『愛妻物語』 (1951)

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あなたの一生はシナリオなの

作品メモ

『裸の島』『人間』と見てきましたので今度はこちら。新藤兼人監督の最初の監督作品『愛妻物語』です。
戦時下という映画産業にとって厳しい時代に、シナリオ作家を目指す夫と彼を懸命に支える妻を描きます。

シナリオ作家の卵、沼崎敬太に宇野重吉さん。
下宿先の娘で、後に妻となる石川孝子に乙羽信子さん。
ひとつ屋根の下でふたりは既に相思相愛の仲となっている、そんな状況から映画は始まります。

敬太は研究生として勉強にはげみますが、生活力は今のところなく将来も不透明。まー普通に考えて愛娘の相手がこうではちょっと困ってしまうわけで、父親の猛反対に遭い、敬太は下宿を出てアパート住まい。孝子も同居の道を選びます。
その後撮影所の統合にともない処遇があやうくなってきたため、2人は思い切って知己を頼り京都へ引越します。著名監督に見て貰うためにさらに猛勉強を続けますが、なかなか芽が出ません。時に2人の仲もぎくしゃくしたりしますが、孝子の笑顔と無償の愛で、敬太は自分の進むべき道を見つめ直すことができるのでした。
ところが2人の苦労がようやく報われようとするとき、孝子は病に倒れてしまい……といった展開。

最初の奥様のことや師事した監督に鍛えられたことなど、新藤監督にとってはほとんど私小説のような内容かと思われます。
39歳での監督デビューは決して若いとは言えないかもしれませんが、そこはやはり初監督作品、思い入れや意気込みが随所に現れ、熟成した後の作品にくらべれば「若さ」がちらちら垣間見えます。
主演2人が水着姿で波打ち際を駆けてきて抱き合うシーンなど、まるでミュージックビデオのようなみずみずさでしょうか。
不思議なことに、最初の奥様のことをモデルにしているはずのこの映画、今見返すとあまりに乙羽信子さんがキュートで愛らしく、まるで乙羽さん自身を描いた映画のように勘違いしてしまうところもあったりするのでした。

キャストでは、殿山泰司さんも当然のように出演。お隣に住む友禅の下絵描きの職人さんという役柄で、「一年に2,3回しか笑わない偏屈男」と奥さんが言うだけあってムスっと登場。ところが途中で親しみやすい一面を見せ、悩める主人公をサポートします。キャラクターがにじみ出ている実に良い役でおいしい役。監督が「タイちゃん」に当てて書いたのでは、と思いたくなります。
その殿山泰司さんのクレジットで、(近代映画協会)と添えられていますが、前年(1950年)監督らが旗揚げしたときの創立メンバー。
乙羽信子さんも当時はまだ大映所属ですが、その後(『原爆の子』の後)近代映画協会へ移籍しています。

他にキャストであれ?と思ったのは、主演と並んで「賛助出演 大河内傳次郎」とクレジットされているところ。
もしや0:30頃撮影所で扇子をぱたぱたさせていたお侍さんでしょうか?? 賛助出演といいますか、カメオですね。

監督脚本新藤兼人、撮影竹村康和、美術水谷浩、音楽木下忠司。

オマージュ?

未見ですが、先月(2020年9月11日)公開された『喜劇 愛妻物語』は、これはもう『愛妻物語』のもじりか、あるいは(よく言えば)オマージュなのでしょうか。
予告編を見る限り、70年近く経つと言葉遣いもえらく違ってくるものだと感慨深いものがあります(違)

オフィシャルサイトはこちら↓

http://kigeki-aisai.jp/

新藤監督作品リスト

監督第一作ということで、その後の監督作品のリストをまとめてみました(年代逆順)。
日本映画データベース、KINENOTE(キネマ旬報データベース)、Wikipedia等からデータを抽出して統合しています。
間違いを見つけられましたら、ご遠慮なくツッコンでください。

当然でしょうけど、ご自身の監督作品はすべて脚本も手がけられていますね。
主立った出演俳優もピックアップしましたが、出演数は乙羽さんを除けば殿山泰司さんがやはりダントツトップ 🙂

