目次
作品メモ
ちょっと前、ちょっと前の日本で撮影された外国映画をまとめてチェックしていましたが、さらに昔の日本映画にチャレンジ。
昭和7年公開、小津安二郎監督のサイレント映画。
意外にも大きく動くカメラワークもあり、ギャグも冴え、昭和初期の子供たちの魅力もたっぷり。個人的には好きな映画です。
最初に観たのが(&録画できたのが)10年ほど前のNHK-BS放送版で、それなりに画質は良かったのですが、最近やはりNHKのBSプレミアムでHD放送され解像度感もあったので、エントリーを作ってみました。
出演は、父親斎藤達雄、母親吉川満子、長男菅原秀雄、次男突貫小僧(青木富夫)。
おなじみ突貫小僧をはじめとする子供たちの好演はもちろんですが、サラリーマンとして父親としていろいろ大変な斎藤達雄さんの姿や、家族を見守る吉川満子さんの穏やかな表情も素晴らしく、そんなお二人が出てくるだけで、ポッと心温まるものがあったりするのでした。
ロケ地
1両編制のかわいらしい電車がしょっちゅうトコトコ走っているところが主な舞台です。
思わず「じぇじぇ! 『あまちゃん』?」と連想してしまいますが、れっきとした東京郊外という設定。
よく見ると、ところどころに「矢口町」と書かれた標識が立っています。
松竹蒲田撮影所Wがあった現在の大田区に矢口という地名がありますのでそこではないかと推測されますが、「字」がついている頃の話ですから、現在の「矢口町」とは必ずしも一致しないはず。
国際日本文化研究センターの所蔵地図データベースで、ちょうど昭和7年の東京近郊地圖 ; 郡分町村地番入圖なるものをチェックすることができました。
それによると当時の「矢口町」は、現在の池上線の南側全体という広い範囲にわたっていたことがわかります。
とにかくこれで場所は絞れました。
小津映画ですから、熱心なファンの方がロケ地を細かく解明しているサイトがきっとあるかと思いますが、例によって画面とのにらめっことウェブマップだけでチェックしていきました。
答え合わせはしていませんので、間違えていたらごめんなさい、間違いのご指摘大歓迎です。
専務宅
0:07頃。
テニスコートがあるのでびっくり。
『麗しのサブリナ』のララビー邸まではいかないとしても、相当な豪邸に見えます。
さすがにどこだかわかりません……
車両基地
0:10頃。
車両基地のそばにある野原で子供たちが遊びます。
おそらく蒲田駅近くのこちら。つまり後述の私鉄ではなく省線(現在のJR)のもの。
– goo地図・昭和22年
– Google Maps
– 国土変遷アーカイブ 1936/06/11(200dpiでご覧ください)
– 地理院地図・電子国土WEB(1945-50) ……◀22/5/30 追記
この車両基地は『砂の器』の現場ですね。
自宅
0:13頃、他何度か。
線路際にある、白い柵と木戸がお洒落なお家。
鉄道については後述。
逆光なので線路の北側でしょうか。
手掛かりは今のところこれだけ。引き続き調査中。
通勤&通学
0:17頃。
自宅前の道という想定でしょうか。
親子が一緒に家を出ると、行く手を1両編成の電車が少し斜めに横切ります。踏切はありませんが、道路はそのまま線路を横切っているようです。
先に行った仲間は線路の手前で左折。
光は右手から。
手掛かりは今のところこれだけ。引き続き調査中。
踏切
0:17頃、上記のショットの直後。
大きくカーブした線路沿いの道を行ったところにある踏切。
0:35頃には列車がすれ違うという鉄ちゃん大喜び的映像も見られます。他に 1:26頃。
- 日差しからみて、線路は南側にふくらんでカーブしている。
- 線路の南側に道路が沿っている。
旧「矢口町」のエリアで線路が大きくカーブしている箇所はいくつかありますが、そうした状態がはっきり確認できるのはここくらいです。
– goo地図・昭和22年
– Google Maps(45°)
– 国土変遷アーカイブ 1936/06/11(200dpiでご覧ください)
– 地理院地図・電子国土Web(1945-50) ……※15/12/16追記
現在のSVで踏切手前から向こうをみた景色(※15/12/16 SV更新)。
逆向き。映画の中では0:35頃にこのアングルが見られます(※15/12/16 SV更新)。
このように道路の構成や曲がり方は、(後年できた環状8号線を除くと)現在でも同様であることが確認できます。
ただ、映画では向こう側に火の見櫓が見えますが、goo地図では確認できません。まあ戦争挟んでいますから……。
線路に関しては現在とちょっと違いが。
通過した電車は蒲田駅方面へ(東)ほぼまっすぐ走って行くはずですが、映画では右の方へ曲がっていきます。
ここではなかったのかと一瞬がっかりしましたが、goo地図・昭和22年を見るとその先(東側)線路が分岐しているのが確認できます。
まっすぐ伸びているのが現在の線路で、曲がっていくのが以前の線路。
以前の線路はすでに取り外しが進んでいるようで、昭和38年の空撮(goo地図・昭和38年)ではもちろん姿形はありません。
というわけで線路の構成とも矛盾しないので、おそらくこの場所なのではないでしょうか。
鉄道名としては、現在は東京急行電鉄の多摩川線、蒲田駅と矢口渡駅の間。
昭和7年当時は、目黒蒲田電鉄Wの目蒲線W。蒲田駅と矢口渡の間に道塚駅という駅があったようですので、「道塚駅と矢口渡駅の間」という表現となるかと思います。
なおgoo地図・昭和22年では3両編成の列車を確認できます。いつ頃まで1両で走っていたのでしょうね。 🙂
小学校
0:18頃。
道路との間に用水が流れ、道のすぐ向こうには鉄道が走っていますが、線路は斜めに交わっているようです。
日差しから見て、学校は線路の南側。
そんな条件にいちばん当てはまるのがこちらの小学校。
- goo地図・昭和22年
国土変遷アーカイブ 1936/06/11(200dpiでご覧ください)- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス B7-C3-90(1936/06/11)
- 同・画像直リンク
- 地理院地図・電子国土Web(1945-50) ……※15/12/16追記
確証はありませんが、ここではないかと思われます。いかがでしょう??
