『東遊記』 (1939)

作品メモ

このところ日本映画専門チャンネルの「李香蘭、そして山口淑子」特集に合わせて記事をアップしています。

http://www.nihon-eiga.com/osusume/sengo70/rikouran.html

『蘇州夜曲 (”支那の夜”より)』(1940)『白蘭の歌』(1939)『熱砂の誓ひ』(1940)とチェックしてきましたが、こちらはTV初放送という『東遊記』。私も見るのは初めてでした。

『白蘭の歌』と同様に、東寶映画と満洲映画協會の提携作品。
本編のクレジットで「提携第一回作品」とあります。
日本映画データベースでは「1940年2月7日に日本劇場で公開」とあり『白蘭の歌』より日付が後ですが、最初の提携なのですから大陸での公開はそれより前だったはず。当サイトでの年代表記も1939年としました。

そちらでも書きましたが、この時代の映画は物語や描き方などいろいろ微妙な面があるやもしれません。当サイトはあくまで撮影地を確認しようという試みで成り立っていますので、その点ご了承の上でご覧いただければ幸いです。

満州国(当時)の若者2人が知り合いを頼りに日本へやってきていろいろな体験をするというお話。
日本に住む日本人が観れば大陸からやってきた凸凹2人組が繰り広げる字幕付きコメディとなりますが、大陸の観客から見れば日本の景色や人々の様子を知ることができるご当地映画となっていて、どちらかといえばそちらの趣向の方が強いように感じられます。
ちょうど「大陸三部作」が内地の日本人に大陸を紹介する内容だったのとは対照的。
お話は他愛もないものですが、四半世紀が3回以上巡ってしまった今となっては、当時の日本を知るタイムトラベル映画としても鑑賞できるかもしれません。

困ったことに、いつも頼りにしているキネマ旬報データベースやallcinemaには映画の項目すらありません。
資料的なことはほぼわかりませんので、適当な文献やサイトでお調べください(オイ)。

監督大谷俊夫、脚色高柳春雄、撮影大森伊八、音楽神原恭男。

李香蘭が歌うテーマ曲は「陽春小唱」。
OPはインストだけで、歌は屋上の場面とラストに流れます。
ヨナ抜きの大らかなメロディーが心地良いです。

 
 
 

お話とキャスト

映画サイトにあまり資料がないので、ストーリーを配役とりまぜてメモしておきます。
ラストまで書いちゃいましたので、ネタバレがいやな方はパスしてください。

ネタばれにつき折りたたんでいます。クリックで開閉します。

主人公は、小柄でたっぷりした体型の宋(劉思甲)と背の高い陳(張書達)。
2人は満州の片田舎で日々農作業に汗しています。
ある時日本へ働きにいった旧友の王徳儀(周凋)から手紙を受け取りますが、どうやら彼の地で大成功をおさめている様子。
一度会いに行こうとお金を工面して日本行きの切符を手に入れます。

ところが列車の中で切符をなくしてしまった2人は、途中駅から徒歩で東京を目指すハメに。
十国峠をトボトボ歩く凸凹コンビの姿は、まさしくC3POとR2D2……あるいは又七と太平……。
もちろん『東遊記』がずっと前♪
その後宣伝部長役で藤原釜足さんが登場するので、余計に可笑しいです 🙂
こういうコンビの面白さは、東海道中膝栗毛あたりが原点なのか、あるいはもう少し遡れるのか、どうなんでしょうね??

それはともかく、2人は運良く映画の撮影隊に遭遇、そのままエキストラとして加わり、ついでに東京まで乗せてもらうことができました。
この撮影隊、監督役は岸井明。
出演女優として登場していたのが原節子。出番としてはこの撮影隊がらみだけで、李香蘭と一緒に写る場面はありません。

撮影隊と別れた2人は、ようやく王の店とおぼしき豪華な中華料理店にたどり着きますが、なんと王はその店で下働きしていただけで、とっくにやめていたのでした。
途方にくれた2人は、雨宿りで知りあったサンドイッチマンにアイデアをもらい、尋ね人の大きな札をぶら下げて、繁華街を歩いてみせることにしました。
満州から来た二人組はたちまち人目を引き、大勢がぞろぞろとその後をついて回ります。

