目次
作品メモ
このところ『夏に抱かれて』、『悲しみよこんにちは』、『サガン-悲しみよこんにちは-』とサガンがらみの映画をチェックしてきましたが、今回は左岸の話 😛
不治の病ではないかと不安にかられるヒロインが検査結果を聞くまでの2時間の姿を描きます。
「5時から7時まで」といっても、場面ごとに時刻が表示されていて、それによれば厳密には5時5分から6時半までの1時間25分。
上映時間も1時間半で、ほぼリアルタイム進行。長すぎないのがまた良いですね。
ヌーヴェルヴァーグ云々で語られる映画なのかもしれませんが、ムズかしい理屈はおいといて、パリの街並みを魅力的なカメラで捉えた実におサレな映画。半世紀以上前に作られたとは信じられないほどです。
病におびえる歌手クレオにコリンヌ・マルシャン。
公園で出会った休暇中の兵士アントワーヌにアントワーヌ・ブルセイユ。
監督脚本アニエス・ヴァルダ、撮影ジャン・ラビエ。
音楽ミシェル・ルグラン。ピアノ弾きボブ役で本人出。
ロケ地
IMDbでは、
と細かく掲載されていますが、この映画に関してはヒロインの動きはリアルの世界と一致しているので、映像とにらめっこだけで十分でした。
ロケ地マップも作ってみましたが、足取りがきれいに一筆書きで描けることに改めてビックリ。
占い師の家
出た後次項目のカフェまで歩いて行きますが、周辺があまり写っていないことと途中ショットが切り替わっているため、場所はわかりませんでした。
※15/3/11追記
コメント欄でmilouさんが情報寄せてくださいました。
クレオが出てきた扉は、現在59 Rivoli というギャラリーの入口となっているところ。
59, rue de Rivoli
扉まわりや上階がたっぷりアートしていますね 🙂
クレオはここからrue de Rivoli(リヴォリ通り)を西へ向います。
新しいGoogle Mapsでストリートビューを見ると、2008年4月のまだ改修工事中のあたりまでは遡れます。
こういった経過があっても、扉の意匠が変わっていないのが良いですね。
カフェ
0:07
アンジェールに不安を訴えるところ。
次項目の交差点から少し南へ入ったあたりでしょうか。ここはまだ「右岸」です。
※15/3/14追記
コメント欄でmilouさんから情報寄せていただきました。
カフェを出た時と、帽子店のウィンドウを見るショットの背景で店の位置がわかります。
角にあるのが«RIVOLI DEUIL»、その右側、2階に縦長窓が2つ並んでいる建物1階が«Ca Va Ca ?»カフェ。
どちらの建物も現存しているようですね。
通り
こちらの交差点を北西向きに斜め渡りした後、Rue de Rivoliに沿って西へ。
帽子店
店を出たときに«Francine»と店名が写ります。現在は見当たりません。
窓越し、通りの向かい側に«SAMARITAINE»(サマリテーヌ)が見えます。
- Google Maps(SV) ……店の推定位置
- Google Maps(SV) ……SAMARITAINE
- WikiMapia
「ユイジャン街6番」と台詞でクレオの住所が示されますが、実際にそこにあることがこの後判明します。
※15/3/11追記
コメント欄でmilouさんから情報を寄せていただきました。
現Bershkaではないかとのことです。
タクシーその1
タクシーで家へ戻ります。
このルートはおそらく最適コースで、なかなかステキな女性ドライバーさんが、ボったくっていないのがわかります。
タクシー乗車
Rue de Pont Neufとの角を右へ曲がってすぐ。
タクシーのボンネットに«PHARMA……»と看板が反射していますが、現在も同位置に薬局を確認できます。
この道路は現在北向きの一方通行。おそらく当時もそうだったのではないでしょうか。
後ろの車から向こうが全部逆向きに停車していて、乗ったタクシーとその前にパスしたタクシーだけがこちらを向いています。
タクシーは、運転手さん自身のセリフにもある通り、シトロエンのID。
IMCDbによれば、1959 Citroën ID 19。
こちらは1957年式
ヒロインはDSタイプと間違えたわけですが、ドラマ『メンタリスト』でパトリック・ジェーンが乗っているのがそのCitroën DS。もっとも年式が全然違いますけど……
その他、登場するクルマについては例によって驚異のサイトIMCDbをどうぞ。
IMCDbの情報量には毎回圧倒されますが、今回は特に数十台という車が網羅されていて壮観です。
その先南下して現Rue de la Monaleに合流するところは、現在と道路構成が少し違うようです。
※15/4/8追記
©1977 milou アルバム「パリ」から |
milouさんから画像を提供していただきました。
この時タクシーはこのベル・ジャルディニエの前を通ったはず。
撮影は1977年7月とのことで、貴重な一枚ですね。
橋
タクシーでポンヌフを南(左岸)側へ。
橋のたもと近くで一時停止
- Google Maps(SV) ……運転手の横顔
©1977 milou アルバム「パリ」から |
こちらはmilouさんから提供していただいた画像です。
(いつもありがとうございます♪)
撮影は 1977年7月とのことで、貴重な1枚。
※15/3/11追記
milouさんから画像を追加提供していただきました。
©2002 milou アルバム「パリ」から |
2002年10月。
©2002 milou アルバム「パリ」から |
前掲画像をポンヌフの横から見た別アングルですね。
2002年10月。
©2002 milou アルバム「パリ」から |
