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『サン★ロレンツォの夜』 La notte di San Lorenzo (1982)

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あなたに話したいのよ
何年も前の同じ夜の話を

作品メモ

『カオス・シチリア物語』(84)『父 パードレ・パドレーネ』(77)に続けて、タヴィアーニ兄弟の監督作品。

タイトルは、そのまんま聖ロレンツォの日の夜のこと。日付的には8月10日で(カトリック教会の聖人暦W参照)、この日殉教した聖ラウレンチウスWにちなんでいます。
映画のセリフによれば、その夜流れる流れ星が願いを叶えてくれるという言い伝えがあるそうな。
ペルセウス流星群の時期ですから、流れ星の数も半端なく、あれこれ願をかけやすい夜かもしれません。
邦題で「サン」と「ロレンツォ」の間が、中黒ではなく★となっているのがひと工夫。

映画は、そのサン・ロレンツォの夜に、星空が見える部屋で母親が幼子にお話を聞かせるところから始まります。
ロマンチックなタイトルとは裏腹に、そこで語られるのは、第二次大戦中のシリアスなエピソード。イタリア中部トスカーナ地方で、ドイツ軍による破壊と殺戮から逃れるべく、村を脱出してアメリカ軍に助けを求めようとする人々の物語です。

「イタリアはドイツや日本と一緒に連合国側と戦ったのに、なぜドイツ軍から逃げるの?」ぐらいで理解が留まっていると、ワケわからなくなりますので、もう少々メモしておきますと……
映画の設定は1944年の8月。
すでに前年9月に枢軸国側としてのイタリアは降伏。ナチス・ドイツはすかさずムッソリーニを奪還してサロに傀儡ファシスト政権(イタリア社会共和国)を樹立。それに対して連合国軍が南方から攻め上がり、さらにパルチザンが各地で蜂起する、そういった図式となります。
映画の時点では、ローマは解放されたものの、舞台となる村のあたりはまだナチス・ドイツとファシストの支配下。
村人は連合国軍の到来を待ち望んでいますが、黒シャツを着たファシストが睨みをきかせています。狭い田舎のことですから、一般の村人も、ファシストも、パルチザンとして戦う若者たちも、みな顔見知りの間柄。
そんな中、ドイツ軍から村の聖堂に集合するように命令が下るのですが、パルチザンの攻撃に対する報復では?と危険を感じた一部の村人は村を抜け出しアメリカ軍に助けを求めることを決断。そこまで思いきれない者たちはおとなしく聖堂に集まり、結果両者は運命を大きく違えることとなります。

実はこの村は、タヴィアーニ兄弟の生まれ故郷であるサン・ミニアート(San Miniato)Wがモデル。
村にとどまることを選択した者たちにはとある出来事が待ち受けていますが、これは実際に起きた事件をもとにしています(「聖堂」参照)。 [1]見たことがありませんが、兄弟の最初の監督作品(短編)もこの事件を扱ったドキュメンタリーとのこと。 “San Miniato, luglio ’44″(1954)   … Continue reading
一方、村を離れアメリカ軍を探してひたすら歩き続ける者たちにも次々試練が降りかかります。

これらのエピソードは実際の体験談を調査して織り込んでいるようですが[2]1982年12月雑誌掲載の監督インタビュー記事(の転載)↓  … Continue reading、リアルな戦争映画というよりは、場面によってはユーモアや幻想を交えた不思議な味わいとなっています。
映画全体を子供に聞かせるお話という形式でくるんでいるためか、まるでなにか寓話でも聞かせてもらっているかのよう。
監督の持ち味がよく出ていて、実録的な生々しい描写より、こうした表現の方が見る者の心により響いてくるような気がします。
『父 パードレ・パドレーネ』同様高い評価を得て、第35回カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞。

