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『少年』 (1969)

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わたしはアンドロメダ星雲から
地球を救うためにやってきた宇宙人だ

作品メモ

一つ前のエントリー『いつかどこかで』に続けてもうひとつ割り込み。
最近『旅の重さ』『愛と希望の街』のコメント欄でこの映画のタイトルがあげられたため、急遽アップ致します。 このあとホントにタヴィアーニ兄弟かシチリアを舞台にした映画に戻る予定……

子供を使った当たり屋夫婦という実在した事件を描いた大島渚監督の代表作。

当たり屋と言えば、何年か前、ドライブレコーダーに記録された某国の碰瓷(pèng cí 当たり屋)の珍妙な動画がネットに次々アップされ、まるでコントのような動きに思わず笑ってしまいましたが、こちらはなにせ子供を使っているのですから全然笑い事ではありません。
いくら荒ぶる昭和の時代とはいえ、事件が明るみになった時の衝撃はなかなかのものだったと思われますが、それをいかにも大島監督らしい知性と感性で再構成して見せています。
社会派ドラマではありますが、モノトーンの映像とカラーを組み合わせたり、小津監督の赤いアイテムのように随所に日の丸を配置するなど、映像だけでも見応えたっぷり。監督の個性がしっかり出ています。
同じように実話をもとにした是枝監督の『誰も知らない』あたりと比べると、面白いかもしれませんね。

監督大島渚、脚本田村孟、撮影吉岡康弘・仙元誠三、音楽林光。
日本アートシアターギルドと大島監督の独立プロ創造社の提携作品。

キャスト

「父」の渡辺文雄さんと「母」の小山明子さんは実に好演。
小山さんはこうして見ると、大島監督とお似合いのお二人だったのだなあと改めて感じます。最近とりあげてきた、新藤兼人監督と乙羽信子さん、篠田正浩監督と岩下志麻さんと同様、映画人同士の理想のご夫婦でしょうか。
また渡辺さんはこの役のように「一見ふつうのおじさん、実は狂気にも似た黒々としたエネルギーを貯めていて……」的なキャラを演じると本当に生き生きとしますね。

「少年」の阿部哲夫さんも好演ですが、映画出演はこれ1本。
『愛と希望の街』のコメント欄でBill McCrearyさんから情報を寄せていただきましたが、今年公の場に姿を現わされたとのこと。
Bill McCrearyさんご自身のブログ記事の他、映画サイトの記事もご紹介いただきましたので、ぜひ御覧ください。

「少年」の弟(異母弟)の「チビ」に木下剛志さん。
「アンドロメダ星人」と言おうとして「あんじょろめら」となるのがたまらなく愛おしいです。
そういえばこの方はその後どうされたのでしょう?? どこかで読んだ記憶もあるのですが、すっかり忘れています。

▼21/6/13 追記
コメント欄でBill McCrearyさんからキャスト情報を寄せていただきました。
貴重な情報ですね。
ありがとうございました 😃

Bill McCrearyさん (コメント欄 2021年6月10日 23:16)
この映画が公開された時に発行された『アートシアター69 少年』が手元にありまして、いろいろ情報が書かれています。キャストも、映画では父、母、少年、チビしか出ていませんが、映画で台詞のある人はみな掲載されていますので、これも現在では非常に興味深いですね。

ウェイトレスさんが、まさに土電会館デパート勤務と記されていますので、それで間違いなさそうです。
(略)
駅員は、城崎駅で実際に勤務していた国鉄職員ですので、少なくともそこの部分は、城崎駅かと思われます。
ほかにも旅館の女将や女中さんは、本物の人ですし、北九州や小樽の子どもは地元の子どもたちだし、大島監督の学友や助監督、撮影監督、録音などのスタッフの方々が参加しているし、高崎の医者は当時国立高崎病院で外科医長をやっていた小山明子の兄だったり、倉敷の医者や城崎の芸者なども本物だったり、すごい態勢です。
松江の運転手が撮影の仙元氏、護送の刑事が録音の西崎氏、高崎の運転手が、助監督で『絞死刑』の尹隆道氏です。
(略)
(木下剛志さんは)スタッフ(進行)の木下俊美氏の息子さんで、山田洋次監督の『家族』にも出演しています。たぶん山田監督がライバルの大島監督に影響を受けて、それで木下さんを起用したのかも・・・と勝手に考えています。素人俳優を使ったあたりも意識しているのだと思います。数年前、木下俊美様と連絡を取ることができました。

ロケ地

日本映画では珍しく、IMDbにリストがありました。

Akita, Japan
Ehime, Japan
Fukui, Japan
Hokkaido, Japan
Hyogo, Japan
Kitakyûshû City, Fukuoka, Japan
Kochi, Japan
Kurashiki, Okayama, Japan
Takasaki, Gunma, Japan
Yamagata, Japan

役に立つんだか立たないんだか微妙なところですが……
他に、日本語版Wikipediaでも都市名がずらりと列記されています。
でも映像をじっくり見ればだいたい把握できそうでしたので、今回は参考資料一切なしでチャレンジ 😊

例によって、ウェブマップを頼りに画面とにらめっこでチェックしています。
間違えていたらごめんなさい。誤りのご指摘大歓迎です。

クレジットでは城崎温泉の名前だけがありますが、IMDbやWikipediaのリストを見るまでもなく、全国各地を巡るロードムービーとなっています。
こういう映画は次々移動するので撮影場所を探すのがとても楽しいですが、目が疲れてきたのでこのあたりでいったんアップ。
けっこう網羅したつもりですが、きっと漏れも色々あると思います。
どうぞコメント欄でご遠慮無く突っ込んでください。

高知県

OP街道

0:01
少年がカメラに向かって歩いてくる交通量の多い街道。
日差しは右からなので、道路は東西、あるいは通勤時間帯と考えれば北に延びているように見えます。
路面電車が走っていることと背景の山の稜線を合わせると、マップで「桟橋通り」とあるあたりではないかと思うのですが、いかがでしょう?

▼21/6/13 追記
コメント欄でイノシシさんと高岡タケシさんから情報を寄せていただきました。
改めて映像とマップを参照してみましたが、桟橋通りは間違いですね。テキトー書いてすみません 😓
旭町1丁目~2丁目の直線部分が正解と思われますが、みなさんおっしゃるとおり、石屋さんが見つかれば決定的でしょうか。

とりあえずマップは、

イノシシさん (コメント欄 2021年6月9日 21:15)
桟橋通りは恐らくこの時代でも道幅が今と変わらないぐらい広かったと思います。
映画に登場するのはもっと道幅が狭く、電柱も居並んでいますので、恐らく私の見立てでは旭町1丁目辺りと思うのですが、確証はありません。
この辺はこの20年で大きく変わってしまいました。

イノシシさんから現地の画像も送っていただきました。
メールに書いていただいたご説明も転記させていただきます。

イノシシさん (メール)
当時の建物と合致するものを何ら見つけ出せていないのでまったく確証ありませんが、道路幅や日の向きから考えて高知市旭町一丁目辺りかと思います。映画のシーンをよく見ると、道路の奥の方に高知城らしきものが写っているような気がします。現在はビルが増えたためこの位置からは高知城は見えません。高知市上町5丁目から東は戦災で街が焼け、それを機に道路を拡張したので上町5丁目より西側のどこかのポイントで高知城が奥にある場所と思います。緑オレンジの電車が写っている写真がそれに近いかなと思うのですが…。石屋を割り出したいですね。

▼21/6/20 追記
まず石材屋さんについて、コメント欄で高岡タケシさんとイノシシさんが見事に解決されました。

高岡タケシさん (コメント欄 2021年6月11日 18:27)
旭町ですと 桃井電気さんの東隣に川崎石材と言う石材店があった様ですが……
イノシシさん (コメント欄 2021年6月13日 23:20)
きょう現地で確認してきました。
高知市旭町2丁目の桃井電機の東隣の空き地が映画に登場する石材店で間違いないとのこと。
空き地にの東隣の「のまち理容」のご主人と奥さんに映像を確認してもらいました。
左端で忙しく働いているのが「大将」だそうです。川崎石材は歩道ギリギリまで作業場となっており、切り出された石を運び込む際に歩道を傷めてしまい、苦情を言われることもあったとか。

ということで、マップではこちら↓

画像も送っていただきました。

少年が歩いてくるショットについては、イノシシさんが詳細に解明されました。

イノシシさん (コメント欄 2021年6月18日 20:41)
クリアな画像で見ると画面左端の見切れに写る「半円」には「駅前」「のりば」とあります。これはバス停だと思われます。
電車通りに面した「駅前のりば」は、「旭駅前」か「朝倉駅前」「伊野駅前」ぐらいかと思いますが、風景が似ているのは断然旭駅前です。ちなみにこのバス停は現在は「旭駅前通り」という名称です。当時は県交通と土佐電バスの2つの会社がバスを運行していたので県交通と土佐電鉄の統合前は「旭駅前」という停留所もあったかも知れません。さらに通過する電車の行き先は「知寄町」とあり、この路線が南北ではなく、東西であることを示します。当時は知寄町に土佐電鉄の車庫があり、知寄町を終点とする電車が運行されていたはずです。

さらに決定的なのはバス停のそばの外灯です。映画の画面の左側に写る外灯と同じ形で、写りこむコンクリート塀は「四国銀行旭支店」だと考えられます。2012年のSVとは位置関係が違っていますがその理由は分かりません。

(コメント欄 2021年6月18日 20:41)
さらに1979年の住宅地図を入手しました。
この地図と見比べると、「ソリッドステートトリオ」と書かれた車が入っていく場所には英弘高知店があります。英弘は後のエイコー電器で現在はヤマダ電機に買収されています。「ソリッドステートトリオ」は英弘電器の商用車である可能性が高いです。

さらに映画の画面に映る少年の頭上のヒマワリのようなもの。良く見ると「菊水」の看板です。高知の人なら菊水のマーク、分かると思います。地図を見るとこの場所には「西元酒店」があります。

そしてこの場所の少し東側、そこに映画の2カット目「石屋=川崎石材店」があります。「石屋」のカットは今も現存する隣ののまち理容のご主人と奥さんに「川崎石材店」で間違いないとお墨付きを貰っており、疑う余地はありません。

2021年現在は四国銀行旭支店も建て直され、近くにあったブックストア旭もぱる美容室ももうありません。ですが2012年のSVで1968年当時の映画の場面を再現すると下のリンクのような感じになると思います。

https://www.google.com/maps/@33.5560496,133.5096841,3a,15y,79.16h,90.79t/data=!3m6!1e1!3m4!1sf_BqqyMuPbY8roHxF_KGVA!2e0!7i13312!8i6656

旭駅前通にカメラを置いてズームして撮影したと思います。映画のときに写りこんでいた遠くの山も高知城もビルの陰になって今は見えなくなっています。

(コメント欄 2021年6月18日 20:57)
さらに画面の右端には「ナショナル」の看板もあります。1979年の地図を見るとこの場所には「弘田電器」。2021年現在もこの場所にはナショナル=パナソニックの店「ヒロタデンキ」があります。

マップ情報をまとめますと↓

以前のSVで四国銀行を確認できるのはありがたいですね。
現在はその左側に移転していて、以前の場所は同銀行の駐車場になっています。
映画では手前から2つめのコンクリート塀のところに電柱が立っていますが、これは横断歩道から数えて3本目。
現在も四国銀行の駐車場とヤマダ電機の境に3本目の電柱が立っていますので、ここらへんも確証材料かと。

住宅地図も送付いただきました。
少し加工の上アップ致します。

位置関係をGoogleスライドでまとめてみました。

あと気になるのは、道路の彼方に見える赤いビルですが、こちらもイノシシさんが解明されました。

イノシシさん (コメント欄 2021年6月19日 00:32)
正面の赤い建物は地元の人の話だと「高知主婦の店」。のちのサンシャインチェーンだそうです。この建物は1975年に取り壊され、オーマートというスーパーのビルに建て替えられましたが、1984年にサンプラザ上町店となり、サンプラザは2021年1月に閉店し現在そのビルを取り壊し中です。

(コメント欄 2021年6月19日 20:36)
赤い建物「高知主婦の店」の写真を上町の友人が見せてくれました。場所はサンプラザ上町店と同じ場所で1975年に取り壊されてオーマート(後にサンプラザ上町店)に建て替えられました。写真で見たのは一階部分ですが確かに外壁は全面赤く塗られていました。この「高知主婦の店」はこのあと高知市本丁筋にあった城西振興市場(通称「闇市」)の西側に移転し、2008年まで「サンシャイン井口」として営業していました。
なお城西振興市場は2000年ごろに「戦後から続く不法占拠」の状態を解消するため、市によって立ち退きが命じられ、現在はただの市道になっています。サンシャイン井口の跡地もその後住宅地となったほか、「赤いビル」の跡地で営業していたサンプラザ上町店も2021年1月に閉店。2021年6月現在取り壊しが進んでおり、上町5丁目辺りにあった賑やかな商業地の雰囲気はまったく失われてしまいまいました。

マップではこの位置ですね。

こちら↓の画像をトリミングしてみました。右側3分の1ぐらいのところに見える赤い建物でしょうか?