ポン・ヌフを渡りきる正面。タクシーは右折してQuai de Conti に入ります。
2002年10月。
©1993 milou アルバム「パリ」から |
右折する際に左を見るとこう見えていたはずですね。
1993年9月。
©2002 milou アルバム「パリ」から |
映画では映りませんが、橋の途中にあるアンリ四世の銅像。
2002年10月。
渡った後
橋を渡って右折。すぐ左折してRue Guenegaudに入り、「音楽をとめて」で一時停車。
※15/3/14追記
コメント欄でmilouさんから情報寄せていただきました。
この時のウインドウの店は、現在«La Reine Margot»(王妃マルゴ)。
学生たち
Rue Guenegaudをそのまま進んだところ。
※15/3/14追記
コメント欄でmilouさんから情報寄せていただきました。
ふたたびウィンドウの前で停まり学生たちがわらわら寄ってきますが、タクシーが停まったのは29番地、現在書店となっているこのあたり。
(追記ここまで)
左折して、Rue Mazaineに入ります。
※15/3/11追記
milouさんから画像を提供していただきました。
車が進むRue Mazarine沿いの物件です。
©2000 milou アルバム「パリ」から |
右側にあるHôtel Le Petit Trianonからの眺め。
正面のカフェは Le Buci。
2000年2月。
©2006 milou アルバム「パリ」から |
左手に見えるはずの1686年開業のパリ最古のカフェ・レストラン Le Procope(プロコップ)。
Cours du Commerce Saint-André側の様子。
2006年1月
※15/3/14追記
コメント欄でmilouさんから情報提供していただきました。
トラックに前をふさがれたショット(右から左にパン)で、右側にアーチが見えますが、80番地の«Librairie Gründ»でこれは現存。
直進
そのままずっと直進(南下)して、Boulevard Saint-Germain を横断。rue Carrefour-de-l’Odeon に入ります。
リュクサンブール公園沿い
右折して、Rue de Vaugirardを西へ。
T字路の正面は、リュクサンブール宮殿。敷地を左手に見ながら直進。
この角を左折して、Rue Guynemerに。
もしカメラが進行方向右側を向いていたら、『勝手にしやがれ』のミシェルの生家(自称)が写っていたところでした。
この後しばらく直進。
途中トラックに前をふさがれるショットに切り替わりますが、その瞬間の位置は『サガン-悲しみよこんにちは-』でチェックしたばかりの書店(サイン会会場)があるところ。ぎりぎりで写っていませんが……
ジグザグ
直進後Rue d’Assasで左折。すぐ右折してRue Vavinへ入ります。
トラックを追い越しながら、交差点を通過。
左折
こちらを左折して、Boulevard Raspail(ラスパイユ通り)を東へ。
交差点通過
後ろから乗り降りするバスを抜いたのは、モンパルナス通りとの交差点。ここは直進。
ここで左側が見られれば、『勝手にしやがれ』でパトリシアが新聞を読みながら渡ったカフェの前が見えたはず。
住まいの前へ
バスを抜いた後すぐ右折して、Rue Huyghへ。
停まったのはこちら。
はっきり通りの名前も言っていますし、ルートは簡単にたどることができますので、マップでも示してしまいました。
実際にいらっしゃる時は、中を覗いたりしないようにしましょう。
※15/3/11追記
milouさんから画像を提供していただきました。
©milou アルバム「パリ」から |
住まいのあるRue Huyghensに入るあたりの左側の角。
通りに入るために右折した際に写ります。
一人歩き
0:42
黒い服を着てひとり彷徨います。
金塔飯店と大道芸その1
現在カフェ«LE PETIT BROC»があるところ。
人間ポンプは、その前。
カフェ
0:43
Café le Dôme – 108 Boulevard de Montparnasse, Paris 15, Paris, France
※15/3/11追記
milouさんから画像を提供していただきました。
©1990 milou アルバム「パリ」から |
Le Dômeの前まで歩いてくるのを大通りの反対側から見たアングルですね。
撮影は1990年9月とのことです。
奥にのびているのが、クレオが歩いて行き、車でもどってくるRue Delambre。
となるとこのアングルなら映画館の建物もよ~く見ると写っているはずです……
©1990 milou アルバム「パリ」から |
こちらは参考画像ですが、そのちょうど反対側のRue de la Grande-Chaumièreにある『レネットとミラベル 四つの冒険』でレネットが通った美術学校Academy De La Grande Chaumière。
1990年9月。
©1994 milou アルバム「パリ」から |
Rue Delambre 35番地にあるHôtel Delambre。
クレオが行き(徒歩)や帰り(車)に通り過ぎているはずの建物です。
1994年7月。
交差点と大道芸その2
カフェを出た後、Rue Delambreを西へ。
葬列が通り過ぎるのを待っていたのは、このあたり。カフェから約300m。
Boulevard Edgar Quinetを横断する時のアングルはこんなふうに西側から撮影。
丸い時計が示しているのは6時。
ここは5時45分から52分のパートのはずなので、ちょっと惜しい?