▼資料:日本映画データベース、KINENOTE(キネマ旬報データベース)、Wikipedia
  △:本人出演
  N:ナレーション

公開日 タイトル 製作会社 配給 脚本 撮影 音楽 出演






殿














 






2011.08.06 一枚のハガキ 近代映画協会 東京テアトル 林雅彦 林光
2008.09.27 石内尋常高等小学校
花は散れども
石内尋常高等
小学校 花は
散れども
製作委員会
シネカノン 林雅彦 林光
2004.02.07 ふくろう 近代映画協会 シネマ・クロッキオ
近代映画協会
三宅義行 林光
2000.12.02 三文役者 アリゴス
・フィルム
オセアニック
近代映画協会
東京テアトル
配給協力
メディアボックス
三宅義行 林光
1999.01.15 生きたい 近代映画協会 日本ヘラルド映画 三宅義行 林光
1995.06.03 午後の遺言状 近代映画協会 ヘラルド・エース
日本ヘラルド映画
三宅義行 林光
1992.06.06 濹東綺譚 近代映画協会 ATG
東宝
三宅義行 林光
1988.04.30 さくら隊散る 近代映画協会
五百羅漢寺
独立映画センター 三宅義行 林光 N
1986.11.15 落葉樹 丸井工文社 近代映画協会 三宅義行 林光
1986.09.17 ブラックボード 地域文化推進の会
電通
近代映画協会 三宅義行 林光
1984.02.11 地平線 MARUGENビル 松竹 丸山恵司 林光
1981.09.12 北斎漫画 松竹 富士映画 丸山恵司 林光
1979.06.02 絞殺 近代映画協会 ATG 三宅義行 林光
1977.03.17 竹山ひとり旅 近代映画協会
ジァンジァン
独立映画センター 黒田清巳 林光
1975.05.24 ある映画監督の生涯
溝口健二の記録
近代映画協会 ATG 三宅義行
応援撮影
黒田清己
下田久
1974.09.07 わが道 近代映画協会 黒田清巳 林光 N
1973.10.27 近代映画協会 ATG? 黒田清巳 林光
1972.12.29 讃歌 近代映画協会 ATG? 黒田清巳 林光
1972.04.22 鉄輪(かなわ) 近代映画協会 ATG 黒田清巳 林光
1970.10.31 裸の十九才 近代映画協会 東宝 ○ 他 黒田清巳
高尾清照
林光
小山恭弘
N
1970.06.03 触角 近代映画協会
日本映画新社
東宝 黒田清巳 林光
1969.10.29 かげろう 近代映画協会 松竹 ○ 他 黒田清巳 林光
1968.06.30 強虫女と弱虫男 近代映画協会 松竹 黒田清巳 林光
1968.02.24 藪の中の黒猫 日本映画新社
近代映画協会
東宝 黒田清巳 林光 N
1967.06.28 性の起原 近代映画協会 松竹 黒田清巳 林光 N
1966.08.27 本能 近代映画協会 松竹 黒田清巳 林光
1965.11.21 悪党 東京映画
近代映画協会
東宝 黒田清巳 林光
1964.11.21 鬼婆 東京映画
近代映画協会
東宝 黒田清巳 林光
1963.11.08 近代映画協会 黒田清巳 林光
1962.11.04 人間 近代映画協会 ATG 黒田清巳 林光
1960.11.23 裸の島 近代映画協会 近代映画協会 黒田清巳 林光
1959.11.22 花嫁さんは世界一 東京映画 東宝 遠藤精一 広瀬
健次郎
1959.02.18 第五福竜丸 近代映画協会
新世紀映画
大映 植松永吉
武井大
林光
1958.02.26 悲しみは女だけに 大映 大映? 中川芳久 伊福部昭
1957.08.21 海の野郎ども 日活 日活 宮原義勇 伊福部昭
1956.11.27 女優 近代映画協会 新東宝 宮原義勇 伊福部昭
1956.06.21 流離の岸 日活 日活 伊藤武夫 伊福部昭
1956.02.05 銀心中 日活 日活 伊藤武夫 伊福部昭
1955.07.03 近代映画協会
独立映画
独立映画 伊藤武夫 伊福部昭
1954.07.27 どぶ 近代映画協会 新東宝 ○ 他 伊藤武夫 伊福部昭
1953.11.23 女の一生 近代映画協会 新東宝 伊藤武夫 伊福部昭
1953.04.08 縮図 近代映画協会 新東宝 伊藤武夫 伊福部昭
1952.08.06 原爆の子 近代映画協会
劇団民藝
北星 伊藤武夫 伊福部昭
1952.03.05 雪崩 大映 大映? 竹村康和 伊福部昭
1951.09.07 愛妻物語 大映 大映 竹村康和 木下忠司
作品数 45 45 40 34 18 13 14 8 8 6