国土地理院の空中写真をトリミング
(CC BY-SA-3.0)

▼22/1/10 追記
イノシシさんからメールで現地の写真を送っていただきました。
映画のアングルがうまく再現されていますね 🙂

メールの内容を転載させていただきます。詳細な情報ありがとうございました。

イノシシさん 撮影地は高知市旭町2丁目51−3 先の路上、四国銀行旭町支店前から東を望んだ風景です。
やはり乾燥した冬場であれば遠くに山の稜線を確認することができました。
スマホで撮影したのでズームに限界があり、映画とほぼ同フレームサイズにトリミングをしましたので、画質は荒いです。

パチンコ店のDIVOがなければ、映画のような稜線がもっと見えたと思います。
DIVOがあった場所は、昭和62年ごろまでは「名画座」という映画館でした。
「ソリッドステートトリオ」の車が入っていく道路左側には、英弘電器⇒ベスト電器を経て、現在はヤマダ電機高知旭店、「ナショナル」の看板がある道路右側には、現在もナショナルパナソニックの店「ヒロタデンキ旭店」があります。
この電車通りは現在も軌道敷内通行可の場所で当時の面影が残っています。
お地蔵さん

よさこい節を歌いながらひとりでかくれんぼをするところ。
なんと呼べば良いのかわかりませんが、お地蔵さんと言いますか、石仏が小山のようになっていてインパクトあります。
よく見ると背景は遊具や街灯のある公園らしきところ、さらにその向こうに土手らしきものが見え、単車のようなものが右へ走っていきます。
土手はおそらく対岸のもの。日差しは夕方に見えますので、東西に伸びる川の南側にある公園ということになります。
対岸には住宅が並び、その向こうは山がはっきり稜線を見せていて、さらに右手にはこんもり茂った森か小山が見えます。

まず山の稜線から、おそらく久万川の南側(右岸)からの眺めのようですし、さらに右手手前に小山がいい感じで入ってくる場所となると、現在「吉田公園」となっているあたりのように思われます(町名としては愛宕町)。

ただし昔の空撮画像ではそれらしきものを確認できません。

ご参考までに、当該地域の空撮画像をDLできるリンクを示します。60年代末の画像があれば確認しやすいのですが、残念なからありません。

▼21/6/13 追記
コメント欄でイノシシさんから情報を寄せていただきました。

イノシシさん (コメント欄 2021年6月9日 21:15)
これは私も同意します。吉田公園でしょう。
このような無縁墓を集めた供養塔は現代ではあまりないですが、市街地が戦後北に広がるにつれ、点在していた無縁墓をここに集めて地蔵を乗っけたと思います。
映画ではその周りに遊具があり、供養塔と公園が一緒になっているのは面白い。
あらためて現地の写真を送ります。

ということで送ってくださったのが以下の画像です。
メールに書いていただいたご説明も転記させていただきます。ありがとうございました。

イノシシさん (メール)
この印象的な無縁墓の供養塔は現在の高知市には見ることはできません。ただ後ろの山並みから察するに高知市愛宕町(吉田町)の吉田公園だろうと推測できます。左側の奥にこんもり見える森は愛宕山で間違いないでしょう。公園の後ろ(北側)には久万川が流れており、現在は堤防もかさ上げされていて映画のように山並みを見ることができません。供養塔があった場所は現在もこんもりと盛り上がっており、ベンチが置かれ、子供たちの遊び場所になっています。移設された地蔵を見つけることはできませんでした。
神社

夜、縁日で賑わう神社。
手がかりがほとんどなくこれは無理。

▼21/6/13 追記
コメント欄でイノシシさんから情報を寄せていただきました。

イノシシさん (コメント欄 2021年6月9日 21:15)
他のサイトで「朝倉神社」とありましたが朝倉神社ではありません。
高知市近辺でしょうから時間をかけて調べてみると分かると思います。
旅館街

家族が出てきて小川沿いに進むところ。
高知市玉水町。建物は数軒残っているようですね。

▼21/6/13 追記
コメント欄とメールでイノシシさんから情報を寄せていただきました。
メールで画像も添付いただきましたので、説明文とあわせてそのまま転記させていただきます。

イノシシさん (メール)
有名な赤線地帯の高知市玉水町。近年急速に旅館街は取り壊しが進んでいますが映画の中に登場する雰囲気は残されています。 現在は水路側の木が茂りすぎて同じアングルからだと建物がはっきり写せません。添付した写真は映画より少し東側から映しています。 小山明子の後ろに映る丸い円柱型の特徴的な玄関がある建物も現存していましたが、映画のように円柱に窓がないので同じ建物かどうかは分かりません。 日の丸が印象的なシーンですが、玉水町は昭和40年代まで七夕のお祭りが有名で風情のある時代もあったそうです。

▼22/5/30 追記
コメント欄でBill McCrearyさんから情報を寄せていただきました(2022年5月25日 23:27)。
お持ちになっている『アートシアター69 少年』によれば、親子が泊まっていた旅館は「井上旅館」とのことです。
確かに出て行く時のカットで、電話番号付きで「御旅館井上」と看板が写っていますね。
この場所がその後写る旅館街のカットに含まれているかどうかは不明。
なお「この映画では、旅館の関係者は、実際に撮影した旅館の人が演じているようです」とのことです。そういう雰囲気は漂っていましたが、これで確認できました。ありがとうございました♪

当たり屋を失敗した橋

0:05

母親が失敗したところ。
背景の建物が特徴的なので場所がわかりました。
川は江ノ口(江の口)川。橋はSVで見る限り「上ノ橋」と書かれているようです。

橋の北側のたもとの1軒は現存。個人のお宅のようですからあまり追究はしませんが、とても趣のあるたたずまいです。
母親と少年が立ち止まってターゲットを選んでいたのは、そのお宅の向かい側。

少年が見つめる丁字路は、その場所からカメラ北向きでとらえた突き当り。

▼21/6/13 追記
コメント欄(2021年6月9日 21:15)とメールでイノシシさんから情報を寄せていただきました。
メールに添付いただいた画像とともに転載させていただきます。

イノシシさん (メール)
こちらは居ながらさんの探した高知市大川筋の上ノ橋で大正解です。
カメラをが置かれたと思われるのと近似した場所の建物が工事中で、写真を撮ることができました。
流れる川は高知城の外堀の江ノ口川。
特徴的な建物は手前の洋館が現存していて、後ろの建物群の場所は現在病院になっていることから、当時も病院施設として使われていたのではないかと想像します。
バスで渡る橋

0:06

後部座席を占めた家族。

▼21/6/13 追記
またもや私が大間違い 😓
イノシシさんからコメント欄とメールで正解を寄せていただきました。

イノシシさん (コメント欄 2021年6月11日 11:30)
本編を見てみると、鉄道橋と自動車橋が確かに平行してますね。予告編とは別カット?
このようなシチュエーションは高知市葛島の「葛島橋(かづらしまばし)」しかありません。
鉄道橋も自動車橋もその後架け替えが行われていますが、1962年の空中写真を見る限り、「葛島橋」で矛盾はないようです。

(コメント欄 2021年6月11日 11:51)
上記「葛島橋」のリンクはこちらです。現在は背景の知寄町は市街地となっていますが、1962年の空中写真では広大な湿地帯で、すごくびっくりしました。
https://www.google.com/maps/@33.5573636,133.5691236,3a,75y,274.6h,84.93t/data=!3m6!1e1!3m4!1sV5s5j0YQJLASvk0e1dfM9w!2e0!7i13312!8i6656

(メール)
かなり動画とにらめっこして判断しました。
やはり橋の上を通っているカットは、高知市街地から南国市へ向かう葛島橋で間違いないようです。
一生懸命見てみると、並行する電車の橋との距離は結構空いているようです。
https://www.google.com/maps/@33.5573636,133.5691236,3a,75y,249.61h,84.93t/data=!3m6!1e1!3m4!1sV5s5j0YQJLASvk0e1dfM9w!2e0!7i13312!8i6656

ということでおっしゃるとおり「葛島橋(かづらしまばし)」が正解と思われます。
お見事でした 😀 そしてまたまた私はテキトー書いてすみません 😓

昔の空撮では↓

また予告編のバスの位置もチェックしていただきました。

イノシシさん (メール)
さらに予告編とは別カットでした。
予告編に登場するのは葛島橋を南国市方面に向かった国道195号の大津甲の一条橋あたり。
後ろの山並みから判断しました。
次のシーンの後免東町での「当り屋稼業」への移動経路でありここで間違いないようです。
近くにある南国自動車学校の看板もはっきり見えます。

おっしゃるとおり、予告編(上掲)では本編とは別で、ご指摘の場所と思われます。
ダブルお見事でした 😀 😀

当たり屋(交差点)

0:06

南国バイパスの標識が立つ交差点。
母親と少年が待ち構えていたのは、 高知県南国市後免町三丁目の交差点。

母親が少年をつねるショットで、少年の顔のアップの背景はこんな↓感じ。

ここがちょうど路面電車(現・とさでん交通後免線)の駅になっています。これで場所がわかりました。

後免東町停留場(ごめんひがしまちていりゅうじょう)Wの傍

父親が待機していたのは、その向かい側(南側)。

▼21/6/13 追記
コメント欄でイノシシさんから情報を寄せていただきました。

イノシシさん (コメント欄 2021年6月9日 21:15)
これは間違いないですね。
少年と母親の2ショットの後ろに映る香南ハイヤーの車庫、つい先ごろ別の建物に建て替えられました。残念です。

さらにメールで画像と詳しい説明を寄せていただきました。

イノシシさん (メール)
バスで移動した後に母親が現金奪取に成功した 当り屋事件を起こした場所。
南国市後免町3丁目交差点 いわゆる電車通りで後免東町停留所付近です。
写真を見せて、近くのタクシー会社の運転手さんたちにこの場所で間違いないことを確認してもらいました。
昔の速度表示看板は進駐軍もとうにいないはずなのに英語表記もあるのが不思議です。

GoogleSVの方がニュアンス近いですね。
イノシシさん 小山明子と少年が獲物を狙う場所は後免東町停留所のど真ん前。
背景に写るのは香陽ハイヤーの車庫です。
香陽ハイヤーはさくらハイヤーに事業譲渡され、今年になって、作品に写っている車庫が新しいものに建て替えられました。

GoogleSVは上とカメラ位置が同じで東に向いてPANした形になります。
イノシシさん 父親とチビがそれを見守る場所は、こちら。 かつてはこの場所に電話ボックスがあったそうですが 随分前に撤去されてしまったそうです。 今は下のストリートビューの頃に比べても 周囲の建物の取り壊しがどんどん進められていて 周辺の再開発が進んでいます。
はりまや橋

再び高知市内。
最初のカットははりまや橋からカメラ西向きで遠くに高知城が見えています。
母と少年ははりまや通りの両側をそれぞれ北へ進みます。

映画の頃はまだ赤い欄干がありますね。

「はりまや橋」と言いますと、地元の方には申し訳ありませんが、どうしてもガッカリ名所という称号がつきまとっているような……。
そう言われてしまったのが、この↓復元された小さい橋のせいなのかもしれませんが……

https://www.city.kochi.kochi.jp/site/kanko/harimayabashi.html

この橋は江戸時代のものを復元してみせているだけですので、それに多くを求められても……と橋としても悔しい思いかもしれません。

ついでに、反対側(東側)には明治41年バージョンの橋が復元されています。これまた可愛らしい作りです。

両側は地下通路でつながっていて、そこではこの映画に写っていた赤い欄干も展示されているようです。

父親が居たのは、交差点の南東側、「土電会館」とあるビルの屋上。
建物は建て替えられてパチンコ店になっています。

▼21/6/13 追記
コメント欄(2021年6月9日 21:15)とメールでイノシシさんから情報を寄せていただきました。
メールで画像とともに詳しく説明してくださったので、そちらをご紹介します。

イノシシさん (メール)
少年が義母に当り屋を強制させられそうになり義母の眼鏡を割ってしまう場所。この当時は有名な朱塗りの欄干の橋でしたが1998年に当時の高知市長が「がっかり名所返上」を唱え、石の欄干の作り変えてしまいました。石の欄干は1968年当時は道路の歩道の外側にあったのですが、現在の石の欄干はそれを移設したものではなく、新しく作られたものです。当時の赤い欄干の橋は、はりまや橋下にある地下通路に一部が展示されています。

当時は浜幸と土産物店のはりま家本店の間から高知城が見えていましたが、現在はビルが増え、見ることができません。高知城が見終えれば「がっかり名所」と呼ばれることはなかったと思います。 浜幸とはりま家本店が現存するのは嬉しいですね。

さらに、少年の顔のアップのあとインサートされるアーチ広告についてもチェックしていただきました。

イノシシさん (メール)
電車通りにかかるサンヨーテレビと土佐鶴のアーチ。
このような主要道路に道路をまたぐアーチ看板が設置されるなど現代では考えられません。

アーチ看板は現在50代半ばの知人に聞くと、高知駅前にある高知橋という橋の付近にあったそうです。
下には江ノ口川が流れていて、上ノ橋より1kmぐらい下流側になります。
もちろんアーチ看板は撤去されてありません。

昔の空撮では、60年代のものでアーチを確認できました。
まさに高知橋の橋のたもと(南側)で、50年前の物件にもかかわらずお知り合いの方の記憶力、お見事でした😀
カメラアングルとしては、はりまや交差点から北向きの状態となります。

レストラン

続くトイレからの眺めとあわせると、おそらく前記「土電会館」のものではないでしょうか。
WikipediaWによると、その後1973年に西武百貨店と提携して、百貨店として再スタートを切ったようです。