時計は今では四角いようですね。
大道芸はBoulevard Edgar Quinetの中央分離帯。
今ならクレオの行く手にトゥール・モンパルナスがそびえ立っています。
当時は鉄道の高架がかかっていたはず(後述)。
※15/3/12追記
milouさんから画像を提供していただきました。
©1990 milou アルバム「パリ」から |
葬列にぶつかったクレオが右を向いたらこんな風に見えたはずのアングルですね。
1990年9月。
©1990 milou アルバム「パリ」から |
Bd.Edgar Quinetの朝市の様子。
今ならこのように突き当りがLa Tour Montparnasseとなっています。
1990年9月
彫刻家のアトリエ
たまらず分離帯を駆け出したあと、通りの北側の家に入りますが、このあたり。
(扉の下の金具で場所も特定できますが、いちおう曖昧に……)
車で移動
アトリエを出てドロテの運転で。
信号は全然ないわ、曲がるときは手を出して合図するわで、良き時代です。
路地から表通り
路地から表通りに出るあたりは、モンパルナス駅周辺でがっつり再開発されたところ。
彼女たちの車もその周辺を走っているはずですが、昔のマップや画像がないと、たどるのがむずかしそうです。
幸いGoogle Earthの時間スライダーで1949年6月に遡れますので、とりあえずはそれでチェックしてみますと……
現在トゥール・モンパルナスがあるのが旧駅の南西側、ホームから出た線路が収束しながら延びている部分。
そこは高架になっていて下をBoulevard Edgar Quinetがそのまま通り抜けています。現在はビルによって完全に遮られている形ですね。
クレオたちの車はまず路地から出てきて左折しますが、現在のマップではこのあたり。
2,30m走って大きな通りに出て、右折しますが、この通りは大道芸を演じていた分離帯のあった、Boulevard Edgar Quinet。クレオがあのまままっすぐ駆け続けていれば、ここに出たはず。
大通りに出てすぐに画面が暗くなりますが、鉄道のガード下で、現在ちょうどトゥール・モンパルナスのある位置。
通りの名前についての台詞がありますが、東側がデパール(Départ 出発)通り、西側がアリヴェ(Arivée 到着)通りで、これは今でも同じようです。
ガード下を抜けて
ガード下を抜けた後左折してBoulevard de Vaugirardを西へ進みます。
車を正面からとらえたショットで、旧モンパルナス駅の南側の様子がわかりますね。
- Google Maps(SV) ……現在は全く面影無し(15/3/12追記)
車はすぐにUターン、北上してタクシー乗り場などがある場所で停まります。
そこは、旧モンパルナス駅の南側にあった駅(Wikipediaによるとメーヌ駅 Gare du Maine)。
旧モンパルナス駅のキャパを拡張するため設けられた駅で、現在のモンパルナス駅はこの位置にあります。
そこで1929年に、当時の駅よりも南のメーヌ広場(現ビヤンヴニュ広場)とヴォージラール大通りの南側に到着列車用のメーヌ駅(Gare du Maine)が作られた。この位置はほぼ現在のモンパルナス駅の位置である。1934年にはメーヌ駅に出発用のホームも設けられ、長距離列車はメーヌ駅、近郊列車はモンパルナス駅と使い分けられるようになった。
あたりは列車から降りた乗客でごった返しているわけですね。
ここで赤帽さんから大きな荷物を受け取ります。
これが目的だった模様。
※15/3/12追記
milouさんから画像を提供していただきました。
トゥール・モンパルナスの北側、メトロの方の駅の周辺でしょうか。
©1990 milou アルバム「パリ」から |
Rue du Départ の北端。
1990年9月。
©1990 milou アルバム「パリ」から |
Rue de l’Arrivé のBd.Montparnasse側。ショッピングセンターの Galeries Lafayette 屋上広場からRue de Rennes 。 1990年9月。
再び車で
右折してガードをくぐり、やってきたBoulevard Edgar Quinetを逆(東)に進んでいきます。
映画館
ラウルがいるところ(6時より6時4分)。
前のショットからは少しワープしていますが、Boulevard Edgar Quinetを大道芸の交差点でRue Delambreに入ったと考えられます。クレアがLe Domeからずっと歩いてきたと想定される通りを逆にたどっている状態。
駐車している車がみんなこちらを向いていますが、進入禁止を進んでませんかね??