殿














 






ロケ地

例によって、ウェブマップを頼りに画面とにらめっこでチェックしています。
間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。

アパート

下宿を出たあとの住まい。
セットでしょうけど、細かい点で看板が気になったのでちょっとメモ。

看板には「荘風春」とありますが、その下の電話番号は左から「電(豊島)133番」となっていて、方向が互い違い。ぱっと見、認識しづらいです。
当時はこれが普通だったのでしょうか?

撮影所

統合がらみで各撮影所が写りますが、映像はすべてホンモノでしょうか。時間があるときに照合してみたいですね。

  • 松竹大舩撮影所
  • 東宝撮影所
  • 新興大泉撮影所 (標識には、新興キネマ大泉撮影所)
  • 日活多摩川撮影所

0:15

京都へバスで向かう途中、下田へ寄ろうとする2人。
長い橋を横から捉えますが、これは相模川の河口に架かるこちら↓(初代)でしょうか?

湘南大橋W

下田

0:17
いかにも下田の方の景色に見えますが、さすがに場所は不明。

さびしそうにブランコをこぐ乙羽さん、いい場面でした。

京都の撮影所

0:19頃、消火訓練のさなかに敬太が通りをやってきて受付を訪ねる場面。
大映の映画なら京都大映撮影所でしょう……と思い込んでいたところ、意外な事実が??

こちら↓の京都市消防局のページに載っている画像が、まさに映画で登場したところでした。

昭和25年7月24日 左京区松竹下鴨撮影所全焼(写真提供:京都新聞社) https://www.city.kyoto.lg.jp/shobo/page/0000159285.html

画像で右端の建物は、消火訓練を捉えたショットで左側にある建物。そのあと時代劇の装束の一群を捉えつつ左へパンする際に全体が見えますが、この画像とまったく同じ造りを確認できます。
通りをやってきた敬太は画面左側へ入っていき受付を訪れますが、そこは上の画像でさかんに炎を上げている敷地。

ということで、ここでの撮影場所は松竹下加茂撮影所で間違いなさそうです。1)消防局のサイトでは「下鴨撮影所」とありますが、地名は下鴨で、施設名としては「下加茂」ではないかと思われます
昔の空撮ではこちら↓

電子国土webは1945年10月2日米軍撮影のものですので、火災の5年前となります。
『愛妻物語』の撮影は昭和26年初夏開始とのことですので2)新藤兼人『三文役者の死』(1991年 岩波書店同時代ライブラリー)p.83、火災の1年後ですね。
敬太は下鴨西通りを南側からやってきますが、その両側に撮影所があり、電子国土webの十字の左側(西側)が消火訓練をしていた広場、右側が敬太が入っていった敷地となります。
現在は撮影所全体が跡形もありません。

余談ですが、この火災、原因はフィルムの自然発火のようで、昔のフィルムは簡単に燃えてしまうのが怖いですね。
個人的には、東京京橋のフィルムセンターの火災が記憶に残っています。

なお参考までに、大映京都撮影所の方は、こちら↓のエントリーでその変遷を取上げています。よろしかったらどうぞご覧ください。

坂口監督を訪ねて

0:20

坂口監督のモデルは溝口健二監督でしょうか。
1両編成の可愛らしい列車がトコトコ走っていきますが、これは嵐山線で、背景の山や手前の田んぼの広がりから見て、おそらくこの↓あたり。

立派な山門は仁和寺。

河原

0:40

撮影所で孝子がもう一年チャンスをくださいと必死で訴えていたあいだ、敬太がぼーっと寝そべって居たところ。

賀茂大橋のすぐ北側。高野川と賀茂川が合流する鴨川デルタ。

0:42頃、子供たちと一緒にハエをとっていたのは、もう少し上流のおそらくこのあたり↓

ちょうど前述の下加茂撮影所の近くですね。

こちら↓のジャケット画像は本編では登場しない演技ですが、場所としてはやはり同じあたりでしょうか?