▼21/6/13 追記
コメント欄でイノシシさんから「土電会館」で間違いないと確認いただき、Bill McCrearyさんからも追加情報を寄せていただきました。

Bill McCrearyさんからは上述『アートシアター69 少年』をお持ちとのことで、そちらからの情報です。

Bill McCrearyさん (コメント欄 2021年6月10日 23:16)
ウェイトレスさんが、まさに土電会館デパート勤務と記されていますので、それで間違いなさそうです。こちらにもそのようにありますね。

https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3316

https://blog.goo.ne.jp/goo5277/e/3e111a9fc0e834f901c2dfab837731e2
商店街

0:14

アーケードに「栄屋町中央商店街」とあります。
お店がどれも変わってしまっていて、ピンポイントで場所を特定するのは難しいでしょうか。

▼21/6/13 追記
コメント欄(2021年6月9日 21:15)でイノシシさんからチェックを入れていただきました。
「栄屋町商店街」ではなく「帯屋町商店街」とのことです。
続いてメールでも画像と情報を寄せていただきました。

イノシシさん (メール)
映画に登場するのは帯屋町商店街とグリーンロードが交差する中央公園北口付近。
高知市の中心商店街ですが現在も結構にぎやかです。
ですが1968年当時に比べれば今は静かだと思います。

グーグルマップSVでみるとここですね。
現在の方が採光などよく考えられているようです。
当たり屋(青空市)

青空市で賑わう通り。
棕櫚の木が並ぶ追手筋。
実際の場所の判定は難しいですが、たとえばこちら↓とか。

映画に比べて今では棕櫚の木々がだいぶ高くなっていますね。
でも50年と考えるともっと伸びていても不思議はないような……

▼21/6/13 追記
コメント欄でイノシシさんから情報を寄せていただきました。

イノシシさん (コメント欄 2021年6月9日 21:15)
これが有名な「土佐の日曜市」です。場所はこちらです。 少年が倒れた植え込みも今もそのままです。 あらためてこの日のために撮影した写真を送ります。 アングルは微妙なものが多いですけど(笑)

▼21/7/5 追記
イノシシさんから画像を提供していただきました。

イノシシさん (メール)
高知市追手筋の土佐の日曜市の現在の写真(2021年7月4日撮影)をお送りいたします。写真は午後2時30分頃に撮影したもので、すでに店じまいした店舗もあるのですが日曜市の雰囲気は経営者が変わっても50年前とほとんど変化がないのが不思議です。
少年が倒れた植え込みは映画のシーン設定に沿って撮影しましたが、別の植え込みである可能性もあります。

瀬戸内海

出港したのは予告編を見る限り新居浜のはずですが、場所は確認できませんでした。

▼21/6/13 追記
イノシシさんからメールで情報を寄せていただきました。

イノシシさん (メール)
住友が経営する別子銅山で栄えた新居浜。
かつては対岸の広島方面にも航路があったと思われる。
映画に登場するように海側から見て手前に低い山、奥に別子銅山のある四国山地の山並みがみえるのも新居浜市の特徴。
多くの航路で栄えた新居浜も、現在は新居浜~神戸間を結ぶオレンジフェリーが就航するのみ。
https://www.google.com/maps/@33.9866318,133.3314434,3a,75y,149.55h,74.78t/data=!3m6!1e1!3m4!1sk8Nmh6cTcs6STpNXkbATEQ!2e0!7i16384!8i8192

倉敷市

0:18

船上でのナレーションは「もうすぐ尾道です」でしたが、その後やってきたのは倉敷。
最初の俯瞰はこのあたり↓

  • Google Maps(SV)
  • 34.593285,133.775133  ……カメラ位置(北東向き)

次の橋のたもとを横から撮ったショットはこちら↓

3ショット目、橋とその向こうに蔵が見えるのはこちら↓

北九州市

若戸大橋

0:20

北九州市へ移動。

最初の若戸大橋Wの全景ショットは、橋を戸畑区側から捉えています。

この頃はまだ片側一車線のようですね。

橋の下

橋桁の下を少年が歩いているのは、若松区側のこのあたり↓

背後に若松区役所の昔の姿が見えます。

映画館

0:25

東映系の映画館。

『裸の島』で映画館を特定するのにとても役立ったサイト様を再び利用させていただきます。

消えた映画館の記憶
北九州市の映画館>若松区
https://hekikaicinema.memo.wiki/d/%CB%CC%B6%E5%BD%A3%BB%D4%A4%CE%B1%C7%B2%E8%B4%DB#content_1_7

それによれば、北九州市の東映系映画館はこちら↓

若松東映劇場
福岡県北九州市若松区本町3-5-5

この住所はマップでは↓

少年は映画館に沿ってジグザグに進みますが、おそらく上の電子国土Webで十字を置いた南北に通る小路がそれ。背後(北側)に映画で写っていたお社の屋根らしきものも確認できます。

松江市

松江駅

0:27

松江駅

松江城

母親が歩いていく後ろ姿。
島根県の案内板は、今でも同じ場所に立っていますね 🙂

続くお堀端の道↓

ターゲットを物色しますが、うまく見つからず。

大橋で失敗

松江大橋のたもと↓で当たり屋を試みますが、失敗。

城崎温泉(兵庫)

クレジットにある城崎温泉W

家族が歩いていく通り

▼21/6/21 項目追加

0:29

コメント欄(2021年6月20日 23:47)でイノシシさんから情報を寄せていただきました。
最初に家族が歩いていく通りは、こちら↓の北柳通り。左手奥に見える「内湯旅館なるや」はまだ現存しているようです。

宿泊した高級旅館

▼21/6/21 項目追加

こちらもコメント欄(2021年6月20日 23:47)でイノシシさんから情報を寄せていただきました。

イノシシさん 城崎温泉で一家が宿泊した高級旅館。ゆとうや旅館。Amazonプライムでは門の表札を読み取ることができました。「ゆとう屋 西村六左衛門」と読めます。公式サイトによるとゆとうや旅館は 1688(元禄元)年創業の超老舗旅館。西村六左衛門は創業者であり、当主がその名を世襲するようです。「ゆとうや=油筒屋」だそうです。
駆けていく通り

時刻表を確認した少年が駆けていくのはこちら↓の通り。

右手に見える「みよし旅館」は今でも確認できます。

少年は奥にある橋に向かって駆けていき、次のカットで(カメラが橋の反対側に移動して)こちら向きに渡ってきているように見せていますが、実際にはカメラは向こう側には回らず、こちら側で(「みよし旅館」の看板が入らない程度に)前へ出しただけ。少年は渡ったように見せかけて今度はこちらに向かって駆けてきています。

カメラ位置に制約があったのか、あるいはパンとガムを買った店の配置が難しかったのか、理由はわかりませんが、とにかくぱっと見では気づかないので、これはこれでナイスな編集かと。

ひとり列車で

乗った駅

乗った駅は設定では城崎温泉駅となるのかもしれませんが、どうも違うように見えます。

▼21/6/13 追記
コメント欄でBill McCrearyさんから情報を寄せていただきました。
城崎温泉駅だったみたいです。テキトー書いてすみません 😓
上述お手持ちの『アートシアター69 少年』からの貴重なキャスト情報です。

Bill McCrearyさん (コメント欄 2021年6月10日 23:16)
駅員は、城崎駅で実際に勤務していた国鉄職員ですので、少なくともそこの部分は、城崎駅かと思われます。
降りた駅

0:39
切符は天橋立駅までと言って買っています。
でもホームの駅名表記は「たんごかんの」と読めます。
ホンモノだとすると、当時の国鉄丹後神野駅、現在の京都丹後鉄道宮津線小天橋(しょうてんきょう)駅W
住所としては、京都府京丹後市久美浜町。

漁村

波打ち際から鳥居が見える入り江や、少年がうろついた村、ひとりで泣いた岩場など、不明。

福井県

福井駅

0:44

建替前の姿。

当たり屋(強行)

0:45
母親が首を振ったのに飛び込んだ少年。
待ち構えていたのは、福井城跡のお堀の南西角。

黄色い旗があるということは、当時は信号が無かったようですね。
ペプシの広告は灰皿スタンドでしょうか。

旅館(福井)

▼22/5/30 項目追加
0:46
コメント欄でBill McCrearyさんから情報を寄せていただきました(2022年5月25日 23:27)。
お持ちになっている『アートシアター69 少年』によれば、福井市の旅館は「その定旅館」とのことです。

線路際の道

0:48
調査中。

産婦人科病院

0:49

福井市内のこちら↓にありました。今はブロック全体が建て替えられてどこかの社屋となっています(福井市毛矢1丁目)。

その先、向かいの角の建物は、2012年のSVまでは確認できます。

0:49

母親を待っていたのは、少年が歩いていった様に前記病院の通りをそのまままっすぐ行ったところ。
このあたり、編集と実際の地理は一致しています。

橋は「泉橋」というようです。
背景に見えるのは北陸本線の鉄橋ですが、現在はトラス型に架けかえられていますね。

母親が駆けてくる道↓

高崎

これは地名を示す予告編がなければ判定が難しかったところ。

街角

0:54

▼21/6/23 追記
にわかには信じがたいですが、これは高崎駅前(東側)でした。
カメラ西向きで、正面奥に見えるのが高崎駅東口。

画像としては、例えばこちら↓のサイト様で確認できます。

  • http://www.fuvic.com/takasaki/takasaki03.html
佇む道端

通り過ぎるバスが、「上信バス」と書かれているように見えます。

▼22/6/4 追記
小高いところを走っていますので、てっきり跨線橋のようなところかと思っていましたが、意外にも川縁に近いこちら↓でした。カメラほぼ南向き。

この位置なら山々のシルエットと一致しますし、少年の向かって左側に見える階段も今でも確認できます。
道路が小高いというよりは、背景の家々が堤防の内側(河川と反対側)の低い土地にあるため高いところを走っているように見えていたようです。

少年の背景右上に、3階建てぐらいの横長の白い建物が見えますが、こちら↓の高校の校舎(建て替え済み)。少年の位置から南へ約2km。

背景中央の大きな倉庫の右側にうっすら見えている4階ぐらいの建物は、高校のさらに少し南、こちら↓にあったアパートか団地(建て替え済み)。

大きな倉庫は、空撮画像が粗いので認識しづらいですが、おそらくこちら↓

70年代半ばの空撮では姿が見えなくなっています。

当たり屋(池の畔)

0:55
公園の池のような傍。

ターゲットにされた車のナンバーは「群」でしょうか。バスとあわせて、やはりそこは群馬県。おそらくすべて高崎。

▼21/6/13 追記
コメント欄でBill McCrearyさんから情報を寄せていただきました。

Bill McCrearyさん (コメント欄 2021年6月10日 23:16)
高崎ですが、こちらに地元の映画関係者の方がその件で記事を書いています。
http://www.takasakiweb.jp/column/eiga/article/015.html

掲載されている写真を見ると、予告編にあるシーンと酷似していますね。池でなくてお堀のようです。
Google Maps(SV)

ということで、高崎城跡のお堀端でした。
昔の空撮では↓

山形県

町並み俯瞰

0:59

電車移動の後のエスタブリッシングショット。
場所不明。

▼22/6/4 追記
まず、真ん中に大きく写っている和風2階建ては、こちら↓ではないでしょうか?

となると、おそらくカメラ位置はこのあたり↓
母親が当たり屋をやった場所と山形駅の中間、線路近くで、カメラ南東向き。

カメラの高さはだいたい3階ぐらいですので、現存するこちら↓の屋上とか。
北側の外階段を上れば屋上に出られそうですし、推理としてさほど無理はないかと。

とはいえ今いち自信がないので、Googleスライドで推定アングルを描いてみました。
赤い線で示したのがカメラアングルで、背景の山々から映画に写っている範囲を引っ張ってきています。

できるだけ鮮明な画像と考え、76年の空撮を使用。そのため、映画とはだいぶ違っていますが、痕跡はところどころ見て取れます。
右端のアングルが途中三角形のビルと交差していますが、この建物は72年竣工のようですので、70年には見通しが良かったと思われます。

これで正解とは断言できませんので、おかしい点や、気づかれたところなどありましたら、ご遠慮なくツッコンでください。

衣料品店

この場面で居並ぶ店名(写真館、建具製作所)から山形であることがわかりました。

右端に映る写真館は現在こちら↓で営業中。ただし電話番号は映画と異なります。

この通りは現在は道路が拡張されていますが、昔の空撮で見ると映画の当時はまだ片側1車線+歩道であることがわかります(1980年の空撮ではじめて現在の状態を確認できます)。 映画でも片側1車線+歩道のようですから、昔の空撮と矛盾はしていません。

建具製作所はこちらとは別の場所で現在も営業中(電話番号も同じ)。ただ現在位置を昔の空撮で見ても、道路の幅が足りませんし、商店街があったとは考えづらい場所となっています。
ですので、撮影場所としては、現写真館のある場所の方が可能性が高いかと思います。
あとは山形へ行くことがあれば、写真館の方に伺ってみるとか 🙄

眼鏡を買って

1:00

メガネを買った後、家族で歩いてくる道。
沿道の建物が興味深いので、引き続き調査中。

▼22/5/12 追記
コメント欄でawaさんから情報を寄せていただきました(2022年5月11日 15:55)。

awaさん 道の奥、突き当りに「阿部時計眼~」という横型の大きな看板が見えますが、メガネは恐らくここで購入したのでは。因みに山形市には,老舗の「阿部時計店」が現存します。場所は同じではありません。
また、道の左側にある。コンクリートの柵に囲まれた灰色の建物は,「山形市立第一小学校旧校舎(現山形まなび館)」と思われます。

