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『サード』 (1978)

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ネジと自動車との関係について

作品メモ

最近『遠雷』のコメント欄のやりとりでタイトルが出たので、ちょっと割り込みでこちらをチェック。

少年院の日常をつづりながら、主人公がそこにいることになったいきさつが、さかのぼって描かれます。
なにより生々しいタッチの会話やカメラが斬新で、見ていて思わず引き寄せられます。
昨今のやらせたっぷりのリアリティショーよりリアルといいますか、リアルのベクトルが全然違う感じで、妙にこちらの感覚にぐいぐい入ってくるものがありました。
ありそうでなさそうなタッチですが、脚本の寺山修司さんの起用が奏功していたのかもしれません。
当時何度か名画座で見ましたが、結構入りは良く、世評も高かったように記憶しています。

出演は……
町を出るために売春でひと稼ぎしようとした高校生4人が、永島敏行(サード)、吉田次昭(IIB)、森下愛子(新聞部)、志方亜紀子(テニス部)。

志方亜紀子さんは、ちょっとぽわっとした雰囲気が可愛らしかったですが、活躍の時期は限られていたでしょうか。
個人的に最後に記憶にあるのは、『さらば愛しき大地』の事務員役。セリフもあるのにクレジットされないのが残念でした。

他にヤの人役の峰岸徹さんは友情出演。モンモン背負ってハンパない迫力でした。でもよく見ると、サードへの蹴りが甘いです(汗)。
母親役の島倉千代子さんは、出ていることを知らずに見てびっくりしました。こちらは特別出演で、最後にクレジット。存在感はさすがでしたが、監督さんも、うまく持ち味を引き出していたと思います。

原作軒上泊「九月の町」。
製作幻燈社(前田勝弘)・ATG、監督東陽一、脚本寺山修司、撮影川上皓市、音楽田中未知。

東監督はこのあと女性映画の旗手的存在となりますが、ごめんなさい、個人的にはやはりこの『サード』がいちばん印象に残っています。

※20/6/16追記
鬱飲み屋さんからメールで情報を寄せていただきました。
演奏としてクレジットされているスキンロケットですが、そのリーダーだった方のサイトで、こういった↓記事があるとのこと。

https://ysfc.weblogs.jp/chronofile/services/mobile/recent-comments

こちらによれば、田中未知さんが作曲して、アレンジと演奏がスキンロケットとのこと。映画のお仕事は『サード』だけだったようです。
でもって、この記事のコメント欄で『サード』について質問されている方が、なんと実は鬱飲み屋さんご自身なのでした。
メールで『サード』について学生時代の思い出話を聞かせていただきましたが、そんな長きにわたりこの映画に愛着を抱いてきたファンの方に拙ブログへ来ていただけるとは、管理人冥利につきるというものです。
ありがとうございました。

 
 
 

ロケ地

例によって、ウェブマップを頼りに画面とにらめっこでチェックしています。
間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。

少年院

設定では<関東朝日少年院>。
確か当時監督さんだかどなたかだかが、実際の少年院を撮影に使ったと話していました。
こっちに人がいる時は別の場所で、あっちに人がいるときはこちらで……という風に、隙間を縫うように撮影したとか。
そんなことできるんだ、と妙に感心した記憶があります。

具体的な撮影場所については、面白おかしく書くところでもないと思いますのでここでは略。
OPでとても特徴的な山並みが写るので、わかる人にはすぐにわかるかと思います。

高校

0:10
グランドや校舎など、さすがに資料がないと難しそう。

祭りの町

0:17
活気あふれる町は、<九月の町>としてサードの脳裏に焼き付けられます。

これは大原はだか祭りなので、撮影場所は現在の千葉県いすみ市。

最初に祭りと遭遇する交差点は<いすみ市役所入口>↓

正面に見える煙突は、木戸泉酒造。

その後祭りが練り歩く商店街は、おそらく駅前商店街のこの↓あたりかと思いますが、確認中。

車は群馬ナンバーですね。

0:32

イメージの中、<九月の町>で窓を開け、港を眺めたところ。

地元商店街と駅

0:45
4人で歩くところ。
突き当たりに駅舎のような建物が見えますが、これは後ほど(0:55頃)都会に出るために利用する駅ですね。
先に駅が判明したため、商店街も自動的にわかりました。