それを新聞記者が記事にとりあげたことから、歯ブラシメーカーの宣伝部長(C3PO……じゃない又七……じゃない藤原釜足)が目を付け、2人を柳橋で接待。広告契約を締結します(この場面、芸妓のひとりが宣伝部長の当時の妻沢村貞子)。
その会社でタイピストをしている満州出身の麗琴(李香蘭)が通訳として2人を担当。日本の生活は長く、お昼休みには満州の歌を歌ったりして同僚にも親しまれている美人さんです。

会社は大々的にメディアミックス戦略を展開して(笑)、日劇の舞台でコントを演じ映画出演も果たすなど、2人はたちまち「ラッキーボーイ」となったのでした。
人気急上昇中の2人は、ある日ふらりと寄った小さな中華料理店で王と遭遇します。
王はミエを張ってあんな手紙を書いたことを詫びますが、2人はようやく旧友に会えたことで大喜び。わだかまりもなく「会えて嬉しいよ 飲み明かそうじゃないか」と久闊を叙するのでありました。

その後麗琴が王の妻(張敏)の妹でもあることが判明。
しかも彼女には日本へ留学に来ている大学生の許嫁徐兆銘(徐總)がいるのでした。
彼女にぼ~っとなっていた2人はガッカリ。

その王夫婦は、卒業する徐兆銘とともに大陸へ戻ることを決めました。
もちろん麗琴も一緒です。
凸凹コンビも、今の浮ついた生活は切り上げて、国に帰ることを決意。

映画は最後に広大な満州の大地で農作業にいそしむ一同の姿が写され、李香蘭の歌がリフレインされて幕を閉じます。らいらいらい~♪

彼等の新しい
正しい生活は
之より
始まる

ロケ地

登場する場所は、「田神」「谷比日」と右から読むテロップで紹介されます。
ほとんどが東京が舞台。人が多そうな場所での大胆なロケも敢行しています。

例によって、ウェブマップを頼りに画面とにらめっこでチェックしています。
間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。

乗った駅

さすがにわかりません。

降りた駅

駅名標示は「草薙駅」とありますので東海道線の同駅と思われますが、ホームや駅前など、現在まったく面影がありません。

無賃乗車とみなされても不思議はありませんが、車掌さんも駅長さんもみんな良い人ばかりです。

十国峠

撮影隊と出会ったところ。

東京俯瞰

0:18
右へのパンで街の様子が映し出されます。

まだ外堀があった頃の数寄屋橋。
正面の大きなビルは旧数寄屋橋阪急。
最後に泰明小学校。

カメラ位置はその北側のニュートーキヨーのビルのあたりですが、現在のビルのひとつ前の建物でしょうか。
ニュートーキヨーのサイトによると昔は地上5階建てだったそうで(オープンは昭和12年6月9日)、その上から撮ったものと思われます。
1957年には現在の形に建て替えられています(地上9階、地下1階建)。
同じ眺めを得るなら、手っ取り早くは名物の屋上ビアガーデンから……と言いたいところですが、残念ながらこの春(2015年)でビルは再開発のため解体、数寄屋橋からニュートーキヨーが消えることになります。
1階ビアホールは、上に入っていた東宝系の映画館ともどもお世話になりましたが、これでお別れと思うと残念です。閉店前に一度行ってみようかなと思っている次第。

余談ですが、読みは「ニュートーキョー」なれど文字としては「ニュートーキヨー」です。
「キヤノン」みたいなもんでしょうか(違うか……)

都心に向う移動中の車から一人称的目線でとらえられる橋。
隅田川に架かる厩橋(うまやばし)Wで、道は春日通り。

橋を渡りながら右を向いた時に目立っていたのは松屋浅草店のビル。

「神田」

撮影隊と別れたところ。
バスが曲がった角は、背景に靖国神社の鳥居が見えます。

(※20/3/8 この部分に記載したマップ情報、誤りにつき削除)