これで大正解と思われます。お見事でした 😀

「電子国土Web」の画像は少し荒いので、「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」の画像を貼り付けておきます。

突き当りの「阿部時計」の家は、1965年の空撮では2階部分が小さく乗っている建物として確認できます。1976年の空撮では建て替えられていますね。

映画で右上端に見えるとんがった屋根の洋館は、76年でもまだ確認できます。現在「本町矢吹クリニック」となっている場所ですが、建物の雰囲気からして当時も医療施設であったと思われます。
こちら↓のブログ様の記事で画像を確認できました。

山形の過去、現在、未来
懐かしき山形の建物 (1) 矢吹病院
https://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/e/1b85206a732ef096313ce3fb9082703b

左側はawaさんが伝えてくださった通り、「山形市立第一小学校旧校舎(現山形まなび館)」。建物自体は現在も健在。映画では手前に飛び出している部分があり、空撮でも確認できますが、現在は撤去され、駐車スペースとなっています。

旅館(山形)

▼22/5/30 項目追加
1:01
コメント欄でBill McCrearyさんから情報を寄せていただきました(2022年5月25日 23:27)。
お持ちになっている『アートシアター69 少年』によれば、山形市の旅館は「つたや旅館」とのことです。こちらは現存しない模様。

父親が単独で宿泊したホテル

▼22/5/15 項目追加

1:04

コメント欄でawaさんから情報を寄せていただきました(2022年5月13日 16:09)。

awaさん 父親が単独で宿泊したホテルについて。
ホテルの外観。
https://goo.gl/maps/cKxpvqSuNxbBzSsQ9
ホテルのフロントに入ろうとして引き返す途中に見える壁の模様。
https://goo.gl/maps/wxGyb86ayTngS73Z7
母親は古びた旅館から夫に電話をしますが、そのときのホテル名が「プリンスホテル」でした。こちらは「YTプリンスビル」となっています。
https://goo.gl/maps/YhuJy12jF2GDYbK5A
突き当たりのT字路、七日町大通りです。現在は一方通行ですが、映画の中では対面通行です。道路反対側は「千足屋」という靴屋さんの本店でした。
https://goo.gl/maps/TKTymsWkkj2Y3NMv9

これで大正解、お見事でした 😀

当たり屋(母親)

1:06
母親が飛び込んだところ。
手がかりは夜の階段のみなので、これは難しそう。

▼22/5/12 追記
こちらもコメント欄でawaさんから情報を寄せていただきました(2022年5月11日 15:55)。

awaさん 母親が飛び込んだところいついて。
こちらは確証がないのですが、JR山形駅北側の跨線橋下かもしれません。
この跨線橋は、 JR奥羽本線で隔てられた山形市内の東西をつなぐ重要な幹線で、おまけに駅前に隣接していることから、車線増幅など、頻繁に工事を繰り返しています。
映画のシーンを見ていると、右上の角に,スロープを上ってゆくバスが確認できます。

現在は、行き止まりで階段になっており、車は抜けられないようです。

こちらもこれで大正解と思われます。お見事でした 😀

「電子国土Web」の画像は少し荒いので、「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」の画像を貼り付けておきます。

秋田県

秋田駅

こちらも旧駅舎。

駅から歩く道

千秋公園(久保田城跡)Wのお堀端。

競技場

なぜにわざわざ観覧席の最上段で喧嘩するのか、この2人……
ここのポールに日の丸を掲げたくなったのは自分だけでしょうか。

それはともかく、少年にしがみつくチビが切ないです。

場所はおそらくこちら↓

秋田市八橋運動公園陸上競技場W

バックストレッチの背景に高い煙突が見えますが、建っていたのはこちら↓の十字の位置。

北海道

雪原

1:11
雪原を行く家族。これまた切ない場面。
どちらでしょうね。

函館、岩見沢、帯広、釧路、網走、旭川、稚内

雪の街
日本最北端の地

1:12

跨線橋

1:13, 1:19

小樽駅の北側。カメラ南向き。

▼22/6/22 追記
小樽を訪問されたBill McCrearyさんから画像を提供していただきました(コメント欄2022年6月18日 21:26)。

今では映画で写っていた南側(小樽駅側)に歩行者専用の橋ができているようですね。

Bill McCrearyさんは、これらの画像を含む旅行記をご自身のブログにアップされていますので、ぜひご覧ください。

ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
小樽と札幌、地ビールの旅(2022年5月)(Day2-2)(4)
https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/d6e1f7230f3e757183a6deef24dcbdd5

リアル事故

1:14
言い争いしているうちにチビがトコトコ歩いていってしまい、避けようとしたクルマが路肩に突っ込んでしまう場面。

背景右側の山は、削って宅地造成してますね。

▼22/6/22 追記
こちらもBill McCrearyさんから画像を提供していただきました(コメント欄2022年6月18日 21:26)。

小樽駅

1:19

旅館(小樽)

▼22/5/30 項目追加
0:46
コメント欄でBill McCrearyさんから情報を寄せていただきました(2022年5月25日 23:27)。
お持ちになっている『アートシアター69 少年』によれば、小樽市の旅館は「越中屋旅館」とのことです。
こちらは老舗の旅館で、現存している模様。

http://www.etchuya-ryokan.com/

雪の坂道

1:23

長い雪の坂道を少年がまっすぐ登ってきます。
これは、「跨線橋」をそのまま進んだところですね。
マップでは「船見坂」と名前が書かれています。
SVで見下ろすと港や水平線まですべて見渡せて、凄い迫力。

現在のDVDのジャケットはこの場面。

B005094RJ6

2人のすぐ後ろに写っているのが、この↓あたり。

▼22/6/22 追記
こちらもBill McCrearyさんから画像を提供していただきました(コメント欄2022年6月18日 21:26)。

勾配15%とのことですが、雪が降るときつそうですね。
ちなみに世界一と言われているニュージーランド、ダニーデンのボールドウィン・ストリートは勾配35%……

Bill McCrearyさんは、これらの画像を含む旅行記をご自身のブログにアップされていますので、ぜひご覧ください。

ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
小樽と札幌、地ビールの旅(2022年5月)(Day2-2)(4)
https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/d6e1f7230f3e757183a6deef24dcbdd5

札幌

1:29

北海道庁旧本庁舎W

北側からの眺め。

大阪

文化住宅

なつかしい昭和の路地裏。

鉄道俯瞰

1:33
なんば駅と大阪球場(大阪スタヂアム)。

ロケ地マップ

『少年』(1969)

▼21/6/23 追記
高知県が舞台の映画

資料

更新履歴

  • 2022/06/22 「跨線橋」「リアル事故」「雪の坂道」にBill McCrearyさんの画像を追加
  • 2022/06/04 「高崎・佇む道端」「山形・町並み俯瞰」追記
  • 2022/05/30 「旅館街」追記 「旅館(福井)」「旅館(山形)」「旅館(小樽)」項目追加
  • 2022/05/15 「父親が単独で宿泊したホテル」項目追加、awaさんの情報を記載
  • 2022/05/12 「メガネを買って」「当たり屋(母親)」にawaさんの情報を追記
  • 2022/01/10 「OP街道」にイノシシさんの画像を追記
  • 2021/07/05 「当たり屋(青空市)」にイノシシさんの画像を追記
  • 2021/06/23 「ロケ地マップ」に「高知県が舞台の映画」追加 「高崎」の「街角」追記
  • 2021/06/21 「城崎温泉」に「家族が歩いていく通り」「宿泊した高級旅館」項目追加
  • 2021/06/20 「OP街道」追記
  • 2021/06/13 各項目更新、画像アップ
  • 2021/06/09 新規アップ

コメント

  1. イノシシ より:

    居ながら様

    高知のロケ地、中々お見事です。
    ここまで現地に行かずに調べられるのは本当にすごい。
    あらためて現地の写真をお送りします。

    <OP街道>
    「桟橋通り」かも知れませんが、桟橋通りは恐らくこの時代でも道幅が今と変わらないぐらい広かったと思います。映画に登場するのはもっと道幅が狭く、電柱も居並んでいますので、恐らく私の見立てでは旭町1丁目辺りと思うのですが、確証はありません。この辺はこの20年で大きく変わってしまいました。あらためて現地の写真を送ります。
    https://www.google.com/maps/@33.5560687,133.5095724,3a,75y,103.95h,91.96t/data=!3m7!1e1!3m5!1sUOHSj4OTB9urKZ1p4AmzBQ!2e0!5s20150201T000000!7i13312!8i6656

    <お地蔵さん>
    「山の稜線から、おそらく久万川の南側(右岸)」「吉田公園」

    これは私も同意します。吉田公園でしょう。
    このような無縁墓を集めた供養塔は現代ではあまりないですが、
    市街地が戦後北に広がるにつれ、
    点在していた無縁墓をここに集めて地蔵を乗っけたと思います。
    映画ではその周りに遊具があり、供養塔と公園が一緒になっているのは面白い。
    あらためて現地の写真を送ります。

    <神社>
    他のサイトで「朝倉神社」とありましたが朝倉神社ではありません。
    高知市近辺でしょうから時間をかけて調べてみると分かると思います。

    <旅館街>
    高知市玉水町。そのとおりですね。
    かつては玉水新地として知られ、映画の当時は赤線地帯でした。
    今でもまだその機能を保っていますがコロナが止めを刺したかも・・・。
    後ほど写真を送ります。

    <当たり屋を失敗した橋>
    川は江ノ口(江の口)川。橋は「上ノ橋」。

    まさしくそのとおりです。良く分かりましたね。
    映画に写るのは恐らく病院だと思います。
    これは手前の建物が今も残っているので貴重です。

    <バスで渡る橋>
    「鏡川橋」との指摘ですが、この橋は橋の前後が大きくS時になっているため
    多分違うと思います。私の見立てでは映画の移動経路と同じ、
    高知市の高須~大津~南国市の明見の旧道あたりか・・・。

    https://www.google.com/maps/@33.5758657,133.6233714,3a,75y,272.3h,77.82t/data=!3m6!1e1!3m4!1sekMyyXAf7qqDCFBPWOnyLw!2e0!7i13312!8i6656

    或いは「南国バイパス」と呼ばれる新道の方かもしれません。

    https://www.google.com/maps/@33.5675943,133.6238677,3a,75y,293.99h,94.99t/data=!3m6!1e1!3m4!1s8dRbRulQl-ZsbAgn_w3GWA!2e0!7i13312!8i6656

    自信はありません(笑)

    <当たり屋(交差点)>
    「南国バイパスの標識が立つ交差点。
     高知県南国市後免町三丁目の交差点」

    これは間違いないですね。
    少年と母親の2ショットの後ろに映る香南ハイヤーの車庫、
    つい先ごろ別の建物に建て替えられました。残念です。

    <はりまや橋>
    「映画の頃はまだ赤い欄干がありますね」

    これはその通りです。はりまや橋は赤い朱塗りの欄干のものが有名でしたが
    20年ほど前当時の高知市長が何をとち狂ったか作り変えてしまいました。
    石の欄干は当時は道路の歩道の外側にあったのですが、
    赤い欄干の橋があった場所に現在は石の欄干の橋が作られています。

    <レストラン>
    前記「土電会館」のもの

    それで間違いありません。
    土電会館のレストランです。

  2. イノシシ より:

    <商店街>
    「栄屋町中央商店街」

    「栄屋町商店街」ではなく「帯屋町商店街」ですね。多分場所はここだと思います。
    雰囲気は残っていると思います。

    https://www.google.com/maps/@33.5609037,133.540907,3a,75y,254.75h,87.98t/data=!3m6!1e1!3m4!1syhyu79Ecj4akAE5CwlL6KA!2e0!7i13312!8i6656

    <当たり屋(青空市)>
    「青空市で賑わう通り。棕櫚の木が並ぶ追手筋」

    これが有名な「土佐の日曜市」です。場所はこちらです。

    https://www.google.com/maps/@33.5614458,133.537673,3a,75y,79.16h,95.11t/data=!3m7!1e1!3m5!1sBp5OiZdtZFolC5_qsyZzsA!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3DBp5OiZdtZFolC5_qsyZzsA%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D156.06502%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i16384!8i8192

    少年が倒れた植え込みも今もそのままです。

    あらためてこの日のために撮影した写真を送ります。
    アングルは微妙なものが多いですけど(笑)

  3. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、チェックありがとうございます。地元の方にご確認いただけて、とても心強いです。
    やはりけっこう間違えていたようですね。
    日曜日ぐらいになってしまうと思いますが、記事の方に反映させていただきます。
    お写真も無理なさらない範囲でぜひよろしくお願い致します。
    取り急ぎお礼まで。

  4. イノシシ より:

    素晴らしい調査能力に恐れ入りました。自分がもっている「少年」のDVDは画質が荒く、「旅の重さ」のようにくっきりと画像を見ることができません。Blu-rayが出ると嬉しいのですが、ラストシーン近くに当時の新聞が写っていて、実名が表示されるので画質向上は難しいかもしれませんね。

  5. Bill McCreary より:

    どうも、拙記事のご紹介もありがとうございます。やはりこの映画はすごくいい映画だと思います。

    この映画が公開された時に発行された『アートシアター69 少年』が手元にありまして、いろいろ情報が書かれています。キャストも、映画では父、母、少年、チビしか出ていませんが、映画で台詞のある人はみな掲載されていますので、これも現在では非常に興味深いですね。

