記事内の商品画像には広告リンクが含まれています

『ソフィーの選択』 Sophie’s Choice (1982)

Sophie's Choice [VHS] [Import]

作品メモ

前のエントリー『コールガール』のアラン・J・パクラ監督の代表作。

このサイトを続けてきて、なぜこの映画がDVDになっていないの?と疑問に思うことが時々あります。
『ソフィーの選択』もその1本。
作品の出来映えやメリル・ストリープの渾身の演技など、名作といって良い内容なのに、なぜか今日(2011年末)に至るまで日本ではDVDが登場していません。
VHSは出ていますがすでに廃盤でプレミア価格。レンタルしているところも限られていますから、今から見るとなるとけっこう苦労しそうです。
欧米では実売10ドル以下で入手できるようですので、リージョンコードの壁がない方はこちらが良いかもしれません。

最初に観たのは劇場ではなく、確か名作をCMなしノーカットで放映するテレビの深夜枠でした(違っていたらすみません)。
録画をとりつつ見ていたら最後まで見続けてしまい、えらく遅い時間になってしまったのを覚えています。

お話は、ニューヨークに出てきた作家志望の青年が、個性的なカップルと知り合い親交を深めていくうちに、ある悲しい事実を知る……といったもの。

青年スティンゴにピーター・マクニコル。後年『アリー my Love』で見たときに、この映画とのギャップを埋めるのが大変でした。
はかなげで謎めいた女性ソフィーにメリル・ストリープ。見事な演技でアカデミー賞、ゴールデングローブ賞等で主演女優賞受賞。
ハーバードを出てファイザーで研究をしているらしいそのパートナー、ネイサンにケヴィン・クライン。この頃はまだ新人、といいますか、公開時期では『ソフィーの選択』が第一作ですが、メリル・ストリープに負けない演技を披露しています。

ソフィーの選択 (下巻) (新潮文庫) 原作ウィリアム・スタイロン。
アラン・J・パクラは監督・製作・脚本を兼ねています。
撮影ネストール・アルメンドロス、音楽マーヴィン・ハムリッシュ。

詩人(少しネタばれ)

ソフィーが探していた「アメリカの詩人のエミール・ディケンズ」は、エミリー・ディキンソン (Emily Dickinson) W
ラスト近くでその詩が使われます。

A COUNTRY BURIAL

Ample make this Bed.
Make this Bed with awe;
In it wait till judgment break
Excellent and fair.
 
Be its mattress straight,
Be its pillow round;
Let no sunrise’ yellow noise
Interrupt this ground.

     (Emily Dickinson, Three Series, Second Series, IV. Time and Eternity, XXIII. )

エミリー・ディキンソンの作品は今では自由に読むことができます。
例えばiTunesではこちら↓ですので、iBookでどうぞ。

http://itunes.apple.com/jp/book/poems-by-emily-dickinson-three/id361525660?mt=11

Blu-ray登場?(13/9/27追記)

ソフィーの選択 [Blu-ray]

Amazonに案内が出ていました。
発売予定日が、13年11月6日となっています。
ようやく、ですね。

ロケ地

IMDbでは、

Brooklyn Promenade, Brooklyn Bridge, New York City, New York, USA
Brooklyn, New York City, New York, USA
Coney Island, Brooklyn, New York City, New York, USA
New York City, New York, USA
Prospect Park, Brooklyn, New York City, New York, USA
Yugoslavia

大家さんの亡くなったご主人が海軍放出のピンクのペンキで仕上げたという「ピンクの宮殿」(the Pink Palace)。
ブルックリンにあるという設定で、実際にブルックリンで撮影。

IMDbのリストでは”Prospect Park, Brooklyn, New York City, New York, USA”

sophies-choice-house The Worldwide Guide to Movie Locationsの書籍版ではずばり住所も書かれています。
おそらく個人宅だと思いますので、位置をマップで明示するのは避けることにしますが、SVでも確認できますので今でも建っているものと思われます。
ただし内装がピンクかどうかは不明。

