丸ごと移転されていました。
Church of the Assumption of the Virgin Mary (Most)W
Wikipediaによれば、7年がかりで準備し(建物の補強、ルートにあたるすべての建物の解体と旧露天掘り部分の穴埋めなど)、1975年9月30日から10月27日にかけて、841.1メートルの距離を毎分1~3センチメートルの速度で移動。
これは車輪で移動させた最も重い建物としてギネスに載っているそうです(12,700t)。
曳家もこれだけ大規模になると、まるでクリストファー・プリーストの『逆転世界』ですね 😉
これは移動前の様子。
左側の円蓋を戴いた塔は教会からはずしたものではなく、上記サイト4枚目の画像で右側に写っているものですね。
つまりこの画像は上記画像とは反対側から撮られていることになります。
円蓋の塔は、1:08頃、戦車と歩兵が広場に突入する場面で、煙の彼方に確認できます。
また1:10頃、歩兵隊が少年の銃撃に身をかがめながらホテルに駆け寄るショットで、背景左端に写っています。
後は教会の現在位置から840mの距離にあり、背景に山の稜線が同じように見える場所を探せば、それが元の位置と推定できます。
この近くで円錐形の山は、現在の教会の位置から西にあるこれぐらいでしょうか。
日差しから考えて、山は西側に見えているのが自然なので、おそらく現在の位置から見て北から北西の間。たとえばこういったあたり。
画像では奥に向って上り坂で、日差しは左からなので、矛盾はありません。
ピンポイントのSVのため位置を細かく調整できませんが、実際にはもう少し後ろに下がりたいですが……
このSVの近くにドイツ語で„Dekanatskirche Maria Himmelfahrt (ehemaliger Standort) (Most)“というWikimapiaのマークがありました。
このマークが正しいという保証はありませんが、最後に掲載したロケ地マップに、このマークを基点として、推定される広場の形状や、噴水、ホテル、米軍の進入経路も書き込んでおきました。あくまで感覚的なものですので、信じないようにご注意ください(小さすぎると判別しづらいので、推測される大きさより少し大きめにしています)
……と長々書いてしまいました。
こういう建物にまつわる話は大好きなもので、お恕しを。
ロケ地マップ
第二次大戦の映画
チェコで撮影された映画(※16/1/30追記)
資料
更新履歴
- 2016/01/30 「ロケ地マップ」に「チェコで撮影された映画」追記
- 2015/10/09 新規アップ
コメント
居ながら様、楽しく読ませていただきました。
レマゲン鉄橋 は、私、大阪万博を観に行った折り、梅田界隈に、レマゲン鉄橋大攻防戦 というタイトルの看板で公開されていたこと、思い出しました。観たのは、後に名画座で。
あんなに早く走る戦車は後にも観たことがありません、印象的なオープニングでした。
映画音楽的にも好きな作品で、エルマー・バーンスティンの傑作と思います。
ちなみに、クリューガー少佐が車で本部に到着するシーンの曲は、大脱走 の似たシーンで使われたものです。
メッケンハイムの街の遠景ですが、
私はずっとフランスあたりの村なのかなーなどと思っておりましたが、実際にドイツにロケをしていて驚きです。
実は、テレビドラマのコンバット! のエピソードの中に、たまにフランスに実景ロケした村や城が出てくるのですが、その中に、実によく
すみみません、続きます
メッケンハイムのシーンに似た村がありました。ハリウッドですから、そこらと同じ場所を使ったりしたのかなあ、などと感想を持ちました。
操作ミスしました、たいへん失礼致しました。
たかマックィーンさん、コメントありがとうございます。
大阪万博ですか、確かにその頃の映画ですね。
私が最初に観たのは、もっと後にテレビでだと思います。
冒頭の戦車はコマ落としも使っているかと思いますが、実際その気になったらきっとこのくらいの速度は出せるのでしょうね。
メッケンハイムは遠景も広場もおそらく他と同じくチェコでの撮影かなと思うのですが、もう少し粘ってみます。