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『愛と希望の街』 (1959)

あの頃映画 「愛と希望の街」 [DVD]

作品メモ

チャンネルnecoの大島渚監督特集で鑑賞。
そういえば今年亡くなられた映画人のおひとりでしたね。
これは監督デビュー作とのことですが、今回が初めての鑑賞でした。なのでエラそうに内容を語ることはできません。資料的なことはこの記事の最後に資料としてあげたサイトをご覧ください。
時々書いていることですが、野心とやる気にあふれた若い監督が手がけた映画は迸るような情熱に満ちていて、それだけでこちらもアツイ気持ちになり、若さが甦ったような気になります。

監督のアツイ言動も今となっては懐かしさをともないますが、まっさきに思い出したのがこちらのエピソード。

もう20年以上も前のことでしょうか、おそらくテレビ朝日の「朝まで生テレビ」の初期の頃だったかと思います。
パネラーのひとりの某政治家が、当時のレーガン大統領を揶揄して「俳優が大統領になれるんだから」とかそういった類いのことを薄ら笑いを浮かべながらぶっこいたことがありました。
それを見ていた若き日?の私は「なんだコイツ」とムッとしましたが、それより早くより激しく反応したのが同じくパネラーとして出演していた大島監督でした。
スイッチがかちんと入った音まできこえ(嘘)、激怒した監督。
正確には覚えていませんが、「何言ってんだ、(俳優たちに)謝れ!」的な内容だったでしょうか。
監督に一喝されて目がうつろになり、薄ら笑いもこわばった某政治家。
かろうじて「監督がそうおっしゃるなら謝りましょう……」とショボンとなっていた姿が今でも記憶に残っています。
まあこんな人物がその後総理大臣になっているわけですから、皮肉というものでしょうか。

ロケ地

例によって特に資料には頼らずに、ウェブマップを使いながら画面とにらめっこでチェックしていきました。
答え合わせはしていませんので、間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。
結論から言いますと、撮影地は主に横浜市の鶴見線沿線や鶴見川の下流、川崎市の川崎駅周辺となっているようでした。

  • カラー空中写真閲覧システム・横浜市鶴見区、鶴見川やタンク周辺
  • カラー空中写真閲覧システム・川崎駅周辺

※日本のウェブマップについてのメモ

メモなので折りたたんでいます。興味のある方はクリックしてください。

昔の日本映画ということで、今回も各種の日本のウェブマップを利用しています。
今年の7月に、『旅の重さ』『約束』『集金旅行』で利用した「電子国土Web.NEXT」は当時試験公開中でしたが、10月30日に「電子国土ポータル」内の「地理院地図 GSI Maps」として正式公開されています。

名前が改まっただけでなく、機能もバージョンアップを重ね、初期に比べてとても使えるマップとなりました。
ただし現状では1974年以降のカラー空撮しかありませんので、合わせて以前から利用している「国土変遷アーカイブ」や、「国土情報ウェブマッピングシステム」内「カラー空中写真閲覧システム」、ギリギリ地域に含まれる「goog古地図」も利用しています。

このうち「国土情報ウェブマッピングシステム」内「カラー空中写真閲覧システム」はデータとしては1974年以降のカラー空撮を扱っているので、おそらく「地理院地図 GSI Maps」に統合されているものと思われますが、上の例のように年代別の画像ファイルの中心点を把握しやすい点や、400dpiの1枚ずつの画像として出力される点が結構便利だったりしますので、引き続き併用していくことにします。

また「国土変遷アーカイブ」は、60年代以前のモノクロ画像も大量に収録されていて、今回のような昔の映画にはとても役立ちます。最大200dpiなのがちょっと残念。

現在の状況についてメモしました(14/8/16追記)。クリックで開閉します。
※2014/08/16追記
その後もいろいろ変化がありますので、メモしておきます。
「電子国土ポータル」内の「地理院地図 GSI Maps」(上述表記)は、サイト上では「地理院地図(電子国土Web)」という表記になっていますが、今でも利用可能です。上述のように1974年以降の歴代のカラー空中写真をレイヤー表示でき、マップへのリンクを簡単に作れるなど、当サイト的にはとてもありがたいサービスとなっています。

