『東京⇔パリ 青春の条件』 (1970)

青春の条件 [DVD]

作品メモ

ひとつ前のエントリー『愛と希望の街』同様、最近チャンネルnecoで初めて鑑賞。
年内は12/31 08:20~にも放送されるようですので、よろしかったらどうぞ。

http://www.necoweb.com/neco/program/detail.php?id=2490

元祖御三家初共演映画。
実際には御三家+三田明さん=>四天王映画となっています。
放送前に舟木一夫さんのインタビューが流れてエピソードを披露していましたが、それによりますとこの映画、橋幸夫さんの芸能生活10周年記念映画。そこへご祝儀的に他の2人がのっかった企画ということで、メインはあくまで橋さんとなっています。
パリのロケも橋さんだけ。
西郷輝彦さんはそこそこセリフと出番もありますが、舟木一夫さんは控えめ。といいますかちょっと出ているだけで何の役だかもよくわかりません。
チャンネルneco的には舟木さんの50周年記念、マイベスト映画という枠でチョイスされたはずですが、舟木さんのファンはこれだとちょっと肩すかしかもしれませんね。

3人がそろい踏みとなるのは、挿入歌「俺なら、おれなら、おいどんなら」の場面。
三木たかしさんのノリの良いメロディーに、見ているこちらももぞもぞ体が動きます。
その一方で、この映画の公開が1970年であることを考えると、アメリカではすでにニューシネマ全盛なわけでして、周回遅れぶりが気になります。
若手スターが恋愛ドラマを演じて歌ってみせるというスタイルが、いよいよ最終コーナーに来てしまった状態でしょうか。
チョコレートのCMが無造作に挿入されたり、突然ピーターが歌い出したりと、そのあたりの怪しさをあわあせて楽しむのが良さげな映画となっています。

監督斎藤耕一、脚本ジェームス三木&斎藤耕一、撮影竹村博、音楽三木たかし。
ヒロインに新人小川ひろみ。
他、藤村有弘、加藤嘉、山形勲、黛ジュン、森田健作など、何気にすごい出演陣。
会長役の左卜全さんが、時々ハッと起きて演技してるのがまた楽しいです。

ロケ地

パリで実際にロケしています。
協力はエールフランス。至る所にバッグや社名が登場します。

この映画に関しては、あまりしつこく追究せずに、パリのパートの気になったところだけ見ていくことにしました。
例によって特に資料にはあたらず画面とにらめっこでチェックしています。間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。

パリの名所

タイトル前後にパリのランドマークが次々登場します。
御丁寧に「凱旋門」「エッフェル塔」「セーヌ河」といったテロップ付き。
70年ともなれば、パリを訪れたことはなくてもそのくらいたいていの人はわかると思うのですが……

運河に架かる橋

これも「サンマルタン運河」とテロップが出ますが、まだ当サイトで未チェックの場所でした。
橋さんがたたずんでいた歩行者用の橋はこちら。カメラ北向き。

Passerelle de la Grange-aux-BellesW

空撮だとなんだかよくわかりませんが、映画では木々の葉っぱがみんな落ちていて橋がよく見えます。
公開は70年3月ということですので、真冬のパリでの撮影ですね。とても寒そう……

橋さんが橋から降りてくるのはこういったアングル。

橋さんが子供たちに道を訊いた橋は(しつこい?)、同じ場所。カメラ南向き。

毎度の感想ですが、40年経っても周囲の街並みが変わっていないのが凄いですね。

以下はmilouさんご提供による画像(いつもありがとうございます♪)。
撮影は2006年1月とのことです。

この連続画像は楽しいですね~ 🙂
画像をクリックするとPicasaウェブアルバムへ飛んで、milouさんの解説を読むことができます。ぜひどうぞ♪

真ん中に写っている橋はまさに映画の撮影場所ですね。 それを北側の川幅が細い部分の側から見たところと思われます。
おそらくひとつ北側、こちら↓の橋からで、カメラは南向き。

これは上掲画像の橋の少し手前に見える段差のある部分。
カメラは逆に北向きとなっているようです。

マップではこちら。

背景左側に少し見えている橋は、おそらく1枚目の画像の撮影位置。

これはおそらく、2番目の画像から少しバックしたカメラ位置。
映画に登場した橋(橋さんがたたずんでいた橋)から北向きで撮られたものでしょう。
段差がはっきりわかりますね。

いよいよ水門が開いて船が進もうとしているところ。
ということは、この時撮影位置のすぐ足下の橋は、映画でも描かれたように遮断機が降り、ぐい~んと回転して船が通れるようになっているはずですね。

