目次
作品メモ
チャンネルnecoの大島渚監督特集で鑑賞。
そういえば今年亡くなられた映画人のおひとりでしたね。
これは監督デビュー作とのことですが、今回が初めての鑑賞でした。なのでエラそうに内容を語ることはできません。資料的なことはこの記事の最後に資料としてあげたサイトをご覧ください。
時々書いていることですが、野心とやる気にあふれた若い監督が手がけた映画は迸るような情熱に満ちていて、それだけでこちらもアツイ気持ちになり、若さが甦ったような気になります。
監督のアツイ言動も今となっては懐かしさをともないますが、まっさきに思い出したのがこちらのエピソード。
もう20年以上も前のことでしょうか、おそらくテレビ朝日の「朝まで生テレビ」の初期の頃だったかと思います。
パネラーのひとりの某政治家が、当時のレーガン大統領を揶揄して「俳優が大統領になれるんだから」とかそういった類いのことを薄ら笑いを浮かべながらぶっこいたことがありました。
それを見ていた若き日?の私は「なんだコイツ」とムッとしましたが、それより早くより激しく反応したのが同じくパネラーとして出演していた大島監督でした。
スイッチがかちんと入った音まできこえ(嘘)、激怒した監督。
正確には覚えていませんが、「何言ってんだ、(俳優たちに)謝れ!」的な内容だったでしょうか。
監督に一喝されて目がうつろになり、薄ら笑いもこわばった某政治家。
かろうじて「監督がそうおっしゃるなら謝りましょう……」とショボンとなっていた姿が今でも記憶に残っています。
まあこんな人物がその後総理大臣になっているわけですから、皮肉というものでしょうか。
ロケ地
例によって特に資料には頼らずに、ウェブマップを使いながら画面とにらめっこでチェックしていきました。
答え合わせはしていませんので、間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。
結論から言いますと、撮影地は主に横浜市の鶴見線沿線や鶴見川の下流、川崎市の川崎駅周辺となっているようでした。
カラー空中写真閲覧システム・横浜市鶴見区、鶴見川やタンク周辺カラー空中写真閲覧システム・川崎駅周辺
※日本のウェブマップについてのメモ
タイトルバック
「愛と希望の街」
川と橋が見える俯瞰。 川は鶴見川で、橋は臨海港鶴見橋。
橋についてはかなり迷いましたが、国土変遷アーカイブの1955/01/25の画像が最終的に決め手となっています。
- WikiMapia
- 地理院地図 GSI Maps(1974-78)
国土変遷アーカイブ 1955/01/25国土変遷アーカイブ 1963/06/30- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス USA-M76-93(1955/01/25)
- 同・画像直リンク
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス MKT637-C3-13(1963/06/30)
- 同・画像直リンク
カメラ位置は川の西側で、おそらく総持寺のある高台から東向き、臨海の工業地帯を見ている構図。
劇中何度か写る大きなタンクも遠くに見えます。このタンクは現在はありません(次の項目参照)。
「監督脚本 大島渚」
3つの大きなタンク。
- 地理院地図 GSI Maps(1974-78)
国土変遷アーカイブ 1956-03-10- WikiMapia
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス USA-M324-338(1956/03/10)
- 同・画像直リンク
カメラ位置はおそらく北側にある中学校の校舎の屋上。
駅前
俯瞰図。
昔の国鉄川崎駅の東口ですね。左側に高架になる前の京急本線も見えます。
今とは全く光景が異なりますが、ある程度の年齢以上でこのあたりになじみのある方は、すぐにビビっときたと思います。
現在はこういった感じ。
鳩を売っていたあたりを昔のマップで見るとこういった感じ。
飛び立つ鳩
煙突背景に飛び立つ白い鳩は、まるで『ブレードランナー』の名場面のよう。
前述中学校の屋上。
どのカットも左端のタンクが小さいので後ろ側にあるように見えますが、実はこれだけサイズが小さく、手前にあります。右側の2つは同じ大きさ。
橋
0:12。
先生と渡る橋。
タイトルバックに写っていた橋のふたつ上流の潮鶴橋。
東の川崎側から西の鶴見に向っています。背景は鶴見川の上流。
踏切
0:12。
通過するのは京急本線。現在は高架となっています。
現在のマップではこちら。
昔のマップではこちら。
- goo地図・昭和38年
- 地理院地図 GSI Maps(1974-78)
国土変遷アーカイブ 1963-06-30- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス MKT637-C1-15(1963/06/30)
- 同・画像直リンク
向こう側左手に「**MIYA」という百貨店が見えますが、これはWikipediaにも項目があるこちら。
小美屋W
後の方(0:40)で全景が出ます。
また踏切の手前の左手、三人が話す背景に川崎商工会議所の建物が見えますが、これもまた懐かしい物件(0:23頃にも背景に登場)。
喫茶店
0:14。
駅ビルの中と思われます。
駅前ロータリーの向こう側に見える建物がみな背が低いのが、当時を偲ばせます。
工場内部
テレビを作っている工場。
場所柄東芝と思えますが、確証はありません。
校舎
0:20頃。
レストラン
港を臨むレストラン。
おそらく横浜、山下公園前のニューグランドかと思います。
本館のレストランは入ったことがありませんが、きっと今の時期カップルでいっぱいなんでしょうね~
みんなブルジョワじゃん!