その後監督の車に寄って別れの挨拶をするのは別の場所と思われますが、調査中。

※20/3/8追記
コメント欄で田沼久太郎さんから情報を寄せていただきました(2020年3月6日 23:56)。

まずバスから降りたところですが、直前の背景に九段下ビルが映っていますので、九段下交差点ではなく、その東側、俎(まないた)橋の手前(東南)の角でした。

監督の車と別れたのは、800mほど東へワープして駿河台下交差点の南側(千代田通り)。交差点の向こうに見えるのは明治大学。

これでスッキリです♪
ありがとうございました。

友達の店を探して

0:19
映画の中では説明されていませんが、「神田」で降りているので、おそらくはそのあたりという設定でしょうか。
実際にはお店を探すくだりは横浜で撮影されています。

聘珍樓

2人がキョロキョロしながら歩いているショットで、背景に「聘珍樓」が見えます。
横浜中華街の聘珍樓だとすると、場所はこちら(本通り)で現在はこういった姿。

同店のサイトで昔の画像がありました。

横浜開港資料館のこちら↓の画像は「聘珍樓」という看板こそ見えませんが、こちら↑とほぼ同じ場所です。

「中華街」の撮影当時の日本側の呼称は「南京街」。

友達の店?

2人が入っていったのは、まるで旅館か和風ホテルのような立派な構えの店。
入口や中に「平安樓」と書かれてあります。
その姿とアングルは、横浜開港資料館のサイトのこちら↓のページにある画像(図3)と同じです。

「1935年頃の中華街大通り」とあり、さらに「右手手前の建物は、横浜大空襲をくぐりぬけ、数年前まで、中華街の人口に立っていた加賀ビルである。1932年建造で、当時としてはモダンなタイル貼りである。」(館報「開港のひろば」2009年7月29日発行)とありますので、場所が判明。
中華街大通りの端で、現在善隣門が立っているところですね(門に向って左側がお店があったところ)。
マップでの具体的な位置はこちら。

この門の右側にあったビル(上記文章では「加賀ビル」)はなんとなく覚えていますが、まさか「横浜大空襲をくぐりぬけ」ていたとは知りませんでした。
写真撮っておけば良かった……

安楽園

上記店を写す際に左へパンした一瞬、角の電柱の広告に「安楽園」とあるのが見えますが、やはり中華街本通りにあった店。
善隣門から60mほど中へ進んだ右手。
現在は建て替えられて「横浜博覧館」というお土産屋さんになっています。

中に入ると階段部分に安楽園の昔の写真が飾られていますので、中華街にいらした時はどうぞ。

ベンチ

0:24
店を出た後2人が腰を降ろす高台のベンチ。
その前に山手の外人墓地の前を歩いています。
ベンチがあったのはおそらく貝殻坂を上ったところ。

「尋人」

0:29
一緒に雨宿りしたサンドイッチマンからアドバイスを得て、尋ね人の広告をぶら下げて歩くことにした2人。

「浅草」

最初に練り歩くのは、浅草六区。
後ろは松竹の映画館でしょうか、『愛染かつら』の看板が見えます。
厳密な場所はわかりませんでした。

記者の取材

背後に「室町千疋屋」が見えます。
おそらく千疋屋総本店。
現在は日本橋三井タワーの1階に入っています。

新聞スタンド

お茶の水の聖橋。

時計塔

サイレンとともに映し出される時計塔。

市政会館(日比谷公会堂)W

「日比谷」

歯ブラシ会社の社屋屋上。
李香蘭の歌が流れる中、左へパンして日比谷のビル街を捉えます。らいらいらい~♪

カメラが止まったとき、李香蘭の左下で歌を聴いている2人の女性の頭に隠れているのが、昔の帝国ホテル。
ついでに、そのすぐ後ろの円蓋を持った建物は愛国生命で、現在の日生劇場の位置。
円蓋の後ろの白い建物はお濠端の第一生命。