監督パオロ・タヴィアーニとヴィットリオ・タヴィアーニ、撮影フランコ・ディ・ジャコモ。
音楽のニコラ・ピオヴァーニはタヴィアーニ兄弟とはこれが初。このあと『カオス・シチリア物語』、『グッドモーニング・バビロン!』と続きます。

キャスト

『父 パードレ・パドレーネ』の「父」オメロ・アントヌッティが、脱出組のリーダー、ガルヴァーノ役。
また『カオス』の移民団のエピソードの「母」マルガリータ・ロサーノが役名コンツェッタで登場。
シビアなエピソードが続く中、ふたりの物語は見るものにいっときの安らぎをもたらしてくれます。

出演者は全くの素人さんも多いと思いますが、地なのか演技なのか、みなさん良い表情を見せていますね。

気になるところでは、オープニングクレジットで、1ページ6名、すべてGuidelli姓の人で占めている箇所がありました。
下から2番めのMicol Guidelliは語り手の少女役ですので、これはおそらくヒロイン一家そろっての出演。その後俳優の道を歩んだのは一人だけのようですが、家族にとっては一生ものの映画でしょうね。
IMDbやチラシの記載を参考にしつつクレジット順に整理しますと……

クレジット 役名
(IMDb)
役柄 Guidelli家
Micolから見て
Mirio Guidelli Duilio ガルヴァーノの娘の夫。セリフほとんどなし。 父親
Titta Guidelli Alfrendina ガルヴァーノの娘。セリフ少しあり。 母親
Antonella Guidelli Renata チェチリアと一緒にアメリカ兵と遭遇 姉妹
Giovanni Guidelli Marmugi Junior ファシスト親子の子供。リアルではこの後俳優の道に進んだ模様
Micol Guidelli Cecilia 語り手の少女チェチリア 本人
Miriam Guidelli Belindia チェチリアの叔母か従姉妹にあたる身重の新婦

表にまとめるほどのことではないかもしれませんが、つい気になったもので 🙂

ロケ地

IMDbでは、

Empoli, Tuscany, Italy (church bombing scene on Piazza Farinata degli Uberti)
San Miniato, Pisa, Tuscany, Italy (villagers’ shelter at 15 Piazza Buonaparte)
12 Via Abbi Pazienza, Pistoia, Tuscany, Italy (Nicola’s family house)
95 Via Mandorli, Montespertoli, Tuscany, Italy (refugees in the hamlet, waiting for liberation army)
Via Lungagnana, Montespertoli, Tuscany, Italy (Corrado and Belindia’s wedding at beginning)
Florence, Tuscany, Italy

例によって、IMDbのリストとウェブマップを頼りに画面とにらめっこでチェックしています。
間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。

久々に見返したら登場人物がごっちゃになってきたので、お話とあわせて自分用にメモを添えてみました。

OP&結婚式

畑に隠れていたのは徴兵を拒否したコラード(クラウディオ・ビガリ)。
すでに身重のベリンディア(ミリアム・グイデッリ)との結婚式が、村外れの教会でそれぞれの家族が集まりささやかに執り行われます。

ロケ地はIMDbのこちら↓となりますが、具体的にどの場面に相当するのかまでは確認できませんでした。教会も気になりますが不明。

Via Lungagnana, Montespertoli, Tuscany, Italy (Corrado and Belindia’s wedding at beginning)

結婚式で新婦側の家族として参加していた少女チェチリア(ミコル・グイデッリ)が映画全体の語り手のような役割をになうことになります。
ややネタバレ、でもまあ最初から想像はついてしまいますが、冒頭で幼子にお話を聞かせていた母親がこの少女ということですね。当時6歳という設定。
家族構成がいまいちわかりづらいですが、チェチリアの母親イヴァナ(Norma Martelli)は新婦の姉でしょうか? 夫は後の方のセリフでインドから戻ってきていないことがわかりますが[3]0:35 スイカ畑でディルボとの会話、詳細不明。
新婦側は他に両親とギリシャ神話を語るのが大好きなおじいちゃん。
新郎側は両親と姉(あるいは妹)。