    >レストラン
    続くトイレからの眺めとあわせると、おそらく前記「土電会館」のものではないでしょうか。

    ウェイトレスさんが、まさに土電会館デパート勤務と記されていますので、それで間違いなさそうです。こちらにもそのようにありますね。

    https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3316

    https://blog.goo.ne.jp/goo5277/e/3e111a9fc0e834f901c2dfab837731e2

    また下のサイトでは、冒頭シーンは

    >冒頭の後免東町の風景

    とあります。

    >乗った駅は設定では城崎温泉駅となるのかもしれませんが、どうも違うように見えます。

    駅員は、城崎駅で実際に勤務していた国鉄職員ですので、少なくともそこの部分は、城崎駅かと思われます。

    ほかにも旅館の女将や女中さんは、本物の人ですし、北九州や小樽の子どもは地元の子どもたちだし、大島監督の学友や助監督、撮影監督、録音などのスタッフの方々が参加しているし、高崎の医者は当時国立高崎病院で外科医長をやっていた小山明子の兄だったり、倉敷の医者や城崎の芸者なども本物だったり、すごい態勢です。松江の運転手が撮影の仙元氏、護送の刑事が録音の西崎氏、高崎の運転手が、助監督で『絞死刑』の尹隆道氏です。

    ところで高崎ですが、こちらに地元の映画関係者の方がその件で記事を書いています。

    http://www.takasakiweb.jp/column/eiga/article/015.html

    掲載されている写真を見ると、予告編にあるシーンと酷似していますね。池でなくてお堀のようです。

    https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92370-0828+%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E9%AB%98%E5%B4%8E%E5%B8%82%E5%AE%AE%E5%85%83%E7%94%BA%EF%BC%93%EF%BC%91%EF%BC%99+%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E3%83%93%E3%83%AB/@36.3215287,139.0051919,3a,75y,238.04h,90.18t/data=!3m7!1e1!3m5!1so9r-WZN_lb_AVI8B-BPGtQ!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3Do9r-WZN_lb_AVI8B-BPGtQ%26cb_client%3Dsearch.gws-prod.gps%26w%3D360%26h%3D120%26yaw%3D174.66609%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i16384!8i8192!4m5!3m4!1s0x601e92819d82051b:0x48be3e40110939da!8m2!3d36.3214304!4d139.0051772

    この映画については、私もいろいろ研究をしていますので、また情報がありましたらご連絡いたします。小樽駅も写真はあるのですが、また行って跨線橋ほかのあたりを撮ってみたりして、うまくいけば協力させてください。倉敷も、『大地の子守歌』の下津井のあたりと一緒に撮影したいと思っています。

    それにしても吉田公園のシーン、ほんとすごい場所を見つけますね。地元の方の協力あってこそですが、感心するばかりです。

    >木下剛志さん

    スタッフ(進行)の木下俊美氏の息子さんで、山田洋次監督の『家族』にも出演しています。たぶん山田監督がライバルの大島監督に影響を受けて、それで木下さんを起用したのかも・・・と勝手に考えています。素人俳優を使ったあたりも意識しているのだと思います。数年前、木下俊美様と連絡を取ることができました。

  6. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、詳細な情報ありがとうございます。
    イノシシさんのご当地情報とあわせて、おかげさまでこのエントリーの精度が一気にレベルアップしそうです。今度の日曜にでも内容を細かく追わせていただきながら更新作業致します。
    あと別件で、明日はやはり行けそうもないです。今の所映画館のサイトで情報が消えていないので、実現しそうですね。どうぞ楽しんできてください。

  7. 高岡 タケシ より:

    居ながらシネマ様
    ご無沙汰しております。
    本当にすごい調査力ですね!
    きっと件の(ゾーン)に入られていたんですね。
    早速 ずっと謎だった吉田公園と上の橋探訪して来ました。

    イノシシ様
    先日は貴重なリバイバル上映の情報 ありがとうございました。
    念願の劇場での観賞を 最高なシチュエーションで実現出来ました。

    さて 少年 のOPについてですが、イノシシ様同様旭町であると思います。
    細かく言うと 旭町二丁目 ローソンの前 カメラ西向き
    根拠としては

    高 ナンバーの車両 モデルハイヤーも走っているので高知は確定。

    軌道敷内通行可の標識 後免に一ヶ所くらいで
    他は旭町から西に数カ所あります。

    撮影場所の向こう(西)に横断歩道がある。

    左折するライトバン←これ大事かも
    車体側面に ソリッド ステート トリオの文字
    のちにケンウッドとなるトリオが 真空管(チューブ)を用いないソリッドステートアンプを生産していたらしいです。
    故にライトバンは電気店の車かも
    その車が横断歩道のある交差点のずっと手間で歩道をこえて左折するとなると そこは電気店 ヒロタデンキ旭店

    と言った見立てですが‥
    いかがでしょうか。

  8. イノシシ より:

    高岡さん

    ご無沙汰しています。まだ飲み会実現してませんね(笑)
    ぜひコロナ落ち着いたらご一緒したいです。

    OPの電車通りは自分も何度か現地を見てきたのですが、なるほど「西向き」ですか。
    ですが少年の後ろを通り過ぎるランドセルの少年2人の影の方向を見てみてください。
    私は「東向き」が正解だと思います。
    私が持っているDVDの解像度が悪いので言い切ることはできないのですが、
    土電の電車の行き先も「知寄町」と表示されているように思います。
    西向きなら「朝倉」か「蛍橋」、「伊野」の2文字になるかと。
    いずれにせよ、路面電車も通るこの車道が片側1.5車線であることが大きな特徴で
    旭町界隈であることは間違いないと思うのです。
    この場所、現在も「起動敷内通行可」なのですが
    最近は軌道敷を走っている車はまず見かけませんね(笑)
    旭町界隈の電車通りもほんの近年2車線に拡張された箇所が多く、
    昔ながらの下町の街並みが失われつつあるのはとても残念です。
    玉水町もここ数年で多くの元遊郭が取り壊されました。

    居ながらシネマさん

    <バスで渡る橋>ですが、自分の上の書き込みは取り消します。
    本編を見てみると、鉄道橋と自動車橋が確かに平行してますね。予告編とは別カット?
    このようなシチュエーションは高知市葛島の「葛島橋(かづらしまばし)」しかありません。
    鉄道橋も自動車橋もその後架け替えが行われていますが、
    1962年の空中写真を見る限り、「葛島橋」で矛盾はないようです。

  9. イノシシ より:

    上記「葛島橋」のリンクはこちらです。現在は背景の知寄町は市街地となっていますが、1962年の空中写真では広大な湿地帯で、すごくびっくりしました。

    https://www.google.com/maps/@33.5573636,133.5691236,3a,75y,274.6h,84.93t/data=!3m6!1e1!3m4!1sV5s5j0YQJLASvk0e1dfM9w!2e0!7i13312!8i6656

  10. 高岡 タケシ より:

    イノシシ様
    確かに電車は知寄町行きですね。
    ロケ地が旭町であれば カメラはご指摘の通り東向きですね。
    旭町ですと 桃井電気さんの東隣に川崎石材と言う石材店があった様ですが東向きの場合 遠方に山が映り込まないような気もして微妙ですね。
    もう少し調査してみます。

  11. イノシシ より:

    >遠方に山

    確かに山が近い気もします。ですが静止画で見ると奥のほうに高知城らしきものが写っているような気もします。現在セントラル旭町店がある辺りは10年ほど前に道路拡張されるまではまだ両側が1.5車線でした。上町5丁目との境に「城西振興市場=闇市」があり、私が会社に入ったばかりの頃(91年ごろ)は闇市の入り口に道路側に少し出っ張った建物がありました。それが画面の奥の下の方に見える赤い建物だったような・・・。ですので少年が建っている場所は町田眼科から少し東側ぐらいの地点かも知れません。望遠レンズを使って撮影したとしたら山との遠近感もこんな風になるかも・・・。

    あとバスの中のシーンですが、やはり葛島も腑に落ちません。1968年当時は車道橋と電車橋がもっと離れていたようです。その後現在の青いトラス橋に架け替えられて近くなりました。電車と車道橋が併走している、もしくは同じ橋の上を走っているのは西から「鏡川橋」「潮江橋」「葛島橋」の3つだと思いますが、確かに映画のシチュエーションと似ているのは「鏡川橋」です。ですが鏡川橋は1968年ごろには上流側の橋が完成しておらず、もし鏡川橋であれば北から南に渡っていることになります。背景をみるとそれも違うように思えます。

  12. イノシシ より:

    それにしてもこの映画、渡辺文雄さん、少年、小山明子さん。かなりリアルな土佐弁を使われています。低予算映画で土佐弁指導の決まったスタッフもいなかったと思いますが、録音されたものをテープで繰り返し再生して練習したそうです。特に、小樽の宿で父親が少年に貫通銃創を見せながら愚痴を交えた説教をする場面は高知県人じゃないと字幕なしでは聞き取れないと思います。高知県人でも聞き取りにくいので書き下してみましたが、(   )の部分はどうしても聞き取れません。

    「ガキ!ここへきて座れ!」
    「おらぁにゃあ、戦争で一辺死んだ体じゃ。左のこの手と、肩のところを鉄砲の弾が突き抜けたんじゃ。おまんらぁ仕事じゃ働いたじゃ言うて、腕の一本も折れちゃあせんじゃいか!そのまま死ぬると思うたことが一辺でもあるか?ノロノロ車にちょっとばあ触って、後は泣いたり喚いたりするばあじゃいか。そればあのことでおらぁに恩を着せるつもりか!夫婦の縁を切るの、親子じゃないのと、(     )か!おまんらに戦争の怖さは分かりゃせんろう?今まで糞たれてた奴が、一分もせんうちに首から上がないんじゃ!おらぁにゃあ、そういう生きるの死ぬのというんを、ちゃんとこの目で見てきたんじゃ!見てきたばあじゃない。おれじゃち死んだとおんなじだったんじゃ!そのおらを、おまんら能無し呼ばわりするか!」
    「そんな関係ない」
    「バカ!おおありじゃ!そのおらぁを、夫を父親を、ほったらかしといて、おまんらそれで済まんと思わんのか!坊主、貴様それで生きていけると思うとんのか!?」
    「死んだ。この人死んだ…」

    この長セリフを、渡辺文雄さんさすが東大出ですね。この旅館なのですが、父親が小山明子さんの首を絞めるシーンで後ろにある「日の丸と位牌と遺骨のタワー」、この演出は意図は分かりますがものすごく不思議です。

  13. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、メールでも多くの画像と詳細な解説送っていただき、ありがとうございました。
    取り急ぎアップしましたが、すみません、2つ前の橋についてのコメント見落としていました。葛島橋で正解ではなかったのですか 🙄
    それはともかく、急ぎアップしたため細かいところは明日以降少しずつ手を加えていくことにします。本当にありがとうございました!

    高岡 タケシさん、お久しぶりです。イノシシさんとの説明抜きに固有名詞がぽんぽん飛び交う会話は、ご当地ならではという感じで楽しませていただいています。早く飲み会が実現できると良いですね 🙂

  14. イノシシ より:

    居ながら様

    葛島橋で正解です。お騒がせしました。
    高岡さんが言及されていた「桃井電気さんの東隣に川崎石材」。
    きょう現地で確認してきました。
    高知市旭町2丁目の桃井電機の東隣の空き地が
    映画に登場する石材店で間違いないとのこと。
    空き地にの東隣の「のまち理容」のご主人と奥さんに
    映像を確認してもらいました。
    左端で忙しく働いているのが「大将」だそうです。
    川崎石材は歩道ギリギリまで作業場となっており、
    切り出された石を運び込む際に歩道を傷めてしまい、
    苦情を言われることもあったとか。

  15. イノシシ より:

    <OP街道>
    このシーンについて高知市旭町1丁目から東を臨んだ写真をお送りしていますが、その現場近くに住む森下時計店のご主人に映画の冒頭シーンを見せ、このシーンに見覚えないか尋ねてみましたが「生まれてずっとこの場所で育ってきたが、ここから東を見ても映画のように山は見えない。だからこの場所ではないと思う」とのことでした。ですので居ながらさんのおっしゃるように桟橋通りから北を見たものかどうかも含め再検証してみましたがどうにもしっくり来ません。

    そこで自分が撮影した「緑オレンジの電車が写っている写真」を拡大してみたところ、diboというパチンコ店の左側に、つまり通りの奥のほうに映画とほぼ同じ山の稜線が写っていることが確認できました。なのでこのカットは旭町1丁目から上町5丁目方面を望遠で狙ったものだと思われます。

    diboは今から30年ほど前にオープンしましたが、それ以前は名画座と言う映画館がその場所にありました。また通りの左側には解体工事中のビルが写っていますが、これはサンプラザ上町店で1984年に新築開店し2021年の1月に閉店したもの。それ以前は「オーマート」という地元のスーパーがこの場所で経営していたそうです。映画の中に写っている赤い建物がその建物かも知れません。1968年当時は空中写真を見ても旭町~上町には高層ビルはほとんどなく、映画のように遠くの山並みが見えていたと考えられます。

  16. Bill McCreary より:

    イノシシ様

    すみません、現在手元にこの映画のソフトなどがないのですが、「アートシアター」に掲載されているシナリオによると、空欄の部分は、「でけえつらする気なの(か)」とありますので、たぶんそのような趣旨のことではないかと思います。当然かもですが、シナリオは方言では書かれていません。失礼いたしました。

