作品メモ
ひとつ前のエントリー『恋は緑の風の中』同様、原田美枝子さんと佐藤佑介さんの共演作。
こちらは原田美枝子さんの堂々主演作で、佐藤佑介さんは3シーンのみの脇役となっています。
昭和7年、13歳で四国の山奥から連れ出され、瀬戸内海の島にある娼家に売られてしまった少女の過酷な運命を描きます。
原作は『旅の重さ』の素九鬼子さんで、やはり素九鬼子さん原作の『旅の重さ』とだいぶ趣が違いますが、いろいろ比べてみても面白いかもしれません。
大熱演の原田美枝子さんは、『青春の殺人者』とあわせてこの年のキネマ旬報主演女優賞やブルーリボン賞新人賞を受賞。
佐藤佑介さんは原田さんが淡い気持ちを抱く漁師の若者という役柄。『恋は緑の風の中』に比べると2人とも少し大人に近づいたのがしっかり感じられます。
娼家の主人に灰地順さん、りんを救う牧師に岡田英次さん。
他に特別出演で、冒頭お遍路さんとなったりんを見守る農婦に田中絹代さん。もしかすると劇場用映画最後の出演かもしれません。
(※19/1/26追記 コメント欄でBill McCrearyさんから情報を寄せていただきました。撮影日としては『北の岬』の方が後とのことです。情報ありがとうございました)
もうひとり特別出演で、初潮を迎えたりんをやさしく助ける女性に梶芽衣子さん。
監督増村保造、脚本白坂依志夫、撮影中川芳久、音楽竹村次郎。
ブルーリボン最優秀作品賞。
DVDのクレジットではキネマ旬報ベストテン1位とありますが、この年1位は『青春の殺人者』のはず?
ロケ地
エンドクレジットに、児島消防署、岡山県児島地区漁業連合会といった名称が挙げられています。
難易度高く、今回はほとんど解明できませんでした。
札所
りんが最初にいたところ。
石段を降りていくと、田中絹代さんが道標のそばに立っていますが、その道標は手が浮き彫りになっていて、「八十二番根香寺」「八十三」といった文字が読み取れます。
いろいろな場所を組み合わせているかと思いますが、今のところ場所はわかっていません。
御手洗島の港
0:24
設定では瀬戸内海に浮かぶ御手洗島。
「御手洗島」のテロップが出る時に写されている防波堤(灯籠が2つ見える)は特徴的ですが場所不明。調査中。
手前の灯籠は1:17頃アップになりますが、木で組んでいるところがあり、そのままの状態で今でもあるとは思えません。
なまこ壁のある通り
今回唯一判明したのが、上述「御手洗島」のテロップが出るショットの直後の通り。
0:24の他、0:35 1:02 1:40と何度か登場します。
左手になまこ壁が続いているのが特徴的で、突き当たりは海となっています。
場所は、瀬戸大橋のすぐ近く、岡山県倉敷市下津井1丁目のこちら。
現在は港が埋め立てで遠ざかっているのと建物が途中にあるため、海は見えません。
電子国土Web(1974-78)と現在のマップと並べると、通りの突き当たりから向こうがかなり埋め立てられていることがわかります。
なまこ壁の建物があるのは昔の廻船問屋の敷地のようで、正面部分は「むかし下津井回船問屋」という資料館、なまこ壁のあたりは「カンティーナ登美 (Cantina登美)」とういう飲食店となっているようです。
SV見ていたら、なんだかこのあたりをぶらっと回ってみたくなりました。
資料
更新履歴
- 2019/01/26 「作品メモ」に田中絹代さんの最後の作品情報を追記
- 2018/09/01 新規アップ
コメント
そうなんですよ、「居ながら」さん!