停まったところは映画館の前。おそらくIMDbのリストにあるこちら。
Cinéma Delambre, rue Delambre, Paris 14, Paris, France (demolished)
demolishedとありますが、建物そのものは残っているようにも見えます。
2人が入っていったのは、DIETETIC SHOPとFRAN PRIXの間。
絶讃上映中の映画は『エルマー・ガントリー/魅せられた男』。
看板のバート・ランカスターがあまり似ていないようにも見えますが、こういうのは万国共通のお約束??
※15/3/14追記
コメント欄でmilouさんからこの映画館Cinéma Delambreについて情報提供していただきました。
2015年3月8日 00:32付のコメントにありますので、ぜひそちらもご覧ください。
短編映画
出演は、ゴダール、アンナ・カリーナ、エディ・コンスタンティーヌ、ジャン=クロード・ブリアリ。
舞台となった橋はこちら
ドロテと歩いて
1:03
扉を開けて
※15/3/14項目追加
コメント欄でmilouさんからコメント欄で情報提供していただきました。
外に出たときに向かいが写ります。
お店は変わっていますが、12番地と標示されている扉の意匠は同じ。
映画館前の通り
このあたりを歩いていきます。
通りの端近くで斜め渡り。
事件現場
行きに寄ったle Dôme。
タクシーその2
1:04
乗車
位置はle Dômeの前。
通りはモンパルナス通りで、向かいに『勝手にしやがれ』で登場したカフェが並んでいます。
タクシーは、交差点からBoulevard Raspailへ入り、南へ走って行きます。
左手の建物
車内からの目線のショット。
左手に特徴的な外壁を持つ建物が見えますが、rue Campagne Premiereがぶつかるところで、つまり『勝手にしやがれ』のラスト、ミシェルが倒れるところです。
©1990 milou アルバム「パリ」から |
こちらはmilouさんご提供による画像で、『勝手にしやがれ』の記事でも使わせていただいています。
(いつもありがとうございます♪)
右手の建物
長い塀の奥に見える横長の建物。
Ecole Spéciale d’ArchitectureW
ライオン像がある広場
ダンフェール・ロシュロー広場(Place Denfert-Rochereau)W
※15/3/12追記
milouさんから画像を提供していただきました。
©1990 milou アルバム「パリ」から |
1990年9月撮影。
©1990 milou アルバム「パリ」から |
1990年9月撮影。
※15/3/14追記
コメント欄でmilouさんから情報提供していただきました。
ライオン像の脇を抜けてこの交差点で左折しますが、少なくとも現在は左折禁止なのでマネしてはいけません。
この交差点手前左側(東側)が、カタコンブ入口。
ストリートビューのタイミングによっては、長い行列が見えます。
※15/4/8追記
©1977 milou アルバム「パリ」から |
milouさんから画像を提供していただきました(撮影1977年7月)。
カタコンブ入口ですが、背景に頭をのぞかせている建物は、タクシーが左カーブを切るときに(ドロテが帽子を手に話している時)、リアウィンドウ越しに見えている建物ではないでしょうか。
駅
上記交差点を左折すると、正面に駅舎が見えます。
その前で右折。
こちらは2012年。
1904年の絵はがき。
こちらの方が映画の印象に近いですね。
直進
Avenue René-Cotyを南へ。
ここを通過。背後のビルは今も健在。
ドロテ降車
Rue d’Alésiaとの交差点手前。
階段
公園
タクシーはそのまま直進を続け、「チーズの名前みたい」とセリフにあった公園に入ります。
映画では直接は写っていませんが、おそらくこちらの入口から入っていたものと思われます。
天文台
正面に見えている「千一夜物語の?」建物は、Palais du Bardoという名称。
1867年パリ万博の際に建てられ、その後左岸で一番高いこの地点(海抜75m)に移されましたが、傷んで使われなくなり、1991年に焼失したとのこと。
建っていた位置は、映画の車内からのショットの他、Google Earthの時間スライダーでも確認できます。
- Google Maps(SV) ……車内からの目線
- Google Maps(SV) ……この位置
- Bing Maps(概観図・南向き)
- WikiMapia
降車
タクシーを降りたのはおそらくこのあたり。
橋
下は鉄道。
階段
歌いながら降りてくるところ。
小さい広場
階段を降りてきたショットの次は、ここを通過。
- Google Maps(SV) ……やってきた方角
- Google Maps(SV) ……向って行った方角
- WikiMapia
滝
石段を降りてやってくるところ。
残念、ストリートビューでは見えません。
このあたりでしょうか。
- Google Maps(SV) ……だいたいこのあたり
- Google Maps(SV)
- https://www.flickr.com/photos/photos-et-voyages/9528755777 ……2人がいたところ