    それにしても50年以上の年月はやはり長いですね。70年代のドラマのロケ地なども、つい最近取り壊されたなんていうニュースをよく見分します。

  17. イノシシ より:

    Bill McCrearyさん

    「でけえ面する気か!」
    なるほど!土佐弁に置き換えると
    「太い面する気か!」ですね。
    ATGの資料本うらやましいです。
    ありがとうございました。

    映画に記録された建物が
    取り壊されたり保存されていたり、
    そういう悲喜こもごもも含めての
    ロケ地探しの楽しさなんでしょうね。

  18. 高岡タケシ より:

    居ながらシネマ様
    イノシシ様
    OPの街道についてですが 居ながら様が
    最初に示された桟橋通りカメラ潮江橋向きが正しい様です。
    少年が歩いていたのが現在 潮電気商会さんの南隣 駐車場前辺り。
    当時は劇場があったらしいです。
    そして奥に見える赤い建物はクラブ山翠
    場所は鏡川左岸潮江橋北詰め 現 エイブルさんがある辺りでクラブになる前は鏡水旅館として営業されていたそうです。
    鏡水旅館さんは現在も場所を変えて営業されているので確証となる情報が得られるかもしれませんね。

  19. イノシシ より:

    高岡様

    うーむ、やはり桟橋説が濃厚なのでしょうか?
    自分は直感的に、やはり旭町だと思うのです。
    映像を見て「あ、これは旭町だ」と・・・。
    石屋については高岡さんが指摘されていた
    「川崎石材店」である線が濃厚なようですし、
    ここでロケ地を分ける必然性があったかどうか・・・。

    赤い建物=クラブ山翠。おそらくクラブ三翠?
    これは知人に尋ねてみると分かりそうです。
    鏡水旅館は現在ある鏡水旅館とは別物だと思いますが、
    三翠苑の社長を務められた森島東洋海氏の父親、
    森島竹四郎氏が創業された旅館だとのこと。
    戦災で焼け、その流れから戦後は三翠苑が営む料亭になったそうです。
    その後が「クラブ三翠」になったと思われますね。

    その近くで生まれ育った現在70オーバーの知人に聞いてみます。

  20. イノシシ より:

    本当にしつこくてすみません。後ほど管理人さんあてにメールで資料をお送りしたいと思いますが、Amazonプライムで解像度の高い少年を見ることができました。「OP街道」ですが、私は旭町一丁目「旭駅前通り」とかなりの確信を持ちうる材料を得、そう判断しました。

    Google SVの2012年7月の状況が下記のリンクです。

    https://www.google.com/maps/@33.5561017,133.5099723,3a,90y,49.25h,95.24t/data=!3m7!1e1!3m5!1s6Sxr3XSch1PURX5mRbe-nw!2e0!5s20120701T000000!7i13312!8i6656

    クリアな画像で見ると画面左端の見切れに写る「半円」には「駅前」「のりば」とあります。
    電車通りに面した「駅前のりば」は、「旭駅前」か「朝倉駅前」「伊野駅前」ぐらいかと思いますが、風景が似ているのは断然旭駅前です。映画の画面は東向きと考えれば西には近くに旭小学校があり、下校時間と考えると影の方向も旭駅前と矛盾しません。ちなみにこのバス停は現在は「旭駅前通り」という名称です。当時は県交通と土佐電バスの2つの会社がバスを運行していたので県交通と土佐電鉄の統合前は「旭駅前」という停留所もあったかも知れません。さらに通過する電車の行き先は「知寄町」とあり、この路線が南北ではなく、東西であることを示します。当時は知寄町に土佐電鉄の車庫があり、知寄町を終点とする電車が運行されていたはずです。

    さらに決定的なのは外灯です。映画の画面の左側に写る外灯と同じ形で、写りこむコンクリート塀は「四国銀行旭支店」だと考えられます。2012年のSVとは位置関係が違っていますがその理由は分かりません。

    さらに1979年の住宅地図を入手しました(管理人さんにメールで送ります)。

    この地図と見比べると、「ソリッドステートトリオ」と書かれた車が入っていく場所には英弘高知店があります。英弘は後のエイコー電器で現在はヤマダ電機に買収されています。「ソリッドステートトリオ」は英弘電器の商用車である可能性が高いです。

    さらに映画の画面に映る少年の頭上のヒマワリのようなもの。良く見ると「菊水」の看板です。高知の人なら菊水のマーク、分かると思います。地図を見るとこの場所には「西元酒店」があります。

    そしてこの場所の少し東側、そこに映画の2カット目「石屋=川崎石材店」があります。「石屋」のカットは今も現存する隣ののまち理容のご主人と奥さんに「川崎石材店」で間違いないとお墨付きを貰っており、疑う余地はありません。

    2021年現在は四国銀行旭支店も建て直され、近くにあったブックストア旭もぱる美容室ももうありません。ですが2012年のSVで1968年当時の映画の場面を再現すると下のリンクのような感じになると思います。

    https://www.google.com/maps/@33.5560496,133.5096841,3a,15y,79.16h,90.79t/data=!3m6!1e1!3m4!1sf_BqqyMuPbY8roHxF_KGVA!2e0!7i13312!8i6656

    旭駅前通にカメラを置いてズームして撮影したと思います。映画のときに写りこんでいた遠くの山も高知城もビルの陰になって今は見えなくなっています。

  21. イノシシ より:

    <追記>
    さらに画面の右端には「ナショナル」の看板もあります。1979年の地図を見るとこの場所には「弘田電器」。2021年現在もこの場所にはナショナル=パナソニックの店「ヒロタデンキ」があります。

  22. イノシシ より:

    <さらに追記>
    正面の赤い建物は地元の人の話だと「高知主婦の店」。のちのサンシャインチェーンだそうです。この建物は1975年に取り壊され、オーマートというスーパーのビルに建て替えられましたが、1984年にサンプラザ上町店となり、サンプラザは2021年1月に閉店し現在そのビルを取り壊し中です。

  23. 高岡タケシ より:

    イノシシ様
    私の視聴環境では乗り場看板の文字は末尾の 前 の字が限界です。
    その後ろの赤い文字は旭駅東でしょうか?
    悩ましいですね。
    菊水酒造の看板も気になり調べましたが酒屋は当時なかったような気がします。
    向かいのヒロタデンキもなかったような‥
    でもナショナルと読めますよね。
    もしかするとナショナル自転車かも‥

    居ながらシネマ様
    祭りで賑わう神社ですが 高知八幡宮がシチュエーション的にハマりそうです。
    鳥居は変わって 狛犬の台座も一段多いですが
    高知市ロケならここかと思います。
    いかがでしょうか?
    Google マップ
    Google マップ

  24. 高岡タケシ より:

    イノシシ様

    ディーボの看板の横に稜線が確認できますね。
    SVで示された街灯ですが、周辺の電停にも数カ所ありますので コンクリートの壁の中は乗客や乗務員の待機場と言った土電の施設でしょうね。
    誤情報を投稿して大変お騒がせしました。

  25. イノシシ より:

    高岡様

    divoの横の稜線なんですが、肉眼ではまず視認できません。でも映画の稜線の丸っこい部分と形が似ているかと。50年前のように盛大に見えていればですが・・・。今度近くのマンションの上階からでも見てみたいと思います。また赤い建物「高知主婦の店」の写真を上町の友人が見せてくれました。場所はサンプラザ上町店と同じ場所で1976年に取り壊されてオーマート(後のサンプラザ)に建て替えられました。写真で見たのは一階部分ですが確かに外壁は前面赤く塗られています。この主婦の店はこのあと闇市のそばの井口町に移転し、15年ほど前まで「サンシャイン井口」として操業していました。ところで神社なのですが、私は「高知大神宮」だと思うのです。あの提灯が高知大神宮の特徴です。ただ狛犬ではなく稲荷狐が置かれているので50年前はどうだったか今度聞きに行ってみようかと思います。

  26. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん
    高岡タケシさん

    詳細なコメントありがとうございます。
    先週更新してから多忙でサイトの管理が全然できませんでした。
    先ほどようやく寄せてくださった情報を整理して、記事の更新致しました。ほとんどコピペですが、全体の配置図があった方がわかりやすいかと思い、昔の空撮画像に説明書きを加えたGoogleスライドを作ってみました。間違いや勘違い見つけられたらぜひご指摘ください。

    難易度がかなり高いと思われた石材屋さんをつきとめてしまうとは、地元お二人のコラボといいますかツープラトン攻撃が見事に決まった感じで、恐れ入りました。
    これは自分のようにマップ頼りでは、まったく解決できなかったと思います。

    街道の方は、右端の「ナショナル」の袖看板は気づいていたので、時間ができたらそれを手がかりにマップをぐりぐりしようと思っていましたが、イノシシさんの圧倒的な情報量の前に、もはややれることは何も残っていませんでした 🙂

  27. イノシシ より:

    居ながら様

    更新ありがとうございます。雑な文章でご迷惑かけました。コメント欄を転記されたとのことですが「悪文」でしたので、少し訂正・追記をお願いします。高岡さんとのやり取りなので少しわかりづらいと思いますから。

    <OP街道>
    ①「クリアな画像で見ると画面左端の見切れに写る「半円」には「駅前」「のりば」とあります。」の後に、「これはバス停だと思われます。」の一文を挿入ください。

    ②「映画の画面は東向きと考えれば西には近くに旭小学校があり、下校時間と考えると影の方向も旭駅前と矛盾しません。」は蛇足ですのでカットしてください。

    ③「さらに決定的なのは外灯です。」⇒「さらに決定的なのはバス停のそばの外灯です。」に」差し替えてください。

    <赤いビルについて>
    ①『赤い建物「高知主婦の店」の写真を上町の友人が見せてくれました。』の書き出しの文章ですが以下のものに差し替えください。年代に間違いがあり誤字もあります。

    赤い建物「高知主婦の店」の写真を上町の友人が見せてくれました。場所はサンプラザ上町店と同じ場所で1975年に取り壊されてオーマート(後にサンプラザ上町店)に建て替えられました。写真で見たのは一階部分ですが確かに外壁は全面赤く塗られていました。この「高知主婦の店」はこのあと高知市本丁筋にあった城西振興市場(通称「闇市」)の西側に移転し、15年ほど前まで「サンシャイン井口」として操業していました。

    以上です。お手数を掛けますがよろしくお願いいたします。

  28. イノシシ より:

    ごめんなさい。もう少し詳しく調べました。

    『15年ほど前まで「サンシャイン井口」として操業していました。』の部分

    2008年まで「サンシャイン井口」として営業していました。なお城西振興市場は2000年ごろに「戦後から続く不法占拠」の状態を解消するため、市によって立ち退きが命じられ、現在はただの市道になっています。サンシャイン井口の跡地もその後住宅地となったほか、「赤いビル」の跡地で営業していたサンプラザ上町店も2021年1月に閉店。2021年6月現在取り壊しが進んでおり、上町5丁目辺りにあった賑やかな商業地の雰囲気はまったく失われてしまいまいました。

  29. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、修正入れましたのでご確認ください。
    それにしてもあいかわらず凄い調査力ですね。建物の変遷から町の歴史がみるみる紐解かれていくようで、とても面白いです。
    通称「闇市」とはまた凄いですね。今では跡形もないようですし、地図を見れが旭町の通りの先に大型ショッピングモールができているようで、否応なしに市民のみなさんのライフスタイルが変わってきているのでしょうね。

    ところで今映画の神社の場面を見ていたところなのですが、狛犬のすぐうしろにいかにも鳥居の脚の部分のようなものが見えていて、さらに奥の方にもうひとつ背の高い鳥居が見えているという面白いレイアウトですね。左側の狛犬は、ブロック塀のすぐ傍で、その向こうはトタンのような波板が見えているので、隣地が迫っているようにも見えます。ここらへん、昔の画像でも無い限り、スッキリ解明は難しいかもしれませんが、ご無理なさらない範囲で何か情報得られましたら、またぜひご紹介ください。

  30. イノシシ より:

    居ながら様
    修正ありがとうございました。「神社」は高知大神宮に違いないと思って今日確かめに行ってきました。日曜市のすぐそばです。

    https://www.google.com/maps/@33.5598331,133.5347225,3a,75y,343.37h,101.47t/data=!3m8!1e1!3m6!1sAF1QipOGIs-rtf45Dk4QGEI2aydXKsQ3mr7UkRQYvOP0!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipOGIs-rtf45Dk4QGEI2aydXKsQ3mr7UkRQYvOP0%3Dw203-h100-k-no-pi-0-ya340.35654-ro-0-fo100!7i8704!8i4352

    特徴的な提灯、奥の小さな鳥居…。左にある「よさこい稲荷神社」は10年ぐらい前にできたばかりでその前は隣の敷地の建物のトタン壁が見えていたと記憶しています。しかし残念ながら結果は「×」。高知大神宮は伊勢神宮を分祀したということで、昔から狛犬はないそう。その後、近隣の神社を回ってみましたが収穫なしでした!!