遊園地

セリフやIMDbにあるように、コニーアイランドと思われます。

図書館

調査中。

この場面、意地悪な司書はジョン・ロスマン。こちらもほぼ新人状態。

三人が歩いてきたのはブルックリン橋の歩行者用通路。

ブルックリン橋 ブルックリン橋W

資料

コメント

  1. Bill McCreary より:

    この映画が、4月からの「午前十時の映画祭」で取り上げられます。ほかにも貴サイトで取り上げられている作品が上映されますので、楽しみに大きなスクリーンで見てみたいと思います。

    ttp://asa10.eiga.com/2018/cinema/808.html

    以下余談です。ブルックリン橋の歩行者用通路は私も歩きました。ちょうどグループとすれ違い、橋だから逃げ場がないので怖かったのですが、非常に友好的でした。それで自分の記念写真を撮ったのですが、みんな写らないように遠慮したのですが、いまにしてみれば彼らと一緒に写ればよかったと後悔しています。あと現在は移転したようですが、「エホバの証人」の巨大な本部建物が印象に残っています。当時ブルックリン川の橋の弾の途にありました。

  2. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、こんばんは。
    『ソフィーの選択』をスクリーンでというのは貴重な機会ですね。
    この企画が続いているのも、やはり良い映画をスクリーンで見たいというお客さんが多いからでしょうか。ほとんどDVDやケーブルTV、ネット配信で済ませてしまっている「居ながら」的には忸怩たるものがありますが、ラインナップ見ると劇場へ足を運びたくなりますね。
    ブルックリン橋にもいらしたことがあるのですね。『ナタリーの朝』でヒロインがバイクで走っていましたが、ここは歩行者用ですよね 🙂

  3. eclipse より:

    ソフィーは子供を選んだ時点で死んでた、が、自分から「死」に立ち止まることが出来なかった。だから、「死」(ネイサン)がやさしく彼女ののために止まってくれた。

    わたしは「死」のために止まれなかったのでーーー
    「死」がやさしくわたしのために止まってくれたーーー
    馬車に乗っているのはただわたしたちーーー
    それと「不滅の生」だけだった。

    わたしたちはゆっくり進んだーーー彼は急ぐことを知らないし
    わたしはもう放棄していた
    この世の仕事も余暇もまた、
    彼の親切に答えるためにーーー

    エミリ・ディキンソンの詩集を探してる時にソフィーはネイサンに出会い、また二人が死んでいるところで、スティンゴがディキンソンの詩を読み上げる。

    最近、この映画に名前が出てた詩人と思って、観た映画 「静かなる情熱 エミリ・デキンソン」
    https://www.youtube.com/watch?v=H_0anOdq8Jg&fbclid=IwAR2oNNLYwRMrKGdJOl6NxaCWznnmYBzVNgmdJ_gNayhlQdKUNYVFO588C5A

    生前10篇たらずしか世に出ておらず、全くの無名の人が死後、1800編あまりの詩が見つかり、それが大きな影響をあたえてるアメリカを代表する詩人のひとりであることを知りました。実際、この「ソフィーの選択」も彼女の詩から着想をウィリアム・スタイロンは得て、それがピューリッツァー賞を受賞する作品になるとは。もともと大好きな映画で、メリルの演技も素晴らしい。それと同時にディキンソンという天才詩人の偉大さに感服するばかりです。ホロコーストや戦争の悲惨さなど、いろいろ考えさせられる映画ですが、ディキンソンの詩を考えると更に別の見方もできるのかもしれません。

  4. 居ながらシネマ より:

    eclipseさん、コメントありがとうございます。
    エミリー・ディキンソンはこの映画で初めて知ったかもしれません。映画が強く印象に残ると、登場した人物やアイテムなどもとても気になり、映画を離れてあれこれ調べたり知りたくなったりしますよね。

  5. eclipse より:

    コメントありがとうございます。
    訂正ですが、ウィリアム・スタイロンはこの作品ではなく、すでにピューリッツァー賞はとってから、この作品を書いてますね。日本語のWikiは間違ってるようです。

    先に書いた内容は、新倉俊一著のディキンスン詩集のなかで著者自身の解説で、「女性詩人の原型」で 触れられてます。もっとも ネイサン=死とみて、詩の馬車の中の世界を描いたというイメージは、先の文章を読んで私が思ったことです。 本の中では 作品全体がディキンスンの詩「わたしは死に…」の展開をストーリー化した試みで彼女の創造性のもう一つの可能性を示唆している。と書かれてます。ちなみに著者は別のもっと学術的な本「ディキンスンの詩法の研究」古川隆夫著 研究社出版 で引用されるような方のようです。 

タイトルとURLをコピーしました