2人がいた位置からはこう見えるはず。
出口へ
バスに乗ろうと、2人で歩いて行ったのはこの道。
右からやってきて、このカーブを回って向こうの方へ行きます。
さらにこの道を南へ。
公園の外へ
降りて出ていったのはこちらの階段。
バス
1:30
病院に向います。
バスに乗車
バスはそのまま rue Liardを東へ。
交差点通過
こちら↓の小さな公園を左手に見ながら、交差点に入ります。
この後、北東向きのrue Auguste-Lançonに入るようにも見えますが、対向車がすれ違った瞬間ショットが切り替わり、1本右隣の、東北東向きのRue de Rungisを走って行きます。
赤ちゃん
Rue de Rungisの中ほどでしょうか。
交差点
バスの後ろで話している時に通過します。
Place de Rungis
反対側へ抜けて、北東向きの rue Bobillotへ入ります。
停留所に停まりますが、今でもちゃんとありますね 🙂
交差点
そのままrue Bobillotを北進。
ずっと進行方向右側を写していますが、rue de Tolbiacとの交差点手前で、再び後方カメラとなります。
座れた停留所
そのまま交差点を直進した先の停留所で、席に座れます。
- Google Maps(SV) ……※15/4/8修正しました
- Bing Maps(概観図・南向き)
- WikiMapia
煉瓦造りの建物
rue Bobillotをさらに北東へ進みますが、途中進行方向右側に見える煉瓦造りの建物は、プールでした。
入口に大きく«PISCINE»とありますね。
Piscine de la Butte-aux-Cailles(ビュット・オ・カイユ)W
この画像は、バスの進行方向と逆向き。
通過した交差点の方を向いています。
«VERLAINE»
上記建物のすぐ先の公園脇で停留所に停まります。
せっかくポール・ヴェルレーヌの名前が付けられているのに、映画でもちらりと写っていた胸像は、ヴェルレーヌではなく通りの名前となっているJules Bobillot軍曹Wという人。
バスが停まったときの、手前の2人、おばあちゃん、胸像が見事なバランスでした。
イタリア広場
そのままぐるりと左回りで反対側に向います。
※15/3/14追記
milouさんから画像を提供していただきました。
©1990 milou アルバム「パリ」から |
広場のランドマークになった丹下健三設計の Grand Écran (大画面) という建物。
1990年9月撮影。
広場の南側にありますが、もし映画の当時に建っていたら、バスが広場に入ってきた時に見えていたはずですね。
©1990 milou アルバム「パリ」から |
「大画面」とうたっていただけあって、かつては映画館が入っていたようです。
今はビル名も Italie DeuxWに変わっているとのこと。
milouさんのコメント(2015年3月12日 19:25)も合わせてご覧ください。
病院通り
交差点の途中で停留所に停まった後、Boulevard de l’Hôpitalに入り、北へ向います。
花
このあたりでしょうか?
特徴的な建物
1:23
裁判所のようです。
バス降車
上記裁判所のすぐ北側。その先はオステルリッツ駅。
病院まで
この高架下を通ります。
病院
やってきたのは、『サガン-悲しみよこんにちは-』でチェックしたばかりの、こちら。
ピティエ=サルペトリエール病院(Hôpital de la Salpêtrière)W
門
壁伝いに来て、正門脇から入ります。今は壁ではなく、柵になっているようですね。
前庭
- Bing Maps(概観図)
- WikiMapia ……ベンチの位置
ロケ地マップ
資料
更新履歴
- 2015/04/08 「座れた停留所」SV修正。「タクシー乗車」「ライオン像がある広場」でmilouさんの画像を追加
- 2015/03/14 「カフェ」「渡った後」「学生たち」「映画館」「ライオン像のある広場」「イタリア広場」追記。「扉を開けて」項目追加。ロケ地マップで「徒歩(占い師→カフェ)」追加
- 2015/03/12 「交差点と大道芸その2」「ガード下を抜けて」「広場」追記
- 2015/03/11 「占い師の家」「帽子店」「橋」「学生たち」「住まいの前へ」「カフェ」追記
- 2015/03/03 新規アップ
コメント
まずは出発点から。
占い師の建物を出る前『勝手にしやがれ』と同じように特徴的な門扉の模様が見える。
建物を出て左に曲がる(ドア閉めてくれよな!)。洋服屋が並ぶ通りをワンカットで追いかける途中、道路に立つ番地表示に63という数字が見える。そして道路を1つ渡ったところでカットは変わるがカフェに入る前にCa va Ca Vient というカフェの料金を書いた看板が見える。
ずっと洋服屋が並ぶので最初はもっとシャトレー寄りでRue Saint Denis かなと思ったが交通量が多い大通りなのでRivoliで63番より東になる。少し戻って見ると今も57(59)番地に例の門扉が残っている。
実はここは有名な建物でテレビ番組で見た(録画もしたはず)が長期間にわたり空き家のまま放置されていた建物にアーティストが不法に住んでオープン・ギャラリーにした。当然裁判沙汰になったが今では“59 Rivoli”というパリ市も後援する観光スポット(?)になっている。