  31. イノシシ より:

    城崎温泉トップカット。北柳通り「内湯旅館なるや」はまだ現存しているようです。

    https://www.google.com/maps/@35.6265168,134.8111422,3a,71.7y,310.35h,97.15t/data=!3m6!1e1!3m4!1s79X9-a6odidtoerAkNqOtw!2e0!7i13312!8i6656

    城崎温泉で一家が宿泊した高級旅館。ゆとうや旅館。Amazonプライムでは門の表札を読み取ることができました。「ゆとう屋 西村六左衛門」と読めます。公式サイトによるとゆとうや旅館は
    1688(元禄元)年創業の超老舗旅館。西村六左衛門は創業者であり、当主がその名を世襲するようです。「ゆとうや=油筒屋」だそうです。

    https://www.google.com/maps/@35.6258519,134.8095279,3a,75y,159.72h,92.64t/data=!3m6!1e1!3m4!1srsszc9Uq6Nr7g1doJN0gYw!2e0!7i13312!8i6656

  32. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、
    さっそくの現地調査お疲れ様でした。結果残念でしたが、本当にありがとうございます。
    神社は自分も興味ありますので、こちらでもできる範囲で探索してみます。
    全然関係ありませんが、高知大神宮をSVで見たところ、黄色い鳥居をくぐった先の両側に鳥さんが狛犬のように居て、これがホントの鳥居かなどど、しょーもないことを思ってしまいました。

    城崎温泉情報もありがとうございます。これはうまく見つけられなかったポイントでしたので助かりました。今夜にでも記事に反映させていただきます (すみません、またコピペさせてください)。

    高岡タケシさん、
    高知八幡宮をSVや画像で見てみましたが、確かに鳥居と狛犬あたりはいい感じですね。鳥居は今はコンクリートになっていますが、「奉献昭和四十九年」ですので、映画とは違っていて当たり前ですし、狛犬も映画の時点でかなり傷んでいるようですので、代替わり?しても不思議はなく。ただ奥に見える建物の感じが映画とは違っているような。それと左側の狛犬の背後の雰囲気も少し違うように思えました。
    昔の画像があれば一発で判明すると思うのですが、今の所見つかっていません。

    で気づきましたが、先の投稿で後ろにも鳥居があるとか書いてしまいましたが、これは奥にある社殿の正面部分の梁かもしれませんね。となるとごく普通のレイアウトですね。またテキトー書いてしまいました……。

  33. 高岡タケシ より:

    居ながらシネマ様
    私としては狛犬は当時のままだと思うのですが‥
    尻尾の渦巻きやたてがみの渦巻き
    向かって右側の狛犬の左前足と台座 尻尾と台座の位置関係(台座は狛犬とつながっていますので)
    先日 川崎石材の情報をもらった知人の石工さんに鑑定と石仏の追跡調査を依頼しています。
    結果を待たずして狛犬総当たりも考えましたが、現在 旅の重さ の私なりの積年の謎が解明されそうな展開になっております。
    その件に関してはそちらのエントリー 若しくは個人的に連絡させて頂くかもしれません。
    よろしくお願いします。

  34. イノシシ より:

    高岡様

    いよいよ「棚田」か「三叉路」ですね。
    悔しいですが楽しみにしています。
    それと神社ですが、高知ロケがたまたま地域の秋祭りと重なり
    シーンに取り入れたのでしょうか。
    映画に登場するほかのシーンから遠く離れていないロケ地だと思います。
    鳥居が大小2つ重なっているのが特徴でしょうから、
    当時のままあまり手が入っていないことを願って探してみたいです。

    居ながら様

    「赤いビル」なのですが、高知市の電車通りは
    旭町2丁目から上町5丁目にかけての部分でわずかに南に曲がっており、
    自分が貼り付けた下記の画像でも分かるとおり、
    「赤いビル」のあった場所が道路の真正面に見える位置関係となって目立ちます。
    下の写真では解体中の「サンプラザ上町店」が真正面に見えます。
    「赤いビル=高知主婦の店」はサンプラザより低い建物だったらしく、
    撤去が完了すれば後ろの山も見えるかも・・・。
    ただ昨年、隣に高層マンションができてしまいましたが。
    1975年の空中写真の赤い建物がそれで、その写真の後すぐに閉店~解体されたはずです。

    https://photos.google.com/share/AF1QipPNO4OoX3LBmP34Q02LNsFkbExJ1svVdJAHk2BvqLlLG52RKKEoQiUftmX6V83M9w/photo/AF1QipMIzJY2NnZbZ0TMqnnDHnyi-17pgfphKNWn7UNC?key=TW82MEhxZncyMHRGeVNSbVpjUnhrXzVXOGFQRVRB

    で後ろの山並みなのですが、かなり遠方にこの山並みはあり、
    湿気が多いこの時期だと近くのマンションの屋上に上がってもかなり霞んで見えます。
    ここ数日何度か山並みを確認しようとビルの屋上から東を眺めてみましたが、
    いつ見ても、うっすらとしか見ることができません。
    映画のように山並みが見えたのは、季節が秋で空気が比較的乾いていたからだと思います。
    多分1968年であっても、高知市街地からこの山並みを
    映画のようにはっきり見える日は稀だったと思います。
    時間をかけて確認したいと思います。

  35. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん
    記事更新しました。ありがとうございました。
    赤い建物と後ろの山並みですが、自分が最初に間違えたのもこの山並みのせいでして(笑)、旭町の通りももちろん路面電車が走っているということでチェックしましたが、映画のようには全然見えませんよね。それであっさり候補から落としてしまいました。
    いつか秋か冬、空気がクリアな季節にでも、うまく山が見えるといいですね。
    おっしゃるとおり、解体が完了すれば結構見えるような気もします。

    高岡タケシさん
    > 結果を待たずして狛犬総当たりも考えましたが
    って、この稼業?で総当たりは命削りますから、健康のためにもやめたほうが(笑)
    実は『はなれ瞽女おりん』を書いた時に参考にさせていただいた全国の狛犬を撮っていらっしゃるブログ様を今回も参考にしようと思ったら、高知県は残念ながら1件もありませんでした。なので手抜きできず……
    自分は映画の狛犬と高知八幡宮とは別に見えてしまいました。
    でもちょっとしたアングルの違いで印象が違ってくると思いますので、ただの勝手な印象です。お知り合いの方のご報告を楽しみにしています。(石仏の方が気になりますね!)

  36. イノシシ より:

    >高岡様
    >居ながら様

    高知八幡宮の狛犬、現地で確認してきましたが
    映画に登場するのとそっくりですね。
    映画の狛犬のほうが、口角がもっと上に反り返っているようです。
    もしかすると、同じ石工によって造られたのかもしれません。

  37. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、いやホント似てますよね。SVでよく見ると少しずつ違っているようなのですが、同じようにも見えますし。
    同じ石工ありえそうですね。
    一つ前で、以前参考にさせていただいた狛犬を撮っていらっしゃるサイト様で高知県がなかったと書いてしまいましたが、別の狛犬サイト?様で、かなりリストアップされているところがありました。

    神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識
    http://www.komainu.org/kouchi/index.html

  38. イノシシ より:

    高知ロケの「旅館街」のシーンに上げた高知市玉水町の「旅館 都」ですが、やはりこの旅館の前が一家が水路沿いを歩くシーンで間違いないようです。下記のYouTubeサイト「昭和51年を歩く 高知市旭町界隈」は四万十町の写真家・武吉孝夫さんの取った写真集を動画化したものですが、32’55″辺りに映画に登場したアングル、私が撮影したアングルと同じ写真を見ることができます。この写真で見ると、私が撮った写真では丸い円柱形の柱に窓はありませんが、武吉さんの写真では窓を見ることができますし、建物そのものも同一のようです。映画に登場する「寿栄」という旅館はその後「旅館 都」という屋号に変わったようです。水路脇の大きく育った木を剪定したいです。

  39. イノシシ より:

    すみません。下記のYouTubeサイト
    「昭和51年を歩く 高知市旭町界隈」こちらです。

    https://www.youtube.com/watch?v=3cd52-iGPiM

  40. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、
    1時間ある動画からよく見つけられましたね。
    これで完全に決定ですね。
    自分が最初にSVでチェックした時、あまりにハマりすぎていたので、逆に今でも残っているとは思えず、瓦や窓の数をかぞえたりして、外観を精査してしまいました。おっしゃるとおり1階まわりが少し違っているだけで、他は同一ですね。
    個人宅だととりあげなかったかもしれませんが、今でも屋号や業態が少し変わっただけで袖看板を出して営業しているようでしたので、問題なかろうと記事で示しました。場所としては「お察し」なエリアですね。
    マップを引いて見ると、OP街道の「赤い建物」があった5丁目の南西にあたり、このあたりきっと以前はさぞ賑わっていたのだろうなと思いました。(だいたい都会では繁華街からちょっと入ったあたりに、こういった場所がありますよね)

    これで神社を除いて高知市内はだいたいチェックしていただけましたでしょうか。
    おかげさまで凄い情報量となりました。本当にありがとうございます。 🙂

  41. イノシシ より:

    >居ながら様

    武吉さんのこの写真集は高知市内を細かくエリア分けして膨大な量の写真を残していますので本当に貴重です。しかしほとんどが絶版になっており。手に入れるのが困難です。自分はダイジェスト版しか持っておらず、まさかYoutubeにこのような動画があるのは知りませんでしたので、著作権がクリアできているかどうかは分かりませんが楽しく見させていただきました。私の暮らしているエリアでもありますし。

    玉水新地は明治以降に開かれた歓楽街で、妓楼や芝居小屋、料亭が建ち並び、現在は得月楼の名で営業している陽暉楼もかつてはこの地域にありました。水路の上は江戸時代の堤防のラインで、少し西には幕末に岡田以蔵が処刑された雁切河原もありました。私が高知に来たのは1987年。35年近く前ですので玉水町はその当時はまだ映画のような風景をとどめていました。夜になると水路沿いに呼び込みのおばさんたちがずらりと並んでいた姿も懐かしいです。

  42. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、
    動画じっくり見ましたが、闇市のところでは思わず身を乗り出していまいました。
    0:24頃の旭町1丁目の大通りは路面電車の乗り場を捉えていて、つまり銀行の前あたりということですね。

    https://goo.gl/maps/G4rooaqmuJGFu2oP6

    西向きなのが残念で、これが東向きでしたら私達が確認したかった景色が見られたかもしれませんね 🙂

  43. イノシシ より:

    居ながら様

    OP街道の情報更新ありがとうございました。高知市で暮らす私たちにとっても、高知市旭町の電車通りから東向きに映画のような山並みが見えるかが疑問でした。2022年1月現在、やっと確認することができました。高温多湿の高知では夏場は同じ場所から見ても山並みを確認することができず、冬場限定の眺めといえます。またこれはたまたまなのですが、サンプラザ上町店が2021年1月の閉店により解体されたことによって、再び見えるようになったわけで、現在跡地には銀行のビルが建とうとしており、完成後には再びこの山並みは見えなくなる可能性もあります。

  44. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、毎度現地の画像と詳細なレポートありがとうございます。
    確かに山の形が頭をのぞかせていますね。建て替え期間限定の貴重な一枚と言えましょうか。

    この場所私最初に間違えてしまいましたが、それというのも間違えた方のSVで映画に似た山の稜線を見つけ、「しめた」と思い込んでしまったのでした。
    これは失敗例ですが、たいていの場合、数十年を経て町並みがいかに変わろうと、周囲の山の形や日差しは変わることはないので、大事な手がかりとして解明に活用しています。

    不思議なもので、建物はごっそり変わっているのに、映画と同じようなアングルで撮影していただくと、映画のショットがダブって見えてくるものですね。
    この場所に関しては、場所の特定から始まって昔の住所地図の探索や現在位置との照合など、リサーチ力はさすがでお見事でした 😀

  45. awa より:

    1985~1990年頃に山形市に居住していました。たまたまアマゾンプライムで「少年」を視聴し、こちらにたどり着いた次第です。ご参考になればと思いまして、投稿させていただきます。

    1:00
    メガネを買って,家族で歩いてくる道について。
    道の奥、突き当りに「阿部時計眼~」という横型の大きな看板が見えますが、メガネは恐らくここで購入したのでは。因みに山形市には,老舗の「阿部時計店」が現存します。場所は同じではありません。
    また、道の左側にある。コンクリートの柵に囲まれた灰色の建物は,「山形市立第一小学校旧校舎(現山形まなび館)」と思われます。
    https://goo.gl/maps/dcHboRcEeQL9V9zB9

    1:06
    母親が飛び込んだところいついて。
    こちらは確証がないのですが、JR山形駅北側の跨線橋下かもしれません。
    この跨線橋は、 JR奥羽本線で隔てられた山形市内の東西をつなぐ重要な幹線で、おまけに駅前に隣接していることから、車線増幅など、頻繁に工事を繰り返しています。
    映画のシーンを見ていると、右上の角に,スロープを上ってゆくバスが確認できます。
    https://goo.gl/maps/Q34MwiRTVks8tfh27
    現在は、行き止まりで階段になっており、車は抜けられないようです。
    https://goo.gl/maps/bUKX37dx4y8tHjJe8

    以上よろしくお願いいたします。

  46. 居ながらシネマ より:

    awaさん、コメントありがとうございます。
    国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスで60年代~70年代の空撮画像をダウンロードして、周囲の屋根の形などを映画と照合してみました。
    2箇所とも大正解と思われます。お見事でした 😀
    今夜はもう遅いので、明日以降記事へ追記させていただきます。
    ありがとうございました。

    それにしてもよくおわかりになりましたね。
    以前山形市にお住まいになられていたとのことで、ビビっときたのかと思いますが。
    不思議なもので、私もなじみの場所ですと、昔の映画で今とはまるきり景色が違っていても、案外ビビっときたりします。