この映画のロケ地は私にもまったく分からないのですよ。
私も今回のブログで「なまこ壁」が児島であることを初めて知ったぐらいですから。
ロケ地探訪をしたと書きましたが、これがまったく見当違いの場所を訪れています。
0:24に灯籠のある防波堤のシーンに「瀬戸内海 御手洗島」というテロップが出ます。
これを鵜呑みにしてロケ地は御手洗島だと思い込み、何の資料も持たずに、小さな島のことだから土地の人に聞けば大体のロケ地は分かるだろうと、御手洗島へと出かけました。
これがとんでもない当てはずれ、島民の誰もこの映画のことを知らず、勿論、それらしい街並みや風景もなく、意気沮喪して帰ってきたしだいです。
しかし、酷(ひど)いではないですか!
テロップに「御手洗島」と映し出されているのだから、誰が考えてもその島は御手洗島と信じてしまうではないですか。
これが食品なら、「中国産ウナギ」を「日本産ウナギ」として販売する食品偽装(産地偽装)と同等の犯罪行為ではないですか。
ずっと後でやっと分かりましたが、どうやら防波堤も海岸も街並みも岡山県の「児島」周辺で撮影されたものらしい。
確かに、札所の道標に「八十二番根香寺」「八十三」と読みとれますが、八十八カ所巡りの「おりん」は同じ山の中をぐるぐる回っているような気がします。
時折、「おりん」が巡礼する道々の道標に「八」と言う文字が見えますので、香川県のみのロケでしょう。
「富田屋」を含め、ほとんどがセットで撮影されたのではないしょうか。
「おりん」がおチョロ船を漕ぐ夜のシーンもプール上でのセットではないかと思うぐらいです。
また、岡田英次や梶芽衣子も実際には瀬戸内海のロケ地には参加しておらず、別の場所(東京からほど遠くない地域)で撮影されたのではないかと思います。
原田美枝子がこの映画でよかったのは、増村保造監督の演出が優れていたから。
監督の手取り足取りの指導を受け、原田はただ監督の操り人形のように動いたから、あのような驚嘆に値する神業的演技を体現することができた。
しかし、「青春の殺人者」ではメッキが剥げ、彼女の演技は受けを狙っただけの熱演で、一本調子になります(個人的意見です)。
世評高い「青春の殺人者」も、今思えば奇をてらっただけの凡作にすぎず、何故この映画がキネマ旬報第一位などになったのか納得ができません(これまた個人的意見です)。
私の所有しているTOHO VIDEO「大地の子守歌」(TG1211-V)のクレジットにも「キネマ旬報ベストテン第1位」とあります。
このミスがそのままDVDにも引き継がれたのでしょう。
ちなみに、このビデオは当時のお金でなんと、25,000円もしました。
素 九鬼子原作では「パーマネント・ブルー 真夏の恋」という、これまた素敵な作品があるのですが。
赤松さん、実際に島へ行かれたのですね。空振りは残念でしたが、それもまた良き想い出なのではありませんか?
ウナギはともかく私も「御手洗島」のテロップにひっかかってしまい、最初はずっとマップでそちらの方をウロウロしてしまいました。ややこしいことに、瀬戸内の港にはあちこちに灯籠がありますね。チェックしていて目が疲れました。
クレジットをよく見たら児島の名前があったので、それでなんとか一箇所だけ見つけることができましたが、灯籠の堤防は気になるのでもう少し粘ってみます。
こちらのほうにもコメントさせていただきます。
あるいはこの映画は、増村監督関係の本や当時の映画雑誌などにあたれば、何らかの情報があるかもですね。私もちょっと確認してみます。
>田中絹代さん。もしかすると劇場用映画最後の出演かもしれません。
allcinemaで確認すると、熊井啓監督の『北の岬』が76年の4月3日公開で、この映画が6月12日ですから、この映画が映画の遺作で間違いないようです。田中のWikipediaにもそうあります。ただテレビドラマの『前略おふくろ様』が、本当の遺作だとこれもWikipediaにありますね。彼女の出演は、やはり『サンダカン』つながりなんですかね?
