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『ゲーテの恋 〜君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」〜』 Goethe! (2010)

ゲーテの恋 ~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」~ [DVD]

綴りは”OE”

作品メモ

ひとつ前のエントリー『シェイクスピア&ハサウェイの事件簿』から、世界の文豪つながり(笑)。
触れる機会が少な目なドイツ映画です。

内容は邦題そのまんまで、「若きウェルテルの悩み」にまつわる文豪ゲーテの青春の日々を描きます。
実在した人物が登場して、いろいろあったあげく文学作品が生まれる……というあたりは、ちょうど『恋におちたシェイクスピア』の「十二夜」みたいなものでしょうか。
もちろん実話をベースにしたフィクションなわけですが(どっちやねん)、どの部分がフィクションなのか、それを言うのは野暮というものでして。

ストーリーは結構ベタベタで、ステキな女性との出会いとか、恋敵がよりによって実は……とか、フラグが立っている親友とか、父親との葛藤とか、どれも期待をはずさない青春映画の王道設定となっています。
音楽も、ラブテーマとも言うべきこちらの曲など、ちょっとセンチで切ない系の4536王道進行♪

 
 
王道もここまで突き抜ければもう参りましたという感じで、見終わった後に、悪くないじゃん……と思う自分がいたりします。
ゲーテ先生の青春時代、案外こんな感じだったかも、と親近感を覚えれば、それは作り手の思惑通りと言うことなのでしょうね。

ヨハン・ゲーテ(Johann Goethe)にアレクサンダー・フェーリング(Alexander Fehling)。セリフにもある通り、「ゲーテ」の綴りは(「Ö(オー・ウムラウト)」ではなく)「OE(オーエー)」。
舞踏会で知り合った女性シャルロッテ(ロッテ)・ブッフ(Charlotte Buff)に、ミリアム・シュタイン(Miriam Stein)。
マジメ人間の上司ケストナー参事官(Kestner)に、ドイツ映画なら出ていない映画はない(嘘)モーリッツ・ブライプトロイ(Moritz Bleibtreu)。名は史実では「ヨハン」ですが、ゲーテの名前とかぶってしまうためでしょうか、映画では「アルベルト(Albert)」となっています。
友人で悩める若きウェルテルのモデルとなったカール・ヴィルヘルム・イェルーザレム(Karl Wilhelm Jerusalem)にフォルカー・ブルッフ(Volker Bruch)。

監督フィリップ・シュテルツェル(Philipp Stölzl)、撮影コーリャ・ブラント(Kolja Brandt)、音楽インゴ・フレンツェル(Ingo Frenzel)。

 
 
 

ロケ地

IMDbでは、

Bad Muskau, Saxony, Germany
Creuzburg, Thuringia, Germany
Dresden, Saxony, Germany
Görlitz, Saxony, Germany
Krompach, Liberec Region, Czech Republic
Merseburg, Saxony-Anhalt, Germany
Osterwieck, Saxony-Anhalt, Germany
Quedlinburg, Saxony-Anhalt, Germany

とほぼドイツでの撮影。
Krompachはチェコですが、今のところどの場面か不明。
チェコはエンドクレジットでもう一箇所、Horni Svetla(CZ)の名もありましたが、こちらも同様に場面不明。

博士号試験

設定ではストラスブール(シュトラスブルク)……のはず。
試験場へとダッシュする俯瞰は、通り以外はすべてVFXでしょうか?

捨て台詞を残雪に描いた中庭は、リアルかもしれませんが場所不明。

タイトルバック

タイトルバックの町並みも、設定ではストラスブール(シュトラスブルク)のはず。

撮影はこちら↓の町のように見えます。

Görlitz(ゲルリッツ)W, Saxony, Germany

馬車を追いかけるのは(Hans Michael Rehbergのクレジット)、こちら↓の広場。

Untermarkt (Görlitz)W

映画では、この画像で„FRENZELHOF“とあるホテルの建物から右側がスパッと消され、遠景に差替えられています。
建物の2階以上もVFXの産物。
この場所は、ラストでは人々でごった返すフランクフルトの書店前として、再登場しています。

馬車が右折するのは、ちょっとバックして、南側のウェーバー通り(Weberstraße)から広場を見るアングル。

  • 51.156374,14.991526

馬車の進行方向が逆になっていますね 😆
背景の建物はこういった↓感じで、やはり遠景はVFXの産物。

馬車から降りるのは、広場の東南の角にぶつかるこちら↓の坂道。

Neißstraße(ナイス通り)

降り立ったのは、こちら↓の前あたり。

Biblisches HausW

その右側はこちら↓で、そこから先の城門はVFX。

„Goethe!“とタイトルが出るバストショットの背景は、左側のこちら↓の建物。

この坂道も、ラストでフランクフルトの通りとして再登場しています。

ヴェッツラー

0:10

主な舞台となるところ。
リアルではこちら↓ですが、撮影は他の場所。

ヴェッツラー(Wetzlar)W

馬車が町へと向って行くロングショットはVFXの産物ですね。
VFXの進歩と普及によって、ロケ地探索的には世知辛い世の中になりました。

それでも町中のシーンなど、撮影場所をいくつか確認できました。以降の項目参照。

教会内部

0:17
ヨハンたちが、舞踏会で会ったロッテを見つけるところ。

これはリアルな場所。

Quedlinburg(クヴェードリンブルク)W, Saxony-Anhalt, Germany
St. Benedikti (Quedlinburg)W

こちらは2016年12月の画像ですが、改装したのでしょうか、座席が映画の中の木製長椅子ではなくなっています。
もう時代物の撮影に使えないですね 😉

ロッテと聖歌隊が歌っていたところ。

石造りの門

0:22 0:36

市外に繰り出す場面で、何度か映ります。
こちらもQuedlinburg(クヴェードリンブルク)Wで、中心の小高い丘にあるお城のものでした。

 
 