タクシーに乗ったところ
京子がちょっとした冒険の後タクシーに乗ったところ。
背景に見える橋はこちらで、線路は鶴見線。
路地の出口のような空き地は今は公園となっています。
正夫が歩く道
川崎駅前から東へのびる新川通り。
なにやら無骨な柱が並んでいますが、これは川崎さいか屋の前あたり。
さいか屋はその前から建っているはずなので、改築か何かでしょうか。
背景にも建築中のビルが見えますが、新川通り入口のさいか屋向かいに今でも建っているこちら。
築50年以上と言うことですね。
どちらのビルも映画冒頭の駅前の俯瞰や喫茶店の場面で、背景に見えています。
屋上
鳩を撃つのは自宅の屋上という設定でしょうか。
市街地で猟銃を撃つのはいくら昭和のこの時代でもムチャかと思いますが、それはさておき撮影場所は、タイトルバック同様やはり総持寺のある高台からと思われます。
タイトルバックの橋が見えるショットから少し(数百メートル?)北側でしょうか。
別の場面で家の前が写りますが(0:24頃)、そことは別のように思われます。
資料
更新履歴
- 2015/05/24 「※日本のウェブマップについてのメモ」追記
- 2015/04/06 「※日本のウェブマップについてのメモ」追記
- 2014/08/16 「国土変遷アーカイブ空中写真閲覧サービス」の統廃合に伴い、「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」のURLへ切替。「※日本のウェブマップについてのメモ」追記。
コメント
久しぶりに純日本映画が掲載されたのでコメントします。小生にとって海外ロケ作品は純日本映画とは言えませんからね。それにほとんど駄作ばかり。
「監督脚本 大島渚」のタイトルにかぶる象徴のような三つのタンクは、今でもはっきりと目に焼き付いています。今回、昭和49年度の空中写真で俯瞰からくっきりと確認でき、懐かしくなりました。昭和三十年代にはこのような危険なタンクが町の至る所ににそびえていました。
当時はまた、この少年のように伝書鳩を飼ったり、売ったりしている人が多くいました。物干し場とか屋根裏に大きな鳥かご(人が立って歩き回れるほど)を作って、空に鳩を飛ばしていました。そのような風景もいつの間にか消えてしまいました。
この映画を封切り当時劇場で見た人はほとんどいないのではないでしょうか。私も後年の映画祭で見ました。
赤松さん、コメントありがとうございました。
拙サイト、引き続き見てくださっていて恐縮です。
純日本映画、取上げているのが少なくてすみません。
前も書いたかもしれませんが、国内を取上げるとどうしても今住んでる人により配慮する必要が出てくるのと、ウェブマップで気楽に海外旅行するのが楽しいこともあって、どうしても外国映画に偏ってしまっています。
おっしゃる通り海外ロケ作品は作品的にはいまひとつが多いですね。なぜでしょうね??
うちのサイトは作品の評価より、「これどこで撮ったの?」といった興味を最優先にしていますので、あれこれツッコめる映画の方がかえって楽しめますけど。
この映画のような大きなオイルタンクは、この場所ではありませんが私も子供の頃の記憶と重なります。
それで思わずケーブルで見たばかりのこの映画をチェックしたのでした。
『ウエストサイド物語』でも若者たちが駆け回っていたあの街に、一瞬大きなタンクが写っていたような?
昔はこういうのが当たり前だったのでしょうね。
他記事のコメントを読んでのコメントですが、『旅の重さ』でコメントをしてもご迷惑でしょうから、大島監督つながりでこちらの記事へ。
大島監督『少年』は、この映画あってのものですね。もちろん犯罪のレベルはより『少年』のほうがいろいろ重大です。
『少年』の主人公を演じた方は、今年表に出られました。雑誌のインタビューにも答えています。ご存じでしたら申し訳ありません。
https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/ca9861f8dcf867ead3f5bf2854f081ed
https://eiga.com/news/20210403/29/
いうと恥ずかしいのですが、下の記事の写真には、私も写っています(苦笑)。少年も、1968年頃の日本の地方都市の様々な姿が映し出されているので、現在ではきわめて貴重なものになりそうですね。
ところで、『愛と希望の街』を見れば多分誰もがあのタンクが印象に残るかと思いますが、昔は(私はもちろん同時代では知りませんが)大都市近辺に発電所や工場がありましたよね。お化け煙突とかもそうです。私の家も住宅地にありますが、昔は近隣に漬物工場があってでかい煙突がありましたが、もうそれも廃業して住宅地です。操車場とかもご同様。
それにしても鳩を撃つシーンは、本当に撃っているそうで、これまた現在では考えられないですね。映画のクレジットで、「いかなる動物も害を加えていない」とあるのを見ると、この映画をよく思い出します。
Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
『少年』ニーズありそうですので、記事作りますね。もう少しお待ちください。
(最初の方の高知市の場面だけチェックしてみましたが、結構判明したのでオモシロかったです♪)
「少年」の現在について、全然知りませんでした。お元気そうでなによりです。
ステージの3人が手にしている寄せ書きは映画の最初に映されるものですよね。おひとりだけ윤융도(ユン・ユンド)とハングルが混じっていますが、『少年』では助監督のこの方、『絞死刑』の死刑囚だった人ですね。
Bill McCrearyさんも写真に収まっているとは、良い記念になりましたね。私も以前は結構舞台挨拶とか見に行っていましたので、客席で写ってしまっている画像があるかもしれません。