http://59rivoli-eng.org/visite-virtuelle.html
カフェはRue de Rivoli とRue des Bourdonnais の角、現Jennyfer にあった。カフェを出たときBarというネオンの右にCa *という大きな文字が見える(帽子屋に入るときにも奥の左にはRIVOLI DEUIL 右にはカフェのCa Va Ca* が見えている)。少し歩くとRIVOLI DEUIL(現Celio) という角店の別の帽子屋があり横断舗道を斜めに渡るときSt.Cloud 行き72番とChamps de Mars 行き69番のバスが見え少し先には(読みにくいが)Rivoli-Pont Neuf のバス停があるがFrancine の真ん前にもバス停がある。Francine を出たときには前をPorte de Gentilly 行きの67番のバスも通る。
Rivoli-Pont Neuf というのは言うまでもなく Rue de Rivoli とRue du Pont Neufの交差点という意味だが路線が多い(現在は21,67,69,72,81の5路線だが77年で10路線ほどあった)ので同じ停留所が2つ並んでいる。現在は128の番地表示のある建物入り口の左右ともBershka だがバス停位置が同じならFrancine は左側のBershkaになる。映画でもFrancineの左隣がTergal(現pimkie)で次が大きな建物の入口、そして角店がL’Horloge du Pont-Neuf(現Les Opticiens Conseils)なのでタクシー乗り場は角を曲がった現薬局前で正解。
この映画は設定としては実時間通りの作り方をしているので確かにルートを追うのは比較的容易で実に詳細に書かれている経路も間違いはないようです。
だから調べるのは止めようかなとも思ったが、モンパルナス界隈という勝手知ったる場所が多く近辺の写真も色々あるので、まだ未整理だが僕の撮影場所をSVで確認しながら楽しく追いかけた。従ってコメントも新規追加ではなく“ちなみに”という余談ばかりになってしまうが…
☆ポン・ヌフを渡ってRue Guenegaud に入ったとき
恐らく“死”のイメージであるショーウィンドウの頭部を見せるが現在の店名は王妃マルゴ(La Reine Margot)
☆学生たちの騒動(?)の場面で左手ドア右横にに丸い何かが2つ見える。現在も29番地のドアにそのまま残っている(左側の四角いものは変わっている)
☆Rue Mazaine 19分あたりでトラックの左前にGarage が見え右手にアーチが見る。これは現在も存在する60番地のLibrairie Grund 。
Rue Mazarine が Rue de Buciに出るまでの間の右手に少なくとも2つのHotel が見えるが現在は1つもない。
ちなみにこの交差点に入る直前、右前角にMichel という衣服の店があり隣(同じ建物)に縦に(Le Petit)Trianon という名前だけ立派なホテルの看板が見えるが2000年2月9日に1泊200フランで泊まっている。この界隈はやや騒々しいが、おいしいパン屋があり毎朝買って部屋で食べた。観光映画ではないので映っていないがサン・ジェルマンに出る少し前の左手にはパリ最古(1686年)のレストラン Le Procope がありカフェは何回か利用した。
☆Rue de Vaugirard に入って右手に今も郵便局があるがPTTからLa Poste に名前が変わっている。ちなみにVaugirard はパリで一番長い通りで4360メートルある。
☆右折してHuygens に入るとき画面では表の円柱しか映らないが左手角のビストロ Le Gymnasse で確かC・ゲンズブールの何かの映画に出てきた。クレオの家は斜め向かい。
タクシーを降りたときバックの貼り紙に『アンダルシアの犬』が見え2枚左はグリフィスの「An unseen enemy」らしい。ほかにもSplendide?の『地獄の戦線(55)』も見えるので映画のポスターばかりのヤラセかもしれない。
☆映画館を出るとき向かいのMeny という店の右隣に12番地の表示があり現在とまったく同じ門構えである
ちなみにCinéma Le Delambre は11番地にあった。1933年4月21日に映画+ヌードショーの劇場としてオープン(その前は劇場 Théâtre Leonardi)したがすぐ閉館しDôme-Studio BGK に改名、その後もDelambre,Delambre-Montparnasse などと名前が変わるが基本的にはポルノ上映館だった。ポルノが下火になり83年には改装して一般映画の”3 Parnassiens”になるが89年に閉館しスーパーになった。そういう波瀾万丈(?)の小屋なので当時実際に『エルマー・ガントリー』をやっていたかは分からないが可能性が低いように思う。74年3月のPariscop の館名はDelambre-Montparnasse で18禁の「Porno Boy」1本立て一般10フラン。78年,79年も同様にポルノ映画館。
この映画館の斜め向かい16,18番地には何度も通った Les 7 Parnassiens という映画館があるがSVでも分かるように98 Bd.Montparnasse への抜け道になっている。