国土交通省の国土情報ウェブマッピングシステムにおける「国土画像情報(カラー空中写真)」は、2014年(平成26年)3月で閲覧できなくなりました。これらのデータは上記「地理院地図(電子国土Web)」に統合されたものと思われ、年代範囲にチェックを入れることで、簡単にレイヤー表示することができます。

また「国土変遷アーカイブ」も見ることができなくなりました。昔からの白黒空撮画像などが収録されていて有益でしたが、っこちらはおそらく現在の「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」に統合されたものと思われます。

「地理院地図(電子国土Web)」と異なりマップにレイヤー表示されるわけではありませんが、逆に1枚ずつの画像を閲覧することができ、目的によってはとても便利に利用することができます。

現在の状況についてメモしました(15/4/6追記)。クリックで開閉します。
地理院地図(電子国土Web)が進化しています。
情報→表示できる情報→地図・空中写真と進み、単写真を選ぶと、現在見ている地域に関して年代を絞って空撮画像の撮影ポイントを表示することができます。そこをクリックすると「地図・空中写真閲覧サービス」での画像が表示される仕組みとなっていて、非常に便利。
今後は地理院地図(電子国土Web)1本ですべてまかなえそうですね。
現在の状況についてメモしました(15/5/24追記)。クリックで開閉します。
地理院地図(電子国土Web)がさらに進化していて、74年以前の空撮も重ねることができるようになりました。 地図を開いた後、左上の「情報」→「表示中の情報」でレイヤーの透過率を調整すると、経年変化をわかりやすく確認できます。

タイトルバック

「愛と希望の街」

川と橋が見える俯瞰。 川は鶴見川で、橋は臨海港鶴見橋。
橋についてはかなり迷いましたが、国土変遷アーカイブの1955/01/25の画像が最終的に決め手となっています。

カメラ位置は川の西側で、おそらく総持寺のある高台から東向き、臨海の工業地帯を見ている構図。
劇中何度か写る大きなタンクも遠くに見えます。このタンクは現在はありません(次の項目参照)。

「監督脚本 大島渚」

3つの大きなタンク。

カメラ位置はおそらく北側にある中学校の校舎の屋上。

駅前

俯瞰図。
昔の国鉄川崎駅の東口ですね。左側に高架になる前の京急本線も見えます。
今とは全く光景が異なりますが、ある程度の年齢以上でこのあたりになじみのある方は、すぐにビビっときたと思います。
現在はこういった感じ。

鳩を売っていたあたりを昔のマップで見るとこういった感じ。

飛び立つ鳩

煙突背景に飛び立つ白い鳩は、まるで『ブレードランナー』の名場面のよう。
前述中学校の屋上。
どのカットも左端のタンクが小さいので後ろ側にあるように見えますが、実はこれだけサイズが小さく、手前にあります。右側の2つは同じ大きさ。

0:12。
先生と渡る橋。
タイトルバックに写っていた橋のふたつ上流の潮鶴橋。
東の川崎側から西の鶴見に向っています。背景は鶴見川の上流。

踏切

0:12。
通過するのは京急本線。現在は高架となっています。
現在のマップではこちら。

昔のマップではこちら。

向こう側左手に「**MIYA」という百貨店が見えますが、これはWikipediaにも項目があるこちら。

小美屋W

後の方(0:40)で全景が出ます。
また踏切の手前の左手、三人が話す背景に川崎商工会議所の建物が見えますが、これもまた懐かしい物件(0:23頃にも背景に登場)。

喫茶店

0:14。
駅ビルの中と思われます。
駅前ロータリーの向こう側に見える建物がみな背が低いのが、当時を偲ばせます。

工場内部

テレビを作っている工場。
場所柄東芝と思えますが、確証はありません。

校舎

0:20頃。

レストラン

港を臨むレストラン。
おそらく横浜、山下公園前のニューグランドかと思います。

本館のレストランは入ったことがありませんが、きっと今の時期カップルでいっぱいなんでしょうね~
みんなブルジョワじゃん!