左手の遠景はVFX。
右手の案内板のあたりは衛兵の詰所で隠していますが、詰所がVFXかリアルかは判別できず。

町へやってきたロッテ

0:36
ゲーテと入れ違いにロッテがやってくるショットは、やはりQuedlinburg(クヴェードリンブルク)W
「石造りの門」のカメラ位置をぐっと後ろに下がらせて撮っています。

左手前に小屋を建てて後ろの駐車スペースや街路樹を隠し、右手の建物は強引に謎の足場でカバーをかけ、中央下の建物や丘の上の建物はVFXで配線を消したり汚れた感じを施しています。

同じ場所は、1:31頃「6か月後」で迎えにきた父親の馬車が進んでいくショットでも登場。

雨やどりした遺跡

0:41
リアルのようにも見えるので、確認中。

教会出口

1:30
結婚式の後、皆がぞろぞろ出てくるところ。

「教会内部」と同じ、こちらの教会↓

Quedlinburg, Saxony-Anhalt, Germany
St. Benedikti (Quedlinburg)W

入口向かって右側の外壁に付けられた案内板のようなものは、何かの布地で隠されていますね 😉

6か月後

1:31

フランクフルト

1:33

町に入って上っていく坂道は、タイトルバックで登場したこちら↓

Görlitz(ゲルリッツ)W, Saxony, Germany
Neißstraße

行く手はVFXで差替えています。
同じ撮影場所をVFXや小道具などで別の町に見立てているわけですね。

大騒ぎになっていた書店前は、その先の広場。
こちらも、タイトルバックで馬車を追いかけるショットとして登場していました。

Untermarkt (Görlitz)W

その後の2人(参考)

再会

Lotte hatte mit Kestner zahlreiche Kinder.
Sie hat Johann nur noch ein einziges Mal wiedergesehen.

ワイマルのロッテ (上) (岩波文庫)

ゲーテのお墓

ちょうどお彼岸ですし、お墓参りもしてみましょう。

ゲーテのお墓はヴァイマルのこちら↓

Weimarer Fürstengruft(ヴァイマル大公墓所)W

地下で、シラーと並んで安置されています。

左がゲーテ、右がシラーなのですが、東独時代の画像を見ると、ゲーテが右になっている画像もあります(Wikimedia Commonsでの例)。
こういうのって簡単に置き場所が変わるものなのでしょうか?? 謎……

2人のお棺に関しては、Wikipediaに書かれた第2次大戦中のエピソードが興味深いです。
さらにシラーについては他にも話題は尽きませんが、それはまた別の機会に。

シャルロッテのお墓

Charlotte BuffWによれば、Hannover(ハノーファー)のこちら↓にあるとのこと。

Gartenfriedhof (Hannover)W

墓地内での位置も、多くの画像がネット上にアップされているため、判明しました。
Noが振られ、案内板まであるようですので、書いてしまって大丈夫でしょう。

以下もう少し詳しく見ていきますが、墓碑銘を読み取るためにいつもより解像度が高い画像を使用しています。

まず正面(名前が刻まれている側、東側、カメラ西向き)から↓

中央がシャルロッテのもの。

「生1753年1月11日 没1828年1月16日」とあります。

ローマ数字は、”MDCCLIII”とか”MDCCCXXVIII”のように並んでしまうと、なかなかアラビア数字には脳内変換できませんね 🙂

反対側(西側、カメラ東向き) ↓

対称的すぎて、ぱっと見どちら側だかわかりませんね。

「ヨハン・クリスティアン・ケストナーの未亡人」とあります。

その下は「生1716年8月28日 没1800年5月24日 リューネブルクにて」で、これは夫ヨハンのデータ。

夫ヨハンは、WikipediaWによればリューネブルクにて客死。そこで埋葬されましたが、お墓はすでに失われているようです。
シャルロッテのお墓を建てる際に、一緒に眠ることができるように、名前を刻んだのでしょうか。

大きなお世話ですが、自分のお嫁さんがベストセラー小説のヒロインのモデルだというのは、リアルではどういう気分だったのか、ちょっと聞いてみたい気もしました。

 

余談ですが、両側の十字架について……
名前が刻まれている側から見て、右にあるのは、„GEORG WILHELM CARL THEODOR KESTNER“とありまして、シャルロッテの孫のようです。(長男Georg Heinrich Friedrich Wilhelm Kestnerの子)[1]https://www.findagrave.com/memorial/132540905/georg-wilhelm_carl-kestner
反対側を見ると、「生 1806年9月26日 没1831年1月4日」とありますので、24歳での夭逝。

左は、„MARIA ERNESTINE CHARLOTTE LAVES“とありまして、シャルロッテのひ孫のようです。(長男Georg Heinrich Friedrich Wilhelm Kestnerの娘 Wilhelmine Kestner Lavesの娘)[2]https://www.findagrave.com/memorial/132541833/maria-ernestine_charlotte-laves
名前の面に「生1824年8月4日 没1838年7月10日」とあり、わずか13歳で亡くなっています。

資料

更新履歴

  • 2020/03/21 新規アップ

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