また35番地の Hôtel Delambre には94年7月に泊まっている
☆ Le Dome 前でタクシーに乗るとき向かいにCINEMA という大きな文字が見える。これは現 UGC Rotonde でヒサシは今も変わっていない。
☆ライオン広場のSVを見るとライオンさんは右を向いて視線を避けたようだが首を左に向けると何やら長蛇の列が。これはカタコンブに入る行列で僕は77年に行ったが人気スポットなんですね
☆モンスーリ公園を出て乗ったバスはPorte de Gentilly 始発のピガール行き67番。車掌のRungis という声が聞こえるが2つめなので乗ったのは Amiral Mouchez になるが実際のバス停は Rue de Rungis に入ってからのスーパーLe Marche Rungis の前だがほかにも数人乗るバス停のように見せている。もちろん当時は車掌がいたからバス停以外での乗り降りも可能ではあっただろうが。
以下も車掌さんが親切にバス停の名前を言ってくれる。Bobillot-Tolbiac、 Verlaine(画面にも映る) Place d’Italie(ここで車体の67- Place Pigalle という文字が見える)そして…
このバスの場面で面白いことがある。降りるのはメトロの St.Marcel だという台詞があるが実は67番のバスは手前のRue Jeanne D’Arc で左折してしまい病院(メトロの駅)には行かず最寄りバス停はSt.Marcel-Jeanne D’Arc である。ところが車掌はLa Pitié という。実はマリー・キュリー大学(Hopital Universitaire La Pitié-Salpetriere)前に St.Marcel-La Pitié というバス停(ここで降りた)があるが、これはイタリア広場の前で合流する Gare de Lyon 行き57番のバス停である。もちろん pitie(憐憫)という言葉を使いたかったからのウソなのだが、直前にも“死”のイメージとして花屋があり右隣は Pompes Funebres(葬儀屋)である。このあたりの場面はカットがよく変わるが花屋と葬儀屋も別の通りの可能性もある。
milouさん、コメントありがとうございます。
『サガン』も『クレオ』も、更新作業遅れてすみません。今週から一息つけるので、少しずつ反映していきます。
最初の部分も解明できてスッキリです。
私はSAMARITAINEと橋のあたりでようやく場所がわかり、前後の位置のピンを立てていきながら、もしかすると足取りは全部一筆書きでつながっているのかも??と初めて気づきました。
毎回詳しい情報や思い出話ありがとうございます。正解はここ、だけでは機械的な作業になってしまってサイト作りも面白くないので、またこれからもよろしくお願い致します。
クレオの移動に従って古いビデオや写真から近辺のものを抜きだしてみたがダンフェール・ロシュローの部分が、やや不可解。
映画ではライオンの右後方から来て真正面に抜けていき、すぐ左折する。しかし真正面の通りはAv. du Général Leclerc なのでAv.René-Coty に入るために1つ目で左折するが少なくとも現在は左折禁止の表示が出ている。まあ最初のタクシー乗り場には笑うしかないが撮影のための規則違反は珍しくもないか。
それからモンスーリのバス停だが、よく見ると建物側にバス停の表示が出ているのだが道路側に立っていないとおかしい。ロングだしわざわざ映画のために立てたとも思えないのだが…
ちなみにヴァルダの飼い猫にタマがいるか不明だが猫好きヴァルダのプロダクションは猫がロゴのCiné-Tamaris 。この映画にも数え切れないほどの猫が登場していますね…
パリはロンドンに較べれば時が過ぎても変わらない建物が多いが、当然時の流れと共に変わっていくものも多いし建物は変わらなくても中身が変わってしまうことも…
イタリア広場のSVを見ると丹下健三設計の建物は同じだが大画面が売り物だった映画館は2006年に消え、映画館がなければ“大画面”なんてビル名は変だからか名前も Italie Deux に変わりアパートメント・ホテルのCitadine がメインになっている。僕が映画を見に行ったのは90年だが開館が88年なので、まだまだ話題スポットで夜だったが切符売り場の長蛇の列は広いロビーをはみ出し建物の外まで並んでいたのに…
パリの駅で一番大きく変わったのがモンパルナス駅だが『ヒューゴの不思議な発明』で明示はされないが舞台はモンパルナス駅。蒸気機関車が二階から落ちた1895年の事故はwiki に掲載されている写真を再現(?)していた。もちろんメリエスが店を出していたのも事実で店の構えもほぼ忠実に再現していた。
milouさん、コメントありがとうございます。
画像の方、少しずつ追加しているところです。いただいたコメントの情報もさらに本文に反映させたいので、もう少しお待ちください。
モンパルナスの駅は前後で激変という感じですね。
トゥール・モンパルナスは72年竣工ということで、この映画のわずか10年後。もう少し新しい物件かと思っていました。ちょうど日本でも超高層ビル時代に入った頃ですね。
答え合わせ?