タクシーに乗ったところ

京子がちょっとした冒険の後タクシーに乗ったところ。
背景に見える橋はこちらで、線路は鶴見線。

路地の出口のような空き地は今は公園となっています。

正夫が歩く道

川崎駅前から東へのびる新川通り。
なにやら無骨な柱が並んでいますが、これは川崎さいか屋の前あたり。
さいか屋はその前から建っているはずなので、改築か何かでしょうか。
背景にも建築中のビルが見えますが、新川通り入口のさいか屋向かいに今でも建っているこちら。

築50年以上と言うことですね。
どちらのビルも映画冒頭の駅前の俯瞰や喫茶店の場面で、背景に見えています。

屋上

鳩を撃つのは自宅の屋上という設定でしょうか。
市街地で猟銃を撃つのはいくら昭和のこの時代でもムチャかと思いますが、それはさておき撮影場所は、タイトルバック同様やはり総持寺のある高台からと思われます。
タイトルバックの橋が見えるショットから少し(数百メートル?)北側でしょうか。

別の場面で家の前が写りますが(0:24頃)、そことは別のように思われます。

資料

更新履歴

  • 2023/07/12 「地理院地図 GSI Maps」を「地理院地図・電子国土Web」に更新
  • 2015/05/24 「※日本のウェブマップについてのメモ」追記
  • 2015/04/06 「※日本のウェブマップについてのメモ」追記
  • 2014/08/16 「国土変遷アーカイブ空中写真閲覧サービス」の統廃合に伴い、「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」のURLへ切替。「※日本のウェブマップについてのメモ」追記。

コメント

  1. 赤松幸吉 より:

    久しぶりに純日本映画が掲載されたのでコメントします。小生にとって海外ロケ作品は純日本映画とは言えませんからね。それにほとんど駄作ばかり。
    「監督脚本 大島渚」のタイトルにかぶる象徴のような三つのタンクは、今でもはっきりと目に焼き付いています。今回、昭和49年度の空中写真で俯瞰からくっきりと確認でき、懐かしくなりました。昭和三十年代にはこのような危険なタンクが町の至る所ににそびえていました。
    当時はまた、この少年のように伝書鳩を飼ったり、売ったりしている人が多くいました。物干し場とか屋根裏に大きな鳥かご(人が立って歩き回れるほど)を作って、空に鳩を飛ばしていました。そのような風景もいつの間にか消えてしまいました。
    この映画を封切り当時劇場で見た人はほとんどいないのではないでしょうか。私も後年の映画祭で見ました。

  2. inagara より:

    赤松さん、コメントありがとうございました。
    拙サイト、引き続き見てくださっていて恐縮です。

    純日本映画、取上げているのが少なくてすみません。
    前も書いたかもしれませんが、国内を取上げるとどうしても今住んでる人により配慮する必要が出てくるのと、ウェブマップで気楽に海外旅行するのが楽しいこともあって、どうしても外国映画に偏ってしまっています。
    おっしゃる通り海外ロケ作品は作品的にはいまひとつが多いですね。なぜでしょうね??
    うちのサイトは作品の評価より、「これどこで撮ったの?」といった興味を最優先にしていますので、あれこれツッコめる映画の方がかえって楽しめますけど。

    この映画のような大きなオイルタンクは、この場所ではありませんが私も子供の頃の記憶と重なります。
    それで思わずケーブルで見たばかりのこの映画をチェックしたのでした。
    『ウエストサイド物語』でも若者たちが駆け回っていたあの街に、一瞬大きなタンクが写っていたような?
    昔はこういうのが当たり前だったのでしょうね。

  3. Bill McCreary より:

    他記事のコメントを読んでのコメントですが、『旅の重さ』でコメントをしてもご迷惑でしょうから、大島監督つながりでこちらの記事へ。

    大島監督『少年』は、この映画あってのものですね。もちろん犯罪のレベルはより『少年』のほうがいろいろ重大です。

    『少年』の主人公を演じた方は、今年表に出られました。雑誌のインタビューにも答えています。ご存じでしたら申し訳ありません。

    https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/ca9861f8dcf867ead3f5bf2854f081ed

    https://eiga.com/news/20210403/29/

    いうと恥ずかしいのですが、下の記事の写真には、私も写っています(苦笑)。少年も、1968年頃の日本の地方都市の様々な姿が映し出されているので、現在ではきわめて貴重なものになりそうですね。