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しかし宇野重吉さんはこんなふうに笑顔を見せると、まるきりサングラスとった寺尾聰さんですね(逆か)。
『黒部の太陽』の頃ははっきり区別ついたのに 😉

資料

更新履歴

  • 2020/10/21 新規アップ

References   [ + ]

1. 消防局のサイトでは「下鴨撮影所」とありますが、地名は下鴨で、施設名としては「下加茂」ではないかと思われます
2. 新藤兼人『三文役者の死』(1991年 岩波書店同時代ライブラリー)p.83

コメント

  1. 赤松 幸吉 より:

    よくぞ、これだけ緻密な(新藤兼人監督作品)リストを作成されたことよ!

    調べてみるとこの45作以外に「らくがき黒板」(1959年 近代映画協会)というのがあって、これは短編(48分)のために監督作品にカウントされていないようです。

    この45作を改めて見てみると、自分史上、最高オブ最高は「裸の島」(配偶者の怒鳴り声がまだ耳の中に残っていますが)ですが、他の多くは奇をてらったり、センセーショナルな題材にしただけの映画で、(個人的には)意外に傑作と呼べる作品が見当たらないのです。

    つまり、天才・新藤兼人の圧倒的存在感は「演出家」というよりも「脚本家」にあったのでしょう。

    キネマ旬報ベスト・テン第一位に輝いた「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」も演出力というより秀逸なシナリオそのものに負うところが大きいと思います。

    ショッキングな事件を取り扱った「人間」も後味の悪いだけの映画でした(この事は居ながらさんの記事からも同じことが読み取れます)。

    「愛情物語」での「賛助出演 大河内傳次郎」には全く気が付きませんでしたが、「主演2人が水着姿で波打ち際を駆けてきて抱き合うみずみずしいうシーン」はよく覚えています。波がキラキラ光っていました。

    このシーンに関しての辛口コメントで、アメリカ映画などの筋骨隆々の男優に比べて、日本の男優の体格の貧弱さは破滅的だと言及してありました。

    確かに、このシーンの宇野重吉(ガリガリ、所帯やつれ?)を見れば、的を得ていると思います。
    アメリカの男性のように、あの体で恋人を抱えて上げて、格好よくダッコすることができるのだろうか。

  2. 居ながらシネマ より:

    赤松幸吉さん、コメントありがとうございます。
    もともとリストは殿山さんがどのくらい出ているか確認しようと思って作成し始めたのですが、ついでに他の好みの俳優さんも入れちゃえ、という感じでどんどん大きくなってしまいました。できるだけ自動的に処理しようとしましたが、結局半分以上手作業になってしまったかも。もう少し楽に作れるようになったら、他の監督や俳優さんでも試してみたいです。

    『らくがき黒板』は知りませんでした。挙げた3つの資料サイトにはなかったのはおっしゃるとおり短編だからでしょうか。『一枚のハガキ』が49本目とされていますので、あとどこかに3本あるはずですね(汗)。

    このリストをつらつら眺めると(見ているのは30本弱ですが)、赤松さんと同じく『裸の島』に惹かれます。あとはロードムービーが好きなので『竹山ひとり旅』とか。
    奇をてらったりという点では、特にリストの前半は独立プロ作品としてとんがったものを出さないと売れない、みたいなところもあったかもしれませんね。
    それに新藤監督の場合、演出家、脚本家、自分のところの独立プロ、というこの3つの距離がどうも近すぎて、時に良い化学反応を起こすよりは、ハウリングを起こしてしまったような。

    ところで、宇野さんのお体は、骨格といいバランスといいいかにもあの頃の日本人ですよね。江戸や明治の頃に比べれば身長は伸びているはずですが、おんぶならともかくお姫様だっこはやはり難しそう。
    最近は男女の役割を固定して描くととなにかと問題になりますが、お姫様だっことプロポーズのスタイル、それにフィギュアスケートペアのリフトは、今後もまだまだ役割固定が許されるところでしょうか。

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