教会の前で休んでいたのが、パルチザンのニコラ(マッシモ・ボネッテイ)。フィレンツェの先で脚を怪我したと言っています。フィレンツェの解放は8月11日なので、あともう少し未来のこと。
一緒にいたのはパルチザン仲間のブルーノ(M・スバッリーノ)。別の村の若者ですが、ニコラの村まで付き添ってくれたようです。

村の遠景

0:10

教会からワイプで場面転換すると、そこは村を遠くに望む場所。
ニコラとブルーノはそこで別れ、ニコラはひとり村へ向かい、ブルーノはその後ろ姿を見守ります。

村は設定では架空の「サン・マルティーノ」。
実際にはタヴィアーニ兄弟の生まれ故郷サン・ミニアート(San Miniato)Wがモデルと考えられ、また映画の撮影地ともなっていますが、名称だけは変えています。

この場面はサン・ミニアートを南側から捉えています。カメラ北西向き。

  • Google Maps(SV)
  • 43.678361,10.858846 ……このあたりがカメラ位置

村の通り

0:10
ニコラの実家が面した通り。
これはIMDbのリストがなければ到底わかりませんでした。
サン・ミニアートではなくこちら↓

12 Via Abbi Pazienza, Pistoia, Tuscany, Italy (Nicola’s family house)

実際にはちょっと違っていて、Via Abbi Pazienzaと交差しているVia Sant’Andreaでした。

家の前には緑十字が描かれていますが、これはドイツ軍が爆破する家に付けた目印。
実家で熱烈歓迎したのは妹のロザンナ(Rossanna/Sabina Vannucchi)と父親。

弁護士の家(避難所)

0:12
村人たちが避難していた弁護士の家。
この弁護士はこの時点では睨まれていないようで、家には緑の十字が書かれていません。

場所はサン・ミニアートの«Piazza Buonaparte»という広場。

San Miniato, Pisa, Tuscany, Italy (villagers’ shelter at 15 Piazza Buonaparte)

なぜか突然ヨドバシカメラでおなじみ「リパブリック讃歌」[4]あるいは”John Brown’s Body”が流れると、アメリカ軍の到来を期待した人々がいっせいに外へ駆け出します。
いたずらでレコードをかけたのは、家の主の弁護士。
結果弁護士一家も地下室に追いやられ、家も爆破されることになります。

暗がりの中嘆く弁護士夫婦の傍を通り抜け用を足しに行った娘はマーラ(エンリカ・マリア・モデグノ)。のちほどシチリア出身であることがわかります[5]0:36 スイカ畑からひとり抜け出してドイツ軍と遭遇する場面。演じた女優さんは、『カオス・シチリア物語』(84)の第2話「月の病い」で実家に逃げ帰ったお嫁さん。

ガルヴァーノ(オメロ・アントヌッティ)を中心とする脱出組は、腹ごしらえをしてから闇にまぎれるため黒い喪服で出発。途中、結婚式を挙げたコラードと身重のベリンディアが合流します。
深夜3時。爆発音が聞こえ、緑の十字がマークされた家々が爆破されたことが示されます。
大切に持っていた家の鍵ももはや役目を果たすことはなくなり、人々の掌から滑り落ちていくのでした。

聖堂

0:43
先に書いたとおり、ここでの出来事は実際にサン・ミニアートの聖堂で起きた悲劇をもとにしていますが、撮影は別の町↓で行われています。

Empoli, Tuscany, Italy (church bombing scene on Piazza Farinata degli Uberti)

Piazza Farinatan degli UbertiWの東側にあるこちら↓

Collegiata di Sant’AndreaW

村人が詰めかけていた内部もこちら。

爆破の場面では、悲惨な現場は直接見せずに、犠牲になった新婦の母と司祭が凄まじい表情で顔を突き合わせることで、極限状態を表現しています。
すべての人が逃げ去った広場で、司祭がひとり噴水のそばで呆然とするのも印象的。
見る者の胸に突き刺さる演出と演技でした。