    ところで、『愛と希望の街』を見れば多分誰もがあのタンクが印象に残るかと思いますが、昔は(私はもちろん同時代では知りませんが)大都市近辺に発電所や工場がありましたよね。お化け煙突とかもそうです。私の家も住宅地にありますが、昔は近隣に漬物工場があってでかい煙突がありましたが、もうそれも廃業して住宅地です。操車場とかもご同様。

    それにしても鳩を撃つシーンは、本当に撃っているそうで、これまた現在では考えられないですね。映画のクレジットで、「いかなる動物も害を加えていない」とあるのを見ると、この映画をよく思い出します。

  4. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
    『少年』ニーズありそうですので、記事作りますね。もう少しお待ちください。
    (最初の方の高知市の場面だけチェックしてみましたが、結構判明したのでオモシロかったです♪)
    「少年」の現在について、全然知りませんでした。お元気そうでなによりです。
    ステージの3人が手にしている寄せ書きは映画の最初に映されるものですよね。おひとりだけ윤융도(ユン・ユンド)とハングルが混じっていますが、『少年』では助監督のこの方、『絞死刑』の死刑囚だった人ですね。
    Bill McCrearyさんも写真に収まっているとは、良い記念になりましたね。私も以前は結構舞台挨拶とか見に行っていましたので、客席で写ってしまっている画像があるかもしれません。

  5. ほりやん より:

    正夫の妹が、工事現場のようなところで遊んでいますが、その背後に見える「像」は誰なのでしょうか? 臨海工業地帯の開発に詳しい人なら、あれはあの人の像ですと、すぐにわかるのでしょうが、土地勘がないものだから調べました。

    https://www.toa-const.co.jp/trdc/origin/

    (浅野総一郎さんの像)
    「1942年にセメント像として制作され、1959年当地に移設された。その後2007年に銅像として再建された」とあります。
    たしかに映画のはセメント像でしたね。映画の撮影後に撤去され現在地に移設されたのでしょう。現在の銅像は企業内の敷地にあるのでSVで見ることができません。

  6. 居ながらシネマ より:

    ほりやんさん、コメントありがとうございます。
    冒頭3分ぐらいのところの場面ですね。
    これは良いところに気づかれましたね。マニアックで実に拙サイト向きの物件♪
    自分はこれすっかりスルーしていてまったく記憶になく、再生して初めて知ることができました。

    余談ですが、焼いたBRを見る環境が今リビングにしかなく、テレビに顔を寄せて舐めるようにチェックしているのを家の者に見られては座敷牢に入れられかねないため、深夜に息を潜めて作業していましたが、なんだかその昔お茶の間のテレビでこっそりイレブンPMを見ていたのを思い出しました。

    そんなことより、自分はこのあたりに結構土地勘あるつもりでしたが、この人物が像になっていたのは知りませんでした。

    ttps://senseki-kikou.net/?p=11555

    ↑こういったブログ記事に拠れば(ブログ主様に感謝)、ゆかりの地のあちこちに建てられているようですね。

    ご紹介いただいた物件は、立ち入りできない敷地内となると、さすがに地元の人にも案外知られていないのではないでしょうか。
    マップ的にはこちら↓ですね。

    肝心の映画のセメント像がどこにあったかですが、周囲の景色から判断して、おそらくこのあたり↓ではないかと。

    3つのガスタンクの、すぐ傍ですね。

  7. ほりやん より:

    私は66歳で、週3日しか働いていないので、はっきり言ってヒマです。キャプテンは座敷牢に入れられることを恐れて、深夜にチェックしてまでコメントを返してくださっているのですね。恐縮です。でも今後も投稿させていただきます。ヒマですから。
    半年ほど前にアマプラの会員になって、古い日活映画や洋画を観てます。むかし録画した映画のVHSをDVDにして楽しんでます。もちろんCSで映画を観たり録ったりもしています。それだけで終わっときゃいいのに、今回ツタヤディスカスの会員になって、さっそく「避暑地の出来事」「恋愛専科」「不時着」「肉体の遺産」をレンタルしました。「肉体の遺産」は未見だったのですが、ジョージ・ペパードとジョージ・ハミルトンの演技が素晴らしかったです。

  8. milou より:

    相変わらず映画に関係ない、まったくの余談だが
    “イレブンPM” に出演したことがあります?!