※2013/12/23追記
こちらの1枚も提供していただきました。
アップでわかりやすいですね。

日本語では閘門Wといういかめしい名前のようですが、「パナマ運河みたい」と言っておけば誰にも通じそう。

音楽学校

ヒロインが通っているという設定の音楽学校。
少なくとも出入口はこちら。

スコラ・カントルム(Schola Cantorum de Paris)W

橋さんが待っていた向かいの建物は、すっかり建て替えられています。

こちらはmilouさんご提供による画像。
(いつもありがとうございます♪)
まさにどんぴしゃり、この扉です。
撮影は1990年9月とのことです。

階段

2人でしゃがんで話していたところ。
学校からだいぶ距離がありますが、チェロを持ってモンマルトル北側へ移動したようです。

部屋を見上げて歌ったところ

こちらのお店の前ですね。
前述学校の前の通り(Rue Saint-Jacques)を南へ進めばすぐにここに出ます。

マップでは明示しませんが、ヒロインの部屋はその向かいとなります。
部屋から見える教会は、こちら。

Église du Val-de-GrâceW

話しながら上る階段

サクレ・クール寺院に至る階段の途中。
ショットが始まるのは、(カメラの向きは逆ですが)ちょうどこのSVの位置。

撮影はこちらのケーブルカーからですね。
画像はmilouさんから提供していただきました。
(撮影1979年1月)
『闘牛に賭ける男』のエントリーでも使わせていただいています。

並木道

0:23頃。
背景に大きな建物が見える並木道。
橋さんは登場せずヒロインだけ。
おそらくエンドクレジットの場所と思いますが、調査中。

別れた橋

プティ・ポン(Petet Pont)W

カメラはシテ島側の川縁から西向き。

こちらもmilouさんから以前提供していただいた画像。
(いつもありがとうございます♪)
映画とは反対側から撮影されています。 (撮影1979年1月)

ロケ地マップ

パリを中心に。
海外ロケを行った他の日本映画とマップを合わせています。


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資料

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海外ロケを行った日本映画

更新履歴

  • 2014/07/26 タグ「海外ロケ」追加
  • 2013/12/23 サンマルタン運河、画像1枚追加

コメント

  1. Bill McCreary より:

    昨日この映画を観ることができました。某所でDVDを借りられました。

    それで、実は私この映画は、パリでのロケが主で、日本での撮影はわずかだと思っていたのですが、そうではなかったのですね。ちょっと残念でした。

    >その一方で、この映画の公開が1970年であることを考えると、アメリカではすでにニューシネマ全盛なわけでして、周回遅れぶりが気になります。

    1970年は『イージー・ライダー』が日本で公開された年でして、ちょっとねえではありますね。ところで斎藤監督は、1975年に野口五郎の主演映画を撮影していまして、あるいはですが『無宿』の評判が悪かったので、そういう映画を撮影せざるを得なかったのかもですね。キャストがだいぶ『津軽じょんがら節』と重なっているのも、たぶん単なる歌謡映画にはしたくないという想いがあったのでしょうね。なおストーリーは、『約束』の変形のようなところがありました。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E4%BC%9A_(1975%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)

    >背景に大きな建物が見える並木道。

    私もこの建物気になりました。どこなんでしょうね。

    なお私の父も、1969年夏にパリに初めて行ったとのことですが、ちょうどこの映画のロケの直前で、5月革命の翌年で、敷石が剥がされていたという話をしていました。当時は、まだまだ一般の日本人にとって、パリは遠きものだったのでしょうね。

  2. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
    この映画、確かにパリのパートはちゃちゃっと撮りましたという感じで、メインは日本ですね。
    最近日本映画専門チャンネルでタイガース主演の60年代の映画を放映していますが、『ザ・タイガース ハーイ!ロンドン』など全員ちゃんとロンドンに行ってしっかり撮影していて、超多忙の中どうやってスケジュールを組めたのか不思議です。

    『再会』や『季節風』は以前レンタルで見た記憶がありますが、たしかに『再会』は『津軽じょんがら節』や『約束』とかぶっているかもしれませんね。
    ただ今なら少女を連れ回したら即通報で逮捕です。

    > なお私の父も、1969年夏にパリに初めて行ったとのことですが、ちょうどこの映画のロケの直前で、5月革命の翌年で、敷石が剥がされていたという話をしていました

    おお、そうでしたか。私の親父もあちこち行っていたようですが、もっと話を聞いておけばと思いました。

    吉田喜重監督の『さらば夏の光』が5月革命の直後の夏だか秋だかにパリでロケした時、敷石はともかく騒乱の気配はすっかりなくなっていたといったことを、確か岡田茉莉子さんが自伝で書かれていたような(今エントリーを読み返してもそのことはメモしていませんでしたが……)

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