なので位置関係を逆算すると、この屋上は上述市政会館の向かいにあったこちらのビルと思われます。

富国館W

同ビルは1977年解体、現在は富国生命ビルが建っています。
マップや空撮はこちら↓ 

同じショット、パンの途中で大きく写り、カメラが止まったとき李香蘭の背中のあたりにあるのが、日本勧業銀行本店(当時)。
現在のみずほ銀行内幸町本部ビル。

「柳橋」

このあたり、ほとんど当時の面影はありません。

篠塚稲荷神社

「日本橋」

0:44
宣伝マンとしての初仕事。
歩く2人の後ろにライオンが見えるので、日本橋三越本店前ですね。

そのまま道路を渡り、三井本館Wの手前で宣伝活動開始。

前掲千疋屋のちょっと手前です。

日劇

0:48

そういえば日劇ダンシングチームが華麗な踊りを披露するところも『隠し砦』と共通していますね 😉

「隅田川」

1:02
言問橋の北側、隅田公園のこのあたり。

資料

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山口淑子(李香蘭)関連作

更新履歴

  • 2020/03/08 「神田」修正・追記
  • 2015/03/21 「関連記事」項目追加
  • 2015/02/07 新規アップ

コメント

  1. 林楽青 より:

    始めまして、林楽青(りんらくせい)と申します。現在は東亜大学大学院博士後期課程在学中です。満洲映画について研究しております。映画『東遊記』を研究テクストとして内容分析する時、『居ながらシネマ』のサイトの内容が大変いい参考です。ありがとうございます。貴サイトの内容を論文の参考内容として引用させていただきたいですが、よろしいでしょうか。ご検討のうえ、ご返事いただければ幸いです。こちらのメールアドレスは dalian00051@yahoo.co.jp です。

  2. 居ながらシネマ より:

    林楽青さん、コメントありがとうございます。
    専門に研究されている方からご連絡いただき、恐縮しております。
    引用もちろん了解です。
    メールを送付させていただきましたので、ご覧いただければ幸いです。

  3. 田沼久太郎 より:

    はじめまして。麻布田能久の田沼久太郎と申します。
    「神田」とスーパーにある場所ですが、バックに今はなき九段下ビルが見えますので、スーパー自体が間違いだと思います。その後すぐ、書かれてる通り九段下交差点で撮影隊のバスと別れますね。

    監督の車と別れたのは駿河台交差点の南側(千代田通り)と思います。奥に明治大学が見えます。

  4. 居ながらシネマ より:

    麻布田能久の田沼久太郎さん、いらっしゃいませ、コメントありがとうございます(ステキなハンドルネームですね 🙂 )。
    今録画したもので確かめてみましたが、確かにバスの真後ろは九段下ビルですね。最後の頃ネットがかぶせられていたのを思い出しました。
    ということは私間違えていました orz…
    バスが停まったのは、九段下交差点ではなく、その手前、今は上に首都高が架かっている俎橋の南東側ですね。次のカットの、バスから降りるのも同じ場所でした。
    「神田」については、この橋までは当時は神田区なのであながち間違えではなく、ただその先の九段は別なので、ややこしいあたりですね。

    それから、監督の車と別れたのは、なるほど仰るあたりですね。
    奥に見えているのが駿河台下交差点、さらにその向こうに明治大学ということですね。
    お見事です 😀  おかげさまで、スッキリしました。
    これら2箇所、後ほど記事に反映させていただきます。
    ありがとうございました!

  5. 田沼久太郎 より:

    管理人殿
    早速のお返事、ありがとうございます。

    「神田」確かにそうですね。神田神保町もすぐ隣ですし、当時の神田区の広さが分かります。

    バスを降りた場所は俎板橋ですか。ありがとうございます。でも首都高も高層ビルも無いと、靖国神社の鳥居がすごく大きく見えますね。当時の東京のストリートビューがあるといいですね。1日中見ちゃいます

  6. 居ながらシネマ より:

    田沼久太郎さん、記事に反映させていただきました。
    九段下ビルに気づかれたのは本当にナイスでして、そこからワンカットで向かいの角にバスは停まりますので、場所はここで正解と思われます。

    > 当時の東京のストリートビューがあるといいですね。1日中見ちゃいます

    そうですよね。昔の空撮だけでも面白すぎますが、SVまで体験できたらパソコンの前でそのまま干からびてしまいそうです 😆

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