    浦山桐郎の『私が棄てた女』がお蔵入りになるところで
    何とか公開させようと番組で取り上げ、京阪神の映画サークルの
    メンバーなど 10名ほどが雛壇に並ぶのだが、番組の性格上
    若い女性が欲しいとのことで友人に頼まれ
    2,3人見繕って(僕は女衒か?) 一緒に出演しました、
    安藤義一とアシスタントが お孝さんの頃です。

    驚いたのは、あんないい加減な(失礼!)番組でも、
    一応台本があり リハーサルを7時頃から始め
    カメラ位置やライトなどをチェックする。
    (もちろんメインのゲストなどが来るのは遅い)。
    何を喋ったか覚えてないが、試写を見た感想を
    一言ぐらいでブームマイクを動かされた。
    まだ家庭用ビデオなどない時代なので
    自分で番組を見ることは出来なかったが、
    友人から”見たよ”なんて連絡はあった。
    歌のゲストは新川のり子で、もちろん曲は
    「フランシーヌの場合」。
    (調べるとレコード発売は 1969年で、
    映画の公開が同年 9月なので
    69年7月か 8月ぐらいだったはず)

  9. milou より:

    失礼! もちろん藤本義一の書き間違い、お孝さんが、安藤孝子です。
    TVではまだ目立たなかったが藤本義一の髪が真っ白に近く驚いた

  10. milou より:

    あらあら、また書き間違い!
    新川ではなく新谷! スイマセン(小さく)

  11. ほりやん より:

    milou様
    イレブンPMに出演されたことがあるとは凄いですね。
    むかし遠藤さんのこの小説を読んだとき、結末はどうなるんやろとハラハラしたものです。映画のほうは未見ですが、ハンセン病を扱っているのがお蔵入りになる理由だったのでしょうか? 余談ですが原作が気に入ったので、英訳の”The Girl I Left Behind”も買いましたが、まだ読んでないです。

  12. milou より:

    ほりやん さん、反応(?)ありがとうございます。

    出演と言っても、書いたように 10人あまりの若者が
    セットの雛壇に並び、インタビューとも言えないほどの
    短い時間 喋るだけでグループ名の紹介はあったかもしれないが
    個人の名前が出るわけでもなく、番組中ずっと座っていたのか
    短いコーナーだけだったかも記憶にない。
    番組としては、こんなに公開を望む人がいる、
    という意図だったのでしょう。
    ということは0.001パーセントぐらいは公開に貢献したかも…

    それでも、確か 3000円の出演料と読売TV食堂の食事券、
    そして当然 終わるのは終電後なのでタクシー券ももらいました、
    台本も渡されたように思うが手元には残っていない

  13. ほりやん より:

    milou様
    詳細をわざわざ書いてくださり、ありがとうございます。
    貴重な体験をされましたね。当時のお金で3000円、それにタクシーチケットも。テレビの羽振りがよかった時代ですね。

  14. 居ながらシネマ より:

    ほりやんさん、日々どっぷり映画漬けのご様子で、なによりです。もう自分はどうなってもかまいませんので、思わず画面にへばりついてチェックしたくなるようなネタをまたぜひお寄せください。
    自分はケーブルとアマプラとネトフリで十分お腹いっぱいで、ディスクの購入やレンタルはほとんどしなくなりました。
    テレビ放送からはじまり、名画座巡り、VHS、ビデオCD、DVD、CS放送、Blu-rayと時代の波にもまれてきた映画遍歴も、サブスク配信でいいかげん終着点かな~と思っています。
    そういえば『わたしが棄てた女』もアマプラにありますね。

    milouさん、まさかこんなネタで反応いただけるとは。
    しかも出演されたことがあるとは、ますます尊敬の念が深まりました。
    さすがにその頃のイレブンPMは見ていませんでしたが、義一さんは最初から頭が白かったのですね。
    毎日生番組を送り出しているのですから、作る方は大変ですよね。
    そういえば巨泉さんはしょっちゅう下むいて台本読んでばっかでした。しょーもないダジャレも、放送作家さんが眠い目こすって考えたものなのでしょうね……

  15. ほりやん より:

    小学校6年生のときに児童会の会長選挙があって、先生からムリヤリ立候補させられた私は、当時テレビっ子だったので、各教室に選挙演説に回るとき「ハッパホリホリのホリをよろしく」と言ったもんだから、校庭を歩いているときにも知らない児童から「あっ! ハッパホリホリや」と指さされ、おかげでトップ当選してしまったのでした。ほんま、巨泉うらみまっせ。

  16. 居ながらシネマ より:

    ほりやんさん、きっと今でも同級生には「ハッパホリホリ」とか言われているのでしょうね。
    巨泉さんのダジャレで今でも記憶に残っているのが、『カサンドラ・クロス』の映画紹介で、「母さんがドラ息子で苦労する……かさんどらくろす」というシロモノで、言った後に「うっしっし」と続け、となりで朝丘雪路さんが体をくねくねさせていたのは言うまでもありません。

  17. ほりやん より:

    巨泉ではないですが、むかし小澤幹雄のラジオを聴いていた時、指揮者のモーシェ・アツモンを紹介したあと、季節が夏だったので「猛暑で暑いもん」と言って小澤は鼻を膨らませました(ラジオなのにはっきり見えたのです)。

  18. 居ながらシネマ より:

    あー、ふと思ったのですが、我々はきっと生まれたときには純粋無垢の天使のような存在だったのが、テレビやラジオその他いろいろな文化の洗礼を経て今では平気でダジャレを垂れ流すような有様になってしまったのではないかと。
    つまりはボーヴォワールがいみじくも記したように、人はオヤジに生まれるのではなくオヤジになるのだ、ということかと。
    自分たちに責任はないと思いますので(違)、この先いつか後期高齢者になるときが来ても、お互い元気でピンピンころりを目指しましょう♪

  19. Bill McCreary より:

    ロケ地の情報でなく雑談ということをご容赦ください。

    「11PM」というのも、あのお色気特集というのは、地上波でヌードOKだった時代ならではですね。この番組が放送された時代、特に中高生男子が親に隠れて見ていたなんて話も、ネット配信はおろか映像ソフトも未発達だった時代ならではです。もっとも「11PM」というのも、けっこう硬派の特集もありましたし、また系列局とはいえ東京と大阪の違うテレビ局で曜日を変えて製作していたというかなり特異な番組ではありましたね。

    以下余談です。

    年齢がわかっちゃいますが、藤本義一氏が司会だった番組で(だからよみうりテレビ制作だったはず)、件の大島監督がゲストにでていて、トップレスの美女が登場する美人コンテストをしていて、藤本氏が「きれいですねえ。大島さんの目が光りましたよ」なんて言っていて苦笑した記憶があります。ただし大島監督の息子さんは、『愛のコリーダ』の監督の息子というので、悩んだこともあったようです。

    ところで


    我々はきっと生まれたときには純粋無垢の天使のような存在だったのが、テレビやラジオその他いろいろな文化の洗礼を経て今では平気でダジャレを垂れ流すような有様になってしまったのではないかと。

    というのも、この映画で主人公の少年の妹が知的障害であるという設定には、それなりの意味があるのでしょうね。けっして悪い人間ではない少年が、なにはともあれ悪事に手を染めるという設定と、そのような悪事をしでかす能力すらない少女という対比があります。たぶん知的障害の家族を出すという設定は、現在では昔と比べるとより慎重になされることになるのでしょうが、少なくともこの映画の制作時の大島監督にとっては、少年の妹は知的障害者で無垢な存在でなければいけなかったのでしょう。

  20. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、

    > もっとも「11PM」というのも、けっこう硬派の特集もありましたし、

    そうなんですよね、でもって気のせいでしょうか硬派の特集がエクスキューズではなく結構本気で、まるでお色気特集の方が硬派のためのエクスキューズに思えることもありました。

    > ただし大島監督の息子さんは、『愛のコリーダ』の監督の息子というので、悩んだこともあったようです

    そうだったのですか。『愛のコリーダ』は過激な部分ばかりがクローズアップされてしまい、おまけに裁判沙汰にもなったので、お子さんとしては嫌だったのかもしれませんね。クインシー・ジョーンズの歌だけなら、だいぶイメージが違いますけど……

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