流れていたのはヴェルディの『レクイエム』から「III. Offertorium」の後半。

史実(参考)

史実ではサン・ミニアートのこちらの聖堂↓

Cattedrale di Santa Maria Assunta e di San GenesioW

冒頭ニコラとブルーノが村の近くに来たときの遠景で、塔が2本見えますが、左側がこちらの教会のもの。

内部には、犠牲者を悼む銘板があります。

モデルとなった事件そのものについてはこちら↓

Strage del Duomo di San MiniatoW

さてここでいささか複雑な事情が……。
映画ではドイツ軍あるいは傀儡ファシストが村人を聖堂に集めた上で爆弾を仕掛けたように見せていますが、実際にはアメリカ軍の砲撃によるものだったとのことです。 これは2004年に明らかになったようですので、映画製作時にはもちろんタヴィアーニ兄弟は知らなかったものと思われます(私も今回始めて知りました)。

もちろんそれによってこの映画の価値がいささかも毀損するわけではありませんし、そもそも史実を描いた実録映画でもありませんので問題はないのですが、爆破が実は村人たちが到来を待ち望んでいたアメリカ軍によるものだったというのはかなりの皮肉を感じてしまいました……

その後の展開

ここから先は、ラストの村以外はロケ地チェックが難しそう。
お話のメモだけ入れていきますと……

インパクトがあったのは、徴用されたバスを追いかける男のエピソード。そこで兵士が歌っていたのは、ワーグナーの『タンホイザー』から「夕星の歌」(O Du Mein Holder Abenstern)。
曳光弾の場面や、森の中でじっとしながら敵機を避ける場面、ひとりずつ新しい名前を決める場面など、どれも印象に残ります。
その後の麦畑での出来事は、映画のクライマックス。村人、パルチザン、ファシストが入り乱れ、混沌の中で多くの人があっけなく命を落としていく様を描き、圧巻でした。
誰がどうなったのか細かく記録しようかと思いましたが、さすがに野暮なので、ひとつだけメモ。
「ムッソリーニ、ムッソリーニ」と言いながら這ってきたのは、これまで最初の方にドイツ軍の通達を伝えに来たドナーティかと思い込んでいましたが、今回よく見たら違う人みたい……。

到着した村

1:27

95 Via Mandorli, Montespertoli, Tuscany, Italy (refugees in the hamlet, waiting for liberation army)

広場には、『父 パードレ・パドレーネ』でも見られたオベリスクのようなものが立っています。 井戸かとも思いましたが、違うかも??

ガルヴァーノはひとりだけその場に残りますが、なぜ彼がそうしたのかは人によって解釈が分かれるところでしょうか。
個人的には、爆破された聖堂の前でただひとり打ちひしがれていた司祭とその姿が重なりました。

おまじない

これは映画のオリジナルでしょうか?
イタリア語で何と言っているのか気になります。

怖い怖い悪魔の目つき
お薬お薬ニワトリのふん
イヌのふん 朝になればできあがり
しゃっくりにはぶどうの枝
おうちに帰ろう
雨がびちびち
走れ 走れ イボ消えろ
(VHS版の字幕)

資料

更新履歴

  • 2021/10/24 新規アップ

References

References
1 見たことがありませんが、兄弟の最初の監督作品(短編)もこの事件を扱ったドキュメンタリーとのこと。
“San Miniato, luglio ’44″(1954)   IMDb
2 1982年12月雑誌掲載の監督インタビュー記事(の転載)↓
https://www.universcine.com/articles/paolo-et-vittorio-taviani-notre-memoire-s-est-transformee-au-contact-de-la-memoire-des-autres
3 0:35 スイカ畑でディルボとの会話
4 あるいは”John Brown’s Body”
5 0:36 スイカ畑からひとり抜け出してドイツ軍と遭遇する場面

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