駅は群馬県のこちら↓ 路線は当時は国鉄足尾線、現在は第三セクターのわたらせ渓谷鐵道。

大間々駅(おおままえき)W

商店街は駅の西側に延びるこちら↓

沿道の建物は映画から40年以上経っているはずですが、結構そのまま残っているようです。
ただいずこも同じで、商店街としての面影はほぼなくなっています。

気になる物件としては、駅にやってくるショット(0:55)で、こちら向きに建っている建物。
奥行きが長いカマボコ型で、いかにも映画館という造りです。

※20/6/16追記
鬱飲み屋さんからメールで、大間々の町を実際に訪問された人のブログを教えていただきました。
これはちょっと行ってみたくなりますね 🙂

http://kareido-on-web.la.coocan.jp/houkou/ohmama.html

都会

横断歩道

0:55
おそらく東京は渋谷駅前のスクランブル交差点。

地下トイレ

IIBが入っていった地下トイレですが、男に引きずられて出たところで見えるのが、建て替え前の東急プラザ渋谷店。
となると、トイレは今で言えば、ちょうど歩道橋用のエレベーターあたりでしょうか。

昔このあたりにトイレがあったのは覚えていますが、地下でしたっけ?? これは記憶なしです……

ホテル街

このへんは追究しても仕方ありませんが、確か道玄坂の上の方に、こんな丸い滑り止めの入った急な坂道があったような……知らんけど。

防波堤

1:37
祭りが行われている中、全力で走る防波堤。

サードが走っていたのは「祭りの町」のこちら↓
現在では、祭りの浜辺は埋め立てられて、防波堤は普通の道路になっています。

『長距離ランナーの孤独』とは異なり、ホームベースのないランナーはただそこを走り抜けるだけです。

資料

更新履歴

  • 2020/06/16 「作品メモ」「地元商店街と駅」追記
  • 2020/06/14 新規アップ

コメント

  1. elphaba より:

    小津安二郎さんの映画からたどり着きました。
    このブログを読んで、40年ほど前、私の勤務していた少年院が「サード」の撮影に使われたことを思い出しました。
    施設が特定されないよう注意されておられるので具体的な場所は申し上げませんが、2か所で撮影されています。グラウンドなど屋外の撮影はおっしゃる通り「山並み」で推定できる施設で行われましたが、屋内の撮影は私が勤務していた比較的都会に近い施設が使われています。
    この映画が封切られて同僚と見に行った帰り、アイスクリームを食べようと立ち寄った店で「先生」と声をかけられました。出院して間もない教え子でした。
    仕事を見つけてどうにか普通の生活をしているようだったので、ほっとしたことを覚えています。
    ちなみに原作者の軒上泊さんも関西地方の少年院の教官だった方ですね。

  2. 居ながらシネマ より:

    elphabaさん、コメントありがとうございます。
    この映画、2か所で撮影されていたのですね。これはまったく気づかず、「山並み」ですべてわかったつもりになっていました。その場所に実際にお勤めされていた方からお便りいただき、驚いております。
    場所についてのご配慮も恐縮です。どこかではズバリ書かれているかもしれませんし、書いたところでおそらく大問題にはならないかと思いますが、所詮自分の娯楽でやっているサイトですから、誰の迷惑にもならないように、特に日本の撮影地については、慎重なスタンスでやっているところです。

    教え子さんとのエピソード、心温まりますね。きっと、elphabaさんや同僚の方たちの地道なご努力の積み重ねで、若者がそんな風にひとりまたひとりと社会に復帰していったのでしょうね。
    ところで小津監督からたどり着いたというのも気になります。拙サイト、小津監督はそれほど扱っていなかったような……エントリーが結構な数になっているので、もう自分でも過去何書いてきたか全然覚えていない状態ですが……

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