>カンティーナ登美
ネットで確認したところ、なかなかよさそうな店です(苦笑)。
https://tabelog.com/okayama/A3302/A330201/33015277/
ほんと瀬戸内海のあたりというのは魅力的な観光地ですよね。私も以前福山に出かけた時、高台から見た瀬戸内海の風景に魅了されました。写真はありませんが、鞆の浦にも感動しました。ちょっと時間をとって、『東京物語』から大林映画にいたるまで、ロケ地散策をしたいくらいです。
https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/b1cd4d41fae564baf68d7c114e01f5cb
Bill McCreary さん、コメントありがとうございます。田中絹代さん、『サンダカン』は凄かったですね。『大地の子守歌』は出番が短いですが、菩薩様のようなありがたみがありました。
それから、カンティーナ登美が食べログにあったとは 🙂
蔵の中をまるまる使ってる感じですね。
赤松さん、その後60年代~70年代の空撮画像をいろいろチェックしましたが、なかなか映画に出てきた防波堤が見つかりません。いったん目を休めて、再度チャレンジします。
こんにちは。
この映画のロケ場所について、私もネットで当たってみたのですが、まったくといっていいほど情報にヒットしなかったので、増村監督の研究書を見てみました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4898300057
すると原田美枝子のインタビューが収録されていて、そこで原田が、冒頭の山小屋のシーンについてロケでの撮影であると話したうえで、
>あれは最後のほうに撮りましたね、八王子のほうにロケに行って・・・。まず、最初に岡山へロケに行って、それで東京に帰ってきてセットをやって、最後に東京のロケをやって終わったんですけど。(p.278)
と語っていますので、どうも岡山と東京でロケ撮影が行われた模様です。また田中絹代とのシーンも東京でのロケだったと語っています(p.280 )ので、どうも岡山と東京のみのロケで撮影された可能性が強そうですね。脚本の白坂依志夫氏も、プロデューサーの藤井氏がロケ地の地図や写真を集めていた、そこは彼の出身地だと語っていて(p.330 )、藤井氏は岡山県出身ですので。ただ私も、この映画のパンフレットもまだ入手していませんし、また『キネマ旬報』のBNも確認したいので、何か新しい情報がありましたらまたご連絡いたします。
以下余談です。この映画の制作者の1人木村元保氏という人物は、『泥の河』の制作者でもありまして、Wikipediaで
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A5%E3%81%AE%E6%B2%B3
>講演会などで小栗が語っているところによれば、元々は映画好きの中小企業の社長が、別の企画を進行させていたところ、事情があってそれが没になった。ところが、気の早い社長が早々に35ミリフィルムを購入していたため、「これを使って、1本作れ」と小栗に話が回ってきたため、以前から目を付けていた「泥の河」の映画化を思い付いた、とのことである。
と紹介されている「中小企業の社長」ですが、こちらの記事は面白かったので、よろしければご一読ください。
http://www.eiganokuni.com/kimata/67-1.html
http://www.eiganokuni.com/kimata/79-1.html
後のほうの記事には、この映画についても出てきます。また、本日田中絹代が亡くなった際の訃報記事を朝日新聞縮刷版で確認したところによると、『北の岬』のほうが、撮影は遅かったようです(76年の1月だったとのこと)。
Bill McCrearyさん、情報ありがとうございます。
やはりマップだけではダメで、いろいろ資料にあたらないといけませんね。
四国は東京でしたか。
どうりで冒頭のあの道標はあやしいと思いました 😉
製作者情報もありがとうございます。なるほど『泥の河』の方ですね。『泥の河』はいちど記事を書きかけたのですが、すでにいろいろなブログで解明済みでしたので、止めたことがありました……
リンク先の記事もとても面白かったですが、こういう方がいらっしゃらないことにはなかなか映画作りはなりたたない事業なのでしょうね。