参考までに、現在はこんな感じ。
松竹蒲田撮影所(参考)
この映画の撮影当時は、蒲田駅近くに松竹蒲田撮影所Wがありました。
トーキー時代になり、1936年大船に移転。
跡地は高砂香料工業株式会社の香料工場となりましたが、現在は日本生命の「ニッセイアロマスクエア」と大田区民ホール「アプリコ」が建っています。
昔の空撮ではここ↓ですが、この時代はすでに香料工場となっています。
- 地理院地図・電子国土WEB(1945-50) ……◀22/5/30 追記
こちら↓は移転した年。
国土変遷アーカイブ 1936/06/11(200dpiでご覧ください)- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス B7-C2-59(1936/06/11)
- 同・画像直リンク
現在同地を訪れても撮影所があった痕跡はわずかしか残されていません。
蒲田に撮影所があったことが一番身近に感じられるのは、「蒲田行進曲」ではないでしょうか。
……それも撮影所の所歌としてではなく、映画『蒲田行進曲』のタイトルとテーマ曲として。
JR蒲田駅の発車メロディーがこの曲となっていますが、これを聞いてあわてて階段をかけおりると、リアル階段落ちになりますので気をつけませう。
※2014/11/16追記
大田区民ホール「アプリコ」の地下に撮影所のジオラマがありました。
ロケ地マップ
※2013/7/15追記
より大きな地図で 小津安二郎監督作品 を表示
資料
関連記事
小津安二郎
更新履歴
- 2022/05/30 マップデータ更新
- 2015/12/17 各項目でストリートビュー更新、電子国土Web情報追記
- 2014/11/16 国土変遷アーカイブのシステム変更に伴い、「小学校」「松竹蒲田撮影所(参考)」のマップを修正
コメント
我が愛する日本映画が「ニッポン無責任時代」と2本続けてアップされたので感激です。特に古地図は大変貴重です。
さすが戦前物は疲れますが、小津の戦後作品は是非ともinagara様にアップしていただきたいと思います。小津の熱狂的ファンでも、これほどロケ地だけに執着している人はいません。団塊世代が大量に定年を迎え、昔見た懐かしい映画をこのサイトを頼りにロケ地巡りする人が多く出るかもしれません。外国へ行くのは無理だとしても日本なら簡単に行けるので、是非古い日本映画のロケ地をアップしてください。小津の描いた東京、鎌倉、伊豆、京都などはまだ残っていると思いますよ。
赤松幸吉さん、おひさしぶりです。
コメントありがとうございました。
日本映画は避けているわけではないのですが(いちばん映画を見ていた学生時代は、半分くらいは日本映画見ていました。それもリアルタイムの作品より、名画座やフィルムセンターで昔の映画を見るのが好きでした)、やはりロケ地案内となると、できるだけ行ったことのない場所をウェブマップで見つけて楽しもうというのと、万が一国内のプライベートな物件を紹介して住人の方に迷惑かけたらまずいかも、というのがありまして、外国映画に偏ってしまったかもしれません。
でもこんなサイトでも参考にしていただければとてもはげみになりますので、日本映画も少しずつとりあげてみたいと思っています。
電柱広告に「伊藤産婆」が映ります
戦前は蒲田区原町、現在は大田区多摩川2丁目に「伊藤産婆」は実在していました
そこの長男と私は同級生でした
小学校は矢口小学校
都築保二さん、コメントありがとうございます。
手持ちがあまり良い画質ではないのですが、「伊藤産婆」の広告は36分頃の踏切近くの場面でしょうか(早送りで探してみました)。
実在のもので、しかもそちらのご長男と同級生でいらしたとは、なんともびっくりです。
小学校は矢口小学校で正解でしょうか。昔の校舎の画像などが残っていて照合できればいちばん良いのですが。
この記事を書いた2ヶ月ほど後に『お早よう』の記事を書きましたが、近い場所だったので調べていてとても楽しかったです。
http://inagara.octsky.net/ohayou
先週大学の講義で小津作品を観る回がありまして、こちらの作品を観ました。私が産まれる何十年も前の作品ですが、現代に通ずるメッセージがあるなぁと感じております。これを機にサイレント作品をもっと観てみようと思いました。
昔の名残が残っている場所が好きなのでふと、このロケ地の現在を検索してみたところこちらへ辿り着きました。とても細かく調査がなされていて楽しく読ませていただきました!ありがとうございます。機会があればゆっくり、ロケ地辺りを歩いてみたいです。
通りすがり大学生さん、コメントありがとうございます。
小津監督作品を見る講義って受けてみたい気がします 🙂
昔の映画を見ると、これがどこで今はどうなっているのかふと気になることがありますよね。特に日本は変化が激しいので撮影地がすぐにはわからず、このエントリーのように古いマップを使って初めて判明することもあります。
そんな探索自体を楽しみながら続けている変なサイトですが、何かのお役に立てるのでしたら大変うれしいです。ありがとうございました!