  47. 居ながらシネマ より:

    報告遅れましたが、今朝追記しました。
    跨線橋の方は、夜の暗がりもあって、どういう場所なのか皆目見当がつきませんでしたが、いちど跨線橋だと思って見ると、位置関係がすんなり理解できました。確かに右上の隅の方でヘッドライトが坂を上っていきますね。

    それからついでに気づいたのですが、山形の最初のカット(街の俯瞰)は、その跨線橋の上からの眺めのように思えてきました(カメラ東向き)。
    https://goo.gl/maps/3D8JkyejmhxqZLNq9
    この位置でだいたい山のシルエットが映画と一致するようです。
    あとは空撮で屋根の形が映画と同じものを確認できるなら、確定ということで記事に追記します。

    ともかく、懸案が2件も解決でき、おかげさまでスッキリしました。ありがとうございました。

  48. awa より:

    山形ロケ地情報に微力ながらお役に立てまして光栄と存じます。
    以下、再び投稿させていただきます。

    町並み俯瞰
    0:59
    電車移動の後のエスタブリッシングショットについて。
    左手前の一番大きな山は、山形市民なら殆ど知っている千歳山です。
    その右奥に控えているのが蔵王連峰です。
    https://goo.gl/maps/HBktxfPCEBF5RwZV9
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%AD%B3%E5%B1%B1)
    1:04
    父親が単独で宿泊したホテルについて。
    ホテルの外観。
    https://goo.gl/maps/cKxpvqSuNxbBzSsQ9
    ホテルのフロントに入ろうとして引き返す途中に見える壁の模様。
    https://goo.gl/maps/wxGyb86ayTngS73Z7
    母親は古びた旅館から夫に電話をしますが、そのときのホテル名が「プリンスホテル」でした。こちらは「YTプリンスビル」となっています。
    https://goo.gl/maps/YhuJy12jF2GDYbK5A
    突き当たりのT字路、七日町大通りです。現在は一方通行ですが、映画の中では対面通行です。道路反対側は「千足屋」という靴屋さんの本店でした。
    https://goo.gl/maps/TKTymsWkkj2Y3NMv9

    妻と子供二人が宿泊した旅館についてはわかりませんでした。
    ただし、バスのクラクションや車のエンジン音が頻繁にすることから、大通り界隈にそのような旅館があったのかもしれません。幼子を一人旅館に残して不案内な土地を歩くわけですから,距離的にもさほど遠くないところに宿をとっていると考えられます(映画作成上、予算的にも安く済むはず)。
    ところで、夫が宿泊したホテルをまっすぐ西方向に下ってゆくと(山形市は扇状地になっており,東から西へなだらかに下ってゆくのですが)、かつて「八陽館」という古くて安いので有名な旅館がありました(私は直接見たことがありません、聞き覚えです)。今は賃貸物件になっているようです。
    https://goo.gl/maps/18gjfWt1fF4wP1aG7
    ホテルからの道すがら案内板のみ確認できました。
    https://goo.gl/maps/ivDQbD8jem2wmUFm8
    直感的にはかなりそれっぽいのですが、確証はゼロです。

    以上よろしくお願いいたします。

  49. 居ながらシネマ より:

    awaさん、またまたありがとうございます。

    「父親が単独で宿泊したホテル」お見事でした。そのまま項目を作成し、まるっと転載させていただきました。

    私ここは、となりの「ジュネーヴ」ばかり探していました orz…
    確かに電話で名前を言っていますから、タイアップぽいところもありそう……
    渡辺さんが冷たく見下ろしていたのは、きっと312号室で、そのまま山形ロケの宿泊先だったのかもしれませんね。
    旅館の方は昔は駅の近くによくあった商人宿に近い雰囲気がありますね。ご案内の「八陽館」もそういった宿なのかと思いますが、あとはなんとか画像で確認してみたいです。

    山形の山情報もありがとうございます。
    まだカメラ位置が確定しないので、もう少し粘ってみます。
    「遠くに千歳山と蔵王連峰を望む昭和40年代の山形市の画像」があれば完璧ですね 🙂

  50. イノシシ より:

    awa様

    はじめまして。山形市在住である程度の年齢の方であれば見れば分かる場所がロケ地になているんですね。「ホテルのフロントに入ろうとして引き返す途中に見える壁の模様」、これが残っていることに感動しました。この入口の雰囲気からして、かつてはこの地下にラウンジか何かがあったんでしょうね。旧山形市立第一小学校も素晴らしかったです。驚くべきことは管理人さんが考察された「矢吹病院」。最新のGoogle SVではその後建て替えられた矢吹クリニックも取り壊されており、時代の変化を感じます。高知ロケの中の江ノ口川の橋の袂にある旧病院の洋館もそうですが、昔の名建築をさり気なく画角に取り入れている辺り、大島監督の映像センスを感じさせられます。また「千足屋」は丸山写真館や建具製作所が写っているカットの電柱に案内板が貼り付けられていますね。ロケの位置関係がわかり興味深いです。

  51. イノシシ より:

    「矢吹クリニック」、取り壊されたのではなく、建て替えられた病院も同じ場所でさらに新しく建て替えられていました。失礼いたしました!!

  52. Bill McCreary より:

    >「八陽館」

    手持ちの「アートシアター」で確認したところ、山形市の宿は、「つたや旅館」というところのようですね。この映画では、旅館の関係者は、実際に撮影した旅館の人が演じているようです。ただざっと検索した限りでは、現在山形市には、「つたや旅館」という名前そのものの宿泊施設は確認できませんでした。

    そういうわけで回答(?)を書いてしまいますと、高知市の旅館は「井上旅館」、福井市が「その定旅館」、小樽市が「越中屋旅館」です。小樽の旅館は名前通りで現存が確認できました。街を代表する老舗の旅館のようです。

    http://www.etchuya-ryokan.com/

    この時代は、当然ホテルなどはまだ整っていなかったでしょうから、街を代表する宿泊施設だったのではです。いまは、残念ながら話の分かる人はいないかもしれませんね。

    ただほんと、再開発などで、当時の地元を知っている人なら一発で分かりそうなところでも、知らないと何が何だかさっぱりわからないということは多いですよね。小樽市など、昔の建物や運河を大変楽しませていただいていますが、つまりは途中で発展が滞ったためでもあります。現在は、観光の強い武器になっているのは何よりですが。高崎の駅も、あまりに違いすぎて絶句しました(苦笑)。

  53. 居ながらシネマ より:

    イノシシさん、コメントありがとうございます。

    > 「千足屋」は丸山写真館や建具製作所が写っているカットの電柱に案内板が貼り付けられていますね。

    本当ですね、この稼業?をしていると、もはや画面の周辺しか見なくなりますが(汗)、これは気づいていませんでした。
    その前のawaさんの書込の時点で、千疋屋と空目してしまい、だいぶ視力が落ちてきているのを実感しています。

  54. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
    旅館情報、おかげさまでスッキリですね。
    特に腑に落ちたのは高知で、これ確かに出て行くときのカットでは電話番号付きで「御旅館井上」の看板が写っていますから、二時間サスペンスのようなタイアップ表示だったのですね。
    その後の旅館街のカットではそれらしい建物や出入り口が見えませんので、タイアップ先はもしかすると少々別の場所なのかもしれませんが、ともかく実名であったことが判明してスッキリです
    いただいた各地の旅館情報は、後ほど記事に追記しておきます。ありがとうございました 🙂

  55. awa より:

    居ながらシネマ様、イノシシ様、Bill McCreary様、こんにちは。
    母と少年が泊まった「つたや旅館」についてですが、気になることがありまして、ご連絡いたします。
    私が山形で暮らしていた1985~1990年頃、映画中、父親(渡辺文雄)の宿泊した「プリンスホテル」の道路挟んで真向かいに、二階建ての貸ビルがあり、二階の一番奥に「津田屋」という喫茶店が営業していました。「津田屋」の主人がその貸ビルのオーナーで、南側隣接の「八文字屋」書店の別館として、1,2階にテナントとして入っていました。現在の同所(所在地:山形市本町2丁目4-14)を地図で確認すると,そのまま㈱津田屋という不動産屋さんの持ちものになっているようです。もしかしたら以前は旅館業だったのかもしれません。映画では,奥行きの細長い感じの間取りですが、実際の敷地も東西に細長い形になっています。
    また、映画中、母親と少年が,左手から現れて,フロントに行きかけ、思いとどまり反転し,父親のいる部屋をT字路で見上げるシーンがありますが、母子が宿泊した旅館がこの位置ですと、その流れがすんなり理解できるような気がします。
    イノシシさんにご指摘いただいた駅から東に向かう直線道路に面した丸山写真館前の電柱看板「千足屋」についてですが、㈱津多屋所有の建物の左隣が、偶然か意図的か判りませんが「千足屋」靴店の本店です(所在地:山形市本町2丁目4−15。現在は靴の販売は行っていないようです)。
    追伸
    現在山形市に在住している知人から、たまたま別件で連絡がありまして、その知人が映画好きでもあったため、映画撮影当時のあの界隈を知っている人に、尋ねてもらうことにしたのですが、つい先程、連絡があり、現在の㈱津多屋は映画撮影当時は旅館を営業していたということが判りました。
    七日町通りの古い画像などがあれば、確かなものになると思いますが、そこまでは至りませんでした。
    以上お役にたてれば幸いです。

  56. 居ながらシネマ より:

    awaさん、コメントありがとうございます。
    おー、つまりプリンスホテルの向かいに以前あった間口が狭い物件が、「つたや旅館」であった可能性が高いということですね。
    現在は建て替えられて「Pool HACHIMONJIYA」となっているこちら↓でしょうか。
    https://goo.gl/maps/qskEP6uAXb57fz4f8

    参考までに、七日町丁字路交差点の過去の空撮をGoogleスライドでまとめてみました。
    https://docs.google.com/presentation/d/1wdlkbaLBwLxlZuklVZ7z5wYL0_0qKgJUcwnq1F9Rc4s/edit?usp=sharing
    (関係ありませんが、交差点の標示をSVで確認してはじめて「Nanukamachi」と読むのだと知りました……)

    映画では旅館の外観は写りませんから空撮では確認しようがありませんが、お話を総合すると物件的には十分ありえそうですね。
    あとは当時のこの通りの商店街マップといいますか、各店舗の屋号を確認できる資料があれば確度が高まるかと思います。
    例えば、こういった↓ものなど

    <レファレンス協同データベース > 山形市七日町大通りについて、明治、大正、昭和の店舗の並びのわかる資料があるか>
    https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000063106

    余談ですが、右隣の「八文字屋」さんは入り口周りや屋上駐車場などなかなか個性的な物件ですね。
    サイトに拠れば68年に完成したそうですが、きっと現在に至るまで山形市のみなさんにとって大切な書籍文化の担い手であり憩いの場であり続けたのではないかと拝察します。
    http://www.hachimonjiya.co.jp/about/

    ともかく貴重な情報ありがとうございました!

  57. Bill McCreary より:

    先月小樽市の、坂や事故現場と思われる場所に行き写真を撮ってきました。地図で分かっていたことではありますが、ほんと駅至近の場所でロケをしていたのだなと再確認しました。

    https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/d6e1f7230f3e757183a6deef24dcbdd5

  58. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、コメントありがとうございます。
    ブログ記事拝見しましたが、現場?写真を多くアップしてくださり、つい自分も行った気になれました。またいつものように何枚か拝借してよろしいでしょうか?

    そろそろ海外旅行も、とご予定を立てていらっしゃることと思いますが、2年間に比べて円安が進んでいて高くなっているでしょうし、原油高で燃油サーチャージも上がっていそうですね。

  59. Bill McCreary より:

    あ、当然お使いください。舌足らずで申し訳ございません。

    海外旅行は、年末年始に東南アジアあたりを考えておりますが、どうなることか。

  60. 居ながらシネマ より:

    Bill McCrearyさん、コメントの承認が遅くなり申し訳ございませんでした。
    さきほど画像を拝借してアップさせていただきました。ありがとうございました!

    撮影地とは別に小樽の写真楽しませていただきましたが、昔の建物が残っている町は歩いていて楽しいですよね。
    ただ観光地としてはインバウンドの人たちが戻ってこないとまだまだ厳しい感じでしょうか……

  61. 高岡タケシ より:

    イノシシ様
    当時の電話帳から井上旅館の場所を見つけました。
    現在では一般の住宅になっているので、マップでの明示は避けますが、居ながら様の予想された通り玉水町ではなく、電車通りを跨いだ元町でした。
    それともう一件
    冒頭の吉田公園のシーンに出てくる墓石を積み上げた様な塔を香南市で見つけました。
    こちらもマップ上での明示は避けますが、香我美icを降りて55号線方面に南進した所にある霊園です。
    施設の案内板によると、構造物の名称は 舎利塔。
    不謹慎な投稿になりましたが、ご参考までに。

  62. イノシシ より:

    高岡様

    おっと、「少年」で来ましたか。外観は玉水町ですので、旅館の内部のみ元町の別の旅館で撮影されたということなのですね。玉水町は特殊な旅館なので内部の撮影は難しいのではと思っていましたが納得です。絵面だけ見て、「外観はこっちで行こう」と判断したのでしょうね。「舎利塔」に関しては、高知の場合宅地造成で一箇所に集められるということがアチラコチラでもあったようです。吉田町も市街地の延伸で住宅地化した場所なので、かつてはあちこちにお墓があったんでしょうね。

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