チェックしたのはBS2放送分だったがアメリカのクライテリオン版DVDがあったので見ると特典映像満載で現在(2005年)の役者が撮影場所で再現したりいろいろ面白かった。兵隊役のブルセイユなんてカンヌ映画祭には行かなかった、といい写真を見せられて“ああ、行った”なんて。
その特典の中に44年後の姿をバイクで出発からゴールまで撮影した短編もある(全部正解でした)。公園内は走れないので地図で公園内のルートを示すが1人のときは箸(?)1本、2人になってからは2本という洒落たもの(これも正解です)。
それはそれとしてバスで座れた場所のSVが間違いです。
☆ Rue Verginiaud から南を見たSVになっているが、この道は通らない。正解は記事にあるようにRue Bobillot の交差点で画面に見える南東角のカフェLe Bobillot は今も存在する。
ちなみにVerlaine のバス停のショットがおかしい。
バスはプールを過ぎて銅像のある小公園で停まり車掌はバス停名をVerlaine とい表示もアップで見せる。しかしSVを見れば分かるが銅像が見える停まった場所にバス停はない(それにしても駐車中の車の向きがバラバラですね)。向かいには逆方向の南行きの屋根付きのバス停があるが北行きのVerlaineのバス停 は公園から200メートル近く北に進んだRue Bobillot の43番地(現CER Bobillot)前のベンチも何もない場所。
つまりVerlaine という表示を見せるためにバス停ではない場所に表示を設置しバスを停車させている。日本でも同じだが一般的にバス停は交差点を過ぎた場所にあり急ぐときなど信号待ちでイライラすることがある。
もう1つ時計についてだが長くなるので13章ではないが2つ分けます。
この映画は5時(5分)から7時(なぜか6時半)までのクレオの動きを、ほぼ実時間通り追いかけるという珍しい設定である。だから不吉な数13に分けられた各章(Chapitre)の(DVDの)スタート時間も実時間にほぼ合わせている。
例えば第1章(17.05-17.08)の始まる直前の占い師の部屋の時計は17:05を示していてDVDの第1章のスタート時間も4分半になっている。以後も実時間とDVDの時間は、ほぼ一致する。しかし言うまでもなく撮影は実時間どおりではないしモンスーリ公園は早朝だったり猫だらけのクレオの家(室内)は10区のFontaine-au-Roi だったりもするし当然撮り直しのテイクもあり編集で都合良く合わせている。ドキュメンタリーのような映画だがタクシーの場面も一般劇映画のように大きな台車に切断された車を載せて撮影したりもしている。
特典映像でも画面に見える時計部分を黄色い円で示し意識して時間を合わせるのに苦労したという。例えば
第2章(17.08-17.13)のカフェの場面で店の時計は全然違うが実はこれは鏡に映った映像で裏返すとピッタリ17:08分を示している。
そこまで意識しているなら6時を示す時計も間違いではなく何らかの意図からだと思われ特典映像でも6時の時計も見せるがズレの説明はしていない。
ほかに時計が映されるのは3章(17.13-17.18)の17:22分(車のラジオでも時間を言う)だが4章(17.18-17.25)を先取りしている。
7章(17.38-17.45)ではカフェDome に入る前に17:50分の時計を見せ、やはり8章(17.45-17.52)を5分先取りしている。
そして問題の6時の時計は8章内にあるがカフェに50分に入ったとすれば恐らく軽く18時を過ぎていると思われるが、やはり時計は9章(17.52-18.00)の最後まで先取りしているが、なぜか8章だけBob や Drothée といった登場する個人名ではなくQuelques Autres(誰かさん?)の17.45から17.52と示されている。
実は13章のうち“クレオ”が表示されるのは半分に満たない6回(しかも最後はクレオとアントワーヌ)だけであり、ほかはクレオではない誰かの時間ということになりクレオの時間とズレがあっても構わないと考えることもできる。
同じ8章の中で猿の人形が乗った置時計の“アップ”が入るが、その時間は3時35分という無関係な時間である。ただしクレオの部屋にはアンティークの時計が多数飾ってあり確認はできないが時間はバラバラのはず。しかも第8章はフラッシュバックで過去の映像が何度も挿入される心象風景が多いことから8章だけ実時間とのズレが目立つのかもしれない。
milouさん、コメントありがとうございます。
答え合わせいつも助かります。
ストリートビュー直しました。マップの方は合っているのに不思議ですが、ペグマンをその位置に降ろそうしたときに途中でぼろりと落としてしまったのかもしれませんね(今回ピンの数が多くて、マウスを持つ握力が弱まりました……)。
クライテリオンの特典映像、これは良さげですね。欲しくなってきました。
1人のときは箸(?)1本、2人になってからは2本、ってこれだけでもすごく楽しそうです 🙂
milouさん、画像もありがとうございました。
それにしてもSVの間違いをよく見つけられましたね。
ページ内検索したらこのページだけで77箇所もSVがありました 😆